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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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ガグル社上級執行役員

 スーツが三つの白い点となって、黒い画面の中を八時の方向に南下していく。

 ヤガタ基地の防衛射程距離を越えると、三体のスーツは中央に据えられた大型モニターから姿を消した。

 敵のレーダーに捕捉されないように、スーツの無線の周波数はガグル社によって全てシャットアウトできる最新装置を新しく装備したからだ。


「アウェイオン敗退後、青の戦域内の我が軍の領内に設置してあった電波基地は、軍事同盟軍によって全て破壊されてしまったようだな」


 共和国連邦の軍事境界線がどれだけ縮小したか思い知らされて、ブラウンは小さく嘆息した。

 生体スーツの走行速度を考えれば、二時間程度で旧ドナウ川跡に到着する。

 夜間のみの移動でドナウ大亀裂帯から森林地帯を抜け、そのまま北上する。

 予定通りに行けば、ダガー達はトランシルバニア・アルプス・モルドベアヌ山のアメリカ基地近辺の待機地点に三十六時間後の未明に到達する。

 ユラ・ハンヌによって計算され尽くしたアメリカ軍の守備の間隙を縫う進行経路は、ブラウンの想像を超えた難攻ルートとなった。


「心配しなくても大丈夫だよ、中佐」


 三つの点が消滅してもモニター画面を睨んだまま動かないブラウンに、ミニシャが胸を反らせながら言った。


「ガグル社の最新式の超が付く高機能GPSで、我々には生体スーツの位置は把握できているんだから」


「あの鳥型ドローンがGPSになっているとはね。だが、位置を把握できても彼らが不測の事態に陥った場合、援護も救助も不可能だ」


「どんな事態にだって対処できるさ。それがダガー隊、チームαだろう?」


「そうだな」

 

 ブラウンはミニシャの言葉に頷くしかなかった。

 アメリカ軍の懐に侵入し攻撃するという、およそ考えられない無謀な作戦に従い身を投じることが可能な兵士など、チームαの他にはいない。


「チームαの並外れた能力があってこそ立案した計画ではあるが、ガグル社が協力を申し出てくれなければ 実現不可能な作戦だった。気難しい彼らの仲介役になってくれた君には感謝しているよ、ボリス大尉」


「私は大したことはしてないよ。我々にとってラッキーだったことは、ユラ・ハンヌが、ガグル社の上級執行役員と直接会話ができる身分だってこと」


「上級執行役員?」

 

 耳慣れない言葉に怪訝そうに眉を顰めるブラウンに、ミニシャは説明を始めた。


「ガグル本社のお偉方さ。我がプロシア軍に例えるなら、彼らは上級貴族将校みたいなもんだ」


「…なるほど」


ならば、同じくらい扱い難いということだ。


「ガグル社は否定しているが、あれだけ巨大化した組織になれば、どうやったって国家的概念で動くようになる。我が軍と一緒で、やはり全てに政治的なんだよ。上層部の権力維持の為に、社員は事あるごとに上司にお伺いを立てなければ、何事も始まらない。だけど…」


ミニシャはいつにもなく深刻な顔付きになって、声を落とした。


「ユラ・ハンヌによれば、今回はその上級執行役員達の頭を飛び越えて、ヤガタ基地援護の命令が出されたんだそうだ」


「命令?誰から?」


「分からない。その後の事は、ユラ・ハンヌは何も教えてくれない、でもね」


 ミニシャは目を眇めて思案気な表情でブラウンを見た。


「これまでは共和国連邦に武器は売れど、戦争には一切関与しないのがガグル社の方針だった。それがひっくり返ったんだ。アウェイオンの戦いで連邦軍、特にプロシアが窮地に追いこまれているにしたって、こんなことは今までになかった」


「ミニシャ、巨大な組織をいとも簡単に動かせるのは、その組織の頂点に君臨する人間だと相場が決まってる。要はそいつの上意下達でガグル社が動いているってことだ」

 

 その人物の名を自分は知っている。ブラウンは胸の内でその名を呟いた。

 ファン・アシュケナジ。

 ガグル社の創始者で元最高経営者(CEO)。エンド・ウォー以前から生きている男。


「まさかな」


 連邦軍上層部に伝わる伝説。決して戦地に赴くことのない貴族軍人が、退屈しのぎに語るホラ話だ。


「ありえない」


「え?」


「あ、いや、何でもない」


 怪訝そうな顔で自分を見つめるミニシャに、ブラウンは軽く咳払いをしてから言った。  


「それだけ地位の高い人物にヤガタの重要性を認識してもらえるのは悪い気分ではないな」


「それだけ現状況がガグル社にも見過ごせないくらい、急を要するって話だよね」


 ミニシャが唇を尖らせて言った。


「アメリカの生物飛行兵器ドラゴン、あの怪物だ。あれだけ高度な遺伝子操作は、ガグル社の持つ技術を凌駕している可能性がある」


「そうだったな、ミニシャ。我々には、神の領域の技術だと」 


「天才中の天才が、あの人工合成生物を作った」


 それが誰なのかも知っている。彼の名は、ユーリー。ガグル社の研究員で、超天才(スーパージーニアス)と呼ばれていた。軍上層部のごく一部の人間にしか伝わっていない極秘事項だ。

 ミニシャに話せないのが残念だが、ヘーゲルシュタインに口止めされていては、彼の許可なくして教えられる情報ではない。


「話は変わるが、ヤガタ基地の指揮系統が編成され直した事で混乱は起きてないか?」


「ないよ。何て言ったって、基地に残っている貴族将校らの面前で、ヘーゲルシュタイン少将が基地の全権を君に委任したんだから。それに、この基地を救った英雄がヤガタの最高司令官になったことに表立って文句を言うアホはいないさ」


「英雄ねぇ」


 苦り切った笑みでブラウンの頬が歪んだ。


「その称賛が、今度の戦いで恨み節に代わらなければいいのだが。ドラゴンと機械兵器の他にアメリカ軍の新兵器が登場しない事を祈るしかないな」


「祈る、か。それはエンド・ウォー以前の世界でよく使われていた言葉だな」


 突然、冷たく澄んだ声がブラウンとミニシャの背後から発せられた。

 ぎょっとして二人同時に後ろを振り向くと、いつからいたのだろう、薄いタブレットを抱えたユラ・ハンヌがちょこんと立っていた。


「共和国連邦圏内では、現在でも頻繁に使われている言葉ですよ、ハンヌ上席研究員殿」


「最終戦争直後の人類の悲惨さを記録に残せなかった輩はこれだから困る」


 ユラ・ハンヌはあからさまに軽蔑した表情でブラウンとボリスを見回した。


「行動と思考を投げ出した人間が使う愚かな言葉だ。ガグル社で死語になったのも当然だな。ウェルク・ブラウン中佐、ヤガタを統括する君が、不確実極まりない言葉を口にするのは慎んだ方が賢明だ」


「仰る通りです」


ブラウンは、ユラ・ハンヌに小さく頭を下げた。


「今のような状況下では、司令官である私が、兵士の前では決して使ってはならない言葉だ」


「勘違いしないで欲しいのだが、何も意地悪で君の言葉をあげつらっている訳ではない。私は君の窮状を十分理解しているつもりだよ、中佐。総大将が逃げ出した死に体のヤガタ基地をどうやって守ろうかと腐心している君に、同情の念を禁じ得ない」


 同情とは口ばかりの冷たい声で、ユラ・ハンヌは早口に捲し立てた。


「アウェイオンで甚大な損失を被った連邦軍の兵力を短時間で増強しなければならない。軍事同盟軍との戦力の差が、残った五体のスーツで埋められるかどうか分からないからな」


「しかし、もはや戦力の増強は困難です」


 ブラウンは、さも困ったというような声を出してハンヌに訴えかけた。


「プロシア国防軍は旧ウクライナから攻めて来るロシア軍を迎え撃つために青の戦域に派兵する余力はない。他の連邦国にも援助要請を出したが、どの国からもヤガタに兵を送るとの通達はなかった。負け戦となる戦いに自国の兵力を割きたくないからです。逃亡兵が出ていないのが、今は唯一の救いだと言えます」


「愚かな奴らだな。自国可愛さのあまり、ヤガタ基地の重要性が理解できないとは」


 鼻で嗤うハンヌを、ブラウンは無言で見つめた。

 ミニシャが心配そうに眼を瞬いている。ハンヌは持っていたタブレットをブラウンとミニシャの前に差し出した。


「さて、諸君にいいものを見せてやろう」


「これは…」


 ブラウンがハンヌから渡されたタブレットの映像に目を見開いた。

 そこにはチームαのスーツとは全く体形の違う三体の生体スーツが映っていた。


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