第18話 「偽の手形」という噂
自由市手形が広まって、半月。
ヴィントの反撃は、刃ではなく、言葉で来た。
「姐さん、嫌な噂が流れてる」
リタが、険しい顔で言った。
「『ロウフェルトの手形は、ただの紙切れだ。後ろ盾がない。いつか換えられなくなって、持ってる奴は全部損をする』――そういう噂が、街道筋に、一斉に広まってる。明らかに、誰かが意図的に流してる」
「ヴィントですね」
私は、すぐに察した。
「彼は、私が刷りすぎを恐れていることを、見抜いている。だから、『換えられなくなる』という不安を煽る。不安に駆られた商人が、一斉に手形を銀貨に換えに来れば――蓄えは底をつき、噂は本物になる」
「取り付け、ってやつか」
リタの声が、緊張した。
「昔、密輸仲間で聞いたことがある。『あの両替商はもう潰れる』って噂が流れると、みんな慌てて金を引き出しに走る。本当は潰れてなくても、みんなが一斉に引き出せば、本当に潰れちまう。噂が、現実になる」
「その通りです」
私は、静かに頷いた。
信用とは、脆いものだ。何年もかけて積み上げても、たった一つの噂で、一夜にして崩れることがある。ヴィントは、それを知っていた。だから、剣ではなく、噂を選んだ。
「どうする、姐さん。換えに来た奴を、断るか?」
「いいえ」
私は、即答した。
「断れば、噂が本物になります。『やはり換えられないのだ』と。――逆です。換えに来た者には、一人残らず、その場で、銀貨を渡します」
「だが、蓄えが――」
「足りなくなるかもしれません。でも、足りるところまでは、迷わず渡す。一人でも断った瞬間に、信用は死ぬ。なら、渡せるだけ渡して、見せるのです。『ロウフェルトの手形は、本当に、いつでも銀貨に換わる』と」
私は、辺境伯ボルガーのもとへ向かった。
「辺境伯さま。領の備蓄を、すべて、市の両替台に積んでください。銀貨も、現物も、すべて」
ボルガーが、目を見開いた。
「すべて、だと……? もし換えに殺到されたら、領は丸裸になるぞ」
「だからこそ、見せるのです」
私は、言った。
「不安は、見えないから膨らみます。蓄えが見えなければ、人は『本当はないのではないか』と疑う。なら――全部、見えるところに積む。山のように積まれた銀貨を見れば、人は、安心して、手形を握り続けます。換えに来る必要が、なくなる」
「逆だな。隠すのではなく、見せる、か」
「ええ。信用とは、隠して守るものではありません。――見せて、守るものです」
***
翌日の市。
ロウフェルトの両替台には、領の備蓄のすべてが、山のように積まれていた。銀貨が、陽の光を浴びて、きらきらと光っていた。
その傍らに、私は立った。査定台と、同じ場所に。
「ロウフェルトの手形を、銀貨に換えたい方は、どうぞ。一人残らず、その場でお渡しします」
最初、不安に駆られた何人かが、おそるおそる、手形を差し出した。
私は、一人残らず、ぴたりと、銀貨を渡した。一切、渋らずに。
それを見て――列は、伸びなかった。
むしろ、人々は、安心して、手形を、財布に戻した。
「なんだ、本当に換えられるじゃねえか」
「これだけ積んであるんだ。慌てて換える必要はねえ」
「むしろ、銀貨より手形の方が、持ち運びが楽でいい」
取り付けは、起きなかった。
ヴィントの煽った不安は、山のように積まれた銀貨の前で、霧のように消えた。
その日、手形を銀貨に換えた者は、ほんの数人だった。蓄えは、ほとんど減らなかった。
***
夕暮れ。
リタが、感心したように、銀貨の山を眺めていた。
「全部見せちまうなんて、おれには思いつかなかったよ。普通、隠すだろ、こういうのは」
「隠せば、疑われます」
私は、答えた。
「ヴィントは、私が不安を恐れて、蓄えを隠すと踏んだ。隠せば、噂が効く。でも、私は、隠さなかった。彼の読みの、一つ外を行った。それだけです」
リタが、にやりと笑った。
「で、姐さん。次は、ヴィントの野郎、どう来ると思う?」
「彼は、もう、王都の中だけでは、私を止められないと気づいたはずです」
私は、南の空を見た。
「だから――外の力を、使おうとする。トラスの、大きな魚を」
その予感は、数日後、現実になった。
南から、一人の使者が、ロウフェルトを訪れたのだ。
信用は、隠して守るものではなく、見せて守るもの。
「取り付け騒ぎ」を、銀貨の山一つで鎮める――地味ですが、これも立派な戦いです。
次話、ついに南のトラス商業同盟が動きます。そして、リタの過去が、静かに絡んできます。
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