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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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モルドベアヌ山頂

 山の天候はすぐに変わる。標高が高い程その変化は激しい。

 新月の漆黒の闇の中、岩山の亀裂や窪みを生体スーツの手の指と足先で探り当てながら岩を登った。

 一度だけガルム1の足場が崩れて墜落しそうになったことを除けば、第三地点までは順調に進んだ。後は第四目的地に到達するのみ。その場所で作戦開始の合図を待って待機する。

 吹き荒れる烈風が容赦なく生体スーツを襲った。

 強風に煽られて滑落するのを防ごうと、キキとガルム1は幾度となく山の岩肌にしがみ付いた。


「ったく、何てぇ風だ」

 

ジャックが悲鳴を上げた。


「生体スーツでさえ吹き飛ばされそうだ。もうちょっと傾斜の緩やかなルートはなかったんでしょうかね?」


「アメリカ軍のレーダーに捕捉されない為のルートよ。雨が降らないだけマシだと思いなさい。待機地の座標はこの岩の上よ。軍曹が待っているわ」


 ハナとジャックは各々の生体スーツの足場の安全を確かめながら、目の前にそそり立つ巨大な岩を見上げた。

 長年の風雪によって形作られたのだろう。

 ナイフで刻み込んだような鋭利な縦線が硬い岩肌に斜めに刻まれているだけで、生体スーツの足場を確保できるような奥行きの凹凸や亀裂が見当たらない。

 太陽から完全に背を向けた岩肌の、そこかしこに氷雪が付着している。

 足場を確保するのは不可能に思えた。


「こんな岩をどうやって登るんですか?生体スーツだって無理ですよ」


「よく見てごらんなさい。ワイヤーロープが取り付けてあるわ」 


 ジャックは滑落しないように両手を一杯に広げて岩肌にしがみ付きながら、そっと顔を上に向けた。

 岩の壁には巨大な釘が深く打ち込まれて、釘の頭の大きな金輪には太いワイヤーロープが通してあった。


「すげえや。こんな垂直に近い岩に、軍曹はどうやって(ピトン)を打ち付けたんでしょうね」


 鋼鉄製のザイルを恐る恐る引っ張りながら、ジャックが感嘆の声を上げる。


「先に登るわ」


 ぎしぎしと不気味な音を立てるワイヤーを握る手に力を込めながら、ハナはキキの右足をそろそろと上に移動させた。


(まるでサーカスの曲芸だわ)


 足元からは絶えず破石がこぼれ落ちてく。

 落石の音を聞く度に、自分がよじ登る岩盤が剥がれ落ちて巨大な岩共々谷底に落下するのではと肝を冷やす。ジャックが思わず弱音を吐いてしまうのも無理はなかった。


(中佐もとんでもない作戦を立ててくれたものだわ)


 高性能の生体スーツを纏っていても、強風に翻弄されて思うように岩山を登れない。

 最悪なルートにも拘らず、先に進んでキキとガルム1の足場を確保していくリンクスの姿にハナは畏怖を覚えた。


(軍曹には敵わないわね…)

 

 どんなに訓練を重ねて努力しようとも、自分は彼の身体能力を超えることは出来ない。

 切り立った崖にキキを張り付かせながら、ハナは自分とダガーとの圧倒的な身体能力の差に怯えていた。

 ジャックもそうだ。身体能力はハナより上とは言い難い。彼はさっき、崖道を踏み抜いて谷底に転落しそうになったのだから。

 自分には、このミッションを担う能力があるのだろうか。アメリカ基地急襲の大役を全うできるのか。

 ハナの不安をあざ笑うかのように、激しい突風がスーツを襲う。キキとガルム1を崖下に叩き落そうと、ワイヤーロープを大きくうねらせる。


「うわぁ!」


 ジャックが悲鳴を上げた。谷底に振り落とされまいと、暴れるワイヤーにガルム1の両手両足を必死で絡めている。

 ハナもワイヤーを握る両手に力を籠めようとした刹那、耳元で唸る風の叫びが突然途切れて、軽い浮遊感が身体を襲った。

 疲労と緊張で限界を超えたハナの肉体から意識が離れたのだ。

 黒い瞼の裏にふっと、血塗(ちまみ)れの大きな手が浮かんだ。

 はっとして目を開く。


(ハシモト大尉!!)


 急いで手を握り締めると、それはワイヤーロープになった。


(どうして、こんな時に!)


 ハナは唸り声を上げてワイヤーロープを握り締めた。


 思い出したくなかった激戦の記憶。

 だけど、その記憶が脳裏に甦ったお陰でキキの滑落を止められた。


(そうよ。こんな荒涼とした山なんかで私は死なない!)


 誓ったのだ。無駄死にはしないと。

 ハナは歯を食い縛りながら、ワイヤーロープを登り続けた。

 あと少しだ。あと少し登れば、最終地点の岩山の頂上に着く。この最悪な悪路行進も終わる。


(こんな所で、絶対に死なない。死ぬもんか!!)


 アメリカ軍基地を攻撃し破壊する。その為に、ここに来た。私の大切な人達の命を奪った敵を(ことごと)く抹殺する為に。

 岩山の突端をキキのレーダーが捕らえた。

 

(もう少し!)


 ハナは必死の思いでキキの腕を伸ばした。

 岩の頂上に突き出されたキキの手の指先と交差するように、リンクスの腕が下りて来た。

 リンクスはキキの手首をしっかりと掴むと、山の頂に一気に引き上げた。

 がくりと膝を付き動けなくなったキキを抱き上げると、岩を背凭れにしてそっと座らせる。すぐに崖の頂に引き返したリンクスは、岩山から顔を覗かせているガルム1の両肩を掴んで勢いよく引っ張り上げた。 


「はぁ、登山はもうこりごりです」


 ジャックは弱々しく叫んでから、頂上に突き出した岩の上に生体スーツの両手両足を投げ出して仰向けになったまま動かなくなった。

 ここまで来るのに、ハナとジャックは体力を使い果たしてしまったようだ。

 

(仕方がないな)


 切り立った崖ばかりの超難解ルートを一晩中登り続ける飛び切りハードなロッククライミングだったのだから。それも、重量のある生体スーツを吹き飛ばそうとする強烈な突風のおまけつきだ。


「安心しろ、ジャック。もう登る山はないぞ」


 ダガーはガルム1の脇の下にリンクスの肩を差し入れて担ぎ上げるように立たせた。


「目標の座標までもうすぐだ」


 岩場からゆっくりと上半身を起こしたキキの顔が、リンクスとガルム1の動きを追った。


「動けるか?ハナ」


「はい。大丈夫です」


 ハナはキキを直立せると、ダガーの後を追って狭い岩場を慎重に進んだ。3Dランド・ナビゲーションに映し出されている黄色い点に向かって、キキの柔らかな人工音声が距離のカウントダウンを始める。 


『五メートル、三メートル、一メートル、本機、第四目的地点に到達』


 リンクスが背中を張り付かせている岩の左隣の窪みに、ハナはキキを滑り込ませた。隣にはガルム1が片膝を付いて銃を構えている。


「目標の座標に到達した。俺が攻撃命令を出すまで、この場所で待機しろ」


 言い終えると、ダガーはリンクスの上半身をそろりと岩から覗かせた。

 リンクスに続いてハナもキキの頭を岩から出した。暗視装置が映し出したのは、岩の先の切り立った崖だった。

 リンクスが身体の位置をずらしながら、慎重に身を屈めて崖の下を覗く。ダガーに倣ってハナもキキの人工眼を崖下に向けて広がる闇に目を凝らしてみる。

 高山の澄んだ空気の中、煌めく星空は山の稜線を境に黒一色に塗り潰されていた。

 暗視カメラを通した肉眼で確認できるものは何もなかった。

 だが、生体スーツの人工脳で解析され送られてくる画像データが目の前のパネルモニターに映し出されると、ハナは思わず息を飲んだ。


「これが、アメリカの、要塞?」





 それは、恐ろしく巨大な(サークル)だった。


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