第46話 母
「なぜ今、お前がここにいる」
自宅のドアを思い切り開けたところにいた俺の父は、冷たくそう言い放った。
これから出勤なのだろう、完璧に整ったスーツを着込み俺を見下ろしている。
「今は学校にいるべき時間だろう」
彼は微動だにせず俺を睨みつつける。
「――ッ」
玄関という狭い空間でこれほどまでに冷たい視線で睨まれると、どうしても怖気づいてしまう。
「…………」
俺が俯いて黙り込むと、彼は興味なしと言うかのように静かに家から出て行った。
俺は胸を撫で下ろしつつ、父の記憶を脳内で振り返った。
父はいつもこうだ。
何をしても何も言わないし、怒りもしない。
何かをくれることもないし、何かをしてくれることもない。
それは単に、俺に興味がないからだ。
だから俺が何かすると、まるで他人であるかのように冷たい視線で睨んでくるのだ。
俺はそれが嫌いだ。
「もう帰って来たの? やけに早いわねー」
今度は母の番だ。
母は父とはある意味逆のタイプだ。
俺に対して起こることはない。
今も特に言いたいことはないようだ。
ただ俺を信じすぎている。
何があっても俺に非はないと考え、高すぎる期待と信用を俺に向けてくる。
もしも期待していたようにできなくても、何か理由があったとか、何かのせいにすることとかで勝手に納得している。
これだから俺は何も相談できなかったんだ。
父には擁護してもらえないだろうし、母は絶対信じないし勝手に話を捏造して都合のいいように自分で理解してしまうだろう。
そう考えると相談できなかったじゃなくて、しても意味がなかったんだ。
もっと普通の両親のように、相談に乗ってくれて俺を慰めてくれるような人であってほしかった。
そしたら俺は明日死なずに済んだかもしれないのに……。
――もうこの際だから、全部吐き出そう。
俺は自分の部屋へと進んでいた足を止めた。
そして静かに告げる。
「俺、いじめられてる……」
勇気なんてものは存在しないはずなのに、自分にたまった毒を吐き出すのは簡単なことだった。
自分が悩んでいたことが馬鹿らしくてたまらない。
こんなにも簡単に言い出せたのに。
「そ、そうなの? でも別に湊のことだし大したことないわよね?」
母は動揺を隠すことなく、俺にそう尋ねてくる。
「いや大したことある。もう限界……、死にたい」
「ひぃ……」
俺が今どんな顔をしているのかなんてわからないしどうでもいい。
でも母は俺の顔を見、言葉を聞いて、怖いのか顔を真っ青にしている。
「死にたいって……、湊? そんなこと言うなんて、おかしいわよ? きっとどこか悪いのよ」
母はまだ何かにすがるように、そんな無駄なことを言っている。
「どこもおかしくない。おかしいのは母さんの方だ」
俺ははっきりそう言ってやる。
これまで人にこんなことを言うことはほとんどなかったが、今は自然と言葉が出てきた。
母はやはり今にも泣きだしそうな顔で俺を見ている。
「おかしいって……」
「ああ、そうだ、おかしい。俺の言うことなすこと全部信じて、何もしてこないし。無駄に俺のすることが正しいと思い込もうとするし。ことの善悪の見わけもしないし、俺の中だってちゃんと見てない」
「それは……」
母はうろたえつつ、何かを言おうとする。
だが俺の話は止まらない。
「いいか、俺はいじめられているんだ。ただ学校の連中にいじめられているんだ」
「……」
母はさすがに声も出さずに俯いた。
そして静かに寝室の方へ去っていった。
俺はそのまま自分の部屋に向かった。
そして自分のベッドに飛び込んだ。
「やっと言えた」
心が満たされるとまではいかないものの、吐き出せたことでだいぶ精神的に楽になった。
でも母に対してはもやもやが残っている。
正直言い過ぎなのかもしれない。
母のあの性格も俺を思ってのことだと思う。
それに一応俺を大切に育ててくれた親だ。
さすがに申し訳なさを感じる。
しばらくそう悶々としていると、扉がノックされた。
母だと思い断ろうかと思ったが、結局軽く返事をして部屋に入れた。
「私小さい頃、両親にあまり接してもらえなかったの……。だから多分、そんな親になりたくなかったの」
母はベッドに腰かける俺の前へやってきて、涙ながらに語りだした。
その様子から、多少は考えてくれたことがわかる。
「でもそれが逆に、湊を苦しめることにつながっていたのなら……、なんて私、馬鹿なんだろうね」
自虐しながら母は笑った。
その頬には涙の通り道が出来上がっている。
「……」
「でも湊のことを信用する気持ちは変わらないわ。信用しようと極端に強く思うことは控えるけれど……」
そして母は涙を拭って、真剣な顔で俺を見た。
「それで、いじめのことだけど……、教えてくれる?」
――え……。
あの母が真剣に俺のつらい出来事に向き合って、ちゃんと考えようとしてくれている。
いつもならどうにか逃げようとしているのに、ちゃんと俺に向き合ってくれている。
俺はその姿勢に感動してしまった。
普通の親なら当たり前の事かもしれない。
けど俺の母が自分からこうして向き合うなんてことは初めてなのだ。
「ああ……、えっと、今年に入ってくらいからクラスの男子から始まって…………」
俺はさっき流れ込んできた記憶のすべてを声に出して母に伝えた。
母は意外に感情的にならず、落ち着いて聞いていた。
「そう、だったのね……」
話し終わった俺に母は若干震えの混じった声を漏らした。
そして我が子がつらい目にあっていたことに悲しくなったのか、それともそのことに気付けなかったからか、はたまた自分が伝えてもらえないほどの性格をしていたことに思うところがあったのか、母は涙を流しながら俺を抱いた。
それには慰めたいという気持ちが込められているようで、俺はほとんど初めての親の温かさというものを味わった。
「ごめんね、頑張ったね」
そんな声が耳元で聞こえたその時、俺の中にため込み続けた何かがあふれ出た。
そして慣れないけれど安心できる母の温もりの中でひとしきり涙を流した。
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