第34話 そして、剣は振り下ろされた 16
復讐は悪であると、言うつもりはない。
だが、復讐が善であるなどとは、口が裂けても言えない。
特に、何の罪も無い子供を殺す必要がある時は、尚更だろう。子供を殺すことが善であるとほざく人間が居たら、そいつはもうクソだ。人型のクソだ。人間でいる資格が無い。
「…………そういう、悪質な冗談を、不謹慎な真似を、やらかすほど外道ではないと、言っていましたよね? ミサキ師匠」
戸惑いの中に、苛烈な抗議の意思を混ぜて、カインズは俺に視線を向けてくる。
だが、俺は全く口調を変えることなく、淡々と、当たり前のようにカインズに答えた。
「ああ、もちろんだよ、カインズ。だから、これは冗談でもなく、とても真面目に言っている言葉だとも」
「だったら、尚更悪いです、ミサキ師匠。一体、何の理由があって――――」
「殺されたんだろ? 両親を。なら、やり返せ。そいつの大切な人間を根こそぎ殺せ」
カインズの口がぴたりと動かなくなり、灰色の瞳がふるふると何かで歪み始める。
「復讐っていうのは、やり返さないと意味が無いんだよ。不毛だろうが、何だろうが、お前と同じだけの苦しみを与えないとすっきりしないだろ? 復讐の機会は一度きりだぞ? 何せ、命は一つしかないんだ。なら、出来るだけ苦しめて殺してやりたいというのが、人情だろう」
「や、やめてくださいませ、ミサキさん! 子供たちには罪はありません! 何か罰を与えるのであれば、全てワタクシに! どんな責め苦でも――」
「うるさい」
弟子への授業を行っている際に、教材が喧しく喚き始めたので、無造作に手を振るう。蠅でも振り払うように、小さな動作を行う。
ただそれだけで、レイネは言葉を失った。
「――――っ!!!?」
空間操作。
対象の周囲の空間の空気を操作して、呼吸困難寸前になる様に調整した。これで、どれだけ声を出そうとしても何も響かないし、気絶寸前の溺死の苦しみを与え続けることが出来る。
「さて、続きだ、カインズ。孤児院の子供たちを殺しても、お前は罪に問われない。俺が伝手でそういう風に手配した。だから、何も問題は無い」
「…………何が、何が、何も問題は無いって言うんですか!? 問題だらけでしょうが! オレは! オレですよ、ミサキ師匠! 罪に問われようが! 問われまいが! 自分の都合で、子供を殺すようなクソ野郎にはなりません! 絶対に!」
「そうか」
「はい、そうです!」
喉を抑えてもがく復讐相手にも目もくれず、カインズは真っ直ぐ俺を見据えて言った。
良い啖呵だった。
憎悪を抱いていようとも、復讐の刃を携えようとも、揺るがない信念が底にはあった。
…………なるほど、じゃあ、次だ。
「そうか、そうか、殺さないのか」
「殺しません、何があっても」
「そうか――――じゃあ、そいつらが復讐者になって、お前を殺しに来た時も、決して殺さないで済ませてやるんだな?」
「……えっ」
「そいつ等が、お前の大切な隣人を殺して回って、『奪われることの痛みを、思い知れ!』と言われても決して殺さないんだな?」
三度の瞬きの後、カインズが突きつけていた剣の切っ先が、だらりと床に向けられた。
もちろん、手が疲れたのではない。殺意が鈍ったのでもない。
ただ、気付いたのだ。
己が為そうとしていた結果によって、何が生まれるのかを。
「なぁ、カインズ。言っておくがな? こいつは、シスター・レイネは周囲から慕われる人間だ。どれだけ権力を振りかざしてもみ消しても、仇本人の協力があったとしても、必ず、いいか? 必ず、お前と同じ復讐者になる者が現れる。どれだけ、どれだけ上手くやったとしても、だ。そして、お前がそうしようとしていたように、一生を費やしてお前に復讐を果たそうとしてくるだろう」
「だ、だって、だって、こいつは!」
「そうだな、お前の仇だ。ろくでもない人間かもしれない。根底では何を考えているか分からない屑かもしれん。だが、それでも、こいつのやって来たことだけは本物だ。それだけは否定できない。こいつが、孤児院の子供たちや、周囲の人間たちから愛されているという事実は覆らないんだ」
「――――っ!」
わなわなと、カインズは口を動かして、されど、言葉にならない声を何度も噛み殺す。
感情のまま喚きたいのを我慢して、きっと、俺に伝えるための言葉を選んでいるのだ。弟子として、学んだことを無駄にしないために。
「だ、だったら、だったら、殺すなと言うんですか? こいつを、この、こいつをっ! 許してやれと!?」
「違う。だから、さっきから俺は言っているだろう? 殺せと。皆殺しにしろと。復讐される余地を限りなく削るために、こいつの周囲を皆殺しにしろと」
「……そ、そんな、そんなのっ! そんな! クソみたいな二択しか、オレは選ぶことが出来ないんですか!?」
「さぁてね。俺は俺が予想できる展開を言ってやっているだけだ。ここで皆殺しにすれば、俺のフォローも合わせて、ほぼ確実に復讐の連鎖は途絶えさせることが可能だ。だが、逆にレイネだけを殺せば、俺がどれだけ尽力しても、いつかお前に対して復讐者がやってくる可能性を否定しきれない。お前だけでなく、お前の周囲の被害をゼロにするというのは、この俺であっても難しい」
「他の、何か、何か、他の――」
「じゃあ、お前が望む最善って何だよ、カインズ」
もがくカインズは、俺の言葉に一瞬、虚を突かれたかのように呆然とした。
「憎い復讐相手を殺した。よし、復讐はきっちりと済ませたぞ! 父さん、母さん! これでようやく俺は前を向いて歩いて行けます! やったぜ! さぁ、明日からはすっきりとした気分で毎日過ごせるぜ、ひゃっほう! なんやかんやで上手く偽装出来たから、俺が復讐される心配もない! さぁ、これから何をして暮らしていこうか!? やりたいことがたくさんあるぞぉ! わぁい! …………なんてことになるとでも、思っていたのか?」
「ち、違います!」
道化の如く身振り手振りを交えた俺の語りを、カインズが力強く否定する。
「自分の行いで、誰も不幸になる人間が出ないなんて、都合の良いことを思っていたか?」
「違います!」
「善人を殺しても、それが復讐ならば、周りから認められると思っていたのか?」
「違います!」
「――――お前にご飯を作ってくれる、あのおばちゃんが。お前に復讐をして欲しいと望んでいるとでも、思っているのか?」
「違う! そんなわけがない! そんなわけがあるもんか! くそっ、くそっ!」
否定する。
否定する。
子供のように――否、子供らしく、地団駄を踏みながら。
「人殺しなんて! 人殺しなんて! 本当はやりたくないに決まっているじゃないですか! 最善? 最善だったら、オレは! オレはぁ! 父さんと、母さんと一緒に居たかった! 情けなくても! 子供のままでも! オレは、もっと、もっと一緒に居たかった!」
それは、今まで押し殺して来た感情の発露だ。
そうだ、そうだとも。どれだけ根性のある奴だったとしても、カインズはまだ子供だ。どれだけ背伸びしようとも、子供なんだ。
頑張って割り切ろうとしても、もがいても、それでも、本音は違う。
いいや、子供でなくとも、きっとそうだ。
復讐者なんて所詮は――――こんな復讐なんかよりも、本当はもっと違う物が欲しい奴ばっかりだ。憎い相手をぶち殺すよりもずっと、俺たちは愛する人を取り戻したかった。
本当にただ、それだけでよかったのに。
「でも、そうはならなかった! ならなかったんですよ、ミサキ師匠! わかるでしょう!? 貴方なら! 貴方なら、わかるでしょう! この悔しさが! 苛立ちが!」
「ああ、わかるとも。そうだな、こんなことをやっている自分が馬鹿に見えるよな。本当だったらって、あの時、失われなかったらって、何度も思うよ」
「そうですよ! そうなんですよ! 返してほしいんですよ! 両親を! それさえ、それさえしてくれれば! そうなってくれれば、それだけで、それだけでオレは」
失ってしまった人が、戻って来ればいい。
戻してくれさえすれば、俺たち復讐者はもしかしたら、相手を許せるのかもしれない。死にかけの状態までぶちのめすかもしれないが、その後は忘れてやることも出来るかもしれない。
でも、駄目なんだ。
死者は蘇らない。
これだけは、どの世界でも共通の原則であるから。
「オレは、オレは――――――やっぱり、許せませんよ、ミサキ師匠」
ゆらりと、カインズが剣を振り上げる。
本来のそれよりもさらに短い刀身は、天井の高さよりも低く、この時、この場に於いて、何の憂いも無く刃を振るえる絶好の得物となった。
「どんなに善人になっていようが、どれだけ慕われていようが、どれだけ後悔していようが、それでも、オレは許せない。許すことなんて、できるもんか」
カインズは壊れた笑みを浮かべて、倒れ、もがくレイネへ視線を向ける。
視線を向けられたレイネは、顔を青くしていたけれど、やがて瞼を閉じて全てを受け入れた。言葉すら残せぬ状況も。常に息を奪う苦しみも。
やがてやってくる、復讐の刃も。
その結末から引き起こされる、あらゆる悲劇さえも、全て。
諦観と覚悟が混ざった表情で、受け入れていた。
「何が、オレにとっての最善なのか、もうオレには分かりません。でも、これだけは、これだけははっきりしているんです、ミサキ師匠」
だから、どうあがこうとももはや、この罰から逃れることは出来ない。
カインズは、俺に視線を向けず言葉を紡ぎ、ただ、じっとレイネを見つめていた。時間にして、恐らく五秒にも満たない間だった。
カインズの灰色の瞳がレイネの何かを見据えたのか、その表情から笑みが消える。
「オレは――――こいつを、一生許さない」
そして、剣は振り下ろされた。




