日常な日常3
目を覚ました時、ごく普通の朝だった。
明るい天井。いつもの、自宅の寝室だ。体はえらく重たい。特に肩が全然動かない。頑張って、身を起こそうとすると、ベッドの端に、妹の琴乃が座って寝ていることに気付く。
きっと、ぼくのことを心配して傍にいてくれたのだろう。
「・・ありがとう」
ぼそっと呟いて、頭を撫でる。それに気持ち良さそうに、微笑んでいるように見えた。
琴乃にブランケットを掛けてあげ、ゆっくりと気付かれないように部屋を出た。
冷蔵庫から水を取りだし、コップに注いで一気に飲み干す。それをリビングのテーブルに置き、ベランダに出る。
今日は暖かくて、空も晴れていて、とても過ごしやすい日だと思った。
そして、ベランダからぼっーと、ぼくの住むこの街を眺め、考える。
アレは夢じゃない、ましてや妄想でもない。
その証拠に、あのローブの奴にやられた肩の穴がふさがってはいるが、わずかに傷跡が残っているのが見える。
そうなると、出来事全ては現実だ。夢だと思っていたことが現実になったと言った方が、今のぼくには理解がしやすかった。
つまり、ぼくは選択しなければならない。
ぼくの世界を守るか、見捨てるかを・・・。
『奴らの目的は、君の世界の殲滅だ。そのために君を消そうとした。一番手っとり早い方法だからね。しかし、その方法はこちらでは通用しない。先ほども言った通り、私達が守るからね』
そもそも、狙われる理由が分からない。さらに、ぼくがぼくの世界を守れるという確証がどこにもない。あんな奴とやりあうなんて、どう考えても無謀だ。
助けてくれた人も何者かも分からない。ぼくがこちらでは、守られるという保証もない。
今、なぜ家にいるのかも分からない。
さらに冷静に考えれば、ぼくの世界が本当に空想の産物ではないとまだ確証もできていない。確かに、ぼくの考えからはずれ勝手に世界が人が全てが回っているように感じる。でも、もしかしたら、・・・それはやっぱりぼくの深層意識からきているかもしれないじゃないか。
・・・結局、分からないことだらけだ。
そうして、しばらく考え事にふけっていると、リビングからばたばたした慌てた様子の足音が聞こえてきた。
「ナオッ!」
本当に心配している焦ったような声でぼくの名前を呼んで、琴乃がベランダにやってきた。最近はあまり慌てるような所を見ていなかったので、少し微笑ましい。
「おはよう琴乃」
「おはようナオ・・って、そうじゃない!大丈夫なの!?」
「うん、もう大丈夫。心配してくれてありがとう」
そう言って、琴乃に笑って頭を撫でる。そうすると急に体をぼくから引き離して、頬を赤く染めた泣きそうな顔をしている。
「・・本当に、心配したんだからね!」
「ごめん。けど、ぼく学校にいたはずだけど、どうして家にいるの?」
また、琴乃の頭を撫でながら問う。
「学校で階段から落ちて、救急車で病院に運ばれたの。そのあと、病院から家に運ばれたの」
?学校から、病院は分かる。しかし、そこから何故病院から家に運ばれるんだ?
「・・どうして、病院から家に運ばれたの?」
「そっちの方がナオにいいからって、蓮太郎という先生が、家に搬送してくれたの」
ありえないだろっ!?普通、入院だろ・・。しかも、蓮太郎って、なんで名字じゃないんだよ。
そんな疑問がぼくの表情に出ていたのか、琴乃がそわそわしながら説明してくれた。
「・・すごい、変な先生で名字を教えてくれなかったの。それに、検査はちゃんとしてもらって、一応問題はなかったみたいだから、安心していいと思うよ」
・・・それでも不自然な点しかないが、ぼくを助けてくれた人の仲間か何かと考えれば納得がいく。となると、ぼくの家の近くで監視をしているのだろう。
そこまで、考えると呆れやら疲れやらで大きなため息をついてしまう。
「わかった。ありがとう。とりあえず、朝ごはん食べよう。じゃないと、遅刻しちゃうよ」
と笑いながら言って、二人で部屋の中へと戻っていった。
琴乃と一緒に朝ごはんを食べた後は、心配してくれる琴乃を説得して、先に学校に行かせた。
ぼくは、これから病院に行って、そのいかにも怪しい先生のところに行こうと思った。琴乃には、家で安静にしてるから大丈夫と嘘をついてしまった・・。ごめん。
とりあえず、学校に電話して、昼からは出席することを伝える。ごめん、琴乃。学校にも行きます。
普段と変わらない日常を過ごした方が、そんなに考え込まなくて済むとぼくは思っているから・・
時計の針がちょうど、9時になったことを確認して、靴をはいて家を出ようとしたところでリビングの電話がなった。
「・・はいもしもし」
『はいはいどうも朝早くからすみませんね、あなたの命をめんどくさいながらも守っている者ですー』
妙に浮ついた、甲高い男の声で、ぼくは一瞬叩き切ってやろうかと思った。
いや、待て。落ち着こう、深呼吸だ。昨日、助けてくれた人の仲間と考えるのが筋だろう。
『ナオさまでいらっしゃいますね?えーと、昨日の出来事でなんだかんだ分かると思うのですが』適当だな、おい!『あなたの命が狙われていますので、こちらでは私どもがお守り致します。』
「え、ええ・・はい」
手のひらに汗がにじんできて、思わず握りしめてしまう。
『それでですねー。簡単に出かけられるとこちらとしても困ってしまうのですよ。ただでさえ、あなたの妹まで守らなければいけないのに』
「ち、ちょっと待ってください。なんで琴乃が関係あるんですか!?」
『ええ、私どもも狙われるとは思っていないのですが、万が一、ということもありますので保険です』
・・なるほど。一応本当にこちらを守ってくれるらしいことが分かった。ただ、本当に琴乃が守られているか普通疑問に持つところだが、昨日会話した人ならきっと大丈夫だろうと不思議に思えた。
『私としましても、あなたのようなガキのお守りなんて、嫌なんですよ?』
ゾッとするような声でそうささやかれたぼくは、思わず背後を振り返ってしまう。背中に冷や汗がにじむ。
『あんな可愛い妹さんがいるのなら、私としましても是非あの子を守りたいです。そして、あわよくば恋に発展させたいです』
ふざけんな。こら。と思うが、先ほどの真剣な声と打って変わってふざけるので、それが余計にぼくには怖く感じた。
『そもそも、あんなに可愛い妹さんが自分のベッドの端で寝ているのにも関わらず、何もしないとは・・』普通兄妹でそんなんしねーよ!と思わず恐怖心も吹き飛び、心の中で突っ込んでしまう
『またまたまた。思春期真っただ中で性欲を持て余す高校生が何を迷われることがあります』
「セクハラしたいのか外出の注意をしたいのかはっきりしろッ」
思わずキレてしまった。受話器の向こうで咳ばらいが聞こえた。
『これは失礼致しました。で、どちらに外出の予定ですか?』
あんた絶対わざとだよな。
「・・病院に。蓮太郎という先生に会いに行こうかと」
『ああ、それでしたら問題ありませんし、行く必要もありませんよ』
連れて来てくれるのだろうか?
『私がその蓮太郎です』
「って、あんたかよっ!?」
『ですので、こうして話したので問題は何もありません。ああ、それと学校は行って頂いて結構ですよ。それでは失礼致します』
「ちょっと、まっ」
電話は切れた。ぼくは冷たくなった受話器を持ってしばらく呆けていた。
もう今更何者かなど、疑問に思ってもしょうがない。ただ、学校には行っていいという許可がおりたのはぼくには謎だった。
学校に誰かぼくを守ってくれるような人がいる、ということなのか。
どちらにしろ、ぼくには考える時間が必要だ。
――ぼくの世界のことについて。
結局いろいろと考えている内に、学校の昼休みになる時間になっていた。とりあえず、学校に行くこととして家を出る。一応、周りを警戒してみたが、ぼくには特に異常を感じることはできなかった。
今更、学校に行ってどうすると思わないわけでもないのだが、結局のところ・・ぼくはこれからどうするのか、どうしたらいいのか。その答えは分からなかった。
『君にしかできないことがあるはずだ。
誰も君に強要しない。
自分で考え、自分で決めろ。
自分が今何をすべきなのか』
ぼくにしかできないこと? なんだそれは。ぼくの世界を守ることだと言っていたけど、そんな力はぼくには無い。あんな奴に勝てるわけがない。
誰も君に強要しない? もうぼくの世界には行くなと、何もするなと言ってくれた方が楽だった。
自分で考え、自分で決める。 分からない。ぼくはどうしたいのか。
・・自分が今何をすべきなのか。
それに、さっきの電話の後、ぼくの世界に行ってみようとベッドで寝てみたが、・・・何も変わらなかった。こんなことは初めてで、今まではあちらに行きたくない日でも行っていたのにも関わらず、ただ目をつぶり寝転がっていただけだった。
もしかしたら、いや、もしかしなくても、やっぱり怖いのだ・・ぼくは。あんな訳の分からない奴に、一方的に殺されかけ、怖くないなんて言えるわけがない。
あの時の恐怖は、痛みは、ぼくの体に心にしっかりと刻まれているのだから。
学校に到着したのは昼休みに入ってしばらくたっている時間だった。
しかし、教室前まで来て何やら騒がしいことに気付いた。
「ッけんな!」
「いったい何様のつもりよ!」
教室から甲高い、ヒステリックとも言ってもいい女の子の声が聞こえた。
昼休みということもあり、教室のドアは開いていたので、そのまま教室へと入り、周りを見回す。
「黙ってないで、なんとか言いなさいよ!」
教室の一番後ろの真ん中の席を、女の子五人組が、囲っているのが目に入った。
あそこの席は・・・誰だったっけ?と思いだせなかった。
それよりも、高校生にもなってくだらないことをしてるなーというのがぼくの感想だった。
「だいたい何なの!?あんた、理恵のことを応援するって、私も協力するって言ってたじゃん!?」
「なのに、自分が告白されるなんて、ほんと最低」
・・どうやら、恋愛沙汰らしいことだけは分かった。とりあえず、自分の席に向かって歩き出した。
どうやら、翔太はこの場にいないらしい。あいつがいたら、きっと止めてくれるだろうに。学食に昼ご飯を買いに行っているのだろう。何ともタイミングが悪いことだ。
そして、他の連中は見て見ぬふり、ですか。
まぁ、関わってもろくなことにならないのは目に見えているとぼくでも思う。
「別に告白を断ったからって、許されることじゃないんだからね!?」
・・・なんて理不尽な怒りなんだろう。聞いてるこっちは呆れてしまう。こんな漫画やドラマみたいな展開があるんだなと頭の片隅で思ってしまう。というか静かにしてくれ、せっかく学校に来たのに。
キィィィーーー!!!!
という黒板を爪で引っ掻いた嫌な音が教室に響き渡る。
「うわっ」「きゃっ」「やめろ!」
とか声が聞こえるが無視して、黒板を引っ掻き続ける。
そういえば、黒板を爪でひっかいたり、発泡スチロールをこすりあわせる音でゾクッとするのは、これらの音の周波数が、人間の耳の敏感な帯域を直撃しているためだとテレビでやっていた気がする。
「ナオっ!やめろっ!」「ちょっと、春夏秋冬君!やめてっ!」
静止の声も無視して、黒板を引っ掻き続ける。
ちらりと教室の後ろを見れば、耐えきれなくなったのか、女の子五人組が教室を出ていくところだった。
「翔太君にいっつもひっついてる分際で・・」「なんなのあいつ」「マジうざい」
とか捨てセリフを言いながら教室を去っていった。
ああ、明日あたりからめんどくさくなるかもなと思ったが、翔太がいるから大丈夫か。
出て行ったことを確認して、黒板を引っ掻くことを止めた。
教室を見渡せば、みんなぼくを睨んでいる。しかし、どことなく笑っているように感じた。ナイス!というような、そんな感じだ。・・・しかし、そんな表情は一瞬で後は、よくもやってくれたなといった感じだ。
「ごめんごめん。でも、あんな雰囲気じゃ、昼ごはんがおいしくないでしょ?」
と謝りながら、笑顔でそうみんなに告げた。そして、改めて一体誰があんなに攻められていたのかを確認する。
ばっちり、姫野さんと目があった。思わず、言葉が小さく漏れ出てしまった。
「姫野さんだったんだ」
それが聞こえたのか、前の方にいたクラスメイトが驚いたようにツッコんできた。
「そんなことも知らずに、助けたのかよ!?」
「・・うるさい。昼ごはんをおいしく食べたいだけだよ」
と押しのけて、姫野さんから視線を外して自分の席に向かう。
「ってか、ナオ、大丈夫なのか?昨日、急に倒れたらしく病院に運ばれたじゃん」
どうやら、そういうことなっていたみたいで少し安心した。血まみれで倒れてたとかじゃなくて、ほんと良かった。
「大丈夫。大したことなかったからさ。心配してくれてありがとう」
と言って、席につく。
そのタイミングで翔太が教室に戻ってきた。
「ナオッ!?大丈夫なのかよ!?」
と教室に入ってきてぼくを見つけるや否や走ってきて、ぼくの肩をつかむ。
入れ違いに姫野さんが教室から出て行くのが、翔太の肩越しに見えた。
「大丈夫だよ。てか、大丈夫じゃなかったら学校に来ないよ」
笑いながら、翔太を落ち着かせる。それに納得したのか、ぼくから手を離して、隣の自分の席に座った。
とりあえず、いつも通り翔太と二人で昼ご飯を食べる。ぼくは琴乃の手作り弁当で、翔太は学食の購買で買ってきたパンを食べる。
食べている途中で、クラスの連中が先ほどのやり取りについて、翔太に話していた。
「マジで?ナオ、そんなかっっけーことしたの?」
翔太がパンを口に入れたまま、呆れたようにこちらを見てくる。
「・・べつに。ただ、こうしてゆっくり昼ご飯を食べたかっただけだよ。それになにかあっても、翔太が来れば大丈夫と思ってた」
「・・お前は俺をかいかぶりすぎだっての」
とどこか眩しいものを見るような目で、翔太はそう呟いていた。
そこに翔太と話していたクラスのやつらがこちらを向いて、すごい笑顔でこう言ってきた。
「いやいや、しかし、普通はあんな助け方しないね。しかも、ナオはさー、そのいじめられてた女が誰かも知らないで助けたんだぜ?」
「ヒーローだな!」
別にホントにそんなつもりはないんだ。
ただ、翔太がいるから、それなりになんとかなるもんなんだよ。学年一のイケメン君の力だよ。
「しかしですなー。あのいじめてた女連中のうちの一人、てか主に発言していたやつは、やばいよ?」
・・・いったい何がやばいんだ?
「あー、神田さんね・・」
と、翔太は分かるようだ。・・ぼくは知らないな。聞くしかないな。やばいとか言われてるし・・
「その人がどうかしたの?」
「えっ!?ナオしらねーの!?」
「ホントにお前は基本的に他人に無関心だな」
・・・別にそういうわけではなんだけどな、と内心苦笑してしまう。
「まだ、入学してそんなに経ってないじゃん?」
まぁ、まだ入学して二カ月で夏にもなってないしね。
「・・入学して一か月でこの学校辞めた女の子がいるんだけどさ、それを辞めさせたのが」
「なるほど、ね。その神田さんなわけね」
ぼくはなるほど、それが本当なら確かにヤバイ人だろうと納得した。
「いや、まぁ噂ではあるんだが、ほぼ確実と言われてるな」
「・・だから、ナオ気をつけろよ」
「そうそう。いくら翔太がいるからって簡単に折れるような相手には思えないぞ」
「噂では親は議員だっていう話だ」
「俺は知り合いにやくざがいるって聞いた」
「いや、むしろやくざの娘って聞いたぞ」
「まぁ、何にしろ、そういう噂が立つ様なやつということだ」
この話はこれで終わりとばかりに翔太を除く面々が席を離れて行った。
なんだかこちらの日常まで、変化していく。壊れていく。そんな気がした。
まるで、今までの日常と非日常が交わるように。
これからそれらが溶け合っていくかのような、そんな予感がした。




