妹からの手紙・2
作戦開始時間00:00。
リンクスを先頭に、ガルム1とキキの生体スーツが敵基地に向かって出発した。
三体は夜陰に紛れてすぐに人の肉眼では見えなくなった。
作戦は始まったのだ。もう後戻りは出来ない。
(今の自分には、祖国のクーデターなど遠い世界の出来事だ)
ヤガタ基地からそう遠くない戦域前方にいる軍事同盟軍の動きに細心の注意を払いながら、ブラウンはヘーゲルシュタインと交わした最後の会話を頭の中で反芻した。
「ロシア本国からの戦車大隊が、ラヤスクに集結しているとの情報が入った。あそこはポーランド、我がプロシア国土の目と鼻の先にあるロシア基地だ。中佐、やはり君の言う通り、ウォシャウスキーは本気でポーランド侵攻を画策しているらしいな」
「そうですか」
落ち着き払ったブラウンの態度に、ヘーゲルシュタインは気抜けしたように、ふうむと息を吐き出した。
「つまらんな。嘘でもいいから驚く顔を見せてはもらえんかね」
「申し訳ございません」
慇懃に頭を下げるブラウンに、ヘーゲルシュタインは右手を軽くひらひらさせた。
「謝る必要なんてないさ。ブラウン、君には全てが見通せているはずだ。ウォシャウスキーがウィーンに乗り込んで来た時からね」
「その時点では、まだ仮定でしかありませんでした。休戦協定会議を開いたにもかかわらず、ロシアが主力のウクライナ基地に兵と戦車を集結させていると報告を受けた時から、可能性は高いと読んではいましたが」
「我が国が一方的に不利な休戦協定に早く同意せよとの脅しではないのかね?」
「ウォシャウスキーの性格と今迄の行動から考察すると、その可能性は低いでしょう」
「まあ、確かに。奴は、迅速な行動で、ロシア国内の政敵を尽く排除したらしいからな。全員、縛り首にしてな」
ヘーゲルシュタインは不気味な薄笑いを浮かべながら、右手で自分の首を掴んで軽く締め上げた。
「ラヤスクに集結させている戦車一両すら、戦域に南下させて戦域内の軍事同盟軍と合流させる気配はありません。私は、ウォシャウスキー将軍が、戦域での戦闘に兵力を投入するつもりはないと断定しました」
「ふぅむ」
ヘーゲルシュタインが皺枯れ声で唸った。
「プロシア軍が主力である連邦軍は、アウェイオンの大敗で既に死に体です。
戦域で戦闘が再開されれば、連邦軍はアメリカ軍の新型兵器によって、再起不能になるまで叩きのめされるのは目に見えている。
ロシアにはもはや、限定戦域などで自分の軍隊を消耗する理由などありません。戦域での戦闘はアメリカ軍に任せて、己の機甲師団全てをポーランドに向けてくる筈です」
「君の予想では、ウォシャウスキーがポーランド侵攻を開始するのは時間の問題ということだな?」
「予想ではありません。確信です」
素早く、迷いのない返事に、ヘーゲルシュタインの表情が苦々しげに歪んだ。
「ロシアのポーランド侵攻は、君の頭の中では、もはや必然ということか…。それで中佐、君はその開始時期はいつと予測する?」
「恐らく、戦域内での戦闘が始まり次第、ウォシャウスキーは戦車大隊及び機甲騎兵隊をポーランドへと一気に進軍させるでしょう。
ロシア軍から本土攻撃を受けたプロシアは、連邦軍の主軸の地位から転落する。ロシアは弱り切ったプロシアからポーランド併合を強制して、あの地を実質支配に置く。
プロシアの領土併合だけでロシアが満足するのならば、我がプロシアに軍中枢を奪われたイングランド軍は勿論のこと、その次に連邦軍を担うフランスも、自国優先でウォシャウスキーの暴挙に目を瞑る。そうなれば他の欧州の国々も追従するのは目に見えている」
「なるほどな。我が祖国の敗北を見て来たように滔々(とうとう)と語る君の口には感心するぞ」
「あくまでも仮定の話です。お気を悪くなされたのなら、ご容赦下さいませ」
不機嫌な唸り声を上げるヘーゲルシュタインにブラウンは深く頭を垂れた。
「君の話を仮定としか思わない輩が我が軍にいたら、私は躊躇なくそいつを牢屋に叩き込むぞ!全く、暗澹たる気分だ。中佐、話を続けたまえ」
「私は、この絶望的な戦局の流れを変えたいのです」
「それが、ラストプラン、か」
ヘーゲルシュタインが再び唸った。
「肉を切らせて、骨を断つ。一か八かどころではない。困難を極める作戦だ」
「我々が勝利する為です」
「失敗すれば、我が国が、エンド・ウォー以後広げて来た領土の大半を失うくらいの損失を出すかも知れん作戦だぞ。今更だが、休戦会議のやり直しを軍事同盟に要求することは出来ないものかな」
「ウィーン会議で、ハインライン首相が休戦の条件を全て飲むとウォシャウスキーに即答しなかった時点で、その機会は完全に失われました。
次に会議が開かれるときは、軍事同盟は我々に無条件降伏を強制して来るでしょう。ポーランド州併合は言わずもがなですが、軍事同盟軍に生体スーツとその技術まで奪われたら、プロシア、いや、欧州の独立国に未来はない。
ウォシャウスキーはアメリカ軍と共に、本格的にヨーロッパ統一に向かうでしょう。大胆な作戦で軍事同盟の裏をかくしか、もはや手立てはありません」
「大胆?君はたった三体の生体スーツでアメリカ軍の要塞を襲撃すると言っているのだぞ!私には無謀の文字の方がふさわしいと思うがな。それで、勝算はあるのかね?」
ブラウンを睥睨するヘーゲルシュタインの眼が薄暗い光を帯びた。
失敗すれば、お前も生きてはいないのだと、冷たい表情が語っている。
「はい」
ブラウンは臆することなく頷いた。
「大胆且つ綿密に計算された作戦です。それも我がプロシア軍の精鋭中の精鋭、チームαのメンバーにしか成し得ない。この作戦、ラストプランによって、ロシア軍とアメリカ軍はかく乱され、アウェイオンの勝利が束の間のものだったと理解するでしょう」
「ハラショー」
ヘーゲルシュタインがゆっくりと手を叩いた。
「よかろう。ラストプランの遂行を許可しよう。ブラウン中佐、今から君を戦域内連邦軍総司令官に任命する。私はプロシアに戻って国防軍を率い、我が国を侵略しようとする悪党どもを撃退しようぞ。ヤガタの健闘を祈る」
ヘーゲルシュタインの一言一句を頭から絞り出し、ブラウンは奥歯を噛みしめた。
ブラウンはエリカと亡き友の忘れ形見の三人の子の姿を脳裏に浮かべて、軍服の左胸ポケットにそっと手をやった。
そこにはエリカからの電報が入っていた。
兄からの申し出を一蹴する、薄紙一枚の、文が。
万が一、ロシア軍がウィーンにまで侵攻して来た時の為に、都市部から遠く離れた場所に山荘を用意しておいた。
その山荘にエリカと三人の子供達を避難させておこうとブラウンは考え、エリカに電報を打ったのだ。
だが、エリカはブラウンの対処に喜ぶどころか、拒絶の言葉を寄こした。
拝啓
兄様、お気遣いありごとうございます。
ですが、私はこのウィーンを離れる訳にはいきません。
兄様は私を何て意地っ張りなんだと、呆れお怒りになるでしょうね。
それでも、父と母の、何より亡き夫との思い出の詰まったこの場所を、我が身可愛さから捨て去るよう なことは出来ないのです。
そんなことをしたら、私は本当に愚かな女になってしまう。
それに私は兄様と違ってお転婆でしたから、この街のとても小さな裏道まで知り尽くしているんです。 子供達もそう。
万に一つ、ロシア軍の侵攻があったとしてもすぐに避難できる自信があります。
だから、兄様、心配なさらないで下さい。
それに、プロシアきっての知将である兄様を司令官に頂いた連邦軍が負ける筈がありませんもの。
朗報と共に、兄様の無事のご帰還を心からお待ちしております。
エリカより
(エリカは自分の申し出を断るかもしれない)
ブラウンの予想は現実のものとなった。
だが、穏やかに綴られる手紙の中の一文が、これほどまでにブラウンの心に突き刺さるとは。
“私は本当に愚かな女になってしまう。”
エリカの真意がその一文に込められていた。
二人を引き合わせ、結び付け、図らずも切り裂いてしまった男が口にした懺悔の言葉への、怒りが。
それは失った夫に向けられた永遠の思慕であり、救いようのない慟哭であった。
攻略を前提に物事を考えるしか能のない男の話など、聞きたくもないだろう。
それでも、三人の子供を、己の感情の犠牲にしてはならない。
そのことだけはエリカに気付いて欲しい。
(ヘーゲルシュタインを信じるしかないな…)
まさか自分の祖国を敵に蹂躙させることはあるまい。彼はロシアの侵攻からプロシアを救うためにベルリンに戻ったのだ。命を懸けてプロシアを守るのだと、そう、信じなければ。
ブラウンはポケットの上の手を硬く握りしめた。
「エリカ。お前とお前の子供たちの為に、私は軍事同盟軍の侵攻をこのヤガタで必ず止める」
ブラウンは目を開くと、基地の管制塔の窓からすぐさまレーダーパネルに視線を移した。




