星空
あれから、五年の月日が経った。
私とアルフォンスは娘を連れて、久しぶりにエーヴィッヒ城に来ていた。
五年前に、私たちは結婚をし、今では夫婦としてアンブロス領を治めている。
城内に整備された果樹園と畑の中を歩く。とても良く手入れされている。
人々の笑い声が聞こえ、とても賑やかだ。
近づくと、ワイン作りの真っ最中だった。収穫した葡萄が積み上げられていて、木桶の中の葡萄を人々が素足で踏み潰していた。
その中には、テオバルトとマーヤと彼らの子どもがいる。
誰かが、私たちに気づき、頭を垂れた。
葡萄を踏み潰していたテオバルトも私たちに気づき、笑いかけた。
これが、彼の休日の過ごし方だ。
私たちは、儀礼に乗っ取って、頭を垂れようとしたが、テオバルトが即座に、
「兄上、必要ありません。遠路はるばるよくお越しくださいました」
「いや、まぁ。お前も相変わらず元気そうで良かった」
結局、アルフォンスはテオバルトから王位を奪えなかった。
彼が、経験してきた地獄を、察してしまったアルフォンスは、テオバルトの人生の簒奪者にはなれなかった。
当初は、テオバルトの報復を恐れる声や不満の声も上がったが、アルフォンスは拒絶した。
そのため、アンブロス軍の中から、私が王になるべきだという声も上がった。
五年前、首都のエーヴィッヒで戦いがほとんど起きなかったのは、開城を選択したのがテオバルトだったからだ。
この選択こそが、テオバルトがアンブロスと戦う意志がもうないことの証明だとして、王への即位を回避した。
その後、アルフォンスは王位継承権を正式に放棄して、私に、「俺はこれから、デーべライナーの生き残りに復讐しに行く」と告げたが、その必要はなかった。
アンブロスとの終戦の取り決めが行われた後、テオバルトが最初に行ったことは、デーべライナー一族の処罰だったからだ。
アルフォンスは彼にとってデーべライナーは身内だから、甘い対応をするだろうと考えたらしいが、そんなことはなかった。
身内たちを王国法に則って、粛々と処罰していった。
デーべライナーが持っていたダイヤモンド鉱山は王家の所有となったが、テオバルトはアンブロス側の顔を立てることも忘れなかった。
デーべライナーの支配を破り、王権を王家に戻した功労として、アンブロス及びアンブロス側についた貴族たちに、報奨や土地を与えたからだ。
これにより、アンブロス側についた貴族たちも、報復を恐れる心配はなくなり、私の即位を促す者たちはいなくなった。
アルフォンスは王の兄として、一代限りの名誉爵位である公爵を賜った。今は私の夫として、共にアンブロス領を治め、魔術将軍の任についている。日々、魔術師たちを率いて、魔物や海賊と戦っているのだ。
テオバルトは孤児院の改善に力を入れたりと、慈善活動に熱心な王として、知られている。
マーヤは、執念を燃やしたスヴェンが盗み出し、ヴェンデルガルトと二人でなんとか人に戻した。
一部、記憶のないところがあるが、今では立派な王妃だ。
彼女は王妃ではあるが、あまり表舞台に出ることはなく、年に数回の重要な行事の時だけ貴族たちの前に顔を見せるだけだ。
普段は慈善活動家として、私費で孤児や生活が苦しい母子や女性たちの支援を行っているという。
テオバルトも、私費からその支援を行っている。
しっかりと公私混同はしない人たちだ。そういうわけで、普段の彼等の王宮での生活は質素そのものらしい。
私たちはテオバルトとマーヤに、昼食をご馳走になることになった。
テオバルトとアルフォンスはウマが合うようだった。
そうはいっても、アルフォンスが一方的に長時間、仕事の愚痴や理想を語って、テオバルトがそれをうんうん聞いているだけなのだが。
城の一画にある小さな家の庭先に、テーブルと椅子が置かれ、ワインやマーヤが焼いた素朴なパイとタルトが並ぶ。
テオバルト一家は、休日にはこの農民が暮らすような小さな家で過ごしたり、孤児院で子どもたちと過ごしているという。
私の娘とテオバルトの息子が一緒に遊びはじめた。とても微笑ましい光景だ。
アルフォンスが、ミートパイをかじりながら、
「相変わらず、マーヤのパイはおいしいな」と言う。
アルフォンスも私もマーヤに対して、未だに申し訳ない気持ちがあるのだが、彼女は朗らかに笑うばかりだ。
そして、ワインを注いでくれたり、パイを切り分けてくれたりする。
過去に二人で、彼女に謝罪した時があった。
マーヤは笑顔で、
「戦争だったんですから、普通ですよ! だから、そんなつまらないことで、謝らないでください。仕方なかったんです! 私なんて、そんなこと忘れて生きてますよ! だから、今、言われてやっと思い出しました」
私たちがマーヤにしたことを聞いたテオバルトも、穏やかな笑みを崩さないまま、
「マーヤが切られ、焼かれて、それでも死ななかった。たったそれだけのことです」
私たちは開いた口が塞がらなかった。
テオバルトは、愛する女性が直面した過酷な現実を、たったそれだけと終わらせたのだから。
怒りも、不快も、悲しみも、何も感じていないのだ。
マーヤも笑いながら、
「そうです! さすがテオバルト様です! ウフフ」
「さすがも何も、単なる事象でしかないことに、言葉が見つからないだけだよ」
アルフォンスが、すごい恐ろしいものを見るような目で、テオバルトとマーヤを交互に見たことが忘れられない。
アルフォンスなら、すぐにも怒りに身を任せて、行動を起こすだろうから、二人を全く理解できないだろう。
私も、理解ができていない。
しかし、私はアルシュラの最後の言葉を、思い出していた。
「馬鹿。人は、魔も、神も超えて、魔と神の両方になるんだ、いつか、必ず」
この二人みたいな人がきっとそうなのだ。この二人だって、何かの拍子で、今すぐにでもそうなるかもしれないと思った。
私とアルフォンスは人止まりだった。
私は、ヴェンデルガルトを降ろせる器にしか過ぎない。
アルフォンスは人より魔力を持っている、強い魔術師にしか過ぎない。
何かの拍子で、怒りや嫉妬、悲しみを魔族に利用されることは容易いだろう。
だが、テオバルトとマーヤなら決してそうはならないだろう。人でありながら、人とは違う境地に行ってしまっているから。
私は悟った。
私は、アルシュラにもデーべライナーにも勝った。
でも、もっと根源的なところで、この二人には負けているし、勝つことはできない、と。
しかし、それで良いのだ。
私には、彼らが生きた地獄を経験する覚悟も度胸もないから。
笑い声は絶えなくて、夜遅くまで、アルフォンスは夢物語のような理想を語り、テオバルトは静かに頷きながら聞いていた。
私は星空を見上げた。
隣で、マーヤが星空に手を伸ばした。
相変わらず、変なところがありますわね。
「何をしてるんですの? 掴めませんのに」
「でも、近づくことはできるんですよ」
マーヤは笑顔で私に言った。
この作品は完結しました。
お読みいただきありがとうございました。
最近公開した短編作品
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異世界人が客のカフェで、魔王と勇者が訪れる——
ちょっと切なくて、シュールなコメディです。
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この作品にはテオバルトとマーヤという同名のキャラクターが登場しますが、彼らのイメージや雰囲気はまったく異なります。
異世界人ばかりが客として訪れるカフェを舞台にした、シュールなコメディ作品です。
完結作の彼らのイメージを大切にしたい方にはおすすめしません。
それでも読んでみようと思ってくださる方がいれば、とても嬉しく思います。




