見知らぬ大地 見知らぬ人
「んー...」
忠一の耳に穏やかな川のせせらぎが聞こえてくる。
ゆっくり目を覚まして辺りを見回した。穏やかな幅10メートルほどの川辺で銃弾がたっぷり詰め込まれた背嚢を枕にして眠っていたようだ。
銃も刀も全て並べたかのように忠一の横にあった。
「どこだ...ここ?」
ついそう口にする。
(さっきのは夢...なのか?)
そう思って辺りを見回す。しかし先ほどまで自分がいたはずの廃村とは似ても似つかぬ場所で、忠一は混乱した。
(まさかこんな浅そうで幅の狭い川が三途の川ってことはないよな?)
そうは思うと川の向こう側に行くのが急に怖くなり、かといって岸を出るとすぐに深い森となっているようなので川岸を上流に向かって歩いて行くことにした。
幼い頃に家族と行ったハイキングを思い出させる景色で、いやになる程真っ青な晴天だったが、飛行機の姿も大砲の音もなく、聞こえてくるのは鳥のさえずり声と川のせせらぎだけだ。
「なんじゃこりゃ!」
地図を広げてみて忠一は思わず叫んだ。
もともと持っていた地図とは全く別物の中身で。散々書き込んだ味方陣地や敵の予想される布陣なども全て消えて地形も変わり、周囲のほとんどが山と川、そして森が一面に描かれていた。
「どうなってるんだこれ?」
忠一は混乱する頭を抑えつつ、なるべく冷静に今いる場所を割り出した。北に3キロほど行ったところに小さな村があるようだ。
「とりあえず。ここに向かってみるか」
激戦の最前線の村に民間人が残ってるとは思えず、いるとすれば味方か敵の兵だが他に手段がない。
忠一は迷わず村に向かって歩き出した。
40分ほど歩いたところで村の入り口が見えてきた。逸る気持ちを抑え警戒しながら村に入る。
茅葺屋根の質素な家が10メートルおきくらいに並んでいる。人の気配がなく、忠一は適当な民家に入ってみた。
(どうなってんだ...)
家の中はツボが粉々に砕け、雑な作りの椅子などが散乱している。粗末な棚にはあるはずの食器の類が何もなかった。
(急いで戦争から逃げたのかな?)
そう思い村の中央に向かって歩いて行くととんでもない光景が忠一の目に飛び込んできた。
村の中央に植えられた大木。そこから吊り下がる30ほどの物体。はじめ忠一はこの村独特の飾りか何かかと思った。しかしよく見るとそれは首に縄をかけられ吊り下げられた人々の死体だった。
「うっ!」
忠一は吐き気を堪えてその場に膝をついた。戦場の体験がなければ間違いなくその場で失神していただろう。なんとか息を整え現場を見直す。
明らかに民間人だった。しかし着ている服がとても日本人のそれには見えない。洋服でも着物でもなければ沖縄の民族衣装のようなものでもない。粗末な布で出来たその服はヨーロッパのチュニックに似ていた。
老人から5歳ほどの子供までが吊られており、さらには5~6人の妙齢の女性の衣服がことごとくボロボロに引き裂かれており惨劇の寸前どんな目に合ったのか想像するまでもなかった。
この春の暖かい陽気にも関わらず死体は全く腐敗しておらず、事件が起こってからそう時間が経ってないのは明らかだった。
ふと、近くで人の動く気配がし、軍隊で身に付いた癖から忠一は反射的に銃の安全装置を解除して音の方に銃を向けた。
「 誰だ出てこい! いるのは分かってるぞ!」
家の陰から1人の少女がおどおどと顔をのぞかせた。死体の着ている服と同じような服を見にまとっている。
(生き残りか)
忠一は銃を下ろして先ほどとは打って変わって優しげな表情で手招きした。
「おいで。もう大丈夫だ」
少女は少し躊躇していたようだがやがておどおどと躊躇いがちに忠一のところまで歩み寄って来た。
身長は160センチを少し足りないくらいで、後ろで1つ結びにした茶色がかった長い髪。大きくぱっちりした藍色の瞳と小さな口をした美少女だった。きめ細かく雪のように白い肌をしていて、目の色といい服の色といい肌の色といいとても日本人とは思えなかった。年齢は16歳くらいだろうか。
「もう大丈夫だ。なにがあったんだ? 米軍がやったのか?」
少女はびくりと肩を震わせ、おずおずと忠一を見上げて小さく声を出した。
「あなたは兵隊さんですか?」
「そうだ。俺は62師団第2連隊第1歩兵大隊3中隊3小隊の...」
忠一が言い切り前に少女は忠一の胸に飛び込み悲痛な声で泣き始めた。
「よかった! よかったあ! 助けてください! 山賊が...山賊が来てみんなを!」
そう言って少女は忠一の胸に顔を埋めた人の吊られた大木を指差した。
(米軍じゃないのか? いや、山賊? 山賊ってーー)