第一話 その手数料、どこに消えたんですか?
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冒険者ギルドの朝は、うるさい。
「だから! 俺はオークを三体倒したんだぞ!」
「はい。討伐報告書にも、オーク三体と記載されていますね」
「なのに、なんで報酬が二体分なんだ!」
「それを私が今から確認するところですので、カウンターを叩くのはやめていただけますか? 壊れたら修理費がかかりますし、その修理費を誰が負担するかで、また揉めることになります」
「……お前、冒険者を怒らせる才能があるな?」
「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めてねえよ!」
朝八時十五分。
私はすでに、今日の仕事を辞めたいと思っていた。
冒険者ギルド、グランベル支部。
王都から馬車で三日。魔物の出没する街道と、ちょっとばかり態度の悪い冒険者たちに囲まれた、どこにでもある地方のギルドだ。
そして私は、ミレイユ・アルベルト、二十四歳。
このギルドで働き始めて三か月になる、しがない受付嬢である。
夢は、平穏な生活。
希望は、定時退勤。
目標は、毎月の給料を一枚残らず受け取ること。
ところが、現実は厳しかった。
「ミレイユ! ちょっと来い!」
カウンターの向こうから、野太い声が飛んできた。
支部長のバルドだ。
脂ぎった髪に、金色の指輪。高級そうな上着のボタンは、今にも弾け飛びそうなほど張り詰めている。
この人は、私が入社してから一度も、帳簿をまともに確認しているところを見たことがない。
そのくせ、書類に不備があれば真っ先に部下を叱る。
不思議な生き物だと思う。
「はい、支部長。何でしょうか?」
「その冒険者は後回しだ。先にこれを処理しろ」
差し出されたのは、一枚の精算書だった。
「……依頼番号、三一八二。薬草採取。報酬、金貨十枚。手数料、金貨二枚……ですか?」
「そうだ。処理しておけ」
「確認ですが、この手数料は何の費用でしょうか?」
「運営費だ」
「運営費の徴収率は、規定では報酬の五パーセントだったと思いますが」
「特別運営費だ」
「その規定はどこに?」
「細かいことを気にするな。仕事が進まんだろう」
なるほど。
今日も、素晴らしい職場環境である。
私は精算書を受け取り、にっこりと笑った。
「かしこまりました。確認してまいります」
「おう。頼んだぞ」
支部長は満足そうにうなずき、奥の執務室へ引っ込んだ。
私はその背中を見送った。
そして、心の中でつぶやく。
──特別運営費って、便利な言葉ですね。
世の中のあらゆる不正は、名前をつけるところから始まるのかもしれない。
*
私はまず、依頼書を取り出した。
依頼主は薬草商のマルク。
依頼内容は、指定された薬草を百束採取すること。
報酬は金貨十枚。
依頼書には、ギルドが徴収する手数料についても記載されていた。
報酬の五パーセント。
つまり、金貨十枚の五パーセントは、金貨半枚。
冒険者に支払われるのは、金貨九枚と銀貨五枚相当になる。
ところが、支部長の精算書では、金貨二枚が差し引かれている。
差額は金貨一枚半。
少なくとも、契約書の記載とは一致していない。
「……うん」
私は帳簿を開いた。
次に、冒険者の完了報告書を確認する。
採取数、百束。
検品担当者、倉庫番のヨハン。
受領印、あり。
さらに、依頼主のマルクから届いた納品確認書もある。
百束を受領したこと。品質に問題がなかったこと。契約どおり金貨十枚を支払ったこと。
ここまでは、すべて一致していた。
つまり、薬草採取の依頼そのものに問題はない。
問題があるのは、その後の精算処理だ。
私は手数料の規定を確認した。
やはり五パーセント。
特別運営費などという項目は、どこにも存在しなかった。
「……さて」
私は精算書を裏返した。
そこには、支部長の署名がある。
しかし、手数料の変更を認める承認番号は記載されていない。
規定外の金額。
根拠となる規則なし。
承認番号なし。
それなのに、処理済みの印だけは押されている。
私はペンを置いた。
嫌な予感がする。
こういう書類は、たいてい一枚だけでは終わらない。
案の定だった。
先月分の精算書を調べると、同じような処理が七件見つかった。
先々月は五件。
さらに前の月は九件。
いずれも、規定の手数料を超える金額が差し引かれていた。
金額はまちまちだが、共通点がある。
すべての書類に、支部長の署名がある。
そして、すべての書類に、差額の使途を示す記録がない。
私は椅子の背もたれに寄りかかった。
「……これ、私が見つけてよかったんでしょうか」
誰にともなく尋ねてみた。
もちろん、答えはない。
窓の外では、冒険者たちが依頼掲示板の前で騒いでいる。
平和だ。
実に平和である。
少なくとも、帳簿の外側は。
*
「おい、受付嬢」
顔を上げると、先ほどの冒険者がまだカウンターの前に立っていた。
オーク三体を倒したという男だ。
「確認できましたかね?」
「はい。討伐報告書では三体となっていますが、報酬の精算時に二体分しか計上されていません。検品記録にも三体とありますので、追加分の報酬を請求できます」
「おお! そうだろ、そうだろ!」
「ただし、追加分の支払いには支部長の承認が必要です」
「……あいつか」
男の顔が曇った。
「俺、あいつに嫌われてるんだよな」
「何か心当たりが?」
「この前、酒場であいつのツケを断った」
「……なるほど」
それは嫌われても仕方がない。
いや、仕方がないのか?
支部長が部下や冒険者の好き嫌いで報酬を変えているなら、それはそれで問題だ。
「分かりました。私から確認します」
「頼むぜ、嬢ちゃん!」
男は嬉しそうに去っていった。
私は追加報酬の申請書を作成し、先ほどの精算書と並べた。
そして、気づいた。
オークの討伐報酬にも、同じ項目があったのだ。
規定にはない、特別運営費。
しかも、こちらは討伐報酬の一部を差し引く形で計上されている。
薬草採取だけではない。
討伐依頼にも、護衛依頼にも。
どうやら、このギルドでは、報酬を支払うたびに、何かしらの「特別な費用」が発生しているらしい。
便利な職場だ。
私も特別な理由で、給料を増やしてもらえないだろうか。
例えば、精神的苦痛手当とか。
「……いや、待って」
私はもう一度、精算書を見た。
薬草採取の報酬は金貨十枚。
オーク討伐の報酬は金貨六枚。
それぞれから差し引かれた金額は、金貨一枚半と銀貨九枚。
金額は違う。
しかし、処理された日付は同じだった。
さらに、承認欄には同じ番号が記されている。
──A・七一四。
私は眉をひそめた。
この番号、見覚えがある。
いや、正確には、見覚えがないことに覚えがある。
先月、古い書類を整理していたとき、同じ形式の番号を見た気がするのだ。
私は棚から過去の精算記録を取り出した。
一冊目。
二冊目。
三冊目。
そして、十年前の記録。
「あった……」
そこにも、A・七一四という番号が記されていた。
ただし、その隣には小さくこう書かれている。
『旧特別配分制度。廃止済み』
私はしばらく、その文字を見つめていた。
廃止済み。
十年前に廃止された制度の番号が、なぜ今日の精算書に使われているのだろう。
しかも、支部長の署名つきで。
「……気のせい、ですよね」
私は書類を閉じた。
気のせいだ。
きっとそうだ。
私はただの受付嬢である。
王国の秘密を探るような仕事は、監査官に任せておけばいい。
私は定時に帰りたい。
夕飯を作りたい。
休日には本を読みたい。
何より、面倒事は嫌いだ。
だから、この件は見なかったことに――。
「ミレイユ君!」
「ひゃいっ!」
変な声が出た。
振り返ると、支部長が立っていた。
「例の精算書、処理したかね?」
「……確認中です」
「まだか? さっさと済ませたまえ」
「支部長。こちらの手数料について、規定を確認したいのですが」
私は精算書を差し出した。
「契約上の手数料は五パーセントですが、こちらは二十パーセントになっています。特別運営費の根拠となる規定も見つかりませんでした」
支部長の顔から、笑みが消えた。
「……君は、何を言っている?」
「差額の使途を示す記録もありません。支出先を確認する必要があると思います」
「余計なことを考えるな」
「ですが──」
「いいか、ミレイユ君」
支部長は声を落とした。
「このギルドには、昔からのやり方というものがある。君は入ったばかりで、何も分かっていない。帳簿に書いてあることが、すべてだと思わないことだ」
私は首をかしげた。
「……帳簿に書いてあることが、すべてではない?」
「そうだ」
「では、帳簿に書いていないことを、帳簿に書いてあるように扱うのは、もっと問題ではありませんか?」
支部長は黙った。
しまった。
口に出してしまった。
私の悪い癖だ。
頭の中で考えたことを、そのまま口にしてしまう。
しかも、相手が上司でも遠慮がない。
これだから私は、出世できないのだろう。
「……君は、なかなか面白いことを言うね」
支部長は笑った。
目は笑っていなかった。
「分かった。そこまで言うなら、正式に処理してもらおうじゃないか」
彼は新しい書類を差し出した。
精算訂正指示書。
私は目を落とした。
対象は、先月分の報酬精算。
変更前の手数料、金貨一枚半。
変更後の手数料、金貨三枚。
差額の金貨一枚半は、特別運営費として計上すること。
そして、備考欄にはこう記されていた。
『前任者の記載誤りにつき、訂正する』
「……前任者?」
「ああ。以前の担当者が、処理を間違えたらしい。君が正しく直しておきなさい」
「ですが、この書類は先月、支部長が承認されていますよね?」
「だから何だ?」
「承認済みの金額を変更するのであれば、変更理由と再承認の記録が必要です。それに、前任者の記載誤りという根拠も確認できません」
「君は……」
支部長は、書類を指で叩いた。
「私の指示に従えないと言うのか?」
私は黙った。
どう答えるのが正解なのだろう。
はい、と答えれば、根拠のない金額を帳簿に記載することになる。
いいえ、と答えれば、上司への反抗だ。
どちらを選んでも、面倒なことになる。
私は、心の中で深いため息をついた。
ああ。
やっぱり、仕事なんてするものじゃない。
「……分かりました」
私はペンを取った。
支部長が満足そうにうなずく。
そして私は、訂正指示書の備考欄に、丁寧な文字で書き込んだ。
『変更指示を受領。契約書および承認済み精算書との不一致があるため、原本を保全し、訂正理由と再承認の確認が完了するまで処理を保留する』
書き終えた私は、書類を支部長に差し出した。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「……何だ、これは」
「ご指示を受けた記録です」
「こんなものを書けとは言っていない!」
「はい。ですので、私の判断で追記しました」
支部長の顔が、赤くなった。
私は笑顔を維持した。
受付嬢に必要なのは、笑顔と忍耐と、あと何だっただろう。
そうだ。
自分の名前が書かれた書類に、嘘を残さない勇気だ。
「ミレイユ君。君は、自分が何をしているのか分かっているのかね?」
「はい。分かっています」
「後悔するぞ」
「できれば、定時前にお願いします」
「……何?」
「後悔するなら、定時後は避けていただけると助かります。残業代が出るか分かりませんので」
支部長は、何も言わずに書類をひったくった。
そして、執務室へ戻っていった。
私は椅子に座り、机の上の書類を見つめた。
これで、少なくとも訂正の指示を受けた事実は残った。
原本も保全してある。
契約書も、完了報告書も、支払記録もある。
もし後で問題になっても、私が勝手に数字を変えたわけではないと説明できる。
……はずだ。
「はあ……」
私は頬杖をついた。
どうしてこうなった。
私はただ、数字が合わないのが気になっただけなのに。
そのとき、カウンターの向こうから声がした。
「すみません。ここ、受付でいいんですか?」
顔を上げると、見慣れない男性が立っていた。
年齢は三十代くらい。
地味な旅装束に、擦り切れた革の鞄。
冒険者にしては装備が軽いし、商人にしては荷物が少ない。
「はい。ご依頼でしょうか?」
「いえ。少し、古い記録を調べたくて」
「古い記録、ですか?」
男は周囲を見回し、声をひそめた。
「十年前の、特別配分制度についてです」
私は息を止めた。
なぜ、この人がその名前を知っているのだろう。
男は鞄から一枚の紙を取り出した。
そこには、見覚えのある番号が記されていた。
A・七一四。
「あなたが、ミレイユ・アルベルトさんですね?」
「……そうですが」
男は紙をカウンターに置いた。
「お願いがあります」
彼は、真剣な目で私を見た。
「このギルドの帳簿を、調べていただきたいのです」
「……理由を伺っても?」
「十年前、私の父は、このギルドの会計を担当していました」
男は一度、言葉を切った。
「そして、帳簿を改竄したという罪を着せられ、職を失いました」
私は、何も言えなかった。
「父は最後まで、自分は何もしていないと言っていました。誰も信じてくれませんでした。でも、父が亡くなる直前、私に一つだけ教えてくれたことがあります」
男は、紙の端を握りしめた。
「この番号を見つけたら、記録を調べろ、と」
私は、紙に視線を落とした。
A・七一四。
十年前に廃止された制度。
今日の精算書に使われていた番号。
そして、無実を訴えながら職を失った会計担当者。
偶然だろうか。
私は、そう思いたかった。
しかし、机の上には、支部長が訂正を命じた精算書がある。
その備考欄には、こう書かれていた。
『前任者の記載誤りにつき、訂正する』
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「……お名前を伺ってもよろしいですか?」
「トーマスです。トーマス・ベル」
「トーマスさん」
私は、帳簿を閉じた。
「申し訳ありませんが、私は受付嬢です。過去の事件を調査する権限はありません」
「そう、ですよね……」
男は、肩を落とした。
私は続けた。
「ただし、現在の精算処理に不審な点があることは確認しています。まずは、正式な手続きで調べられる範囲から確認しましょう」
トーマスは、驚いたように私を見た。
「……協力していただけるんですか?」
「誤解しないでください。私は真実を暴きたいわけではありません」
私はペンを持ち直した。
「ただ、帳簿の数字が合わないのは、気持ちが悪いんです」
トーマスは、初めて少しだけ笑った。
そのときだった。
執務室の扉が、勢いよく開いた。
「ミレイユ・アルベルト!」
支部長の怒鳴り声が、ギルド中に響き渡る。
「今すぐ、その男を帰せ!」
冒険者たちが一斉に振り返った。
支部長は顔を真っ赤にして、こちらへ歩いてくる。
「そいつの話を聞くな! そいつは――」
言いかけて、支部長は口を閉じた。
ほんの一瞬。
だが私は、確かに見た。
支部長の顔に浮かんだのは、怒りではなかった。
恐怖だった。
トーマスも、それに気づいたらしい。
彼は鞄を抱きしめ、一歩後ずさった。
私は、机の上の精算書を見た。
十年前に廃止された制度。
不自然な手数料。
前任者の記載誤り。
そして、支部長の反応。
これらが、どうつながっているのかは分からない。
まだ、何も証明できていない。
だからこそ、私は記録を残さなければならない。
原本を保全し、事実を確認し、一つずつ矛盾を解消していく。
それが、私の仕事だ。
私は顔を上げた。
「支部長。こちらの方は、過去の会計記録について相談に来られただけです」
「黙れ! そいつの話は──」
「それと、先ほどの訂正指示書ですが」
私は、別の書類を取り出した。
「こちらの変更理由と、再承認の記録がまだ確認できていません。先に、そちらを正式に処理していただけますか?」
支部長は、言葉を失った。
私は笑顔を作った。
「大丈夫です。書類がそろえば、すぐに処理できますので」
冒険者ギルドの朝は、うるさい。
今日も、怒鳴り声と、ため息と、書類の山。
それでも私は、受付カウンターに座っている。
なぜなら、誰かが記録を残さなければ、何が起きたのかさえ分からなくなってしまうからだ。
そして私は、まだ知らない。
この小さな支部で起きている不正が、王国全土を揺るがす事件の入り口にすぎないことを。
机の引き出しには、十年前の古い帳簿が一冊、眠っている。
その最後のページには、誰かの手で書き加えられた一行があった。
『A・七一四。処理済み。以後、照合不要』
その下には、王国財務院の印章が押されていた。
そして、印章の横には。
現在の王国財務院長の名前が、記されていた。




