第35話 そして、剣は振り下ろされた 17
からからと、剣の切っ先が地面を引っ掻く音が聞こえる。
「…………」
剣の持ち主であるカインズは、ぼんやりとした様子で、ずっと剣を引きずったまま歩き続けていた。誰しも寝静まった夜の街、その中でも特に人気の少ない、街外れ。篝火に照らされた外壁近くの墓地で。
からから、からから、と剣を引きずったまま、歩き続けて、やがて、足を止めた。
カインズが足を止めた先にあったのは、一つの墓石だ。
灰色の墓石に刻まれているのは、カインズの父親と母親の名前である。
「…………ミサキ師匠」
擦れた声が聞こえた。
疲れ切った者が、それでも気力を振り絞って声を出したら、こうなるだろうという、小さな声だった。
「何だ?」
カインズの背中越しに、俺は応える。
覇気のない背中を眺めながら、俺はカインズの言葉を待つ。
「オレは、これでよかったんでしょうか?」
「……さぁてね。俺はお前じゃないし、全てを見通す悪魔でも、全知全能を気取る超越者でもない。何が良かったのか、悪かったのか、判断するのは結局、お前の主観だよ」
「そうですか」
「ああ、そうだよ」
しばしの間、カインズは沈黙した。
ただじっと、己の両親が眠っている墓標を眺めているようだった。
「オレは」
数分間の沈黙の後、ぽつりと、カインズが呟く。
「後悔していますよ。今も、きっと、これからも。ずっと、ずっと、あの時の決断を後悔し続けるんだと思います。馬鹿なことやったなって。本当に、救いようがない馬鹿だって」
淡々と、薄闇の中に消えていくような小さな声で、カインズは呟く。
「最低最悪の気分です。何も報われていない。全然、すっきりしない。多分、一生引きずるだろうし、どんなに楽しい時でも、ふとした瞬間、思い出して気分が台無しになるかもしれないです」
ぽつぽつと、小雨の雨音の如く、呟き続けて。
「でもですよ、ミサキ師匠」
くるりと振り返って、俺の方を見た。
その顔に浮かぶ笑みは、壊れた物ではなくて、年相応の少年らしく、少し背伸びをした誇らしげな物。
「これでオレは、貴方の一番弟子として、少しは胸を張れると思うんです」
笑みを浮かべるカインズ。
その手に携えられた剣、銀色の刀身に――――一切の汚れは見当たらなかった。
そう、一滴たりとも、その刃は不浄なる赤色に汚れていない。
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あの瞬間、カインズが振り下ろした刃は、レイネを傷つけることなく、その眼前の床に突き立てられた。
「……ふーっ、ふーっ…………お、れは! オレは! こいつを、絶対に! 一生、許さない! そうさ、許すわけがない、だけどぉ!」
剣を振り下ろしたカインズは、その柄から手を離すことなく、吠え猛った。
「いいか? オレは凄いんだ! とても凄いんだ! だって、オレはミサキ師匠の一番弟子なんだ! ミサキ師匠に認められた、最初の弟子なんだ! これから、オレはミサキ師匠にいろんなことを習って、とても凄い男になるんだ! お前なんかよりも、ずっと! 格好良くて、最高に強い男に! 父さんや母さんに胸を張って自慢できる男になるんだ! だからぁっ!」
犬歯をむき出しにして。
荒れ狂う憎悪を噛み砕いて。
壮絶なる、強がりの笑みを浮かべて。
「オレは、お前なんかに構っている暇は無いんだ」
その言葉を、強がりを言える人間が、この世界にどれだけいるのだろうか?
かつての俺が、同じような境遇に陥った時、そう強がることは出来るのだろうか?
ただ、これだけは分かる。
今のカインズは、俺の一番弟子は、きっとこの世界中の誰よりも強い。
「勝手に生きて、勝手に死ね。もがいて、もがいて、苦しんで、苦しんで、出来るだけ苦しんで、死ね。だけど、これ以上見苦しくなることは許さない」
剣の柄を離し、カインズはレイネの胸倉を掴み上げる。
既に、レイネの瞼は開かれて、そして、俺による空間操作も解除していた。
「オレに手間を掛けさせないように、生きろ。オレは、お前が屑だろうが、悪人だろうが、善人だろうが、どうでもいい。どんな人間だろうとも、オレは許さない。でも、お前がこれ以上、オレみたいな奴を増やそうというのなら、その時は、今度こそオレがお前を討つ」
今すぐにでも殴り殺したいだろうに。
磨かれた殺意で、すぐさま切り刻みたいだろうに。
それでも、カインズは最後までその手を血で汚すことは無かった。
「どんな罰でも、どんな責め苦でも受け入れるというのなら、誰にも慕われる善人として生きろ。長く、長く生きて、生き抜いて、苦しみ抜け。悪に堕ちることも、自ら楽になることも、オレは許さない」
だが、カインズの言葉は、どんな鋭い刃よりも深く、レイネの根幹を切り裂いたらしい。
諦観で閉じられた瞼は見開かれ、覚悟によって結ばれた口も、今は呆然と開いている。
「わかり、ましたわ」
やがて、その目は、青く取り繕った赤い目は細められて。
その口は、静かに契約の言葉を紡ぐ。
「貴方の仰る通りに、生きましょう。生きていきましょう。これからずっと、死ぬまで、貴方の手を煩わせないように」
それは契約であり、呪いであり、また、祝福でもあったのだろう。
カインズと、レイネ。
復讐者だった者と、報いを受け入れた者。
二人の、どちらに対しても。
●●●
「ミサキ師匠」
「おう」
「オレは、色んな所に行ってみたいです。この世界だけじゃなくて、もっと遠くに。誰も行ったことのない場所で、誰も見たことのない景色を見たい。誰かが隠した宝の地図を見つけて、浪漫溢れる冒険をしてみたい。どんな怪物だろうとも諦めずに剣を振るって、自分は強いんだって証明したいんです」
「そうか」
もう、充分お前は強いよ、とはカインズには伝えない。
無粋な言葉なんて、今は不要だ。
「今までずっと、オレは恨みに囚われて、過去ばっかり見て生きていました。多分、ミサキ師匠と出会わなかったら、ずっと、そんな日々を送っていたと思います」
「さぁてね。案外、俺と出会わなくても、お前ならうまくやれていたと思うぜ?」
「そうだったとしても、今のオレは、貴方の一番弟子であることに誇りを持っています」
「ん、そうか」
「だから、ミサキ師匠。もし、良ければなんですけど、これからも、どうか、その、オレを鍛えてください、お願いします」
「……バァーカ。今更、何言ってんだよ、この弟子は。そんなのはな、お前が俺の弟子になった時から決まってんだよ、お前がきちんと、一人前になるまで、俺が責任を持って鍛えるのは既に決定事項。もう、誰にだって変えられない事実なんだからな」
「く、ふふふっ。そう、でしたね」
「おう、何がおかしいんだ、カインズこの野郎」
「いえ、だって、仮面越しなのに、絶対、この人顔赤いだろうってわかる挙動だったから」
「はっはっは、はっはっは」
「わ、わふっ! やめ、図星だからって乱暴に頭を撫でるのは、やめっ!」
生意気になった弟子の頭をわしわし撫でつつ、俺はふと夜空を見上げる。
まだ、夜明けは遠い。
空は暗くて、雲に覆われて星だって中々見えやしない。
それでも、俺はこの空が美しいと思えた。
どんな闇の中でも、輝ける物があると知っていたから。
そう、どれだけ夜が暗く、道を見失い、惑い、囚われたとしても、それを見つけることが出来たのならば、また、歩き出せる。
「んもう、ミサキ師匠ぉ! 少しはオレを大人扱いしてください!」
「はいはい、もう少し貫禄が出てきたらな」
形無き刃で、復讐の連鎖を断ち切ったカインズのように。
人は、強くなれるんだ。
その手に剣など無くとも、胸の中に確かな物があるなら、きっと。




