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20/26

継承


屋敷の奥――


静けさの質が、他とは違う場所がある。

そこは、レオンハルトの私室だった。

廊下に差し込む光は柔らかく、足音さえ吸い込まれるように静かだ。

普段であれば使用人の出入りもあるが、今日は人影がない。

グレイに案内され、アルトとユウは扉の前で立ち止まった。


「旦那様がお待ちです」


短く告げられる。

アルトは一瞬だけ目を伏せた。

そのわずかな間に、感情を整えているのが分かる。


そして――


「失礼します」


扉を押し開けた。

部屋の中は、薄暗かった。

窓は開いているが、風は弱く、空気はどこか停滞している。

薬草の匂いが微かに漂っていた。


部屋の中央に置かれた寝台。

そこに、レオンハルトは横たわっていた。

かつては前線に立ち、名を知られた武人。

その面影は、今も顔立ちに残っている。


だが――


身体は明らかに痩せ細っていた。


「……来たか」


低く、かすれた声。

それでも、その眼だけは鋭い。

弱っているのは身体だけだと、はっきり分かる。

アルトは一歩、近づいた。


「ただいま戻りました」


その声は、どこか張り詰めている。

レオンハルトはゆっくりと視線を動かし、ユウにも目を向けた。


「……無事か」


「はい」


短い返答。

それで十分だった。

しばらくの沈黙。

呼吸の音だけが部屋に残る。


やがて――


「報告を聞こう」


レオンハルトが言った。

アルトは姿勢を正す。


「東方のベルノア村周辺にて、山賊拠点を制圧」


「敵戦力は壊滅し、捕虜を確保しました」


「ただし――」


一瞬、言葉を選ぶ。


「死者が二名、負傷者七名となります」


その言葉が、部屋に重く落ちた。

レオンハルトは目を閉じた。

それは悲しみではない。

事実を受け止める、長年の癖のようなものだ。


「……そうか」


短く、ただそれだけ。

だが、その一言には多くが含まれていた。


「よくやった」


続く言葉は、静かだった。

誇張も、慰めもない。

ただ――評価。

アルトはわずかに息を吐いた。

その瞬間だけ、肩の力が抜ける。

だがすぐに、レオンハルトの次の言葉が落ちた。


「……だが」


視線が鋭くなる。


「これは始まりに過ぎん」


部屋の空気が変わる。


「山賊などという言葉に騙されるな」


「奴らは“兆候”だ」


ユウの眉がわずかに動いた。


(……やっぱり分かってるか)


レオンハルトは続ける。


「帝国、内紛、民の不満」


「すべてが繋がっている」


「……国は、崩れかけている」


その言葉は、断定だった。

アルトは強く言い返す。


「まだ――立て直せます」


即答だった。迷いはない。

レオンハルトは、その反応を見てわずかに笑った。


「……そうだな」


だが、その笑みはどこか遠い。

そして――


「だが、私はそこまで見届けられん」


静かな言葉。

その意味は明確だった。

アルトの表情が揺れる。


「父上……」


「弱気なことを言わないでください」


思わず出た言葉。

だがレオンハルトは首を横に振った。


「事実だ」


否定ではなく、受容。

それが逆に重い。


「だからこそ、だ」


ゆっくりと視線をアルトへ向ける。


「お前に託す」


アルトは言葉を失う。

その重さを、理解しているからだ。


そして――


レオンハルトはユウへと目を向けた。


「……お前だ」


突然の視線。

ユウはわずかに目を細める。


「アルトに協力するよう頼んだ」


「あれは……間違いではなかった」


部屋の空気が静かに張り詰める。


「お前の目は、戦場を見る目だ」


「そして、アルトの目は人を見る目だ」


わずかな間。


「……二人とも、良い目をしている」


評価ではない。確信だ。


「この国を――」


一瞬、息が詰まる。

それでも、言葉は続いた。


「救ってくれ」


それは命令ではなかった。

願いでもない。


――託すという行為だった。


ユウは何も答えなかった。

ただ、静かに頷いた。

アルトは、強く拳を握る。


「……必ず」


短く、だが力強い言葉。

レオンハルトはそれを聞くと、ゆっくりと目を閉じた。


「……それでいい」


その表情は、どこか安らいでいた。

部屋を出たあと。

廊下には、また静けさが戻っていた。

アルトとユウは何も言わない。


――帰還してから、3日が経とうとしていた。


屋敷には、ようやく“日常”が戻り始めていた。

戦場の匂いはすぐには消えない。

だが、身体の疲労は確実に抜けていく。


ユウは書庫の一角で椅子に腰掛けていた。

高い天井まで届く本棚。

整然と並べられた書物の背表紙。

窓から差し込む光が、埃をゆっくりと浮かび上がらせている。

紙をめくる音だけが、空間に溶ける。


(……落ち着くな)


手にしているのは、王国の軍制に関する書物だった。

編成、指揮系統、補給の仕組み――

戦場で感じた違和感を、一つずつ理解していく。


横ではアルトも別の本を開いていた。

こちらは地図だ。ルーヴェル周辺からさらに東へ。

森、街道、村落の配置。

指でなぞりながら、何度も視線を行き来させている。


「……やっぱり不自然だ」


ぽつりと呟く。

ユウは本から目を離さずに答える。


「ベルノア村のことか」


「ああ」


アルトは小さく頷いた。


「住民の動きが早すぎる」


「ただの山賊なら、あそこまで統制は取れない」


ユウはページをめくる手を止める。


「“山賊”って呼び方がズレてるんだろうな」


静かな声。だが確信がある。

アルトは苦笑する。


「……父上も同じことを言っていた」


二人の間に、わずかな沈黙が落ちる。

レオンハルトの言葉は、まだ重く残っている。


(兆候、か……)


ユウは再び本へ視線を落とした。

そのときに書庫の入口から声がかかった。


「アルト様、ユウ様」


振り向くと、グレイが立っていた。

相変わらず無駄のない佇まい。


「レオニード様がお呼びです」


それだけで、意味は十分だった。

空気が変わる。アルトは本を閉じた。


「……来たか」


予想していたような反応。

ユウも立ち上がる。


「休憩終わりだな」


軽く肩を回す。

だがその目は、すでに戦場のそれに戻りつつある。

廊下を歩く、窓の外は穏やか。

庭では使用人たちがいつも通りに動いている。


だが――


これから聞く話が、それを壊すことになる。

そんな予感があった。

レオニードの部屋の前で足を止めた。

扉を軽く叩く。


「入れ」


低い声が返る。扉を開けた。

室内を見ると初に目に入るのは、椅子に腰掛ける男。

セリオスだ。足を組んで、にこやかにこちらを見る。


「お、来たか」


軽い調子。

だが、その目はしっかりと二人を観察している。

レオニードは机の奥に立っていた。

腕を組み、動かない。


「座れ」


短く指示が飛ぶ。

アルトとユウは向かいに腰を下ろした。

椅子がわずかに軋む。

最初に口を開いたのはセリオスだった。


「まずは――」


少し間を置く。


「よくやった」


その言葉は軽い。

だが、軽視はしていない。

むしろ逆だ。


「初陣で拠点を制圧、しかも生還」


視線がアルトに向く。

そのままセリオスは続ける。


「上出来だ」


アルトは首を横に振る。


「……自分だけの力ではありません」


迷いのない否定。

そのままユウへと視線を向ける。


「彼の判断がなければ、被害はもっと大きかったです」


セリオスの眉がわずかに上がる。


「ほう?」


興味の色。

そのまま視線がユウへと移る。


「詳しく聞かせてもらえるかい?」


その呼びかけにユウは応える。

軽く身を乗り出した。


「簡潔に報告させてもらう――」


ユウはおきた状況を簡潔に説明する。

山賊達からの奇襲。火計による混乱。弓部隊の排除。

襲撃からの反撃。火攻め返し。そして逃走したヴォルグという男。

自分に魔法が通じないということは伏せた。

が、それ以外は全て事実を告げる。

その報告を受けてセリオスは嬉しそうにユウへと聞き返す。


「火攻めの後に、火攻めをするとは」


ユウは肩をすくめる。


「大したことじゃない」


「状況からして、最適な選択肢を選んだだけだ」


だがその言い方が、逆に引っかかる。

セリオスは笑う。


「それを出来る奴が少ないんだよ」


少しだけ声のトーンが落ちる。


「普通は混乱する。すると視野が狭くなる」


「目の前の火と敵で手一杯になる」


指で机を軽く叩く。

二度、セリオスのクセなのだろう。


「なのに君は、全体を見ていた」


そう断言する。

その指摘にユウは答えない。

沈黙するというとは肯定。

セリオスはさらに続けた。


「突撃のタイミングも的確だ」


「あそこで退いてたら、完全に主導権を握られてた」


アルトが小さく頷く。


「……その通りです」


レオニードも口を開いた。


「士官学生からの作戦報告は読んだ」


低い声。


「現場判断としては最適解に近い」


簡潔な評価であった。だがそれで十分。


「特に、“敵の心理を想定した判断”は評価に値する」


ユウはわずかに目を細める。


「……どうも」


短い返答。セリオスが笑う。


「謙遜しないタイプかい」


「いいね、嫌いじゃない」


そして、ふっと真顔に戻る。


「それで――」


「君は何者だい?」


空気が少しだけ張る。

アルトがわずかに動く。

だがユウは先に答えた。


「ただの流れ者です」


間を置かずに返す。

セリオスはじっと見つめる。

時間にすると数秒、やがて肩をすくめる。


「……まあいい」


「今はそれでもいいさ」


完全に納得したわけではない。

だが、深入りはしないという判断。

レオニードがその流れを切った。


「話は終わりだ」


空気が切り替わる。


「本題に入る」


その一言で、場の温度が下がった。

空気が完全に切り替わった。

先ほどまでの余韻は消える。

部屋の中にあるのは、ただ“軍議”の空気。

レオニードは机の上に広げられている地図へ視線を落とす。


「自由の盾の動きについて、新たな情報が入った」


低く、重い声。

そのまま指で地図の一点を押さえる。

ルーヴェル東方――森一帯。


「これまで断片的だった拠点の位置が、ある程度割れた」


レオニードの指先が動く。

一つ、二つ、三つ――

合計、五か所。


「拠点は全部で五つ」


その言葉に、アルトの表情がわずかに引き締まる。


「点在していますね」


「意図的だろう」


レオニードは即答した。


「一つ潰されても、他で補完する配置となっている」


ユウが地図を覗き込む。

拠点同士の距離、街道との位置関係、森の深さ。


(……分散型か)


単なる山賊のやり方ではない。

補給と逃走を前提にした配置。

セリオスが口を開く。


「面倒な構造だな」


椅子に深く座り直しながら続ける。


「一つずつ潰していたら、逃げられてしまう」


「その通りだ」


レオニードは頷く。

そこにいる者たちを見るように視線を上げる。

そして、手に力を入れて拳で力強く地図を叩いた。


「だから、こそ――同時に攻める」


短い結論だが、意図は明確。

思わずアルトは息を呑む。


「一斉攻撃……ですか」


「そうだ」


迷いはない。

レオニードは続ける。


「動員は約二千五百名」


その数字の重みが、ゆっくりと沈んでいく。


「各拠点に五百ずつ振り分ける」


ユウの中で即座に計算が走る。

兵数比、地形、撤退ルート。


(……潰す気だな)


殲滅ではなく、“壊滅”。

組織として機能しない状態まで持っていく。

セリオスが軽く口笛を吹く。


「常駐兵だけでは足りませんね」


レオニードはその軽口に対して答えを伝える。


「そのために士官学生にも協力してもらう」

 

「大盤振る舞いですね」


にこやかな表情を浮かべるセリオス。

しかし、その青い瞳の奥は笑っていない。


「うちも余裕がないでしょうに」


レオニードの目がわずかに細まる。


「余裕がないからこそだ」


「これ以上、この地を荒らされるわけにはいかん」


全員が沈黙する。

アルトは視線を地図へ落とした。


「我々も、動くんですね」


「ああ」


「本格的に戦力として組み込む」


そのまま、アルトを見る。


「――お前もだ」


視線がぶつかる。


「今回の作戦で、お前に士官学生の部隊を任せる」


部屋の空気が一段階重くなる。

アルトは一瞬だけ言葉を失った。


「……自分が、ですか」


「前回の結果だ」


レオニードは淡々と答える。


「初陣で拠点制圧、指揮の安定性、判断力」


「十分な理由になる」


言葉に無駄がなく、逃げ道はない。

アルトはゆっくりと息を吸った。


そして――


「……承知しました」


迷いはない。

その声には、覚悟があった。

セリオスが小さく笑う。


「いい顔をするようになったな」


軽口のようでいて、本音だった。

そのまま視線を横にずらす。


「それで、私は?」


レオニードは短く答える。


「セリオスは後方支援だ。ルーヴェルを頼んだぞ」


即答。セリオスは眉を上げる。


「前線じゃなくていいんですか?」


「お前には別の役目がある」


その言葉に、わずかな含みがあった。

セリオスは数秒だけ黙る。

そして、肩をすくめた。


「……了解しました」


「兄上はどうするのですか」


セリオスは続けて質問をする。


「私も前線に赴く」


「留守は任せたぞ」


その発言にセリオスは答えない。

何かを察している顔だった。

ユウはそのやり取りを横で見ている。


(……役割分担か)


適材適所で配置されている。

セリオスも飄々とはしているが、

数日間触れ合ったことで、この次男も優秀なことがわかる。

それは、レオニードやアルトとは違った強さ。


レオニードが最後に口を開く。


「決行は十日後だ」


その一言が、全てを締めた。


「それまでに各部隊は準備を整える」


「情報の精査、装備の確認、連携の構築」


一つ一つを区切るように言う。


「これは小規模な討伐ではない」


視線が三人を順に射抜く。


「戦争だ」


重い言葉。

部屋の空気が、完全に戦場へと変わる。

アルトは静かに頷いた。


「……はい」


ユウは何も言わない。

ただ、地図を見ていた。

五つの拠点。

五つの戦場。


(……同時に動くなら)


視線が一点に止まる。


(どこかで“ズレ”が出る)


その瞬間が、勝負になる。

セリオスが立ち上がる。


「面白くなってきましたね」


軽く伸びをする。

だが、その目は鋭い。

レオニードはそれを見て、何も言わない。

すでに、各自が動き出しているからだ。

アルトも立ち上がる。

椅子が静かに音を立てる。


「準備に入ります」


「行け」


短い許可。

ユウもそれに続く。

扉へと向かう。

手をかける。


そのとき――


「ユウ」


レオニードの声が背中にかかる。

振り向く。


「アルトを支えろ」


それだけだった。

だが、その言葉は重い。

ユウは一瞬だけ目を細めた。

そして、


「言われなくても」


短く返した。

扉を開ける。

外の空気が流れ込む。

廊下は静かだった。

だが、さっきまでとは違う。

確実に、何かが動き出している。

アルトが隣で呟く。


「……十日か」


「短いな」


ユウは前を見たまま答える。


「十分だろ」


「やることは決まってる」


アルトは小さく笑う。


「確かに」


そして、ゆっくりと歩き出す。

次の戦いへ向けて。


――その足取りに、迷いはなかった。

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