08
それは6歳の誕生日を明日に控えた前日の夕方のこと。
お仕事に行っていたお父様が小さな子どもを連れて帰ってきたことで屋敷は常になく慌ただしいことになった。まだ幼い私に出来ることがあるわけもなく、ただ周りの邪魔にならないようにと部屋に引きこもっていた。
やがて陽が沈み、夕食の席で漸くお父様と顔を会わせた。最近何かと忙しくてずっと一人でご飯を食べていたからなんだか懐かしい気分になる。…一年前まではこれが当たり前だったというのに。
「コーデリア、その…夕方連れてきた子どものことだ」
「はい」
「彼は分家筋の子でな。訳あって今までスラム街というところで暮らしていた」
言いにくそうなお父様に少しばかり首を傾げる。
王妃さまのご実家にお世話になっていたとはいえ、天涯孤独の身だったお母様に親戚はいない。だからお父様の言う分家はナイトクランツ家関係だ。でもお母様との結婚の際、何かと反対も多かったので今では全くと言っていいほど親戚付き合いをしていない。私は殆ど家に居たけれど親戚がこの家を尋ねてくることもなかったと思う。お父様の両親、私の祖父母にあたる人も早くに亡くなったらしいから私は本当に親戚に会ったことがないのだ。あぁ、いや…確か使用人に遠縁の人が居たらしいが……使用人が多過ぎて分からない。
そんな付き合いの薄い分家の子。
それがどうしてスラム街?
深く尋ねようかと思ったがお父様の様子からしてそれは望まれていないらしい。この顔の意味を最近漸く学んだ。子どもには聞かせたくない、というやつだ。ここには居ない子どもを思い浮かべて、そういえばまだ顔も見ていないことに気付いた。でもちらりと見えた髪色が、不思議なほどお父様に似ていたことを思い出す。分家筋と言っていたが、思うより近いのだろうか。
「…それでな。彼を我が家で引き取ろうかと考えている。本当はもう少し時間を掛けてお前にも相談して決めようかと思っていたんだ。それで、一度先に様子を見るつもりで今日スラムに行ってみたら思った以上に酷い有り様でな。そのまま連れて帰ってきてしまった。すまない」
「どうして謝るんです?お父様は何も悪いことをしていないのに」
「だが、突然のことで驚かせてしまっただろう?」
「驚いただけで謝罪を求めたりしないもの」
少し怒った顔をすると、お父様が漸く小さく笑ってくれた。ずっと張り詰めた顔をしていたから、私も紅茶を一口飲んでほっと息を吐き出す。
「それで彼は…あら、お名前を聞いていませんでしたわ」
「それが私も知らないんだ。見つけたときには酷い高熱で殆ど意識もないようだったからな」
「…………誘拐?」
「違う」
お父様にしては珍しく低い声だった。
いや、他の人に対してならよく聞くのだけど。
「では、あの子の目が覚めるまで何にも決まらないんですね」
「そうだな。引き取ると言っても状況も理解出来ていないだろう」
それで、とお父様は一度言葉を区切った。
彼にしては珍しく少しだけ視線をさ迷わせてから、伺うように私を見つめる。
「コーデリアは、いいんだな?あの子を引き取っても」
その意味を知らないほど子どもではない。
王宮に通うようになってから、引きこもっていた頃以上のことを学んだ。それは、せっかくだからとエリオット様やレオナルド様達が魔法以外の勉強を学ぶ機会を与えて下さっているからだ。
だから、私が王子達の、特に第2王子レオナルド様の婚約者候補であること。それが本当に決まれば私は王家に嫁ぐことになり、この家を継ぐ者が居なくなること。それに伴いお父様に再婚のお話が数多来ていること。でもお父様が未だにお母様を愛していることは私が誰より一番知っていた。
だから、にっこり笑う。
「はいっ!」
本当は嫌だと言ったら。
地位で決められた王子との結婚も、この家を出ていくかもしれないことも。そんな先のことを自分以外に決められたくない。お父様が再婚するのも知らない他人が家族に割って入ることも。全部嫌だ。
私の世界は前世を思い出したことにより広がった。
それでもコーデリアの根底にはお父様しか居ない。そのお父様が決めたのだ。やがて私をこの家から出すことを。その為にナイトクランツ家を継ぐ跡取りを分家筋から選んだ。だったら、私も受け入れなければならない。それがどんなに嫌なことでも。
「兄弟が出来るなんて素敵だわ。実はエリオット様とレオナルド様達が羨ましかったんです。ふふ、仲良くなれるかしら」
思い浮かべる。
目を閉じて、お父様と並ぶお母様。その間に挟まれる自分を。叶わない。叶うことなんてあるわけない夢だ。それでも時折夢を見るほどに焦がれている。
それが、頭の中で小さく皹割れた。
「明日には目が覚めるだろうが、あまり無理をさせないようにな」
「勿論です!あぁ…っ、明日はとても素敵な誕生日になりそうだわ!」
いつもは簡単に溢れてくる涙が今日は全然だったのが、なんだか少しだけ不思議だった。