第40話 異界渡りの休暇 5
最初に言っておくと、実は、俺は本来、そこまで強くはない。
まず、肉体のスペックはそこら辺の一般人と大差ない。多少魔術を使い、身体能力を強化することは可能であるが、それでも、人類の限界値レベル。トロールの骨肉を粘土の如く壊す怪力に対して、力比べするのは愚かとしか言えない。
じゃあ、所有する魔力の量が多いのか? という話になってくるのだが、別に少なくないという程度で、多いというほどではない。魔術を主体として扱う職業には劣るだろうし、異界渡りの中では平均的だ。習得している魔術も、基礎的な幾つかの物ぐらいであるし、魔術が得意というわけでもない。
ぶっちゃけ、異界渡りとして働く際、俺があの忌々しい機械天使の肉体を使わなければいけないのは、この肉体がそろそろヤバいという事情もあるが、あの肉体でなければ安定して仕事出来ないからだ。うっかり、毒ガス攻撃でも受ければ、その時点で死ぬ可能性すらある。
さて、こんなクソ雑魚スペックの俺がどうして、超越者やそれに準する者たちが跋扈する大戦を生き抜けたかと言うと、それにはもちろん種も仕掛けもある。具体的に言うならば俺が所持する異能、魂由来の覚醒能力のおかげなのだが……使用には副作用があり、使えば使うほど肉体がちょっとヤバいことになるので、使用に制限を設けている。少なくとも、ナンパの為にその制限を破ったと言えば、色んな人からガチで怒られてしまうだろう。
つまり、今の俺は割とクソ雑魚ナメクジであるということだ。
「あはっ、あははははっ! そぉーれっ!」
「うぉおおおおおお!!?」
ゴシックロリータのスカートがふわりと動いたかと思うと、周囲の空気を軋ませるほどの一撃が、俺に向かって放たれた。
それは、武術や体術を習った者の動作ではない。
悪く言えば、子供の喧嘩の延長線。
良く言えば、実戦のみで磨かれた破壊の技。
――――人間の肉体など、力を込めて振り回した拳で充分だという、怪力の証明だ。
「うふ、ふふふっ! 狭いのに、良く避けるわね、お兄さんっ!」
「そりゃあ、可愛い女の子とのダンスだ! もうちょっと粘りたいからね! ああ、後、あわよくばスカートの下からパンツを覗きたい!」
「ふふっ、ざぁーんねん」
背筋がちりりと焦げ付くような感覚。
かつて、日常的に何度も味わったその直感に従い、俺は即座に動く。じゃり、という強く路面を踏み込んだ音。ゴシックロリータ女子の体幹の動き。そこから導き出される攻撃は即ち、大胆にもこちらの顔面を狙った回し蹴り。
ぶわぁ、とスカートが先ほどと比較にならないほど翻り、けれど、それを目にする時には既に鞭のようにしならせた足が俺の顔面へと放たれている。
「ふ、よぉっと!」
スカートという足の動きを隠す服装からの、怪力が込められた回し蹴り。されど、それは俺の顔面には届かない。それよりも前に身をかがめて、相手の懐に潜り込む形で回避したからだ。
その際、俺は今日一番の集中力を使い、スカートの中を凝視したのだが、なんということだろうか、そこにあったのは素敵なパンチラでは無く、漆黒なるスパッツによる視覚防御だった。
「くそぁ!」
「常識的に考えて、戦うんだから下着を見られないように準備するに決まっているじゃない。ばぁーか!」
「あああああ! 俺の心を弄びやがって!」
個人的にはスパッツも捨てがたいのだが、それはそれ。今パンツが見たい気分だったのである。フリルの付いた可愛らしい下着とか見たかったなぁ。
「うわぁああああ! ずりぃぞ、あの女ぁ!」
「パンチラを期待して、今までずっと待機してたってのに!」
「夢も希望も失くしてしまった……」
なお、さっきのやりとりで観客の一部も俺と同じ気持ちを味わった模様。
男って馬鹿だよな、俺も含めて。
「さぁ、て、とぉ!」
「――――んぎっ!?」
馬鹿なので、控えめに言っても無理っぽい現状を何とか打破してみようか。
俺は回避した動作のまま、さらに一歩、密着するほどの距離まで接近し、そこから相手の腹部を狙った拳を放つ。足から腰、腰から腕まで最小限の動きで、密着に近い状態からの打撃で、内臓を揺さぶる。
一応、人の形をしている生物内臓の位置も同じだと思ったのだが、ふむ。
「ひどいじゃない、女の子のお腹を思いっきり、殴るなんて」
「いやぁ、俺の知っている女の子はお腹を殴られた後、即座に反撃してこないよ」
手ごたえが固い。
まるで人間大のゴムでも殴った気分だ。しかも、ゴシックロリータ女子は平然とした顔で、こちらの腕を握りつぶそうとする始末。「んぎっ」とか言ってたし、一応、衝撃は通じているんだろうけど、通じても意味ない奴だな、これは。
「ど、う、す、る、か、なぁ! 割と手詰まり感が否めなぁーい!」
「だった、ら! おと、な、しく! 倒されなさいっての!」
俺はゴシックロリータ女子の攻撃を、路面を転がったり、体を捻って避けたりなど、必死に回避行動を取りながら思案する。
「ん、んんー、ほい、雷どーん」
「ぎゃんっ……このぉ!」
「やっぱりだめかぁ」
その過程で、ちょいちょい消費型の魔導具を使い、色々反撃を試してみたのだが、あまり芳しくない。
状態異常系の攻撃は全て、相手の肉体の耐性を貫けない。
精神異常系の魔術をぶち込んでも、相手は気合いで凌駕して来る。
相手を殺してもいいなら、もうちょっとやりようがあるのだが、非殺傷が推奨されているこの場に於いて、相手のゴシックロリータ女子の防御はまさしく鉄壁だ。
幸いなことに、戦闘経験では俺が相手を上回っているので回避は余裕なのだが、このままでは俺の体力が先に尽きてしまう。
「大人しく当たりなさい! 優しく倒してあげるから!」
「嘘つけ、お前、戦う前に『腕の一本で勘弁してあげるわ!』とか言ってたじゃん」
「え? 優しいでしょう?」
「うわぁーい、優しいの基準がちがぁーう」
腕一本、腕一本かぁ。
別に賭け金はまた後で稼げばいいんだが、腕一本折られるとなると、ちょっとなぁ。痛いのは我慢できるが、この肉体にあまりダメージを与えるとよろしくない影響を受けるしなぁ。
うん、後は何より、このまま情けなく引き下がるのはどうかと思うな、男として。
そう、男らしさ、男らしさ大事よ、俺。
だから、まぁ――――贅沢言わずに、真面目に戦うか。
「アイテムボックス解放。番号百十二」
俺は回避行動を取りながら、別空間にしまい込んでいた魔導具を一つ取り出す。
それは、オルゴールだ。
小さな木箱の形をしていて、蓋を開けば音楽が鳴り出すというシンプルな仕掛けのオルゴールである。ただし、そこに込められた『概念魔術』は並大抵の魔術とは一線を画する。
何故ならば、これは叡智の深淵に達した稀代の魔術師が作り上げた一品。
彼の蒼穹の賢者と取引し、手に入れた切り札の一つなのだから。
「――――させない」
ゴシックロリータ女子は勘が鋭いらしく、しかも、行動は迅速だった。
肉体のリミッターを解除したのだろう。先ほどの怪力に加えて、攻撃の鋭さが数段上がっている。まともな人間であれば、神経伝達の僅かなタイムロスの間に倒されている。
だが、俺はまともな人間ではなく、肉体の構造も既に人間のそれから逸脱し始めている。意識を集中した状態で、さらに己の感覚を強化するための魔術も使用している現在ならば、相手の魔手から逃げるのは難しくない。
相手が焦りで、攻撃がさらに単調になっているので、尚更に。
「微睡に沈め」
「ぐ、こん、のぉ!!」
横薙ぎに振るわれる腕を掻い潜り、寄り添うように相手へ密着。
急がず、けれど、ゆっくり過ぎない動作で、詠唱と共に俺は木箱の蓋を開けた。
「【揺り籠のリズム】」
これなるは、微睡の記憶を呼び覚ます概念魔術。
誰かの腕に抱かれ、安らかに眠っていた時の記憶を呼び覚ますメロディ。
この魔導具の所有者以外、このオルゴールのメロディを聞く者全て、安らかなる微睡に沈む。
……まー、耐性がある場合は別だけど、これは気合いで凌駕するタイプの魔術干渉じゃない。もっと、しっかり考えて、どうすればいいのかをきちんと道筋立てて解法を求めなければならないのだ。
「あ、う、ん……あ、ふ」
だから、力押しで精神干渉を凌駕する君には、攻略は難しいんだぜ、ゴシックロリータ女子ちゃん。
「じゃあ、しばしの間、おやすみなさい」
「………………こ、ん、のぉ、おおお、おおうう……」
くわん、くわん、と頭を揺らした後、呻きながらもゴシックロリータ女子は膝を着き、やがて、安らかな吐息を立てて、路面に倒れ込む。
「やれ、これじゃあ、俺の実力じゃなくて、魔導具の性能の良さだよなぁ」
出来るならば男らしく格好良く勝ちたかったが、相手が強すぎた。そして、俺が弱すぎた。だからこそ、本来のスタイルで戦わなければならなかったのだ。
即ち、コネクションによって集めた、あらゆるアイテムによる、多角的弱点攻撃。自力では無く、他力を使って相手に対して特効を狙うスタイルである。
「悪いね、ずるくってさ」
俺の眼前ですやすやと眠るゴシックロリータ女子へ、心にもない謝罪を言うと、ため息交じりに肩を竦めた。
まったく、やっぱりあいつのようにはいかないなぁ。




