9話「天邪鬼」
「よっしゃぁ! ディグラスの試合ナマで見られる! 二人も来れるよな?」
「はい、私もぜひ見てみたいです」
「う、うん、行けるよ」
「じゃあ決まりだな、最終日は見に行こうぜ、EAT」
なんていうかこう、はしゃいでる姿を見てると、やっぱり修斗、男の子なんだなぁとしみじみ思う。こんなに可愛いのに。
「ところで皆さん、水着はお持ちですか?」
「ずいぶん急だね、まぁ持ってないけど」
「俺も。妹が中学生の時に使ってたスクール水着くらいしかないな」
使ってた?
修斗って確か16歳だから、妹ならまだ中学生のはずだけど。
「修斗って双子なの?」
「あーいや、転生してる間に歳、追い抜かされちゃってな。今はもう大学生なんだよな。歳が上だからって妹扱いしてきやがるんだよ、あいつ」
「お兄ちゃんなのに、女子で歳下」
正直ちょっと面白い。
「言うな」
「はいはい。で、なんで急に水着の話?」
「お忘れですか? 今月末にある社会科見学ですよ」
「あぁ! そういえばあったね、奥尻島に行くんだっけ」
「そうです! オクシリドリームランドです!」
いつ聞いても東京ディズニーランドみたいに聞こえるそれは、奥尻島に作られた遊園地だ。
より正確には、奥尻島を区画整理し文字通り島一つをまるまる遊園地へと作り変え、その上で魔法により空中に留められている施設。
つまるところ、奥尻島で造られた遊園地だ。
「でもあそこ、島っていっても空の上だよな? 海には入れないんじゃないか?」
「中にプールがあるそうです! そして二日目の午後は施設内に限り自由行動ができるらしいのです!」
「それで水着ね。私はどっちかっていうといろんなアトラクションを回りたいなぁー。聞くところによると、島を浮かせる技術とか乗り物とか街並みにも、現代魔法が使われてるらしいし」
修斗はカフェラテを吸い上げるストローから唇を少しだけ浮かせて、「でた魔法オタク」なんてジト目を向けてくる。
「うっさい」
「つーか、現代魔法が社会でどう使われてるのかを見学しに行くのが名目じゃなかったか? その辺の話は1日目に飽きるほど聞かされるんじゃねーの」
「ゔっ、まさか修斗に正論を叩きつけられるなんて……」
「ってわけだから、水着買いに行かないとだな」
アリシアの表情がぱっと明るくなったところで急速に話は進み、明後日アリシアがこちらの世界に戻ってきたその日に水着を買う運びとなった。
「さてと。こんな感じのところでいい頃合いじゃねーかな」
「そうですね」
テーブルにあったホットサンドや飲み物類は、一通りはけていた。あるのはコップにお皿とナプキンのみ。可食部は見当たらない。
店内にもちらほら空席が見られるようになっていて、流れは、終わりに向かっていたんだ。
「で」
油断。
そう、それはまさに油断だ。
私は完全に油断してしまっていたのだ。
「川上莉子とは———」
「どういった繋がりなのでしょうか?」
まるで示し合わせたかのように、二人は揃って笑顔を向けてきた。
「え?」
忘れていたわけではない。敢えて触れないでいたのだ。それなのに。
「川上莉子さんとは———」
「どうやって知り合ったんだ?」
つい今し方まで追い風が吹いていた。
間違いなくそこに流れていたはずの解散ムードは、いつのまにか姿を変え、どこにも逃げ場のない状況だけが残されていた。
「……えっとぉ」
「えっと?」
「の、喉乾いたなぁー」
ひとまず落ち着こうと席を立ち、カウンターに置いてあるセルフのレモン水をコップに注いだ。
大丈夫、こうなることはわかっていたんだから、ちゃんとそれっぽい言い訳は考えてきている。
席に戻って一言。
「……あ、アーティスト関係でちょっと機密事項と言いますか」
これなら何も知らない相手は迂闊に踏み込むことはできないし、内容もあながち嘘ではない。
我ながら見事な言い訳を放ち、レモン水を仰ぐ。
「え、なに? Vチューバーがアーティストとコラボでもするのか?」
「ぐふぉ!」
な、なんで今Vチューバーという単語が出てくるんだ。
「コラボするにしても登録者1万人程度の八八地より、もう少し知名度のある相手を選ぶんじゃねーの?」
「ななっ、ナンノコトデショウカ?」
「そりゃあまぁ、偽名使うっていったらペンネームとかラジオネームとかユニット名とか、いわゆる活動名くらいなもんだろ? しかもそういうのって大抵SNSでも同じ名前使ってるんだよなぁ。んーで、Vチューバーに八八地ってヤツいたから動画見てみたら驚いたのなんの。なぁ、アリシア?」
「はい、声や話し方など、八千代さんと瓜二つでしたので」
そうはいっても、昨日の今日だよ?
まさかこうもあっさりバレるなんて。
「お、おみそれいたしました」
ふふーん。と言わんばかりに、修斗の顔がニヤついている。不服だが可愛い。そして可愛いのだから、余計な返しはせずその顔のままでいてもらおう。
「で、Vチューバーとして川上莉子と会ってたのはなんでなんだ? なんか理由はあるんだろ?」
そう思った矢先だ。
「あー……いや」
言いたくなくても言わないといけない言葉が出てくる。
「ごめん。これ以上は本当に秘密なの。訳あって今は話せない」
莉子とユニット組んだこと、莉子は二人に話していいって言ってたけど、それもあと数日で終わることになるかもしれない関係。
最悪、私と莉子の関係を知っているだけで巻き込まないとも言い切れないし。
それに何より、莉子が実名を隠して活動している理由。実際に聞いた訳じゃないけど、名前を出せば簡単に売れるであろう莉子がそうしない訳を、なんとなく感じ取れてしまっている。
二人をこれ以上踏み込ませる必要はないよ。
「全部終わったらちゃんと話すから、それまで待ってもらえる?」
「……それは、俺たちにも話せないことなのか?」
「いや、修斗とアリシアだから話せないことなの」
「でしたら、私からは一つしか伺いません。危ないことは、なされてませんよね?」
そんな心配そうな目で聞かれたら困っちゃうじゃんか。
でも、だから私は笑って返すんだ。
「危ないことってなにさ? 私、たかだかチャンネル登録者数1万人弱のVチューバーだよ? 困ることなんて次の動画のネタくらいだって」
「……ならいいのですが」
どうしてか、私が厄介ごとに巻き込まれている前提で話を進めてるんだよね。
実際そうだから間違ってはいないんだけど、なんで二人はわかるんだろうか。
「本当に困ったら相談くらい乗ってやるからな」
「いや私達、出会ってまだひと月ちょっとでしょ? お悩み相談するには早いって」
コップに残ったレモン水を飲み干して、立ち上がる。
冗談だってこと、二人はわかってくれるかな。
大切だから言えないことがあるって。
「じゃっ、このあと莉子と会わないとだから、私そろそろ行くね」
お札を2枚、テーブルに並べて背中を向ける。
店を出るところでミルハイルさんと視線があったから、軽く会釈だけしておいた。
外はどうやら、もう陽が沈む頃らしい。
西陽に目を、眩ませた。
「だとさ、アリシア。どう思う?」
「天邪鬼です! お会いしてまだひと月くらい。おっしゃる通りかもしれませんが、たったそれだけの時間でも見抜けてしまいます! 本当に、嘘が苦手なようですね、八千代さんは!」
「もしかして怒ってるのか?」
「当たり前です!」
「だよな。んじゃまずは、なんの厄介ごとを抱えているのか調べるところから、じゃねーかな」
「ええ。新しくお友達を作るのも大変なんですから、八千代さんにいなくなられては困ってしまいます」
「おーい、アリシア。天邪鬼が移ってるぞ。まっ、アイツがその気なら、こっちもこっちで好きにやらせてもらおうじゃねーか」
カフェを出てすぐのこと、見覚えのある不審者が佇んでいた。
黒のジャージにスウェット姿。フードにマスク、黒丸のサングラスを掛けていて、顔が見えないはずなのに、スラっとした細身のスタイルから顔が容易に想像できてしまう。
「お待たせ。じゃあ行こっか」
横に並んだところで歩き出して、そのまま手を繋がれた。
「心残り、ありそうな顔ね」
こう何度も触れ合っていれば何を望まれているのかわかってくる。ほとんど無意識のままに繋がって、手の甲から淡い赤い光が放たれる。
「莉子は無いの?」
「この件に関してはまったく。好きで首突っ込んだだけだし」
リンクは体の部位を指定して共有する。主導権は私。相手に拒否権はない。
その言葉が嘘かどうか、勝手に心を覗いても後悔するのは私ばかりだった。
そして心を勝手に覗く時、勝手に心を覗かれる。
二人にちょっと、冷たかったかも。
「そう思ってるなら、素直に話せば良かったんじゃない?」
「……うっさい、わかってるし。ていうか勝手に心、覗かないで」
「はいはい」
そう言いつつも、莉子の手は離れない。
「手離してもリンク途切れないんだけど?」
「知ってる」
「……離してって意味なんだけど」
「それも知ってる。私と手繋ぐの嫌?」
私が離そうとしない手を、莉子はずっと繋いでる。
「別にそういう意味じゃないって。でも街中だよ? 見た目、仲良すぎない?」
「問題ある? 人なんてそこら中にいる、八八地が思ってるより、誰も八八地を見てないよ」
カフェのそばで莉子と落ち合ったのはリンクを繋ぐため。リンクを繋いだのは、できる限りリンク状態を維持して、少しでも早く『遠隔リンク』の条件を満たすため。
別に手なんか繋がなくてもいい。言葉にできないこと、心を覗かせて伝える必要もない。
「天邪鬼」
「うっさい……」
全部離してくれない莉子が悪い。
そう、離したくも話したくもないこんな時に、離してくれない莉子が──
「はいはい」
……私、面倒くさいな。
「自覚あったんだ」
なにさ。
そんなことないよとか、言ってくれるところじゃないの?
「私は彼氏か」
嫌なの? 私の彼氏。
「……本気で言ってる?」
見開いた目。すごい、珍しく動揺してる。
こんなの冗談に決まってるのに。
「痛っ」
「自業自得」
少しだけ拗ねた顔で二の腕をきゅっと摘ままれた。
それでも今も、繋がれたまま。
繋がれた熱が、伝わるまま。
その日はずっと、微睡みに落ちるその時まで、繋がれた温もりが包んでくれていた。