違和
ルーヴェルの東門には、朝の冷たい空気とまだ消えきらない緊張感が残っていた。
門は開かれていたが、普段なら見られる商人や旅人の姿はまばらで、出入りする者たちもどこか落ち着かない様子で足を速めている。
昨夜の襲撃の噂は、すでに街全体に広がっていた。
その門の脇で、ユウとアルトは足を止めていた。
アルトは手にとっていた地図を黙々と広げた。
羊皮紙の上に描かれた東方の地形は簡潔だが、必要な情報は揃っている。
広げた地図をもとに、若き司令官は襲撃犯と逃走経路を考えていた。
――一、距離、道幅ともに適度に広がる、移動しやすい街道。
――二、距離は短くなるが道に高低差がある、森林を進む細道。
――三、距離は長くなるが道は広いが川沿い。
東の街道には、これら3つのルートがあり、それぞれが逃走経路として成立する。
「東へ向かったのは、もう確定だね」
アルトは視線を落としたまま言った。
声は落ち着いているが、完全に整理されているわけではない。
「そこは疑う必要はない」
ユウはそう答えながら、指先で地図の線をなぞった。
だが、その視線は地図の上だけに留まっていない。
頭の中では、すでに昨夜の動きが何度も反芻されている。
東の方向には三つの道があり、それぞれに理由がある。
アルトは頭の中の思考を整理しているようだ。
「速さを優先するなら街道だろう。整備されている分、移動は早そうだけど……」
考え込みながら言葉を選びながら続ける。
「追跡も容易になる。目撃もされやすいし、隠れるには向かない」
一度言葉を区切った後に、視線を森へと移す。
「森に入れば姿は消せる。でも、人質を抱えながら進むのは難しい」
さらに川沿いにある一番大きな道を注視する。
「川沿いは痕跡を消せるけど、距離が伸びることで進みが悪くなりそう」
言い終えたあと、アルトは小さく息を吐いた。
どれも“それらしい”が、どれも決めきれない。
「……どこから逃げたと思う?」
地図を見るのに下がって首を上げる。
ユウはすぐに答えることができなかった。
ほんのわずかに間を置き、視線を地図から外す。
そのまま東へと続く門の外を見た。
(……違う)
思考の中で、何かが噛み合っていない。
「……その考え方だと、どれも当てはまる。でも、それ自体がズレてる気がする」
アルトの眉がわずかに寄った。
襲撃犯はルーヴェルの屋敷を襲撃して逃走をしたいるはずだ。
「どこがズレてるんだい?」
「逃げる前提で考えてるだろ。でも、あいつらの動きは最初から違う」
アルトは黙って聞いており、言葉は遮らない。
ユウの指先は、屋敷の方向を指さしながら言葉を続ける。
「屋敷に突っ込んでくる時点で、隠れる気はないんじゃないか。あの人数で正面からも来るのは普通の判断じゃない」
言葉に重みはないが、確信に近い感触がある。
「目立つことは避けてない。むしろ、短時間で終わらせることを優先してる」
アルトの頭の中もユウの考えに追いついてくる。
襲撃犯は目立つのは気にしておらず、むしろ堂々と進んでいる。
――つまり⋯⋯
「……先を急いでいる、ということか」
そう告げたあとに、アルトは目を閉じて、首を縦に振った。
その様子を見て、青年が自分と同じ見解となったとユウは理解した。
「隠れて逃げるんじゃなくて、抜けるつもりで動いてる」
その言葉で、地図の見え方が変わる。
アルトは再び手にもつ紙面へと視線を落とす。
街道の線が、先ほどよりも現実味を帯びて見えた。
「……なら、街道が本命か」
「可能性は高い」
ユウは短く答えた、そしえそれだけでは終わらない。
自分たちだけでは追いつくことが難しい。
そうであれば、別の者へと協力を求める必要がある。
「今、あいつが一番近くにいるはず」
ユウは地図の一点を指した。
道からは少し外れていたが、その位置には見覚えがある。
そこは、先日まで二人が戦場の位置であった。
アルトは一言だけユウへと告げる。
「カインか!」
アルトはすぐに近くの兵へと視線を向けた。
「早馬を出そう。カインに伝令だ」
アルトは手に持っていた羊皮紙を折りたんだ。
ふと、紙面の端を見ると若干では自身の手汗で濡れていた。
その状況を見て一息だけついた。
そして、アルトは状況を簡潔に紙面へと記入し、伝令係へ手渡した。
書状を受け取った兵は馬を引き、すぐに駆け出していった。
アルトはその動きを目で追いながら、ゆっくりと息を吐いた。完全な確信があるわけではないが、――進むしかない。
ユウは門の外を見据えていた。
朝の光の中に伸びる東への道は、静かで、何も変わっていないように見える。
伝令の馬が地を蹴り、東へと駆けていく。
その背が遠ざかるのを見送りながら、アルトは静かに口を開いた。
「僕たちも行こう」
ユウはすでに歩き出している。
「ああ、行けば分かる」
その言葉に余計な力はない。
だが、迷いもなく、二人は門を抜ける。
東へと続く道の先へ。
廃墟の周囲には、まだ戦の匂いが色濃く残っていた。
鉄を思わせる血の気配が風に押されてゆっくりと流れる。
瓦礫の影には折れた槍や砕けた盾が転がり、戦いが終わったばかりであることを否応なく示していた。
カインはその中央に立ち、周囲をゆっくりと見渡した。
視線は広く巡らせながらも、細部に止まる。
兵の配置、作業の進み具合、地面に残る痕跡。
その一つ一つを拾い上げるように観察している。
数歩だけ前に進み、足元に転がる折れた槍を足先で軽くどけた。
「それ、同じ印のやつでまとめてくれ」
声を落とし、顎で示す。
離れた場所で装備を仕分けていた同期が顔を上げ、手を止めて頷いた。
「ああ、分かった。こっちで分けとく」
短い返答。すぐにまた手元へ視線を戻し、作業を再開する。
カインはそれを一瞥すると、視線を地面へと落とした。
無数に重なる足跡。その向きと間隔を追いながら、ゆっくりと歩き出す。
靴底が湿った土を踏みしめ、小さく沈む。数歩進んで立ち止まり、わずかに体を傾けて跡の重なり方を見比べる。
(……崩れていない)
頭の中で形になる。
乱戦の跡ではあるが、完全に統率を失った動きではない。
押されながらも隊形を保ち、一定の方向へ引いている。
散り散りに逃げた痕跡が見当たらない。
膝を軽く曲げ、指先で土を払う。下に残る踏み固められた層を確かめる。乾いた表面の下に、しっかりとした圧の跡がある。
「……三百、か」
吐き出すように呟く。顔は上げない。
報告されていた数と、ここに残る痕跡が噛み合わない。
死体の数、踏み跡の密度、戦闘範囲。そのどれもが足りない。
「逃げた……にしては」
言葉を切る。わずかに眉を寄せ、足跡の流れを目でなぞる。
逃走にしては乱れが少なすぎる。
(最初から数が違う)
視線を上げると、廃墟の向こうに東へ続く地形が広がっていた。起伏の向こうに、いくつかの道筋が見える。
風が吹き抜け、焦げた匂いが薄く流れる。
(まだ、残っている)
確信に近い感覚だった。
背後で土を踏む音が軽い足取りが近づいてくる。
カインは音の鳴る方向へとゆっくりと振り返る。
「カイン、ちょっといいか」
同期の一人が、息を整えながら歩み寄ってくる。
手には封じられた書状が握られている。
「アルトから。急ぎの連絡みたいだ」
カインは一歩近づいて、それを受け取る。
封に指をかけて、迷いなく切り開く。
紙を広げると風に煽られないよう親指で端を押さえた。
視線を紙面へと向けて、文面を追う。
読み進めるにつれて、呼吸がわずかに浅くなる。
途中で一度だけ目が止まり、そのまま数拍動かない。
――ルーヴェルにて、アルト邸が襲撃に遭う。
――セリオス、グレイが負傷。
――セシリア、エリナが誘拐された。
――襲撃犯は東へ逃走。
紙の端が風で揺れる。
指先に少し力を込め、それを押さえ込む。
「……そうか」
言葉が小さく漏れる。
最後まで読み切り、紙を閉じる。
軽く折り直し、指先で整える。
そのまま視線を落としたまま、数拍の沈黙が流れる。
「状況、分かるか?」
横から声がかかる。
同期が少し身を乗り出し、表情を曇らせている。
カインは顔を上げずに一度だけ息を吐き、それからゆっくりと視線を東へ向けた。
「屋敷が襲われた。セリオス様とグレイ様が負傷して、セシリア様が攫われた」
その発言に、同期の目が大きく見開かれた。
そしてそう言いながら、指先で書状を軽く叩いた。
「で、そのまま東に抜けてる」
「……ここらと同じ方向か」
「ああ」
短く返す。
カインは数歩歩き出し、瓦礫の端で足を止める。
崩れた壁の隙間から外を見やり、遠くの地形を目で追う。
(……繋がった)
三百という報告、実際の戦力との差、崩れない動きやまとまった撤退、そして、このタイミングでの襲撃⋯⋯
断片的な情報を並べていくと、偶然ではない。
「……最初から、分かれていた」
ぽつりと呟く、視線は東のまま動かない。
「俺たちを外に出して、その間に本命が動く」
足元の小石を靴先で軽く弾く。乾いた音が響く。
「屋敷を襲って、確保して、そのまま東へ抜ける」
同期が言葉を失い、互いにわずかではあるが顔をしかめた。
そして、カインは一度だけ目を閉じ、すぐに開く。
思考を切り替えて確認をおこなう。
「東へ抜ける道は三本だったな」
「ああ。街道と、森沿いと、川沿いの3つだ」
返答がすぐに返ってくる。
カインはゆっくりと頷き、地面に視線を落とす。
指先で土を軽くなぞり、線を引くように三方向を頭の中でなぞる。
「襲撃犯は十人前後。二人連れてる」
書状を握り直しながら言う。
「徒歩は遅い。たぶん馬か馬車だ……なら街道か」
そのように結論を出した。
その考えに同期は待ったをかけるように言葉を続ける。
「いや、森に入れば追われにくい。隠れるならそっちじゃないか?」
カインはその場で一歩止まり、わずかに顔だけを向ける。
視線を一瞬だけ合わせ、すぐに外す。
「隠れるなら、な」
再び前を向いて、ゆっくりと歩き出す。
瓦礫を避けながら数歩進み、東の方角を見据える。
「こいつらは屋敷の正面から入って、短時間で出撃している」
そこで言葉を切り、わずかに顎を引く。
「隠密でやる連中の動きじゃない、時間を優先してる。なら、遅い道は選ばない」
同期が一拍遅れて息を吐く。
「……なるほどな」
納得が滲む声。
カインは足を止め、東へ伸びる道筋を順に見ていく。
目を細め、距離と幅を測るように視線を動かす。
「主街道に三十名」
言いながら、指先でその方向を示す。
「森と川沿いは二十名ずつでいい」
「三十……多くないか?」
問いが返ってくる。
カインは視線を外さず、わずかに首を振る。
「多いくらいでいい」
一拍。
「止められなきゃ意味がない」
言い切る。
同期は短く息を吐き、頷いた。
「……分かった。すぐ回す」
そのまま踵を返し、仲間へと声を飛ばし始める。
指示が広がり、兵たちが一斉に動き出す。
先ほどまでの静かな作業の流れが、一瞬で緊張へと塗り替えられる。
カインはその様子を一瞥し、書状を持つ手を軽く握り直す。
視線は再び道へと向かう。三本の道、そのどれかに犯人がいる。
(……届くか)
多少の距離はあるが、まだ間に合う可能性は残っている。
「……間に合ってくれ」
小さく呟いたその声を風が吹き抜けて運んでいった。




