4.麓の村
蓮睡は天連山の麓にある村へとたどり着いた。
こじんまりとした村ではあるものの、近くには他に村はなく、旅の途中に立ち寄ると拠り所となっているようだ。それ故に村の中は多くの人で賑わいでいた。
北部だけあってちらほらと雪が降っていて、地面にはうっすらと白く積もっている。しかし村の通りは沢山の足跡によって泥濘んで、至る所が土色に変色してしまっていた。
蓮睡は村の向こうに見える白い高山を見上げた。
「あれが天連山か」
吐いた息が冷やされて白く染まる。
そのまま視線を真横と移していくと、遠くの方にも白い山が見えた。
それは霞藍が本来の任務で向かったと言う、霏山という山だった。
「霏山とは遠くないんだな」
ここまでやって来て知ったが、天連山と霏山、この二つの山はそう遠くはない距離にあった。
(霏山に向かった後に天連山に向かう事は出来る。だがやはりその理由が分からない)
考えていると冷たい風に触れてぶるりと肩が震えた。
蓮睡は雪を見るのも初めてで、慣れない北部の寒さに両手で震える体を抱き締めた。
「寒いな。何処か入れる店は……」
暖を取ろうと辺りを見回した。
万桂からずっと歩いて来たのもあって、何とか休める場所を求めて店を探した。どこも客でいっぱいだったが、机が一つだけ空いている飯店を見つけると直ぐに中へと入った。
客が多く賑やかな店の中は暖かくて、冷え切った体があたたまっていく。
「はぁ……」
ようやく腰を下ろして大きな息を吐いていた。
気持ちが急かしてろくな休憩も取らずに歩き続けてきた。今一息ついて、これまでの疲れがどっと押し寄せてきた。
(無我夢中に突き進んでしまう所、これじゃあ猪と言われても仕方がない)
姉に猪と言われた事を思い出して自嘲する。
思い返せば、万桂をこんなにも遠く離れたことは無かった。与えられる任務は、本家からそう遠くはない場所で、程々にこなせる範囲だった。
燁家の若君として限りなく配慮されている事に、改めて思い知らさせて、机に突っ伏した。
同じ四大家の若君でも、霞藍の五つ上の兄──霙家当主の霙朧菫や、春李の一つ下の弟──次男ながら黄家の次の当主だと噂の黄珀鷹は、数々の凶暴な霊魔を討ち倒し、霊術士としての名を上げている。
しかし蓮睡はというと、対した事のない霊魔の相手ばかりをさせられて、もどかしさを感じでいた。
(優れた霊術士になると、志を掲げでいたというのに──)
「…情けない」
ぽつりと呟いたのと同時に目の前が陰った。目線を上げれは人が立っていた。
人の良さそうな雰囲気の若い男だった。耳につけた、真っ黒な石と黒く長い房の耳飾りがとても目を引いた。
男は蓮睡を見てにこりとほほ笑んだ。
「こちらの席、座ってもよろしいでしょうか?」
男もこの店の客のようだ。
辺りを見回せば、店で空いているのは蓮睡の真正面だけだった。
「あぁ」
蓮睡が頷けば、男は静かに腰を下ろした。
その動作に品の良さを感じた。身なりも良いのでこの店ではどこか浮いていた。
こんな所に一人でうろついているとなれば、どこかの貴族の道楽な若旦那といった所か。
そういった人は珍しい訳でなかったが、蓮睡は妙に気になって男を見ていた。しかしその視線に気づかれて目が合ってしまった。
男はにこりと笑う。
「私の名は吟憂。非常に探求心が旺盛でしてね、飢えた心を満たす為に津々浦々と旅をしているんです」
(しまった、おかしな奴だったか)
冷めた表情を浮かべた蓮睡は、合席を断れば良かったとひどく後悔をした。
「貴方は霊術士ですよね?」
吟憂は蓮睡が傍らに立てかけていた剣を指差した。
剣を持ち歩くと人と言えば限られているので、そこから推測したようだ。
訝しくも「あぁ」と頷くと、吟憂は子供のように目を輝かせた。
「やっぱりそうだ!私、霊術士に興味がありましてね」
「興味?」
「ええ、力を持った人というのは凄いじゃないですか。特に四大家と言われる四つの家門。その霊術士たちのずば抜けた霊力というのが、非常に興味をそそられますね」
うっとりと語る吟憂の圧にやられて蓮睡の口元は引き攣っていた。
「貴方はこの後どちらへ向かわれるんですか?」
「……天連山だ」
「天連山ですか。あ、名の由来を知ってしますか?今でこそ『天に連なる山』と言われてますが、本来は『天へと連れて行く山』と言われていたそうですよ」
「天へと連れて行く?それはどういう……」
「山へと行った者は決まって亡くなるそうです」
吟憂が笑みを浮かべて言った言葉に、蓮睡の背筋がぞくりと寒気が走った。
「まぁ、言い伝えなんて当てにはなりませんけれど。この辺りに住む猟師たちは毎日山へ狩りに行ってそのまま帰って来てます。ただ可哀想な事に……」
吟憂は勿体ぶるように言葉を止めると、口元が弧を描いた。今気づいたが、蓮睡を映した男の目は一切笑ってなどいなかった。
「一年前、あそこへ向かった男は【下劣な獣】に襲われて、酷い死に方をしましたが」
蓮睡はハッとした。
(一年前って言ったか!?)
思わず立ちがあって机に手を叩きつけていた。
「それはっ──」
「あぁ、そろそろ行かなければ。待ち人がそろそろ着く頃なので、私はこれで失礼します」
「待て!」
蓮睡は大きな声を上げて叫んだ。
しかし呼び止める声など聞こえてないかのように吟憂は足を止めることはない。
慌てて剣を握り立ち上がると、遠ざかっていく背中を追った。店を出ると既に吟憂の姿は人混みに紛れ、見つけることは出来なかった。
「あいつ、何者だったんだ……?」
男はまるで何か知っているような口ぶりに聞こえた。
(下劣な獣と言った。獣とは何だ?それは霊魔の事を言ったのか?それとも──)
訝しく見つめる先には白い高山がある。それを見上げて目を細めた。
「天へと連れて行く山、だと……縁起の悪い山だ」
天に連なる山と、天へと連れて行く山では全く意味が違う。
(……やはりあいつは、霞藍は何かあったんだ。天連山に行けばきっと何か分かる筈だ)
改めて山へと向かう意志を固める蓮睡だったが、その胸はやけにざわついていた。




