第36話 異界渡りの休暇 1
これが、夢であるとすぐに気付いた。
何故なら、むせ返るような血の匂いと、火薬と煙の匂いが、鮮明にリピートされたから。
「やぁやぁ、カンナ君。今日も一人で暗殺稼業かい? 大変だねぇ、英雄というのも」
「うっさいわ、道化め」
日常の残骸。
崩れ落ちた建物によって、道は所々寸断されて、まともに機能している道路など欠片も存在しない。大都会であればあるほど、当時は激戦区となっていたので、だから、この夢はきっと、戦場のリピートであると理解した。
瓦礫の山に、割れた道路。曲がった標識。
置き去りにされた自動車の数々。弔われることなく、置き去りにされた人の亡骸が沢山。
地下にまで突き刺さった、巨大な槍の墓標。
そんな最低な地獄の中を、俺は慎重に歩いていく。
身に纏うのは、既に軍服と同義になった学生服。ただし、足元を守るのは、学生服には似合わない安全靴。学生服の上からコートを羽織れば、それなりに見られるようになったかもしれないが、当時の俺は見え栄えなどまったく気にしていなかった。
気にしていたら、刀身を剥き出しにしたまま、刀を持って徘徊することなど有り得ない。
「虚しいとは思わないかな? 君がどれだけ敵を殺そうとも、本来、味方である人類の大半は裏切っている。超越者に下って、賢くこの世界を生き延びようとしているよ?」
「そうか。それでも、戦おうとしている人がいるのも事実だ」
「あっはっは、まともに戦力になるのがどれだけいると思うんだい? 実際、君たちレジスタンスは精々、総勢千人にも満たない弱小陣営。戦える人間はさらに少なくなって、百人前後。その中でも、上位眷属の類に対抗できるのは、君も含めて六人程度。控えめに言っても、無謀であると思わないかな?」
「別に、勝ちたくて戦っているわけじゃねーさ、俺は」
「ほほう、では、何のために?」
「許せないから」
「何が?」
「この境遇を与えてきた、理不尽全てが」
廃墟を歩く俺の傍らに居るのは、道化の少女。
文字度通り、道化師の姿をした幼さの残る、顔立ちの美少女が、俺の傍らに居るのだ。
しかし、それは労わりとか、友情とか、愛情とか、善なる感情から来る行動ではない。
「くふ、ふふふふふっ。相変わらず、愚かだよねぇ、カンナ君。君は本当に、六体の超越者を全て打ち倒せると思うのかい? 君と、君の仲間たちで」
この道化は明らかに、俺を嘲るために居るのだ。
決して、励ましだったり、優しさだったり、そういう成分は含まれていない。こいつにとって、精々俺は、興味深いアリの巣穴程度の感覚なのだろう。
まぁ、こちらとしては巣穴に水をぶち込まなければ、それで良かったのだけれども。
「違う。正確に言えば、あいつと、あいつの仲間たちだ」
「おや? その物言いはまるで、本当の英雄は君じゃないと言っているみたいじゃないか」
「みたい、ではなくて、そうだろ。俺たちレジスタンスの中心人物はあいつだ」
「でも、その彼は現在、心を折って寝込んでいるみたいだけれど?」
「すぐに立ち直るさ」
「ずっと一緒に育ってきた幼馴染が、よくわからないサキュバスに変質して、危うく童貞も処女も失いかけたのに?」
「何でそのエピソードを知ってんだ、テメェ!?」
「くふふふ、この私を誰だと思っているんだい、カンナ君」
にやにやと、加虐的に笑みを浮かべる道化。
そうだった、こいつはそういう存在だった。
常識や道理などを超越した、世界の逸脱者。
単独で世界全てに打ち克つことすら可能な、異常存在。
そして、俺たちの世界に降りて来た、来訪者であり、侵略者でもある。
「そうか、お前も超越者だったな。あまりに俺の周りをウロチョロして、いちいち煽ってくるから、てっきり俺のファンかと思っていたぜ」
超越者。
神に等しき管理者すら恐れる力の持ち主の一体が、この道化なのだ。
「ん? ああ、もちろん、私は君のファンだとも。君が一人で泣いている時も、ずっと傍に居たし。君がお風呂に入っている時も、一人でごそごそやっている時も、そりゃあもう、ずっと傍に――」
「プライバシーを守れよ、この変態!」
「くふっ、好きなのかい? 『地味だと思っていた女の子が、実は服を脱ぐとドスケベボディだった』みたいな展開が」
「おいやめろ、俺の性癖を深く掘り下げるんじゃない」
そう、この道化は超越者であるはずなのだ。俺の世界を侵略しに来た内の一体であるはずなのだが、本人曰く、『直接手を下すのはポリシーに反する』と言って、人類には直接危害を加えてこない奇行種である。
「二次元も三次元も、そういう系が揃っているみたいだけど、ここで一つ、女性側からのアドバイス。ぶっちゃけ、地味だけど可愛い系の女の子っていうのは、大抵、自分の可愛さを知っているからそういう戦略を選んでいるだけの話であって、そういう系の女の子が狙うのは大抵、自分よりもワンランク上ぐらいの――」
「やめろぉおおおおおお! エロスにリアルを持ちこむな! エロスはファンタジーでもいいんだよ! 性欲解消できれば!」
ただし、戦闘中だろうが休憩中だろうが、容赦なく人の心に土足で踏み込み、散々煽って荒らしていくはた迷惑な存在ではあるのだが。
こいつに煽られて命を落とした奴は、敵味方でも関係なく一定数居るから困る。
「お金を払えば、どんな女の子でもファンタジーしてくれるとも。そう、未成年でも」
「犯罪じゃん!」
「既に国家が滅びたから、オールオッケー」
「貨幣経済も破綻している場所の方が多いけどな!」
そして、俺はこの道化のお気に入りだった。
お気に入りの玩具として、度々、姿を現して、俺の傍らに侍っていた。
俺としては、戦闘中でもにやにや煽ってくるから本当に勘弁してほしいのだが、その分、味方の被害が劇的に改善されたので、仕方ないと諦めるしかない。いや、考え方を変えれば、俺はとても凄いのでは? だって、超越者をたった一人で抑えつけているという、大戦果じゃないか、そうだそうだ、そうだとも。俺は超凄い、いえーい。
「おっと、カンナ君。現実逃避していてもいいけれど、そろそろ目的地じゃないかい?」
「お、ああ、そうだった、そうだった」
「ちなみに、今回のターゲットは?」
「上位眷属。ほれ、あの赤い塔の根元に鎮座している、亀っぽいあいつ。四神リスペクトなんだか、俺たちを煽っているのか知らんけど、あいつが居るとここら一帯の地域の水を支配されるからさー」
「ほうほう、なるほど……よぉし、君の能力は果たして、暗殺を予告されている対象にも効くのか試してみようか!」
「実害が出るタイプの気まぐれを起こしやがって」
そんなわけで俺は、大戦という長い争乱の中を、ほとんど道化の少女と共に在った。
彼女は常に誰かを嘲笑い、誰かを貶め、誰かを翻弄し続ける存在だった。
彼女のお気に入りの玩具扱いの俺は、当然ながら、敵味方からも『あいつ、その内死ぬなぁ』という憐れみの視線に晒され続けたものである。
かく言う俺も、その当時、まさか自分が生き残れるとは欠片も思っていなかった。
「あ、意外と楽勝だったわ、これ。首落とせば殺せる相手は楽でいいなぁ」
「うわぁ、この人。物理的に張り巡らされた絶対防御結界をすり抜けたよ、きもっ」
「そのキモイ能力はぶっちゃけ、お前の下位互換なのですが! その理論だと、お前はキモイ系の到達点なのですが!?」
「不気味の谷という現象を知っているかい?」
「ちくしょう、態々この世界の知識で皮肉を返しやがって!」
ただ、独りで死ぬよりは、嘲笑を浮かべる少女であっても、誰かに看取ってもらえるのならば、それでもいいと思っていたんだ。
●●●
「ん、くあぁ」
じりりりり、という一定のアラームで俺は微睡から浮かび上がった。
寝ぼけまなこを擦りながら、アラームの音源である目覚まし時計を叩く。四角い箱のような形の目覚まし時計は、無駄に頑丈であり、他の世界では『リザードマンが叩いても壊れない』ということを売りにしていた代物だ。なので、多少、寝起きの不機嫌な気持ちを叩きつけてもびくともしない。
「ん、んんん?」
アラームを止めると、ふと、寝起きの頭が違和感を覚える。
さて、俺の声はこんなに低かっただろうか? もうちょっとこう、天上にすら届く歌姫のそれにも似た声で…………ああ、そういえば、そうだった。
「今日は久しぶりの休暇か」
約半年ぶりにまとまった休暇になったから、肉体を元の奴に戻したんだっけか。そろそろ男性の肉体に戻さないと、精神の変容で女性的な思考が固定されてしまうからな。
「折角の休暇なんだから、もうちょっとこの久しぶりの魂のフィット感を感じる肉体で、安らかな二度寝を…………っと、うん?」
安心と懐かしさを感じたまま、再び、ゆったりと温もりの中に潜り込もうとしたのだが、その際、ふにょん、という柔らかな感触が指先に当たった。猫の腹部でも触ったかの如き、程よい柔らかさ。俺が疑問を覚えつつ、生暖かいそれを右手で適当にまさぐると、「ひゃ、んんぅ」という艶やかな声が返ってくる。
「…………」
布団を捲って確認してみると、そこには何故か、全裸の童女が居た。
俺の右手は、一糸纏わぬ全裸の童女の腹部、その危ういところをまさぐっていた。
「んににに」
変な寝ぼけボイスをかまして、呑気そうな表情で寝ている顔に、俺は見覚えがある。
猫を連想させる可愛らしい顔つきと、俺たち日本人特有の黒髪。肌の色。ここまで日本人に酷似しているというのに、日本人ではない、異世界からの来訪者。
共に、大戦の日々を過ごした超越者の姿が、そこにはあった。
ただし、全裸の姿で。
「…………起きるかぁ」
俺は二度寝を諦めて、さっさとベッドから抜け出すことを選んだ。
まー、何時もの事だから、十分ぐらい放置していれば、その内、起きて来るだろ。
「はぁーあ。自分が生き延びるとは思っていなかったけど、まさか、こいつと同衾する関係になるとは予想できねぇよな、微塵も」
ちなみに、勝手に全裸で潜り込まれるだけなので、肉体関係は無い。
未だに俺は童貞である…………多分、きっと。いや、童貞、だよね?
「くふふふ」
「…………」
掛け布団の中から聞こえる嘲笑を聞かなかったことにして、俺は洗面所に向かった。
折角の休暇なんだ、出来る限り、心安らかに過ごそう。




