第八話 大岡裁きの子争い(異世界版)
「け、けっこんあいて……?」
けっこん。
結婚ってなんだっけ。
あまりの爆弾発言に僕の言語野が一時停止した。
「そうですわ。アインス様とワタシは将来添い遂げる運命の間柄なのですから」
アイリーンがぴったりと僕と密着しながら、うっとり呟いた。
まて、まてまて。
待ってくれ。
「……悪いんだけど、初対面の相手と結婚の約束した覚えはない」
僕は密着するアイリーンを無理やり引き剥がした。
僕が生きていた時代の価値観ではありえないが、それこそ日本の大昔の時代は親同士が決めた顔も知らない相手との結婚は普通の出来事だった。
この異世界でもそうなのだろうか。
「あら意地悪ですわね。ワタシとアインス様は昔に出会っていますのに」
またそれか。
今日は昔のアインスの話を聞かされてばかりだ。
「……申し訳ないけど、昔の事はあまりよく覚えていないんだ。君と婚約した覚えもない」
「それは仕方がありませんわ。ワタシと初めて出会ったのはアインス様まだ幼い頃の一度切りでしたから」
「一度切りだって?」
「ええ、あれはワタシの誕生会でしたかしら。あの時のアインス様の可愛いらしさと言ったらもう…… 」
アイリーンは言いながら昔を思い出したか、ウットリとした様子で呟いた。
「本当はその時に婚約を申し込んだのですけれど、アインス様が病気療養のためにユニゼラルを離れるとのことでゲオルグ様にお断りされましたの」
ハンネもそうだが、生前のアインスは随分と色々な人たちから可愛がられていたらしい。
「……もしかして、その婚約者っていうのは君が勝手に言っているだけなんじゃないのか?」
婚約者がいるならゲオルグが事前に言っているはずだ。僕が聞いていないっていうことはそうなんじゃないのか。
「そんなことありませんわっ! ゲオルグ様から本人の許可を貰えるなら認めていただけると言われましたもの!」
そんなことあるじゃないか。
ということは、僕が婚約者として認めなければ彼女の話は破談になるわけか。
ただでさえ本物のアインスだと偽って生活し続けなればならないのだ。これ以上の頭痛のタネは増やしたくない。
「アイリーンさん、悪いんだけれど僕にはまだ婚約者なんて──」
「アイ君飲み物持って……あぁっ!?」
銀のグラスを持ってバルコニーに戻ってきたノアが大声を上げた。
「あらゼノア様、ごきげんよう」
アイリーンが見知った様子でノアに挨拶していた。
「ど、ど、どうしてアナタがここにいるのっ!?」
「勿論、正面から堂々と忍びこみましたわ。門番をしていたシュタール騎士団の方々もワタシがユニゼラル家の者だと分かると丁重に扱ってくれましたもの」
堂々と忍び込んだって……
身内だけの社交会に外部の人間が混じっていたのはそれが理由か。
「愛しい婚約者様に会える願ってもない機会ですからね。ワタシが参加しないわけはないでしょう」
「それは! アナタが! 勝手に! 言ってるだけ!」
ノアが一言ごとにはっきりと宣言しながら叫んだ。
「わたしもゲオルグ様も、アナタを婚約者として認めたことなんてないからっ!」
「あら、ゲオルグ様からはアインス様の了承があれば認めてもらえるとお聞きしておりますわ」
「それは自由恋愛ってことでしょ! これだから何でも思い通りになると思っているお貴族様は!」
ガルルルと獣のような唸り声を上げながら、ノアがアイリーンを威嚇する。
「ノア、どうどう、落ち着いて。二人は知り合いだったのかい?」
「ええ、以前にちょっとした機会がありましたのでご挨拶をしたことがありますわ。アインス様の将来の秘書たる専属従者になる予定と聞いたモノですから」
なぜだか自信満々にアイリーンが笑った。
「アインス様に気に入られて無事に専属従者になられたようですわね。将来の妻であるワタシからも、お祝いを申し上げますわ」
「アナタにお祝いをされても嬉しくもなんともない!」
アイリーンのセリフを、ノアが即座に否定する。
なんだろう、二人の仲は悪いだろうか。
ノアが一方的に嫌っているだけな気もするけど。
「アイ君、この人のこと信用しちゃダメ! 嘘ばっかりなんだから!」
「あら、大して親しくもない人のことが分かるなんて、ゼノア様はまるで名探偵みたいですわね」
アイリーンがわざとらしく大仰に言った。
「…………」
名探偵と聞くと、僕の天敵の女探偵を思い出してしまうからその言い方はやめて欲しいところだ。
「む、アインス様の顔色が優れませんわね。体調が悪いのでなくて?」
「……いや、大丈夫だ。ちょっと思い出したくないことを思い出しただけだから」
「いけませんわ、大事を取って部屋でお休みしましょう! ええ、そして二人っきりに!」
「ダメっ! ダメったらダメ!」
アイリーンが僕の片方の手を掴み、ノアが反対側を取った。
「……おほほ、ゼノア様、婚約者であるワタシがアインス様の介抱しますからその手を離していただけますかしら」
「……うふふ、ただのパーティーの参加者のアイリーン様こそ、手を離した方がいいんじゃないかな。アイ君の介抱は専属従者のわたしがするべきことだと思うけど」
二人の間で見えない火花が散っていた。
……あの、さっきから僕を握りしめる両方の手がミシミシと強くなっているんですが。
「アインス様!」
「アイ君!」
「いだだだっ!?」
いや、むしろ本格的に強くなってきたぞ!?
江戸時代、僕の世界では大岡裁きの子争いという有名なお話があった。子供を引っ張って取り合う二人の母親の話だ。
その話では我が子を思いやって引っ張るの止めた女が本当の母親だと判明するのだが、僕を引っ張り合う二人の少女は未だ力を緩めることなくお互いに我が意を主張していた。
「……あ、あの、二人とも、とりあえず僕を引っ張るの止めてくれるとありがたいのだけど」
僕のささやかな主張は二人には入っていないらしく力はますます強くなっていく。
「ワタシがお運びしますわ!」
「違うよ、わたしがやるの!」
慣れない社交会の疲れが溜まっているせいもあるのか、痛みで意識が段々と遠くなってきた。
「あ、あれ!? アイ君!?」
「アインス様、気を確かに!?」
薄れゆく意識の中、そういえば同じ江戸時代での処刑法で牛裂きというモノがあったなぁとぼんやりと思い出した。




