3 冒険者登録
国を出たのは良いが、別に目指す当てがあるわけじゃない。とはいえ全くの無計画というわけでもなかった。
今世の俺が生まれ育ったのは、東西に長い人類領域の西端にある小国だ。
そして前世の俺がいたのはその真逆にある東端の国。今すぐ目指そうにもあまりに距離が遠すぎる。
ちなみに西端の国の更に西には日の沈む海が広がっており、東端にある国の更に東には魔族が支配する異界が伸びている。
ちなみに、日の沈む海の先に世界の果てがあるのは自明の理だが、魔界の先……この世界の最東端に何があるのかには、諸説ある。人類にとっての理想郷がある。いや、魔族の元首である魔王が住まう城がある。そうではない、実は我らの知らない別種の人類が住んでいるなど、様々な噂がある。そこを目指して旅立つ冒険者は数あれど、たどり着いて帰ってきた者は一人としていなかった。
いつかはそれを目指すのもありかもしれない。とはいえ今はまず、冒険者として地に足を着けるのが先決だ。
そう判断した俺は森の中で息を潜めて夜が明けるのを待ち、日の出と共に隣国の街を訪れることにする。
——脱国者である俺には、現状では身分が存在しない。
通常であればそんな人間に与えられる職など存在しないのだが……たった一つだけ例外がある。言わずもがなそれこそが冒険者という生き方だ。
犯罪者として国を追放された者。運良く奴隷から解放された解放民。あるいは俺のような追放者。
いかに冒険者が賤しい者であるかという例えとして使われる話だが、どんな人間であっても実力と実績さえあれば認められるというのは、いざその身に堕ちた俺からするとありがたい。
とはいえ前世も含めて冒険者のギルドへ向かうのは初めてなので、半信半疑の気持ちで足を運ぶことにした。
情報屋から銅貨一枚で聞き出したその場所は、薄汚く、一般人には近寄りがたい雰囲気を出していた。
深呼吸をしてから路地裏のウェスタンドアを開けて中に入ると、ガラの悪い数名の男に睨まれる。休憩用に用意されたと思しきテーブルに群がって、朝っぱらから酒に溺れているようだ。「はぁ……」これだから冒険者はクズなんだ。俺はそれらを無視して薄暗い室内を突っ切り部屋奥のカウンターまで歩き、唯一まともそうな格好をしている男に声を掛けた。
「冒険者になりたくてここに来たんだが……?」
身長が2メートル近くあるその男は腕を組んだまま俺を見下ろして、嘲るように「ふんっ」と鼻息を噴き出した。
負けじとその目を睨み返すと、面倒くさそうに溜息を吐き、組んでいた腕を崩して後ろの棚から一枚の書類を抜き、カウンターの上に叩きつける。
「あぁ、好きにしろ。そこに名前を書いて力を……属性力の解放は出来るんだろうな?」
成人したばかりの俺を見て心配しているんだろう。馬鹿にしているというよりは心配している雰囲気ではあるが、俺はあえて「当たり前だ」と語気を強くしながら署名した。
家名は書かない。ただ『ルイン』とだけ記し、右手の核から属性力を紙面に流す。その余波で風が舞い上がるのを見て男は「風属性か」と呟いた。それ以上はなにも言わず、彼は俺が署名した用紙から一枚のカードを剥がす。投げつけるように渡されたそれを俺は指で挟んで受け止めた。
実績もランクも、所属欄さえ未記入の、俺の名前だけが記された真っ新な冒険者カード。
裏表を確認した俺はテーブルの上にチップを置き、礼も言わず出口へ向かうことにした。ガタッ、誰かが立ち上がり椅子を蹴飛ばすような音。「おい、待てよ、ガキ」声を掛けられたので立ち止まり振り返ると、酩酊した浮浪者がよろよろと歩き、近づいてくる。
「なんですか、あなたは……俺に何か用ですか?」
「いんやぁ? おまえ、冒険者になりたてのニュービーだろう? おじさんが所属先を紹介してやろうと思ってなぁ?」
「いえ、結構です。あなたのような愚図の世話になる謂れはありません」
俺の言葉に、男はカッと顔を怒りに染めた。黒い湿った熱が男を中心に放射される。その様子をカウンターの男は見て見ぬ振りをして、他の酔客達は「カカッ」と笑い出した。図体のでかい男には似合わないサバイバルナイフが投げ込まれ、男はそれを鞘から抜いた。銀色の刃が照明の光を反射してギラリと輝いた。
「もう一度聞くぜ? おじさん様が良い所属先を教えてやるぜ。聞きたくなってきただろう?」
野太い声を無視して、俺は冷静に観察する。
手に持つ武器……あの程度のサバイバルナイフ、猟師として森で相手してきた獣の牙と比べたら、玩具みたいなものだ。
属性も大したことはない。怒った程度で属性をお漏らしするのは、その程度の実力しかないと言っているようなものだ。
だが体格差が酷い。俺の細腕では、打撃を打ち込んでも効果は無いだろう。やつの動きは鈍い。酩酊で平衡感覚も狂っている。だが重心を崩すだけの威力を、俺の細脚では蹴ることも難しいだろう。
有効打を与えるにはこちらも武器を出すしかないのだが、そうすると下手をしたら殺してしまう。この辺りの法律で正当防衛がどの程度有効か……どちらにしても最後の手段にした方が良いだろう。
背負った折りたたみ式の弓を掴み、片手で矢筒の蓋を開け、じりじりとすり足で後ろに下がる。その様を「怯えている」とでも判断したのか、男は両手を広げ図体を大きく見せようと威嚇しながら調子に乗って近づいてくる。
勝ち誇っているようなその顔を見て、俺は改めて理解した。
……なるほどな。
やはり冒険者は腐っている。
前世で会った上澄みみたいな冒険者は、常にそうでない一般人を見下していた。
かと思えば底辺みたいな冒険者は、今の俺みたいな弱者を虐めて悦に入っている。
そして今、俺自身もその一員だ。ああ馬鹿らしい。雑魚相手に怯えていた事が。こんな存在に「成りたい」などと、一瞬でも思ってしまった俺自身が。何もかもが馬鹿らしい。
「雑魚が。お前みたいな酔っ払いの手下になる? はははっ! いったいなんの冗談だ?」
「んだと、てめえ、死にてえのか!」
「だとしても難しいだろw、それともお前、俺を笑い死にでもさせる作戦か?」
ブチッと血管の切れる音が幻聴で聞こえるほどに、男はぶち切れた。ナイフを握る手に力が入り、投げつけるようなフォームで振り下ろされる。ブォン。半歩だけ身体をずらすと、鋭い鋼鉄がさっきまで俺の身体が有った位置を素通りする。同時に俺は矢筒から一本の矢を抜いて男の膝、防具の隙間に突き刺した。
ドスッ……鏃が衣服を貫き肌にまで届く鈍い感触が手に伝わってくる。
「イギッ! き、きさまぁぁ!!」
痛みと怒りで咆哮する男は矢の刺さった膝に一瞬だけ目線を送り、すぐに俺に怒りの形相を向けた。だが遅い。あまりにも遅い。その一瞬のすきに俺は弓を展開して矢を番え、弓弦を引き矢先を男の額に向け終えていた。
少しでも反抗を見せたら撃ち殺す。そんな意思を込めて睨み付けると、数秒遅れて男はナイフを取りこぼし両手を挙げて片膝をつく。冒険者と思われる他の酔客はぽかんとした表情を浮かべている。カウンターの男は相変わらず我関せずの顔をしている。おそらくここで俺が矢を放ち男を殺したとしても、彼は動じもしないのだろう。
俺は改めて目の前の男に意識を向けて、ゆっくりと喉を震わせる。
「まだなにか、俺に言いたいことが、あるか?」
青ざめた男が「いえ、ないです」と答えるのを聞きながら、俺は最後まで気を抜かず弓矢を構え狙いを定めたまま後ずさり、背中で扉を開けて外に出た。
鶴を緩めて矢の篦を握り、風属性を纏って地を蹴り宙を舞う。俺の足裏が建物の屋根に着くのと同時に、各々の武器を手に握った数名の男がギルドから飛び出すのを、俺は屋根上から静かに見下ろした。
「クソが、あのガキ! どこに消えやがった!!」
「探せ、まだ遠くまでは行ってないはずだ! 見つけ出してぶっ殺せ!!」
そんな喧噪を聞きながら、俺は屋根を飛び移りながらその場を後にした。




