帰還
街へ戻る道は、出発のときとはまるで違って見えた。
同じ道のはずなのに、空気の重さが違う。
風に乗って運ばれてくる匂いも、どこか乾いている。
それでも、隊列は乱れない。
だが、その足取りには確かな疲労が滲んでいた。
負傷者は簡易の担架や仲間の肩を貸りながら歩いている。
そのような状況でも誰も弱音を吐かない。
吐けるような空気でもない。
ユウはその列の後方寄りを歩いていた。
(……終わった)
一応の決着はついた。
拠点は制圧し、敵は排除、あるいは逃走。
任務としては成功だ。
だが――
(これで終わりじゃない)
あの村。あの捕虜たちの言葉。
そして逃げたヴォルグという男。
どれもが「続き」があることを示している。
アルトは隊の先頭に立っている。
その背中は出発時と変わらず真っ直ぐだが、わずかに張り詰めたものが残る。
誰もが、今回の戦いの意味を理解しきれていない。
それでも――進むしかない。
やがて、石畳が戻ってきた。
ルーヴェルの外縁部だ。
門が見え、衛兵の姿が確認できると隊の空気がほんのわずかに緩む。
「……戻ってきたな」
誰かが小さく呟いた。
それは安堵というより、現実への帰還だった。
門をくぐると、街の音が一気に流れ込んでくる。
人の声、商人の呼び込み、荷車の軋む音。
先ほどまで命のやり取りをしていたとは思えないほど、日常がそこにあった。
ユウはその違和感に、ほんの少しだけ目を細める。
(……同じ世界とは思えないな)
だが、これが現実だ。
戦う場所と、生きる場所は、こうして隣り合っている。
――士官学校へ戻ると、すぐに報告が求められた。
アルトとユウ、そしてカインを含む数名が、学長室へと通される。
扉を開けると、ローエンがすでに待っていた。
「…⋯戻ったか」
短い一言。
だが、その声音には確かな重みがある。
アルトは一歩前に出る。
「任務、完了しました」
無駄のない報。
「山賊拠点を制圧。敵は多数を討ち取り、残党は逃走」
「捕虜四名を確保しています」
一拍だけ置く。
「こちらの被害は……死者二名、負傷者七名」
その言葉だけで、室内の空気が静かに沈む。
ローエンは目を閉じて、ゆっくりと頷いた。
何かを噛み締めるように。
「……そうか」
それ以上は何も言わない。
だが、その沈黙がすべてを受け止めている。
少しの間があったあとにアルトたちに向けてこう告げる。
「よくやった」
やがて、そう言った。
短いが、確かな労いだった。
「詳細は後ほど報告書として提出しろ」
「捕虜は別途引き渡せ。こちらで処理する」
「……はい」
アルトは応じる。
形式としての報告は終わった。
だが、それで終わりではない。
ローエンは立ち上がる。
「来い」
それだけ告げて、部屋を出る。
アルトたちは無言でそれに従った。
――案内されたのは、学園中央の広場だった。
普段は訓練や集会に使われる場所。
だが、今は静まり返っている。
既にその場所へ隊員達が全員集まっていた。
広場中央には、簡素に組まれた木の台。
その上に、布で包まれた二つの影が置かれている。
説明はなかったが皆が理解していた。
空気が張り詰めてきたときに、ローエンが前へ出る。
そして、静かに口を開いた。
「本任務において命を落とした者の名を、ここに記す」
その声は、広場全体に響いた。
「ロラン・ヴェイク」
一つ。
「ミハイル・ドレイク」
もう一つ。
名前が告げられた瞬間、空気が確かに重くなる。
ユウは何も言わない。顔も知らない。
言葉も交わしていない。
それでも――
(……死んだ、のか)
ただそれだけが、胸に刺さる。
ローエンは続ける。
「彼らは任務を果たし、ここに倒れた」
「その行いは騎士に等しい」
一瞬の間。
「――敬意を」
その言葉と同時に、炎が灯された。
魔法によるものだろう。
静かに、しかし確実に火が広がる。
やがて炎は二つの影を包み込んでいく。
誰も動かずに声を出さない。
ただ、燃えて煙がゆっくり空へと昇る。
風に流され、形を変えながら、やがて消える。
それはあまりにもあっけなくて。
現実感が、どこか希薄だった。
(……これが、死か)
ユウはただ見ていた。
悲しみというより、理解しきれない感覚。
だが、それでも一つだけは分かる。
(軽くはない⋯重いな⋯)
それだけは、はっきりとしていた。
やがて炎は落ち着き、残ったものが整理される。
遺骨と遺品は、後に遺族へと届けられる。
それもまた、決められた流れの一つなのだろう。
――火葬後
ローエンが皆に向かって一言。
「解散だ」
その一言で全てが終わった。
隊員たちは静かにその場を離れていく。
誰も多くを語らない。
語るには、まだ整理が追いつかない。
カインがアルトとユウの元へと歩み寄る。
「……色々あったな」
短い言葉。だが、それで十分だった。
「彼らの事は忘れない⋯」
アルトは目を閉じながら言葉を返す。
一瞬の沈黙。カインは空気を変えるように言う。
「次は、もう少し楽だといいな」
軽く笑っている。
カインの気遣い。
「それは無理だよ」
アルトもわずかに笑った。
ほんの少しだけだが、緊張が緩む。
「じゃあな」
それだけ言って、カインは去っていく。
背中はいつも通りだった。
残されたアルトとユウ。
二人は自然と歩き出す。帰る場所は同じ。
石畳を踏みしめながら、屋敷へと向かう。
しばらく、会話はなかった。
やがて――
「……どうだった?」
アルトがぽつりと聞く。
ユウは少しだけ考えてから答える。
「思ってたより、大変だったな」
率直な感想。アルトは苦笑する。
「それは、そうだね」
再び沈黙。だが、今度の沈黙は少しだけ軽い。
「でも」
ユウが続ける。
「悪くはない」
アルトが視線を向ける。
「……そうか」
それだけ言って、前を向いた。
夕方の光が街を染めている。
戦場とは違う、穏やかな色だった。
屋敷の門が見えたとき、ようやく肩の力が抜けた気がした。
士官学校を出てからここまで、会話はほとんどなかった。
疲労もあるが、それ以上に――戦いの余韻が残っている。
石畳を踏む音が、やけに静かに響く。
(……帰ってきた、か)
ユウはそう思いながら、門をくぐる。
見慣れた庭。
整えられた植木。
戦場とはまるで違う、手入れの行き届いた空間。
その先――玄関の前には、すでに人影があった。
「……!」
最初に反応したのはセシリアだった。
二人の姿を見つけた瞬間、表情がぱっと明るくなる。
迷いなく駆け出した。
「お兄様!」
そのまま勢いよく、アルトへと抱きつく。
「……っ」
アルトは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに力を抜いた。
「ただいま、セシリア」
静かな声。
セシリアは顔を埋めたまま、小さく震えている。
「よかった……」
押し殺した声だった。
強く抱きしめるでもなく、離れるでもなく。
ただ、そこにいることを確かめるように。
その様子を少し離れた位置で、グレイが見ていた。
変わらない姿勢。
変わらない表情。
だが、その目だけがわずかに細められている。
「お帰りなさいませ」
落ち着いた声が、空気を整える。
「ご無事のご帰還、何よりでございます」
アルトはセシリアの肩に軽く手を置き、そっと離れる。
「……ああ」
そして、グレイの方を見る。
「任務は完了した」
それだけで十分だった。
だがグレイは、さらに一歩踏み込む。
「戦果はいかがでしたか」
淡々とした問い。
しかし、それはただの確認ではない。
“覚悟”を問うている。
アルトは一瞬だけ間を置いた。
「……死者が二名、負傷者が七名」
その場の空気が、ほんのわずかに引き締まる。
セシリアの肩が小さく揺れた。
「ですが、拠点は制圧。捕虜も確保しました」
そして――
「今回の成功は、ユウのおかげです」
はっきりと、そう言った。
グレイの視線が、静かにユウへと向く。
測って評価するように。
「……ほう」
短い声。
だが、それ以上は言わない。
ユウは肩をすくめる。
「たまたまだ」
いつもの調子。
だが、アルトは首を振る。
「違う」
その一言に、迷いはなかった。
セシリアが顔を上げる。
まだ少し目が潤んでいる。
「ユウ様も……ご無事で……」
言葉が続かない。
それでも、伝えたいことははっきりしていた。
ユウは軽く頷く。
「ああ、生きてる」
ぶっきらぼうな言い方。
だが、それで十分だった。
セシリアはほっとしたように息を吐き、微かに笑う。
「……本当によかったです」
その言葉には、飾りがなかった。
少し遅れてエリナが一歩前へと出た。
いつものように静かな立ち振る舞い。
だが、その視線は、はっきりと二人へ向いている。
「……お帰りなさいませ」
丁寧な言葉。
けれど、その声はわずかに柔らかい。
ユウは少しだけ視線を逸らし、それから戻す。
「ただいま」
短く返す。
そして、ふと思い出したように続ける。
「……そうだ」
懐に手を入れる。
取り出したのは――あの刺繍だった。
青いカーネーション。
出陣前に、エリナから渡されたもの。
「これ」
ユウはそれを軽く持ち上げる。
「助かった」
エリナの瞳が、わずかに揺れた。
「……?」
「これがあったから、ってわけじゃないけど」
少し言葉を選ぶ。
「……帰る理由にはなった」
静かな言い方だった。
だが、その意味は軽くない。
エリナは一瞬だけ言葉を失う。
そして――
ほんの少しだけ、視線を落とした。
「……そう、ですか」
小さな声。
普段よりも、わずかにだけ柔らかい。
「無事で何よりでした」
それだけを言う。
だが、その頬がほんのりと赤くなっているのが分かった。
(……分かりやすいな)
そう思いながらも、口には出さない。
エリナはすぐにいつもの表情に戻る。
だが、その僅かな変化に皆が気づいていた。
アルトとセシリアは嬉しそうに微笑み、グレイは何も言わずに視線を伏せた。
「……中へ」
グレイが静かに促した。
「お疲れでしょう。まずはお休みを」
その言葉に、誰も異論はない。
戦いは終わった。帰ってきた。
だが、それは“一区切り”でしかない。
二人は屋敷の中へ足を踏み入れる。
変わらない空間。変わらない空気。
けれど――
ほんの少しだけ、自分の立ち位置が変わった気がした。
(……悪くない)
そう思いながら、歩き出す。
次に何が来るかは分からない。
だが――
ここには、帰る場所がある。




