エピローグⅡ 始まりの終わり、終わりの始まり
自由貿易都市ユニゼラル。
世界でも有数の人口と経済規模を持つ大都市。
そのユニゼラルの中心を十字に区切る場所にクライン広場という観光名所があった。
クライン広場の名は──覇王クライン・ダインスレイグに由来する。
そもそもユニゼラル公国とは成立からして覇王から多大な援助を受けていたことに起因する。
帝国成立以前の群雄割拠の戦国時代。
大陸の動脈であるリラヘール大河を抑える必要があった若きクライン・ダインスレイグは、イシュール地方の地方領主であったユニゼラル家を全面的に援助したのだ。
イシュール地方を支配するということは、リラヘールを制するのと同義だ。
湾岸部に近い立地と広大な平野。
大河の根元を押さえるには絶好の場所だったからだ。
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「そしてこのクライン広場は、ユニゼラル公国の成立に大きく貢献した覇王を称えて作られた物。……ふん、我に言わせれば駄犬が尻尾を振って主人に媚びを売っているのと変わらんな」
クライン広場の一角。
腰掛け台に座っていた女──ジューダス・エクスマキナはそんな感想を述べた。
白の拘束衣に真紅の首巻き。
昼下がりのクライン広場には露天商や観光客が山のようにいたが、ジューダスの異質な風貌を気にする者は誰もいなかった。
まるで誰にも見えていないかのように──否、認識阻害の術式を使っているおかげだった。
「些か退屈だがな。まあ官憲に見付かってつまらぬ手出しをされるのも面倒だ。降り掛かる火の粉を払うのは好きだが、わざわざハエの群れに好んで入ろうとは思わんしな」
ジューダスはひとりごちて、広場のある一角に目を向けた。
そこはクライン広場の中央にある噴水。
絢爛豪華に彩られた大噴水の中心部には、覇王を模した銅像が置かれていた。
「覇王か……クククッ、此度の仕事はまことにおもしろき代物であったな」
ジューダスの述懐の言葉には凶暴な響きがあった。
「──お待たせしたのデス」
ふと気付くとジューダスの目の前に一人の人間が立っていた。
白手袋、赤茶けた紳士服。頭を覆う巨大なシルクハット。
一見して男性のように見える風貌だが、よく見れば身体付きで女性なのだと判断出来る。推定十代後半。それは男装をした少女だった。
目深に被ったシルクハットのせいで、どんな顔付きをしているのかは分からなかった。
「遅いぞ。『仲介屋』よ」
「それはそれは、大変失礼したのデスヨ、ジューダス殿。貴方たち暗殺者と依頼者を繋げる我々『仲介者』は、各種の調整があるが故に常に多忙を極めているのデス。多少の遅延は許してもらいたいところデスネ」
帽子の女は、抗議の視線を向けるジューダスに対して淡々とした口調で説明を続ける。
「まあいい、それでわざわざ我を呼び付けた要件はなんだ? 簡単な報告は使い魔で済ませたはずだが」
「ええ、デスネ。ボクの方でも確認したのデス。……が、いくつか気になる点がアリマシタ」
「ほう、なんだ、言ってみろ『仲介屋』」
ジューダスは使い魔での報告に関して、ある一点の重大な部分を伏せていた。
「──アナタがオルド大橋で撃退された部分デスヨ」
やはりそこか。
ジューダスは確信した。
「それがどうした? 言っただろう、応援でやって来たクロムバッハ家のメイドの小娘にしてやられた、とな。……いやはや、まさか強制転移の術式とはな、さしもの我も油断していたな」
「極死十三の第十三席に名を連ねるアナタが、小間使い程度に苦渋を舐めさせられたノデ? アナタはあの『一次大戦』での消耗が原因で百年ほど眠り付いていたそうですが、今のアナタはまさかそこまで落ちぶれているのデスカ?」
安い挑発だとジューダスは思った。
こちらを怒らせて真意を引き出したいのだろう。
「ブランクがあるのは認めるさ。今の我の能力値はかつての全盛と比較しても三分の一以下だ。……なぁ『仲介屋』よ、お互い詰まらん猿芝居は止めるべきだと思わんか?」
ジューダスの問いに、帽子の女は雰囲気を変えた。顔が見えずとも分かる。立ち姿から剣呑な空気が放たれている。
「……今このユニゼラルでは、とある噂が蔓延っているのデス」
「ほう、それは何だ?」
「鳴らないはずの鐘──オルド大橋の鐘が鳴り、覇王が再来したと」
「──クッ」
ジューダスは意味ありげに含み笑いをした。
「もっともその噂はユニゼラル元老院によって風説の流布の恐れがあるとみなされ、早々に箝口令が引かれましたガネ。しかし人の口に戸は立たない物デス。
もう一度聞くのデス。極死十三──第十三席ジューダス・エクスマキナ。アナタはあの橋で何を見たのデスカ?」
帽子女から直接的な問い。
ジューダスは腰掛け台から立ち上がった。
「逆に問おう。『仲介屋』──狂える帽子屋よ、貴様たちはどこまで知っている……否、どこまで関わっているのだ?」
ジューダスは凶暴な笑みを浮かべる。
それはまるで肉食獣が牙を剥いたかのようだった。
「…………」
「…………」
異形の風貌をした二人の人間はしばらく睨み合いを続ける。
だが、
「──ジューダス殿、どこに行かれるのデスカ?」
小一時間ほどの睨み合いの後、ジューダスが気まぐれな猫のように踵を返した。
「我も暇ではないのでな。これ以上の話が無いのであれば帰らせてもらう。……フフッ、なにせ、これからしばらくは力を蓄える必要があるからな」
「今回の依頼失敗の処罰に関して興味は無いノデ?」
帽子女──狂える帽子屋と呼ばれた女は、広場から去っていく後ろ姿に問い掛けた。
「どうせ『評議会』の審議待ちだろう。
極死十三の尊号剥脱でなければどうでも良い。好きにしろ。
貴様ら『仲介屋』と好きに相談して決めると良い。……ああ、だかな──」
ジューダスは歩みを止めることなく背後に向かって言い捨てていたが、ふと急に足を止めた。
「此度のクロムバッハ家の案件──今後も必ず我を絡ませろ。……でなければ、分かるな?」
振り返って帽子女を睨み付けた。
それは殺意すら込めた強い視線。
脅迫のような言い分──ではなく、脅迫その物だった。
「考えておくのデス、ボクからも『評議会』に進言しておきまショウ」
「期待しているぞ。……っと、そういえば久しく組織の人間会っていなかったからな。忘れるところだった──汝、他が痛みを知れ」
それは闇の顎門において挨拶と別れを意味する符牒のような言葉だった。古代大陸語らしいがジューダスは詳しい意味を知らない。興味もなかった。
「──汝、他が痛みを知れ……フム、ではごきげんようなのデス」
ジューダスは言いたいことを言ってスッキリしたのか、上機嫌な様子でクライン広場から消え去っていった。
「……流石は極死十三きっての狂犬デスネ。あの情念の強さは、彼女が百四十年前の『覇王暗殺』に関わっているのでないかという噂に信憑性を与える物なのデスヨ。これは『我々』の間でも十分に周知しておくべき事案なのデス」
クライン広場に残されたのは帽子女ただ一人。
「さて『主人様』如何でしたでショウ」
のはずだった。
狂える帽子屋は虚空に向けて疑問を投げ掛けた。
瞬間、
「──ええ、ご苦労様。
私の可愛い狂った帽子屋さん」
帽子屋の雰囲気が一変した。
カタコト混じりの言葉が、深窓の淑女のような口調に変化する。
姿形は一緒なれど、まったくの別の風格に。
まるで演じる役者が変化したかのように。
「さて──っと」
帽子屋女は跳躍した。
それは軽々とした仕草にも関わらず常人の何十倍もの跳躍力を発揮した。
着地した先は広場の中央にある大噴水の中央部──覇王の銅像だった。
「ふんふん、たったらぁ、 たらりらぁ」
帽子女は覇王の銅像──頭の上で優雅に踊る。
まるで覇王を足蹴にするように。
「さあさ、これで全ての手札はようやく出揃った。
殺人鬼と覇王の器が出逢い、運命の歯車は回り始めた」
それはまるで詩を朗読する貴人のようでもあった。
「始まりが終わり、終わりが始まる。
物語を、歪に育んだ運命を。
悲劇と喜劇、怒涛の如き潮流を、世界を覆い尽くしましょう」
クライン広場にいる沢山の観光客たちは、誰一人それを気にすることはない。
広場の中央、覇王の銅像の上にいるにも関わらず。
広場の隅で立哨する衛兵隊はその不敬を咎めることなく、暇そうに欠伸をしている。
それは孤独な独演会だった。
だが、帽子の女は構うことなく詠う。
「運命は雄叫びを上げる。
人々は沈みゆく船から逃げる鼠のように駆け出していく。
これからたくさん積み上げて。
嗚呼、罪上げていきましょう。
罰はすぐそこに、至るべき破綻はあの彼方に。
世界も、運命も、全てを飲み込んで。
──私は全てに、いえ、世界に告げましょう。
開幕にして終局を。
さあ始めましょう!
あの素晴らしき『ゆりかご計画』を!」
ここではない何処か。
天空に向けて帽子の女は叫んだ。
恋焦がれる少女のように。声高らかに。
そして一陣の風が流れた時。
帽子の女は幻のように消え去っていった。




