第一隻 1話 異世界転移!早速死体と間違われる
人物紹介
・兼々寛子
22歳の大学生。専攻は栄養学。病院勤務の管理栄養士になることを夢見ていたが、突然異世界に飛ばされてしまった。飛ばされてしまった理由は覚えていない。
・うさぎ耳の男
死体漁りをしている男性。年齢は25歳くらいに見える。
◆◆◆
生きるって何だったんだろうか。
私たちって何だったんだろうか。
(……こんな、ことで)
そして、目を瞑った。
◆◆◆
争い満ち、人々が己が道を失いし時。
遠き地より、救世の者は降り立つ。
その者、人々と共に立ち、人々と共に選び、
やがて新たなる世を導かん。
そして人々、その者の役目は終えられたと定めし時。
救世の者はその地を離れ、神域へと還らん。
────ハルパト教聖典『救世の章』より。
◆◆◆
…………。
ひとまずここまで何が起こったかを説明しよう。
私の名前は兼々寛子、22歳の大学生だ。専攻は栄養学である。
普通に親から愛されて、普通に友達がいて、普通に……いや、普通よりちょっとだけお嬢様の私立大学に通っていた。
が、
現在は何かがおかしな路地裏にいる。
「…………」
石で出来た建物たちに隠れた太陽の光が薄暗い雰囲気を作り上げていた。
まず考える。
おかしな路地裏と言ったが、この路地裏がただの路地裏ではないことについてはいくつかの光景が証明していた。
まず、私の目の前にいる男。
そいつが私の身体をまさぐっていることに関しては、まあ、大事件ではあるのだが一旦置いておこう。この男、うさぎの耳らしきものが生えている。頭のてっぺんに。
「コ、コスプレ痴漢?」
「は?」
男が私の言葉に対して目をまん丸に開いた。目をまん丸どころか四角にも三角にもしたいのはこちらの方なのだが。
身体をまさぐった手を一旦引っ込めて怪しそうにまじまじと見てきた。ただの痴漢にしては様子がおかしい。恐怖で動けないまま、目線だけ横に向けると、またぎょっとするようなものがあった。
石壁の隙間から生えている雑草が……葉っぱではなく半透明の薄い膜みたいなものを何枚も広げていて、その中を青い液体が血管のように流れている。
さらにカラスのような鳴き声がしたかと思ったら、目の前には四枚羽の鳥。
大きさは鳩くらい。
見た目も一瞬は鳩やカラスに似ている。
でも飛び立った瞬間、
翼が上下に二対ある。
「なっ」
「なにこれっ、えっ、なん、なんなんですかっ、映画? ハリウッド? だ、誰っ? 誰!?」
喚いた瞬間、男の顔色が変わった。
「黙れ!」
背中が石壁に叩きつけられる。
次の瞬間には、銀が冷たく光るナイフの刃が向けられていた。
「声を出すな。聞かれたら面倒なんだよ……」
大声出したら殺すぞと、そう言うように。
この現状の発端については、何も”覚えていない”。そうとしか言いようがないのだ。ただ、ズキズキと痛む背中とホコリや煤らしき黒い汚れが付着した私の体。何かがあったのかもしれないが、何も覚えていないのだ。
ただ、何もかもがおかしな路地裏にいる。
その現実が目の前にあった。
「…………」
ナイフを向けられ完全に青ざめた私に向かってうさぎ耳の男が一度舌打ちをしたあと、一言発した。
「死んでるかと思った」
「し、しん、死んで?」
「テメェ、さっきまで息止まってたぞ」
そう言われてひゅ、とまた息が浅くなるような感覚がした。
知らない場所に? なんか気が付いたらいて? 背中がちょっと痛かったり傷があったりして?
おまけに息まで止まってた?
頭の整理が追いつかない。
「ど、どこ、どこですか、ここ?」
「あぁ?」
男が怪訝な顔をした。
「ヤクでもやってイカレたやつか? ここじゃ似合わねぇ服着てるから拉致って捨てられたかと思ったのによ……クソッ、お陰で楽に漁れなくなっちまった……」
私の疑問に対して一切答えないまま男がブツブツ話し始めた。
片手には相変わらずナイフ。
殺されるかも。
強い恐怖が私に対してそう合図してきた。
諦めずに対話するか? ナイフを向けてきている男と?
まず、このままでは良くないと考えた。安全にここを切り抜けなければならない。
向けられたナイフをじっと見たまま、何とか震える口を開いた。
「あ、あの、私、お金なら……」
黙れと言われつつ小声で話すと、男はその程度なら良いと判断したのか、舌打ちをしつつ言う。
「もう見た」
男が地面の方に目を向ける。青色の財布が落ちていた、私のものだ。
「変な紙しか入ってねぇ、どこの通貨でも無さそうだし……妙なオモチャも持ちやがって」
地面にはぐしゃぐしゃになった1000円やら10000円札やらが落ちている。嗚呼、さようならバイト代。現金派だったけど帰れたら絶対キャッシュレス派になります。
そして男が片手にスマホを持ってジロジロと訝しげに見ていた。
「お、おもちゃじゃなくて……スマホです……」
「すまほ?」
その一言でドク、とさらに心臓が強く鳴った。
知らない。
スマホを、知らない。
四枚羽の鳥。
青い液体の流れる植物。
頭から本物らしいうさぎ耳を生やした男。
使えない日本円。
そしてスマホという言葉すら通じない。
ここまで来ると、映画の撮影だとか、外国に連れてこられたとかそういう可能性が一つずつ潰れてきていく。
じゃあ一体ここはどこ? 私の頭が完全におかしくなった?
不安感がさらに強くなってくる。
心細さと恐怖がマックスに達しそうになった時、男が諦めたような顔をして立ち上がった。
「ハズレか」
男が「もう用はねえ」と吐き捨てて立ち去ろうとした。
助かった、そう思った瞬間……建物の隙間から覗いた太陽光が指元で光った。
親からもらったダイヤの指輪。
そこで男の足が止まる。
「あ?」
「えっ」
男の視線が私の手元に向けられていた。つられて自分の手を見る。
嫌な予感しかしない。
男が目を細めた。
「おい、その指輪よこせ」
当たった。
嫌な予感が、完全に当たった。
私が黙っているのを見てまた男が顔を顰めて手を前に出してきた。
「よこせ」
それに対して、
「嫌です」
自分でも驚くくらいはっきりと声が出た。
男が思い切り眉間に皺を寄せて近付いてくる。
「あ?」
「これはっ、ダメなんです」
「いいからさっさと────」
「ダメなものはダメなんです!!」
どれだけ脅されたとしてもこれだけは無理だった。この指輪はただ高いだけのものじゃない、18歳の誕生日に父と母が二人で選んでくれたものだ。
「大学生になったんだから、少しくらいちゃんとしたものを持ちなさい」なんて母が言って、父が隣で「無くすなよ」と笑っていた。
そんなものをうさぎ耳のよく分からない痴漢男に渡す訳にはいかない。
「テメェ、大声出しやがって……!! 静かにしろ、さっさとよこさねえと殺してやる!!」
男が明らかに慌てた様子で私の腕を引っ張る。
男が手を伸ばす。私は指を曲げてもう片手で覆うように指輪を握りしめた。
右。左。逃げ場なし。
うさぎの男。ナイフ。
指輪。親からもらった大事なもの。
絶対渡したくない、どうする。どうする!? どうする私!?
そして次の瞬間、自分でも驚くような行動に出てしまった。
───────私は口の中に指輪を入れて、飲み込もうとしていた!!
「…………」
「…………」
男の動きが止まった、私も止まった。
口の中に硬くて冷たい感触がある。
「何やって───────」
それが喉を通過した。
ごくん。
男が信じられないものを見るような顔をしている。
飲んだ。
飲んでしまった。
ダイヤモンドの指輪を。
栄養学専攻、22歳。
異物誤飲。ヒヤリハットどころではない完全にインシデント、またはアクシデントである。
「テ」
「テメェぇぇぇぇぇッ!?」
「あっあっあっなたが脅してくるからじゃないですかぁぁぁぁ!!!」
男の怒鳴り声と私の悲鳴が、薄暗い路地裏に盛大に響いた。ブンブンと私の肩を揺らしてくるが絶対に意地でも吐き出さないようにする。
……そもそも
さっきこの人、大声を出すなって言ってなかったか?
そしてその声に反応して、なにかの足音が聞こえてきた。
男の表情が変わった。




