第13話 南蛮の影と、硝酸の試練
神崎城の応接間には、不穏で異質な空気が漂っていた。
訪ねて来たのは、豪奢なレースの襟飾りと濃紺のベルベット服を纏った南蛮人であった。
堺を拠点に南蛮貿易の利権を握るポルトガル商人――ガスパル・アルメイダ。
その背後には、異国の気術着を身に纏い、冷ややかな視線を送る初老の男が控えている。ヨーロッパで「錬金術師」を名乗る技師・カルロスであった。
「フフフ……初めまして、神崎の若い殿様。ワタシは堺のアルメイダ。本日は素晴らしい『お話し合い』のために参りました」
アルメイダは流暢な日本語で語りかけながら、手にした金の指輪を弄んだ。
「信長様や浅井様が貴方の作る『ガラス』や『火薬』に興味をお持ちのようですが……東洋の小さな領主が、我ら平穏な貿易を脅かすのは感心しませんね。ヨーロッパの高度な技術に比べれば、貴方のやっていることなど幼子のおままごとに過ぎない」
言葉の裏にあるのは、あからさまな見下しと脅迫であった。
「わたくしどもポルトガル商館と独占契約を結び、すべての製法を我らに譲渡しなさい。さすれば、本国の素晴らしい教えと品々を安く分けて差し上げましょう。断れば……堺からの硝石や鉛の流通を一切止め、日明・南蛮の流通から神崎家を永久に締め出します」
景次が苦々しい表情で拳を握りしめる。
南蛮貿易のルートを封鎖されれば、国内の原料流通にも大きな支障が出る。今井宗久の後押しがあるとはいえ、南蛮商人の影響力は戦国時代において無視できないものだった。
しかし、慶三郎は冷ややかな眼差しでアルメイダを見つめ返した。
「アルメイダ殿。貴方がたが誇る『高度なヨーロッパの技術』とは、そちらの錬金術師殿が持つ知識のことでしょうか?」
控えていたカルロスが、フンと鼻を鳴らして前へ進み出た。
「東洋の童よ、我らを愚弄するか! 我らは四大元素を操り、万物を黄金に変えんとする神聖なる『アルケミー(錬金術)』の修道者である! 貴様の作る粗悪な硝石火薬など、我が秘術の足元にも及ばん!」
カルロスは革袋から二つのガラス小瓶を取り出し、テーブルの上に叩きつけるように置いた。
小瓶の中には、無色透明の液体と、黄濁した煙を吐く怪しげな液体が入っている。
「これは我が秘伝の『王水(強酸)』の素であり、いかなる金属をも腐食せしめる試練の毒水! 東洋の呪術師に、この液体の真理が解き明かせるか!?」
アルメイダとカルロスは、勝ち誇った笑みを浮かべた。
当時、中世ヨーロッパにおいて塩酸や硝酸などの強酸は「錬金術師の秘術」として固く隠蔽され、国王や貴族をひれ伏せさせるための絶対的な権威の象徴であったのだ。
慶三郎は溜息を一つ吐くと、静かに立ち上がった。
「……呆れました。アリストテレスの四元素説に囚われ、物質の元素構造すら理解していない錬金術など、ただの品性に欠ける手品です」
「な……なにを生意気な!!」
カルロスが激怒して顔を真っ赤にする。
慶三郎は脇の鶴姫に合図を送り、事前に精製しておいた『高純度・無煙濃硝酸(熱分解蒸留による純度98%超)』が入った特製の厚手ガラス容器を運ばせた。
蓋を開けた瞬間、空気中の水分と反応し、強烈な二酸化窒素の赤褐色の毒煙が微かに立ち上る。
「ヒッ……!???」
カルロスの顔色が一変した。
目の前にある液体が発する「危険な分子の気配」を、長年の実験の直感で察知したからだ。自分たちが持ってきた粗悪な不純物だらけの酸とは、次元が違う。
「貴方がたが隠し持つ硝酸は、緑礬(硫酸鉄)と硝石を加熱して得た不純物混じりの気体を気休め程度に溶かしたものに過ぎません。……私の硝酸は、不純物を極限まで削ぎ落とし、分子レベルで燃焼・酸化力を高めた純粋な『化学物質』です」
慶三郎はピンセットで一枚の「銅の板」をつまむと、濃硝酸の中へ投入した。
シュワァァァァァッ!!!!
一瞬にして激しい泡立ちと共に、激痛を予感させる濃密な赤褐色の二酸化窒素ガス(NO_2)が湧き上がり、固い銅の板がまるで水に溶ける氷のように一瞬で姿を消した。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!?? 銅が消えた!???」
アルメイダが椅子ごとひっくり返り、尻餅をついた。
「これが『酸化還元反応』です。神の力でも悪魔の呪いでもありません。……アルメイダ殿、貴方がたが南蛮から持ち込む粗悪な火薬や酸など、我が工房の化学の前では玩具同然です」
慶三郎は倒れ伏すアルメイダを冷ややかに見下ろした。
「流通を止める? 結構です。私はすでに、日本国内の鉱山から自力で硫黄・黄銅鉱・硝石を抽出・生成する化学プラントを完成させています。南蛮からの輸入に頼る必要など、もはや神崎家には一切ありません」
「お、おのれ……! 戯れ言を……! カルロス、何か言い返せ!」
アルメイダが叫ぶが、錬金術師カルロスは膝をガクガクと震わせ、慶三郎の足元に平伏していた。
「あ……あり得ん……! これほどの高純度な強酸を、なぜ東洋の少年が作れるのだ……! 貴様は……貴様は悪魔か、それとも知識の神の化身なのか……!?」
中世の知識を誇っていた錬金術師は、現代科学の圧倒的な「技術的格差(技術インフレ)」の前に、完全にプライドを粉砕されたのだ。
「自分の無知を悪魔のせいにしないでいただきたい。……話は以上です。お引き取りを」
慶三郎が静かに告げると、黒木厳兵衛と警護の足軽たちが踏み込み、腰を抜かしたアルメイダとカルロスを引きずり出すようにして追放した。
応接間に静寂が戻る。
「慶三郎……あの南蛮人ども、これで大人しく引き下がると思うか?」
景次が心配そうに問うと、慶三郎は新しく試作した「強酸の瓶」を見つめながら首を横に振った。
「いいえ。利権を奪われた南蛮商人は、今度は『金』や『武力』を使って確実に仕掛けてきます。……ですが、ちょうど良い機会です」
慶三郎の瞳に、科学者特有の鋭い光が宿る。
「彼らが持ち込んでくるあらゆる『錬金術の試練』を打ち破り、堺の南蛮貿易の主導権ごと、神崎家が奪い取って見せましょう」
南蛮勢力との化学の権益を巡る戦いが、静かにその火ぶたを切ったのであった。
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