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第一話 その手数料、どこに消えたんですか?


 ☆★☆


 冒険者ギルドの朝は、うるさい。


「だから! 俺はオークを三体倒したんだぞ!」


「はい。討伐報告書にも、オーク三体と記載されていますね」


「なのに、なんで報酬が二体分なんだ!」


「それを私が今から確認するところですので、カウンターを叩くのはやめていただけますか? 壊れたら修理費がかかりますし、その修理費を誰が負担するかで、また揉めることになります」


「……お前、冒険者を怒らせる才能があるな?」


「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきます」


「褒めてねえよ!」


 朝八時十五分。


 私はすでに、今日の仕事を辞めたいと思っていた。


 冒険者ギルド、グランベル支部。


 王都から馬車で三日。魔物の出没する街道と、ちょっとばかり態度の悪い冒険者たちに囲まれた、どこにでもある地方のギルドだ。


 そして私は、ミレイユ・アルベルト、二十四歳。


 このギルドで働き始めて三か月になる、しがない受付嬢である。


 夢は、平穏な生活。


 希望は、定時退勤。


 目標は、毎月の給料を一枚残らず受け取ること。


 ところが、現実は厳しかった。


「ミレイユ! ちょっと来い!」


 カウンターの向こうから、野太い声が飛んできた。


 支部長のバルドだ。


 脂ぎった髪に、金色の指輪。高級そうな上着のボタンは、今にも弾け飛びそうなほど張り詰めている。


 この人は、私が入社してから一度も、帳簿をまともに確認しているところを見たことがない。


 そのくせ、書類に不備があれば真っ先に部下を叱る。


 不思議な生き物だと思う。


「はい、支部長。何でしょうか?」


「その冒険者は後回しだ。先にこれを処理しろ」


 差し出されたのは、一枚の精算書だった。


「……依頼番号、三一八二。薬草採取。報酬、金貨十枚。手数料、金貨二枚……ですか?」


「そうだ。処理しておけ」


「確認ですが、この手数料は何の費用でしょうか?」


「運営費だ」


「運営費の徴収率は、規定では報酬の五パーセントだったと思いますが」


「特別運営費だ」


「その規定はどこに?」


「細かいことを気にするな。仕事が進まんだろう」


 なるほど。


 今日も、素晴らしい職場環境である。


 私は精算書を受け取り、にっこりと笑った。


「かしこまりました。確認してまいります」


「おう。頼んだぞ」


 支部長は満足そうにうなずき、奥の執務室へ引っ込んだ。


 私はその背中を見送った。


 そして、心の中でつぶやく。


 ──特別運営費って、便利な言葉ですね。


 世の中のあらゆる不正は、名前をつけるところから始まるのかもしれない。



     *



 私はまず、依頼書を取り出した。


 依頼主は薬草商のマルク。


 依頼内容は、指定された薬草を百束採取すること。


 報酬は金貨十枚。


 依頼書には、ギルドが徴収する手数料についても記載されていた。


 報酬の五パーセント。


 つまり、金貨十枚の五パーセントは、金貨半枚。


 冒険者に支払われるのは、金貨九枚と銀貨五枚相当になる。


 ところが、支部長の精算書では、金貨二枚が差し引かれている。


 差額は金貨一枚半。


 少なくとも、契約書の記載とは一致していない。


「……うん」


 私は帳簿を開いた。


 次に、冒険者の完了報告書を確認する。


 採取数、百束。


 検品担当者、倉庫番のヨハン。


 受領印、あり。


 さらに、依頼主のマルクから届いた納品確認書もある。


 百束を受領したこと。品質に問題がなかったこと。契約どおり金貨十枚を支払ったこと。


 ここまでは、すべて一致していた。


 つまり、薬草採取の依頼そのものに問題はない。


 問題があるのは、その後の精算処理だ。


 私は手数料の規定を確認した。


 やはり五パーセント。


 特別運営費などという項目は、どこにも存在しなかった。


「……さて」


 私は精算書を裏返した。


 そこには、支部長の署名がある。


 しかし、手数料の変更を認める承認番号は記載されていない。


 規定外の金額。


 根拠となる規則なし。


 承認番号なし。


 それなのに、処理済みの印だけは押されている。


 私はペンを置いた。


 嫌な予感がする。


 こういう書類は、たいてい一枚だけでは終わらない。


 案の定だった。


 先月分の精算書を調べると、同じような処理が七件見つかった。


 先々月は五件。


 さらに前の月は九件。


 いずれも、規定の手数料を超える金額が差し引かれていた。


 金額はまちまちだが、共通点がある。


 すべての書類に、支部長の署名がある。


 そして、すべての書類に、差額の使途を示す記録がない。


 私は椅子の背もたれに寄りかかった。


「……これ、私が見つけてよかったんでしょうか」


 誰にともなく尋ねてみた。


 もちろん、答えはない。


 窓の外では、冒険者たちが依頼掲示板の前で騒いでいる。


 平和だ。


 実に平和である。


 少なくとも、帳簿の外側は。



     *



「おい、受付嬢」


 顔を上げると、先ほどの冒険者がまだカウンターの前に立っていた。


 オーク三体を倒したという男だ。


「確認できましたかね?」


「はい。討伐報告書では三体となっていますが、報酬の精算時に二体分しか計上されていません。検品記録にも三体とありますので、追加分の報酬を請求できます」


「おお! そうだろ、そうだろ!」


「ただし、追加分の支払いには支部長の承認が必要です」


「……あいつか」


 男の顔が曇った。


「俺、あいつに嫌われてるんだよな」


「何か心当たりが?」


「この前、酒場であいつのツケを断った」


「……なるほど」


 それは嫌われても仕方がない。


 いや、仕方がないのか?


 支部長が部下や冒険者の好き嫌いで報酬を変えているなら、それはそれで問題だ。


「分かりました。私から確認します」


「頼むぜ、嬢ちゃん!」


 男は嬉しそうに去っていった。


 私は追加報酬の申請書を作成し、先ほどの精算書と並べた。


 そして、気づいた。


 オークの討伐報酬にも、同じ項目があったのだ。


 規定にはない、特別運営費。


 しかも、こちらは討伐報酬の一部を差し引く形で計上されている。


 薬草採取だけではない。


 討伐依頼にも、護衛依頼にも。


 どうやら、このギルドでは、報酬を支払うたびに、何かしらの「特別な費用」が発生しているらしい。


 便利な職場だ。


 私も特別な理由で、給料を増やしてもらえないだろうか。


 例えば、精神的苦痛手当とか。


「……いや、待って」


 私はもう一度、精算書を見た。


 薬草採取の報酬は金貨十枚。


 オーク討伐の報酬は金貨六枚。


 それぞれから差し引かれた金額は、金貨一枚半と銀貨九枚。


 金額は違う。


 しかし、処理された日付は同じだった。


 さらに、承認欄には同じ番号が記されている。

 

 ──A・七一四。

 

 私は眉をひそめた。


 この番号、見覚えがある。


 いや、正確には、見覚えがないことに覚えがある。


 先月、古い書類を整理していたとき、同じ形式の番号を見た気がするのだ。


 私は棚から過去の精算記録を取り出した。


 一冊目。


 二冊目。


 三冊目。


 そして、十年前の記録。


「あった……」


 そこにも、A・七一四という番号が記されていた。


 ただし、その隣には小さくこう書かれている。


『旧特別配分制度。廃止済み』


 私はしばらく、その文字を見つめていた。


 廃止済み。


 十年前に廃止された制度の番号が、なぜ今日の精算書に使われているのだろう。


 しかも、支部長の署名つきで。


「……気のせい、ですよね」


 私は書類を閉じた。


 気のせいだ。


 きっとそうだ。


 私はただの受付嬢である。


 王国の秘密を探るような仕事は、監査官に任せておけばいい。


 私は定時に帰りたい。


 夕飯を作りたい。


 休日には本を読みたい。


 何より、面倒事は嫌いだ。


 だから、この件は見なかったことに――。


「ミレイユ君!」


「ひゃいっ!」


 変な声が出た。


 振り返ると、支部長が立っていた。


「例の精算書、処理したかね?」


「……確認中です」


「まだか? さっさと済ませたまえ」


「支部長。こちらの手数料について、規定を確認したいのですが」


 私は精算書を差し出した。


「契約上の手数料は五パーセントですが、こちらは二十パーセントになっています。特別運営費の根拠となる規定も見つかりませんでした」


 支部長の顔から、笑みが消えた。


「……君は、何を言っている?」


「差額の使途を示す記録もありません。支出先を確認する必要があると思います」


「余計なことを考えるな」


「ですが──」


「いいか、ミレイユ君」


 支部長は声を落とした。


「このギルドには、昔からのやり方というものがある。君は入ったばかりで、何も分かっていない。帳簿に書いてあることが、すべてだと思わないことだ」


 私は首をかしげた。


「……帳簿に書いてあることが、すべてではない?」


「そうだ」


「では、帳簿に書いていないことを、帳簿に書いてあるように扱うのは、もっと問題ではありませんか?」


 支部長は黙った。


 しまった。


 口に出してしまった。


 私の悪い癖だ。


 頭の中で考えたことを、そのまま口にしてしまう。


 しかも、相手が上司でも遠慮がない。


 これだから私は、出世できないのだろう。


「……君は、なかなか面白いことを言うね」


 支部長は笑った。


 目は笑っていなかった。


「分かった。そこまで言うなら、正式に処理してもらおうじゃないか」


 彼は新しい書類を差し出した。


 精算訂正指示書。


 私は目を落とした。


 対象は、先月分の報酬精算。


 変更前の手数料、金貨一枚半。


 変更後の手数料、金貨三枚。


 差額の金貨一枚半は、特別運営費として計上すること。


 そして、備考欄にはこう記されていた。


『前任者の記載誤りにつき、訂正する』


「……前任者?」


「ああ。以前の担当者が、処理を間違えたらしい。君が正しく直しておきなさい」


「ですが、この書類は先月、支部長が承認されていますよね?」


「だから何だ?」


「承認済みの金額を変更するのであれば、変更理由と再承認の記録が必要です。それに、前任者の記載誤りという根拠も確認できません」


「君は……」


 支部長は、書類を指で叩いた。


「私の指示に従えないと言うのか?」


 私は黙った。


 どう答えるのが正解なのだろう。


 はい、と答えれば、根拠のない金額を帳簿に記載することになる。


 いいえ、と答えれば、上司への反抗だ。


 どちらを選んでも、面倒なことになる。


 私は、心の中で深いため息をついた。


 ああ。


 やっぱり、仕事なんてするものじゃない。


「……分かりました」


 私はペンを取った。


 支部長が満足そうにうなずく。


 そして私は、訂正指示書の備考欄に、丁寧な文字で書き込んだ。


『変更指示を受領。契約書および承認済み精算書との不一致があるため、原本を保全し、訂正理由と再承認の確認が完了するまで処理を保留する』


 書き終えた私は、書類を支部長に差し出した。


「こちらでよろしいでしょうか?」


「……何だ、これは」


「ご指示を受けた記録です」


「こんなものを書けとは言っていない!」


「はい。ですので、私の判断で追記しました」


 支部長の顔が、赤くなった。


 私は笑顔を維持した。


 受付嬢に必要なのは、笑顔と忍耐と、あと何だっただろう。


 そうだ。


 自分の名前が書かれた書類に、嘘を残さない勇気だ。


「ミレイユ君。君は、自分が何をしているのか分かっているのかね?」


「はい。分かっています」


「後悔するぞ」


「できれば、定時前にお願いします」


「……何?」


「後悔するなら、定時後は避けていただけると助かります。残業代が出るか分かりませんので」


 支部長は、何も言わずに書類をひったくった。


 そして、執務室へ戻っていった。


 私は椅子に座り、机の上の書類を見つめた。


 これで、少なくとも訂正の指示を受けた事実は残った。


 原本も保全してある。


 契約書も、完了報告書も、支払記録もある。


 もし後で問題になっても、私が勝手に数字を変えたわけではないと説明できる。


 ……はずだ。


「はあ……」


 私は頬杖をついた。


 どうしてこうなった。


 私はただ、数字が合わないのが気になっただけなのに。


 そのとき、カウンターの向こうから声がした。


「すみません。ここ、受付でいいんですか?」


 顔を上げると、見慣れない男性が立っていた。


 年齢は三十代くらい。


 地味な旅装束に、擦り切れた革の鞄。


 冒険者にしては装備が軽いし、商人にしては荷物が少ない。


「はい。ご依頼でしょうか?」


「いえ。少し、古い記録を調べたくて」


「古い記録、ですか?」


 男は周囲を見回し、声をひそめた。


「十年前の、特別配分制度についてです」


 私は息を止めた。


 なぜ、この人がその名前を知っているのだろう。


 男は鞄から一枚の紙を取り出した。


 そこには、見覚えのある番号が記されていた。


 A・七一四。


「あなたが、ミレイユ・アルベルトさんですね?」


「……そうですが」


 男は紙をカウンターに置いた。


「お願いがあります」


 彼は、真剣な目で私を見た。


「このギルドの帳簿を、調べていただきたいのです」


「……理由を伺っても?」


「十年前、私の父は、このギルドの会計を担当していました」


 男は一度、言葉を切った。


「そして、帳簿を改竄したという罪を着せられ、職を失いました」


 私は、何も言えなかった。


「父は最後まで、自分は何もしていないと言っていました。誰も信じてくれませんでした。でも、父が亡くなる直前、私に一つだけ教えてくれたことがあります」


 男は、紙の端を握りしめた。


「この番号を見つけたら、記録を調べろ、と」


 私は、紙に視線を落とした。


 A・七一四。


 十年前に廃止された制度。


 今日の精算書に使われていた番号。


 そして、無実を訴えながら職を失った会計担当者。


 偶然だろうか。


 私は、そう思いたかった。


 しかし、机の上には、支部長が訂正を命じた精算書がある。


 その備考欄には、こう書かれていた。


『前任者の記載誤りにつき、訂正する』


 私は、ゆっくりと顔を上げた。


「……お名前を伺ってもよろしいですか?」


「トーマスです。トーマス・ベル」


「トーマスさん」


 私は、帳簿を閉じた。


「申し訳ありませんが、私は受付嬢です。過去の事件を調査する権限はありません」


「そう、ですよね……」


 男は、肩を落とした。


 私は続けた。


「ただし、現在の精算処理に不審な点があることは確認しています。まずは、正式な手続きで調べられる範囲から確認しましょう」


 トーマスは、驚いたように私を見た。


「……協力していただけるんですか?」


「誤解しないでください。私は真実を暴きたいわけではありません」


 私はペンを持ち直した。


「ただ、帳簿の数字が合わないのは、気持ちが悪いんです」


 トーマスは、初めて少しだけ笑った。


 そのときだった。


 執務室の扉が、勢いよく開いた。


「ミレイユ・アルベルト!」


 支部長の怒鳴り声が、ギルド中に響き渡る。


「今すぐ、その男を帰せ!」


 冒険者たちが一斉に振り返った。


 支部長は顔を真っ赤にして、こちらへ歩いてくる。


「そいつの話を聞くな! そいつは――」


 言いかけて、支部長は口を閉じた。


 ほんの一瞬。


 だが私は、確かに見た。


 支部長の顔に浮かんだのは、怒りではなかった。


 恐怖だった。


 トーマスも、それに気づいたらしい。


 彼は鞄を抱きしめ、一歩後ずさった。


 私は、机の上の精算書を見た。


 十年前に廃止された制度。


 不自然な手数料。


 前任者の記載誤り。


 そして、支部長の反応。


 これらが、どうつながっているのかは分からない。


 まだ、何も証明できていない。


 だからこそ、私は記録を残さなければならない。


 原本を保全し、事実を確認し、一つずつ矛盾を解消していく。


 それが、私の仕事だ。


 私は顔を上げた。


「支部長。こちらの方は、過去の会計記録について相談に来られただけです」


「黙れ! そいつの話は──」


「それと、先ほどの訂正指示書ですが」


 私は、別の書類を取り出した。


「こちらの変更理由と、再承認の記録がまだ確認できていません。先に、そちらを正式に処理していただけますか?」


 支部長は、言葉を失った。


 私は笑顔を作った。


「大丈夫です。書類がそろえば、すぐに処理できますので」


 冒険者ギルドの朝は、うるさい。


 今日も、怒鳴り声と、ため息と、書類の山。


 それでも私は、受付カウンターに座っている。


 なぜなら、誰かが記録を残さなければ、何が起きたのかさえ分からなくなってしまうからだ。


 そして私は、まだ知らない。


 この小さな支部で起きている不正が、王国全土を揺るがす事件の入り口にすぎないことを。


 机の引き出しには、十年前の古い帳簿が一冊、眠っている。


 その最後のページには、誰かの手で書き加えられた一行があった。


『A・七一四。処理済み。以後、照合不要』


 その下には、王国財務院の印章が押されていた。


 そして、印章の横には。


 現在の王国財務院長の名前が、記されていた。

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