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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: 伊達ジン
第二章:黒い履歴と白い嘘

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第43話 日常へのリブート

 巨大な国家の闇を暴いた「パノプティコン事件」から、一ヶ月以上の月日が流れた。

 世間では未だに特捜部による逮捕劇がニュースを賑わせているが、その震源地である神保町の地下、『デジタル・アーカイブス社』には、完全な平和が戻ってきていた。


 今日は、事務所の完全復旧と、私たちの無事を祝う「祝勝会」の日だ。

 午後から業務を休みにし、メンバー全員が最高のご馳走を持ち寄って大宴会を開くことになっている。

 いつもなら所長の阿部邦彦がキッチンに陣取り、スパイスの香りを漂わせているところだが、今日に限って彼はコンロの前に立っていなかった。


「……俺は今日、一切料理をしない。お前らが持ってくるものが俺の舌を満足させられなければ、その時は俺が包丁を握るがな」


 阿部は腕を組み、偉そうに宣言していた。左肩の怪我もすっかり良くなり、テーピングも外れている。

 しかし、その不遜な態度は、アルバイトの小川みずほによってあっさりと崩された。


「ねえおじさん、私スイーツ担当なんだけどさ。一人じゃ絶対持ちきれないから、荷物持ちしてよ」

「は? なんで俺が」

「いいじゃん、買い出しだよ。車出して。……それとも、女子のエスコートもできないの?」


 みずほがニヤニヤしながら挑発すると、阿部は「チッ」と舌打ちをして車のキーを掴んだ。

 こういうところ、本当にこの所長は押しに弱い。

 私は留守番を任され、二人は車で買い出しへと出かけていった。


 冬の表参道。

 並木道にはイルミネーションが飾り付けられ、クリスマスを控えた華やかな空気が街を包んでいる。

 その通りを、黒のタートルネックにロングコートを着た阿部と、オーバーサイズのパーカーにチェックのスカートを合わせたみずほが歩いていた。


「……なんでケーキを買うのに、わざわざ表参道まで来る必要がある」


 阿部が不機嫌そうに呟く。


「有名パティスリーの本店があるんだよ。予約しておいたから受け取るだけ。……ていうかおじさん、歩くの早すぎ。これじゃデートに見えないじゃん」

「デートじゃない。パシリだ」

「ふふっ。でも、端から見たら『イケオジとパパ活女子』に見えるかもねー」

「……帰るぞ」

「冗談だってば!」


 みずほは笑いながら、阿部のコートの袖を引っ張った。

 目的のパティスリーで受け取ったのは、両手で抱えるほどの巨大な保冷ボックスだった。中には、まるで宝石のように美しいケーキが何種類も詰まっている。

 阿部が軽々とそのボックスを持ち、二人は近くのカフェのオープンテラスで温かい紅茶を買って一息ついた。


「……おじさん、奢りありがと」

「経費だ」


 紅茶のカップを両手で包み込みながら、みずほはイルミネーションを見上げた。


「……私さ、最近ちゃんと大学行けてるし、単位もなんとか取れそうだよ。このままいけば無事に進級できそう」

「そうか」

「うん。でも、事務所のバイトは辞めないから。音の解析も、SNSの運用も、私がいないと回んないでしょ?」

「……どうだかな。だが、お前の耳が役に立つのは事実だ。学業の片手間でも、使えるうちは使ってやる」


 阿部の素っ気ない返事に、みずほは嬉しそうに目を細めた。

 彼女は、家出してネカフェ難民だった自分を拾い、居場所をくれたこの不器用な男に、深く感謝しているのだ。


「……おじさん。あの時、私の『耳』を信じてくれて、ありがとう。幽霊の声じゃなくて、ちゃんとデータだって証明してくれたこと。……おじさんがいなかったら、私、今頃どうなってたか分かんない」

「……」

「だから、これからもよろしくね、所長さん」


 みずほが真っ直ぐに見つめると、阿部はバツが悪そうに視線を逸らし、冷めた紅茶を煽った。


「……感傷に浸ってる暇はないぞ。さっさと帰るぞ、みんなが待ってる」

「あはは、照れてる! おじさん耳赤いよ!」

「うるさい」


 阿部がスタスタと歩き出し、みずほが小走りでそれを追いかける。

 冬の光が、不器用な二人の影を優しく照らしていた。


 夕方。神保町の事務所に、続々とメンバーが集結してきた。

 テーブルの上には、各々が持ち寄った「最高のご馳走」が並べられ、さながら王侯貴族の晩餐会のような光景が広がっていた。


「ヘイヘイヘイ! 主役の登場だべ!」


 葬儀屋の岡田アキが、ドヤ顔で風呂敷包みを解いた。

 中から現れたのは、銀座の超高級寿司店の特上握り盛り合わせだった。


「葬儀のコネで特別に握ってもらった特注品だ! 大トロもウニもてんこ盛りだぞ!」

「Excellent!!(素晴らしいわ!) 日本のスシ、最高!」


 カナダから来たエミリー・ローレンスが歓声を上げる。

 彼女が持ち込んだのは、巨大なクーラーボックスいっぱいの『クラフトビール』だ。

 カナダから取り寄せた希少なIPAやスタウト、そして山盛りのフライドポテトが並ぶ。


「……肉も負けてないわよ」


 情報屋の中島鞠が、自信満々に銀色の保温トレイの蓋を開けた。

 そこにあったのは、見事なサシが入った松阪牛のローストビーフだ。芳醇なトリュフソースの香りが漂う。


「裏社会のコネを使って、最高級のA5ランクを仕入れたわ。とろけるわよ」

「じゃあ、乾杯の準備ね」


 弁護士の藤田涼子が、流れるような動作でクーラーバケツから緑色のボトルを引き抜いた。

 『ドン・ペリニヨン』のヴィンテージだ。


「悪徳企業からふんだくった賠償金の一部よ。遠慮なく飲みなさい」

「……お前ら、金に糸目をつけなかったな」


 阿部が呆れたように言うが、その顔には微かな笑みが浮かんでいた。

 そして、みずほが買ってきた宝石のようなケーキたちが、デザートとして冷蔵庫に鎮座している。


「……あれ? 大家さんがいませんね」


 私が周囲を見回した、その時だった。

 ドスドスという足音が響き、入り口のドアが開いた。


「遅れてごめんなさい。ちょっとセラーの奥を探るのに手間取っちゃって」


 後藤かほりさんが、一着のボルドー色のドレスを着て現れた。いつもは古着の文学少女スタイルだが、今日は明らかにドレスアップしている。

 そして、彼女の腕には、布に包まれた古めかしいワインボトルが抱えられていた。


「大家。……なんだ、そのワインは」

「私の祖父のコレクションの一つよ。『シャトー・ムートン・ロートシルト』の1945年。第二次大戦が終わった『勝利の年』の幻の一本よ」


 かほりさんは優雅な手つきでコルクを抜き、デキャンタに移し替えた。

 瞬間、地下室の空気が一変した。

 数十年の時を超えて目覚めたワインが、官能的で複雑な香りを放ち、無機質な部屋を魔法のように彩ったのだ。


「阿部くん」


 かほりさんは、一番に阿部のグラスにその幻のワインを注いだ。

 深い、ルビーの血のような色。


「あんたには今、『家賃の滞納分』に『私の店の修繕費』、それに『命の恩』っていう莫大な借金が乗っかってるわけだけど……」

「……ああ。一生このビルで強制労働だと言われたな」

「ええ。でもね……今日は特別よ」


 かほりさんは自分のグラスを持ち上げ、不敵に微笑んだ。


「このヴィンテージワインを開けて、みんなで乾杯したら……あんたの家賃の滞納分、これで全部チャラにしてあげるわ」

「……!!」

「マジで!? 大家さん、太っ腹!!」


 アキが叫び、エミリーが口笛を吹く。

 阿部は目を丸くした後、肩をすくめて小さく笑った。


「……修繕費と命の恩は、きっちり残るんだな」

「当然でしょ。私がチャラにするって言ったのは、あくまで『家賃』だけよ」


 全員のグラスに酒が注がれていく。みずほのグラスにも黄金色のドンペリがたっぷりと注がれ、下戸である私のグラスにだけは、高級なぶどうジュースが注がれた。


「……よし。それじゃあ、音頭は私がとるわよ」


 涼子がグラスを高く掲げた。


「法と正義、そして私たちの完璧なチームワークに!」

「「「乾杯!!」」」


 8つのグラスが重なり合い、澄んだ音を立てた。

 大トロの寿司が口の中で溶け、松阪牛の旨味が弾け、冷たいシャンパンと芳醇なワインが喉を潤す。

 笑い声が絶えない。

 アキさんがエミリーと肩を組んで歌い出し、みずほは「シャンパン美味しい!」と顔を赤らめながらDJ気取りでスマホから音楽を流す。

 鞠さんと涼子さんは、高級ワインを飲み比べながら大人の会話を楽しんでいる。

 かほりさんは、そんな騒ぎを満足げに見守っていた。


「……石川」

「はい、所長」


 阿部さんが、手にしたワイングラスを揺らしながら私に声をかけた。

 その顔は、かつてないほど穏やかだった。


「お前の姉さんのデータは、もう完全にネットの海に溶けた。……これで、俺たちのお節介も終わりだ」

「はい」

「……お前、これからどうする気だ?」


 阿部さんの問いに、私は迷うことなく笑顔で答えた。


「何言ってるんですか。明日からもここで働きますよ。……だって、まだ片付けなきゃいけない依頼のデータが、山ほど残ってるじゃないですか」

「……フン。奇特な奴だ」


 阿部さんは呆れたように笑い、残りのワインを飲み干した。

 足元では、チビがアキさんが落としたマグロの切れ端を狙って「ミャー」と鳴いている。


 神保町の地下にある、看板のない事務所。

 ここでは明日も明後日も、誰かの遺したパスワードを解き明かし、隠された想いを繋ぐ仕事が待っている。

 最強で、少し変わった8人のスペシャリストたちによる、私たちの日常。


 パンドラの箱を閉じた後、世界は少しだけリブートされた。

 そして私たちの物語も、ここからまた、新しく始まっていくのだ。


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