第十九話 未知の衝動
《……ふゥ、ようやくクロムバッハ邸に戻ってきたぜ》
ヴァーゲストが心なしか疲れた様子で念話を飛ばす。
今、僕たちはアインスの自室に戻る帰途の途中。クロムバッハ邸の広い廊下を歩いていた。
《しっかしよォ、あの女マジで何もせずにオレちゃんたちを帰したな》
ヴァーゲストが言う通り、あの後ジューダスは僕に一切の危害を加えることなく立ち去っていった。
「虚偽や騙し討ちをするタイプには見えなかったからそこまで心配していなかったけどね」
アレは良くも悪くも徹頭徹尾、己を偽らない人間だ。同じ殺人者としてその強靭な信念は眩しくもある。
しかし危ない綱渡だったのは間違いない。
今回はただ運が良かっただけとも言える。何かの拍子に彼女の機嫌を損ねれば、僕は間違いなく死んでいただろう。
今後はあのエリアに近付かないようにしよう。
《でもよ、あの時坊ちゃんが本気であの女に殴りかかるんじゃねェかと心配したぜ》
「……すまない。そんなつもりじゃなかったんだ」
何故僕はあんな言葉で我を忘れたのだろうか。
自分でも分からない。
今まで積み上げてきた行いを否定された気分にでもなったのか。
なんて迂闊で無様だ。
この世界に来る前はいつも冷静でいられたはずなのに。転生してから……いやノアに出会ってから僕の調子は狂ってばかりだな。
《今回みたいのはホントに勘弁してくれよ。オレちゃんの心臓がストレスでマッハだぜ》
言ってる意味は分からないが、ヴァーゲストに大きな心労を掛けたのは理解できた。
「いつも悪いね。苦労を掛けるよ」
心からの謝意を述べる。
《……いや、まァ》
すると何故だかヴァーゲストの思念が、途端に狼狽したのが分かった。
《……ハァ、ズルいぞ、坊ちゃん。そんな素直に言われちゃなんにも言えねーぜ。カッー、坊ちゃんもそういうとこ人たらしだよなァ》
「ヴァーゲスト?」
突然のヴァーゲストが僕の背中に、少女の姿で実体化する。
必然的に彼女をおんぶするようなカタチになってしまう。
「うりうり、オレちゃんを心配させた罰だぜ。ケケケ、オレちゃんの重みを思い知るがいい」
「……なんだい、それは」
まるで子供のようなじゃれつきだ。ヴァーゲストは僕の身体より一回り小さい。罰どころか、羽のように軽かった。
たぶん色々あった僕の気を紛らわせようとしてくれているのだろう。
「ハァー、坊ちゃんの背中あったかいナリィ」
「そんなにくっ付いたら当然だろ」
そのままヴァーゲストをぶら下げたまま自室に向かう。
するとアインスの……いや、僕の部屋の前に見知った人物が立っているのに気付いた。
「あっー! ようやく帰ってきた!」
「やあ、ノア、わざわざ僕の部屋の前で待っているなんてどうかしたのかい?」
部屋の前で待っていたのはノアだった。なぜだか僕を見付けて、ぷんすかとお怒りの様子だった。
「どうかしたも何も最近ずっと会ってなかったでしょ! ずっとすれ違いばっかり! わたし、明日からしばらくユニゼラルを離れてなきゃならないのに──って、ゲスちゃん? 珍しい、その姿で外に出てるんだ」
「うぃーす、姫ちゃん」
僕に背負われているヴァーゲストを見て、ノアが珍しそうな顔をする。
「そういえば、明日からノアはゲオルグさんたちと一緒に帝都に行くんだったか」
数日前にネフェラから聞いた。
オルド大橋の件が、帝都の覇王ゆかりの高位貴族の耳に入ったらしく、今後の活動を踏まえて面通しに行くことになったらしい。
曰く、今後の協力者になってくれるかもしれない重要な人物らしい。
たしか帝都には、直系ではないらしいが覇王の子孫がいたはずだ。
帝都グランシアを実効支配しているロードス連邦共和国。かの国家が軟禁同然で子孫を管理しているそうだ。
そんな状況なのに、ノアと面会したいだなんて連邦の貴族も一枚岩ではないというかね。
「そうだよ! 帝都ってすっごく遠いんだよ! 何ヶ月も帰ってこないんだよ! なのにアイ君のところに行ってもいつもいないし……」
ここ一週間。
朝はハンネとの訓練、その後の昼から夕方は街の探索、そしてクロムバッハ邸に帰って来てからは泥のように朝まで眠るを繰り返していた。
本来であれば夕食の席でクロムバッハ家が全員集まり、専属従者であるノアも僕の側付きとして背後に控える。なので普通であればその時に会うことになるのだが、僕が夕食の場に欠席し続けるのでノアとはずっと会えずじまいだった。
「夜は疲れて寝てるみたいだったし、ここ最近ずっと何をしてたの?」
僕を心配したノアの純粋な疑問だった。
「まあ、ちょっと……」
悪人を殺すために街を徘徊していました、とは言えない。
これは僕の罪で僕の問題だ。ノアを巻き込むわけにはいかない。……いや、違うな。僕はノアに関わって欲しくないのだ。きっと僕の醜い一面を見せたくないから。
愚かなことだ。ノアはどんなことであろうと、僕を受け止めてくれると知っているはずなのに。
それとも、だからこそだろうか。
「むむっ……」
ノアは言葉を濁す僕を見て、訝しげに唸った。
彼女は感情を読める異能を持っている。その気になれば僕の感情を読んで、思考を予測することも出来るだろう。
「はぁ……しょうがないなぁ」
しかしノアは呆れたようにため息を付いた。
「アイ君が何を考えて動いているのかは追求しないでおくよ。勿論、アイ君の心を探ろうなんて無粋な真似はしないから。……でもね、困ったことがあったら必ずわたしに相談すること」
ノアが祈るように僕の両手を握り締めた。
「……ああ、分かったよ」
後ろめたさを隠すように僕は頷いた。
「うひひ、分かったならよろしい。……あ、そういえば副侍女長から御茶菓子貰ったんだよ。明日からしばらく一緒にいられないんだからさ、せめてお茶ぐらいはしようよ」
*****
「フッフーン、今日のオヤツは新月堂の黒饅頭〜」
上機嫌な様子でノアが茶菓子をテーブルに並べる。
僕の自室──アインスの部屋でノアがお茶の準備をしていた。
テーブルにはティーカップでなく湯呑みに似た容器が三組分置かれていた。僕、ノア、ヴァーゲストの分だ。
「ふふん、今日のお茶はヒノモト風なのです。最近ユニゼラルでも結構ブームになってるんだってさ」
「へぇ」
ノアがこれまた急須に似た容器に緑の茶っ葉を入れていた。色や形も緑茶によく似ていた。
「ヒノモトっていうのはたしかアトレイア大陸の外にある島国だったよね?」
「そうだよ。シンゲンさんの祖国だね。ユニゼラルにはヒノモト系の移民が結構いるんだよ。政務商業地区にはヒノモト街もあるぐらいだし」
アトレイア大陸は、僕の世界のアフリカ大陸とユーラシア大陸を合わせたぐらいの巨大な大陸だ。
しかしそんな巨大な大陸であっても、外側には大小様々な島が存在している。
ヒノモト国はその中の一つ。
ユニゼラルのさらに東。まさに東の果てにある国だ。
シンゲンを初めて見た時から気になって調べてみたのが、どうやらこの国は僕の世界のアジア的な文化を持っているようだ。
たまたま似ているのか。それとも僕のような転生者が影響しているかは知らないが。
探偵局の存在にしろ、この世界は所々に僕たちの世界の影響を窺わせる面がある。
「姫ちゃん、はよはよ、まだ準備が終わんねーのか」
先にテーブルに着席していたヴァーゲストがノアを急かす。
「はいはい、ゲスちゃん、もうちょっと待ってね。茶っ葉を蒸らす時間が必要だから」
ノアが砂時計をひっくり返し時間を測る。
普段僕たち以外の関係者の前には出たがらないヴァーゲストではあるが、こうやってノアと二人きりの時はお茶会に時折参加している。
「ふふ、ねぇ、こうやってお茶会の準備をしているとカサキヤ村の頃を思い出すね」
「……ああ、そうだね」
考えれば、まだ一ヶ月も立っていないのだ。僕がこの世界に来たばかりの頃は、少年探偵団のみんなとよくお茶会をしていた。
僕のことがノアにバレて、さらに暗殺者──ジューダスに襲われてからは、めっきり忙しくなって回数が減ってしまったが。
「そういえば少年探偵団の三人とは会ったのかな?」
「ああ、数日前に顔を合わせたよ。まさか僕の世話役になるとは思わなかったよ」
「ふふ、あの子たちすごい喜んでたんだよ。アイ君とずっと一緒にいられるって」
あまり大したことはしたつもりはないのだが、彼らは僕によく懐いてくれている。不思議な感覚だ。前の世界では子供に好かれるなんて考えもしなかったから。
「あの子たちが学校じゃなかったらお茶会に呼んだんだけどなぁ、残念」
僕に後ろ姿を向けながら、ノアがお茶の準備を続ける。
少し前は当たり前の穏やかな日常の風景だった。
ほんの数時間前に生死の綱渡りをしたとは思えない光景だ。ジューダスが襲ってくることは結局無かったが、一つ間違えれば僕は死んでいてもおかしくなかった。
ジューダスは言った。
死と生は硬貨の裏表。表裏一体なのだと。
生きるということを知らないから、僕は死を知らない。たぶんそういう意味だと思う。
では生きるとはなんだろうか。
他者を殺すことしか出来なかった僕は、生きていなかったとでも言うのか。
「ふんふんふーん」
鼻歌を歌いながらノアが上機嫌に準備を続けていた。時折、彼女の白いうなじが露わになる。
そう、生きるとは──
「……きゃあ!?」
僕は気付くと、
「え……っと、ア、アイ君……?」
ノアを見下ろしていた。
いや違う。馬乗りになって彼女を組み伏せていた。
何故か。どうしてか。
彼女の首には僕の両手が──
「────」
ノアは少し不思議そうに僕を真っ直ぐ見つめていた。一切の恐怖もなかった。
まるで今にも殺されそうになっているにも関わらず──
「……殺されそうに?」
誰に?
僕にだ。
「──ッ!?」
その意味を理解した瞬間、僕は死んだ魚が蘇ったかのように飛び跳ねた。
「い、いま僕は何を……?」
何をした?
いや何をしようした?
「もぅ、いきなりびっくりしたよぉ、いきなり押し倒してくるんだもの」
メイド服のスカートを叩きながら、平然とした表情でノアが立ち上がる。
「……あ、ああ、すまない」
なんて間抜けなセリフ。
しでかした事と比べたら何と不釣り合いか。
「ん? アイ君、すごい顔してるよ? どうしたの?」
どうしたのって……今しがた僕がやったのは殺人未遂だ。にも関わらずノアは寝坊を咎めるような口調で僕を責めただけだった。
「いや、その……」
なんだ?
まさかノアはやったことを理解していないとでもいうのか? 首まで絞められたのに?
「……あぁ!?」
突然ノアが大声を上げた。事の重要性に今更気付いたのかと、僕はびくりと身を震わせた。
「お茶がこぼれちゃってるよぉ」
ノアの視線は床の絨毯だった。さっきの衝撃でテーブルの上から急須が落ちてしまったらしい。緑の液体が絨毯に染みを作っている。
「とりあえず拭く物持ってくるね」
「……あ、ああ、分かったよ」
慌てた様子でノアが部屋から出て行った。
結局、僕は先ほど起きてしまったことをまともに謝ることも出来なかった。
「よォ、イチャコラはもう済んだのか?」
座っていたヴァーゲストが、茶菓子の饅頭を口にしながら呑気に言った。
「……なぁヴァーゲスト、さっきの光景はお前からどう見えた?」
「アーン? 坊ちゃんが獣欲にかられて姫ちゃんを押し倒したようにしか見えなかったけど」
いや獣欲って。
「……頼むから次に同じことが起こったら、殺してでもいいから僕を止めてくれ」
僕は半ば本気でそう言った。
「ヤダよ、オレちゃん馬に蹴られたくねェーし」
よく分からないことをいいながら、露骨に嫌そうにヴァーゲストが答える。
「……本気で、頼む」
「ハイハイ、じゃあ次はベッドに運んでやらァな」
どうやらいまいち僕の真剣さが伝わっていないようだ。
「…………」
しかしどうしたことだろうか。
これは僕がもっとも恐れていた殺人衝動の暴走なのか?
絶対に避けるべき事態。
身近な人間を巻き込まないように徹底していたのに。
「……でも、限界はまだ先だったはずだ」
目算では、まだ数週間は我慢できるはずだ。
現に今だって平常心を保っていられる。僕に燻る昏い炎は、まだ理性でコントロールできる領域だ。
何故、あの瞬間だけタガが外れたようになってしまったのか。
いや、そもそも今の行動は殺人衝動が原因だっただろうか?
分からない。
まったく分からない。
こんな出来事は前の世界では絶対に起きなかった。




