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6/6

第六話 その原本、十年前に廃棄されたはずですよね?

 ★★☆


 翌朝、私は出勤するなり、王国監査局の場所を調べた。


 北方防衛管理局ではない。


 王国監査局だ。


 昨日、私の机に置かれていた名簿には、監査官セドリック・ヴァレンの名前があった。


 三年前、十二人の帰還を確認した担当者として。


 そして第五話の最後に、私はひとつの可能性に行き着いた。


 あの名簿は、王国監査局に保管されている原本の写しなのではないか。


 もしそうなら、原本を見ればいい。


 原本が見つかれば、作成者も、保管の経緯も、記録された日付も確認できる。


 少なくとも、今ある資料が何を意味するのか、もう少し分かるはずだ。


 ……うん。


 我ながら、筋の通った考えだと思う。


 問題は、王国監査局が、地方ギルドの受付係に原本を見せてくれるかどうかだった。


「見せてくれないでしょうね」


 エッダさんは、私の相談を聞くなり言った。


「まだ何もお願いしていませんが」


「顔に書いてあるわよ。『王国の重要書類を見せてください』って」


「そんな顔、あります?」


「あなたの顔にはあるわ」


 ひどい。


 私はまだ二十四歳だ。


 額に公文書閲覧請求と書いてあるような顔ではないはずである。


「そもそも、どうして監査局なの?」


「三年前の帰還確認記録に、セドリック監査官の名前があったんです。彼が現地確認を担当したなら、報告書が残っているかもしれません」


「なるほどね」


 エッダさんは、少し考え込んだ。


「でも、原本を見たいなら、まず原本が存在することを確認しないと」


「存在しない可能性もありますか?」


「十年前に廃棄されたことになっている可能性はあるわね」


 私は固まった。


「……どうして分かるんですか?」


「分からないわよ。会計の仕事をしていれば、古い書類の保管期限くらい知っているというだけ」


「廃棄されたことになっている、というのは?」


「正式な廃棄記録があれば、そういう扱いになるでしょうね」


「では、廃棄記録を調べればいいんですね!」


「待ちなさい」


 エッダさんが私の袖をつかんだ。


「あなた、今、何か大事なことを飛ばしたわよ」


「何でしょう?」


「書類が廃棄されたことと、書類が実際に廃棄されたことは違う」


 私は口を閉じた。


 ……まただ。


 このギルドには、同じ意味の言葉をわざわざ分けて説明する文化でもあるのだろうか。


「それで、廃棄記録を調べるには?」


「正式な手続きが必要ね」


「その手続きは?」


「支部長に聞きなさい」


「支部長が教えてくれない場合は?」


「私に聞きなさい」


「今、教えてくれないんですか?」


「嫌よ。朝から面倒な仕事を増やさないで」


 エッダさんは、私の袖を離した。


「それと、ミレイユ」


「はい?」


「昨日の夜、誰かがあなたの机を調べた形跡があるわ」


 私は、思わず自分の机を振り返った。


「……え?」


「引き出しの鍵は壊れていない。でも、帳簿の向きが変わっていた。あなた、あれをしまう前に、表紙を机の右側に向けていたでしょう?」


「どうして、それを……」


「私は会計係よ。帳簿の位置が変わっていたら気づくわ」


 エッダさんは、声を落とした。


「ミレイユ。あなたが何を調べているのか、もう一度よく考えなさい。調べられる側も、あなたが何を見たのかを調べ始めている」


 私は、背中が冷たくなるのを感じた。


 昨日の封筒。


 十二人の名簿。


 セドリックの名前。


 それらを、誰かが探しに来たのだろうか。


 もしそうなら。


 私は、あの名簿を引き出しにしまっておいてよかったのだろうか。


 それとも、別の場所に保管するべきだったのだろうか。


「……エッダさん」


「何?」


「このギルド、安全ですよね?」


「質問の意味によるわね」


「普通に働いて、普通に帰るという意味です」


「それなら、あなたが入社する前は安全だったわ」


 私は退職届の書き方を調べ直すべきかもしれないと思った。



     *



 午前九時。


 私はバルド支部長の部屋にいた。


「王国監査局の資料を閲覧したい、だと?」


「はい」


「却下だ」


 早い。


 昨日より早い。


「まだ申請書も出していません」


「出す前に却下している」


「それは手続きとして問題がありませんか?」


「ここは私の支部だ」


「では、手続きの責任者は支部長ですね?」


「……何が言いたい」


「閲覧申請を正式に提出します。支部長が却下されるのであれば、却下理由も記録に残してください」


 バルドは、私をじっと見た。


「君は、いつからそんなことを言うようになった?」


「入社してから、帳簿が合わないことが続いているので」


「普通の受付係は、そこまでしない」


「普通の受付係なら、こんな帳簿を扱わないと思います」


 支部長は、深くため息をついた。


「……君は、私を困らせたいのか?」


「いいえ。記録を確認したいだけです」


「それが、どれほど多くの人間を困らせるか分かっているのか?」


「分かりません。だから、確認したいんです」


 バルドは、机の上で指を組んだ。


 その表情には、怒りよりも疲労がにじんでいた。


「ミレイユ。十年前のことを、君は何も知らない」


「はい」


「何があったのかも、誰が何をしたのかも知らない」


「はい」


「それなのに、古い記録を掘り返して、正しいかどうかを調べようとしている」


「はい」


「……怖くないのか?」


 私は、少し考えた。


 怖い。


 もちろん、怖い。


 昨日、誰かが私の机を調べたかもしれない。


 支部長は何かを隠している。


 監査官は質問に答えない。


 そして、三年前の十二人については、生きているのか死んでいるのかすら分からない。


 怖くないはずがなかった。


「怖いです」


 私は答えた。


「でも、怖いからといって、記録を見なかったことにはできません」


「……」


「私は、誰かを犯人だと決めつけているわけではありません。支出が正当だった可能性もあります。記録に残っていない事情があるのかもしれません」


 私は、昨日作成した照会書の控えを机に置いた。


「だからこそ、原本を確認したいんです」


 バルドは書類を見つめた。


 長い沈黙のあと、彼は引き出しから一枚の紙を取り出した。


「これを持っていきなさい」


 それは、王国監査局宛ての紹介状だった。


「支部長……?」


「正式な閲覧申請ではない。君が地方支部の職員であり、業務上の疑義について資料確認を希望していることを伝えるだけだ」


「ありがとうございます!」


「礼はまだ早い」


 バルドは、紹介状を私に渡した。


「監査局が閲覧を許可するとは限らない。許可されても、必要な資料が出てくるとは限らない。ましてや、君が望む答えが見つかるとは限らない」


「承知しています」


「それから」


 彼は、私をまっすぐ見た。


「もし、セドリック監査官が同行を申し出たら、必ず一緒に行きなさい」


 私は眉をひそめた。


「監査官を信用しているのですか?」


「信用しているかどうかと、同行させるべきかどうかは別だ」


 ……なるほど。


 このギルドでは、どうやら何もかも別らしい。


 私は紹介状を受け取り、頭を下げた。


 これで、王国監査局へ行く理由はできた。


 あとは、セドリックに同行してもらうだけだ。


 そう思っていた。


 しかし、現実は、いつも私の予定どおりには進まない。



     *



 王国監査局は、王都の中央区にあった。


 白い石造りの建物。正面には王国の紋章が掲げられ、入口には武装した衛兵が二人立っている。


 グランベル支部とは、建物の大きさからして違った。


 こちらは、書類一枚で人間の運命まで決めてしまいそうな場所だ。


 私は受付で紹介状を提出した。


「地方ギルド、グランベル支部のミレイユ・アルブレヒトです。過去の北方特別配分に関する記録を確認したく、参りました」


 受付の女性は、紹介状を読み、私を見た。


「閲覧希望の記録番号は?」


「A-714に関連する、十年前の送金照合記録と、三年前の北方地域の帰還確認記録です」


 女性の手が止まった。


 ほんの一瞬。


 けれど、私は見逃さなかった。


「……少々お待ちください」


 彼女は奥へ引っ込んだ。


 私は待合室の椅子に座った。


 しばらくして、戻ってきた女性は、先ほどよりも表情が硬くなっていた。


「申し訳ありませんが、その記録は閲覧できません」


「理由を教えていただけますか?」


「保管期間満了に伴い、廃棄済みです」


 私は、思わず身を乗り出した。


「廃棄されたのですか?」


「はい。十年前の記録については、所定の保管期間を満了しております」


「廃棄年月日と、廃棄承認者を確認することはできますか?」


「廃棄記録も、同じく保管期間を満了しております」


 ……おかしい。


 私は、紹介状を机の上に置いた。


「では、廃棄の事実を確認できる資料は、何も残っていないということですか?」


「そのような記録になっております」


「実際に廃棄されたことは、確認されているのでしょうか?」


 女性は、答えなかった。


「失礼ですが、私は廃棄されたという結論を確認したいのではありません。廃棄されたことを裏付ける記録を確認したいのです」


「同じことではありませんか?」


「違います」


 私は、できるだけ落ち着いた声で答えた。


「廃棄済みという状態を示す記録と、実際に廃棄したことを示す記録は、別です」


 女性は、困ったように眉を寄せた。


 そのときだった。


「彼女の言うとおりだ」


 背後から声がした。


 振り返ると、セドリック監査官が立っていた。


「セドリック監査官!」


「ミレイユ君。来ていたのか」


「はい。監査局の記録を確認したくて」


「そうか」


 彼は受付の女性に向き直った。


「廃棄済みと記載されているなら、その廃棄処理の根拠となる記録は、別途確認できるはずだ」


「ですが、監査官。その記録自体も――」


「保管期間を満了した、という説明だろう?」


「……はい」


「ならば、廃棄記録の保管規程と、当該記録の廃棄処理に適用された規程を確認したい」


 女性は、すぐに答えられなかった。


 セドリックは、私に目を向けた。


「ミレイユ君。君の申請内容を見せてくれ」


 私は紹介状を渡した。


 彼は目を通し、静かにうなずいた。


「少なくとも、確認する理由はある」


「閲覧できるのですか?」


「それは、担当部署の判断だ」


 ……出た。


 またしても、判断は別の部署。


 私はもう、王国の行政制度に対して何の期待も抱かなくなりつつあった。


 しかし、セドリックはその場で引き下がらなかった。


「閲覧の可否を判断するために必要な記録があるなら、その所在を確認してほしい。記録が存在しないなら、その旨を正式に回答してもらいたい」


 受付の女性は、しばらく考え込んだあと、奥へ向かった。


 今度は、十分ほど待たされた。


 戻ってきた彼女は、薄い書類を一冊抱えていた。


「こちらが、当該記録の廃棄処理に関する管理簿です」


 私は息をのんだ。


 管理簿が残っていた。


 少なくとも、廃棄されたという記録の一部は、まだ存在している。


「閲覧してもよろしいでしょうか?」


「該当箇所に限り、確認を許可します。ただし、複写はできません」


「承知しました」


 私は、管理簿を受け取った。


 そして、該当する記録を探した。


 十年前。


 北方特別配分。


 A-714。


 ページをめくる。


 ページをめくる。


 見つけた。


 そこには、確かに記録があった。


『対象記録:北方特別配分・送金照合表』


『処理区分:廃棄』


『廃棄年月日:王暦四八二年十月十二日』


『承認者:監査局記録管理課長』


 私は、その下の欄を見た。


『廃棄実施担当者』


 空欄だった。


「……あの」


 私は受付の女性に尋ねた。


「廃棄実施担当者の欄が空欄ですが、これは通常の処理でしょうか?」


「いいえ。通常は、実施担当者の署名が必要です」


「では、この記録は?」


「……確認いたします」


 女性は管理簿を受け取り、別の職員に見せた。


 その職員も、記録を確認して顔を曇らせた。


 セドリックが、静かに口を開いた。


「廃棄承認は記録されている。しかし、廃棄を実施した者は記録されていない。そういうことだな?」


「はい」


「では、これだけでは、対象記録が実際に廃棄されたかどうかは確認できない」


「……そのとおりです」


 私は、管理簿を見つめた。


 まただ。


 廃棄することは承認されている。


 けれど、廃棄したという事実は確認できない。


 つまり。


 原本が存在する可能性は、まだ残っている。



     *



「ミレイユ君」


 管理簿の確認を終えたあと、セドリックは私を廊下へ連れ出した。


「君は、何を見つけた?」


「廃棄承認の記録はありました。でも、廃棄実施担当者の署名がありません」


「そうだな」


「原本が廃棄されたかどうかは、確認できていません」


「そうだ」


「……監査官は、これを知っていたのですか?」


 彼は答えなかった。


 私は、足を止めた。


「セドリック監査官。三年前、あなたは十二人の帰還を確認したことになっています。けれど、ギルドの記録では、彼らの活動は三年前に途絶えています。埋葬費の記録もあります」


「……」


「あなたは、彼らがどこにいるのか知っているのですか?」


 セドリックは、廊下の窓から外を見た。


「知らない」


「本当に?」


「今、彼らがどこにいるのかは知らない」


 私は、その言い方が気になった。


「では、三年前には知っていたのですか?」


 彼は、しばらく黙っていた。


「三年前、私は彼らが帰還したことを確認した」


「十二人全員ですか?」


「記録上は、そうなっている」


「……また、記録上ですか」


「君がその言葉を嫌うのは分かる」


「嫌いというより、もう信用できません」


 セドリックは、苦笑した。


「それは、正しい反応かもしれないな」


 私は、彼の顔を見つめた。


「では、実際には?」


「君に話せることと、話せないことがある」


「話せない理由は?」


「私が話すことで、君が危険にさらされる可能性がある」


「それなら、なおさら知る必要があるのではありませんか?」


「なぜ?」


「知らないままでは、何が危険なのか判断できません」


 セドリックは、返す言葉を探すように黙った。


 私は続けた。


「私は、記録を改竄したいわけではありません。間違っているかもしれない集計を訂正し、原記録との違いを明らかにしたいだけです」


「……」


「でも、そのためには、何が起きたのかを知る必要があります。十二人が本当に帰還したのか。埋葬費は何のために支出されたのか。どうして受領者の氏名がないのか」


 私は、まっすぐ彼を見た。


「監査官。あなたは、私に何をさせたくないのですか?」


 セドリックは、ゆっくりと息を吐いた。


「君に、彼らをもう一度、死者にしてほしくない」


 私は、言葉を失った。


「……どういう意味ですか?」


「君が今、十二人の記録を訂正したとする。活動中に戻すのか。死亡扱いにするのか。それとも、所在不明にするのか」


「それは、確認できた事実に基づいて判断します」


「その確認ができないとしたら?」


「……」


「君が何も知らないまま記録を訂正すれば、彼らは再び、どこにもいない人間になるかもしれない」


 私は、昨日アルノが言った言葉を思い出した。


 ──記録にないなら、俺は三年前から、ここにはいないことになるんだろうな。


 セドリックは続けた。


「記録を正すことが、必ずしも人を救うとは限らない。時には、記録に残さないことで守られている人間もいる」


「……それでも、記録が間違っているなら?」


「そのときは、何が正しいのかを確かめなければならない」


 彼は、私の目を見た。


「だが、確かめる前に記録を動かしてはいけない。君が今やるべきことは、訂正ではない。原本の所在を

確認することだ」


 私は、ゆっくりとうなずいた。


 その点については、私も同じ考えだった。


 ただし、ひとつだけ、聞き捨てならないことがあった。


「監査官」


「何だ」


「あなたは、十二人を守ろうとしているのですか?」


 セドリックは答えなかった。


 代わりに、廊下の奥へ視線を向けた。


「……ここでは話せない」


 彼は歩き始めた。


「君に見せたいものがある。ついてきなさい」



     *



 セドリックに案内されたのは、監査局の地下書庫だった。


 入口には、二人の衛兵が立っていた。


 セドリックが身分証を見せると、衛兵たちは扉を開けた。


 中は薄暗く、天井まで届く書架が並んでいる。


 紙と埃の匂い。


 古いインクの匂い。


 ここには、何十年、何百年という記録が保管されているのだろう。


「原本は、どこにあるのですか?」


「まだ分からない」


「……え?」


「廃棄されたと記録されているものを、探すのだからな」


 私は、思わず彼を見た。


「では、どうしてここへ?」


「廃棄記録が残っているなら、関連する目録も残っている可能性がある」


「目録?」


「保管されていた書類の一覧だ。原本そのものがなくても、移管先や廃棄処理の記録が見つかるかもしれない」


 なるほど。


 原本があるかどうかを直接探すのではなく、原本がどこにあったのかを示す記録から追う。


 それなら、筋が通っている。


 私たちは書架を進み、記録管理課の古い目録を探した。


 やがて、セドリックが一冊の帳簿を取り出した。


「これだ」


 表紙には、王暦四八二年の文字がある。


 私はページをめくった。


 北方特別配分。


 送金照合表。


 A-714。


 該当する項目を見つけた。


 そこには、保管場所が記載されていた。


『地下書庫第三保管区画・第七棚』


 私は顔を上げた。


「ここにあるんですね!」


「いや」


 セドリックは、目録の下にある小さな注記を指さした。


『保管区画変更:王暦四八二年九月二十八日』


『移管先:特別保管区画』


『閲覧権限:王国監査局長および王室財務監督官に限る』


 私は、思わず息を止めた。


「特別保管区画……?」


「一般の職員が立ち入れない保管場所だ」


「そこに原本が移されたということですか?」


「記録上は、そうなっている」


 私は、目を閉じた。


 また、その言葉だ。


 記録上は。


 でも、今度は少し違う。


 原本が廃棄されたという記録がある一方で、廃棄予定の一か月前に、特別保管区画へ移管されたという記録もある。


 もし、移管が実際に行われていたのなら。


 原本は、廃棄されずに残っている可能性がある。


「監査官。特別保管区画へ入ることはできますか?」


「できる」


「では、確認しましょう!」


「そう簡単にはいかない」


「どうしてですか?」


「入室には、監査局長と王室財務監督官、両方の承認が必要だ」


 私は、天井を見上げた。


 王国の書類は、どうしてこうも、必要なところで権限が足りなくなるのだろう。


「……監査官の権限では、入れないのですか?」


「入れない」


「監査局長に申請していただけますか?」


「申請はできる」


「では――」


「却下されるだろう」


「まだ申請していませんよね?」


「経験上、そうなる」


 私は、思わず頭を抱えた。


 この国の行政は、未来の却下結果まで予測して仕事をするらしい。


 それはそれで、ある種の才能だと思う。


「……では、申請しましょう」


「ミレイユ君」


「はい?」


「君は、本当に諦めが悪いな」


「受付係ですので」


「その説明は、もう聞いた」


 セドリックは、目録を閉じた。


「分かった。正式に申請しよう」


 私は顔を上げた。


「本当ですか?」


「ただし、条件がある」


「何でしょう?」


「申請が却下された場合、君はそれ以上、特別保管区画について調べないこと」


「……それは、承諾できません」


「即答か」


「却下された理由を確認し、必要なら再申請します。記録が存在する可能性がある以上、確認する必要があります」


 セドリックは、困ったように笑った。


「君の上司は、大変だろうな」


「はい。私もそう思います」


 彼は、とうとう声を出して笑った。


 初めて見る、監査官の普通の笑顔だった。


 ほんの短い時間だったけれど、私は少しだけ、この人を信用してもいいのかもしれないと思った。


 少なくとも、今は私と同じ方向を見ている。


 原本を探す。


 まずは、それだけだ。



     *



 その日の夕方、私はグランベル支部に戻った。


 机の上には、見慣れない書類が置かれていた。


 誰が置いたのかは分からない。


 けれど、表題を見た瞬間、私は息をのんだ。


『北方特別配分・原本廃棄証明書』


 廃棄年月日。


 廃棄承認者。


 対象書類名。


 そして、廃棄実施担当者の署名。


 すべての欄が埋まっていた。


 監査局で見た管理簿では、空欄だったはずの廃棄実施担当者欄にも、はっきりと名前が書かれている。


 その名前を見た瞬間、私は書類を取り落としそうになった。


 バルド・グランベル。


 現在の、グランベル支部長。


 私は、書類を何度も見直した。


 十年前。


 まだ支部長になる前のバルドが、原本の廃棄を実施したことになっている。


 けれど、監査局の管理簿には、実施担当者の署名がなかった。


 つまり、この証明書は、監査局の記録とは一致していない。


 偽造されたものなのか。


 別の手続きによって作成されたものなのか。


 あるいは、監査局の管理簿のほうが不完全なのか。


 まだ、何も分からない。


 私は書類を机の上に置いた。


 そのとき、背後から声がした。


「それを、どこで手に入れた?」


 振り返る。


 バルド支部長が立っていた。


 顔色が悪かった。


 私は、ゆっくりと答えた。


「私の机に置かれていました」


「誰が置いた?」


「分かりません」


「……そうか」


 支部長は書類を手に取った。


 そして、しばらく黙っていた。


「支部長」


 私は尋ねた。


「この書類は、本物ですか?」


 バルドは答えなかった。


「十年前、北方特別配分の原本を廃棄したのですか?」


 彼は、目を閉じた。


「……ミレイユ」


「はい」


「君は、原本を見つけたら、何をするつもりだ?」


「内容を確認します。記録と実態に不一致があれば、原因を調べます」


「そして?」


「必要なら、正式な訂正手続きを取ります」


「……そうか」


 支部長は、書類を机に置いた。


「ならば、ひとつだけ約束してくれ」


「何でしょう?」


「原本を見つけても、そこに書かれていることを、すぐに信じるな」


 私は、支部長を見つめた。


「どうしてですか?」


 バルドは、苦しそうに笑った。


「十年前、私もそれを信じたからだ」


 私は、何も言えなかった。


 支部長は、それ以上説明しなかった。


 ただ、書類を私の机に残して、部屋を出ていった。


 私は、ひとりになった受付で、廃棄証明書を見つめた。


 原本は廃棄されたことになっている。


 しかし、移管記録がある。


 廃棄実施担当者の署名がない管理簿がある。


 そして、支部長の名前が記された廃棄証明書がある。


 どれかひとつが間違っているのか。


 それとも、すべてが、何らかの意味で正しいのか。


 私は、引き出しからノートを取り出した。


 そして、新しいページに書き込んだ。


『確認事項』


 一、原本は実際に廃棄されたのか。


 二、特別保管区画への移管は実施されたのか。


 三、廃棄証明書は、誰が、いつ、何の根拠で作成したのか。


 四、バルド支部長は、十年前に何を信じたのか。


 書き終えた私は、ペンを置いた。


 今日は、もう帰ろう。


 明日になれば、また調べればいい。


 そう思って立ち上がった、そのとき。


 机の上に、もう一枚の紙が置かれていることに気づいた。


 さっきまでは、なかったはずだ。


 私は、恐る恐る手に取った。


 そこには、短い一文だけが書かれていた。


『原本は廃棄されていない。だが、君が探している原本は、もう存在しない』


 その下には、見覚えのあるコードが記されていた。


 A-714。


 そして、最後に。


 『次に消されるのは、記録ではない』


 私は、紙を握りしめた。


 その瞬間、受付の扉が開いた。


「ミレイユさん!」


 飛び込んできたのは、トーマスだった。


 息を切らし、顔面を蒼白にしている。


「どうしたんですか?」


「父の家が……」


 彼は、言葉を詰まらせた。


「父の家が、荒らされました」


 私は、手元の紙を見た。


 次に消されるのは、記録ではない。


 もし、この手紙が脅しではないのなら。


 次に狙われるのは、私たち自身なのかもしれない。


 そして私は、ようやく理解した。


 これはもう、帳簿の間違いを探すだけの仕事ではない。


 誰かが、帳簿に残された真実を、必死になって消そうとしているのだ。


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