1 転生
冒険者には、とにかく金がかかる。
強力な魔素に耐えられる道具や防具は高価なわりに、そのほとんどは一度や二度の冒険で破損する消耗品だ。
それだけじゃない。冒険者自身のトレーニングにも多額の費用が必要になるし、未開拓領域の情報を集めるためにも探索者に多額の情報料を支払う必要がある。
そのくせ奴らは節制という言葉を知らず、街に戻るたびに贅沢三昧を尽くす。ろくに稼ぎもせず、感謝もせず。まるでそれが当然の権利であるかのように。
俺の親父は、とにかく冒険者への投資に熱中していた。
商売で成功して一代で財を築き、政界からも注目されるはずなのに、息子である俺はろくな贅沢をした事がない。
なぜならばその儲けのほとんどは、家族ではなく冒険者に宛がわれたからだ。
家に招かれ深夜までどんちゃん騒ぎされるのを、俺と俺の母は屋根裏の小部屋に籠って眺めていた。
そんな母は、俺を残して早逝した。元々体が弱く、親父を支える無理が祟ったらしい。
それでも俺は、親父を恨むつもりはない。
親父は俺に、貴族すら羨むような厳しい教育を与えてくれた。それだけじゃない。商売で必要な知識や技術、人脈さえも、親父は俺にすべて継いでくれた。
親父が死んだとき、俺は自分でも驚くほどに、悲しんだ。
……そう、親父は死んだ。あまりにもあっけなく。酒に酔った冒険者が手繰る暴走した馬車に引かれて即死した。
朝になって都市警備隊が死体を発見するまで、誰も助けようとすらしなかったらしい。
葬儀の忙しさも落ち着き、これからどうしようかと途方に暮れる。
幸いにも商売の面では何一つとして問題が起こらなかった。それほどまでに親父の引継ぎは完璧だった。
親父という歯車が失われても、世界は何事もなく廻り続ける。
ただ一つ。今まで冒険者に流れていた資金だけが滞り、俺の手元に溜まり始めていた。
◇
親父の死から数日経ったある日のこと。
新代表として方々に指示を出していると、商会に一人の客が来たと連絡がある。
予約なしで来るような客を相手するほど俺も暇ではないのだが、親父の知人であると言われたら通さないわけにもいかず、やむを得ず仕事が落ち着くまでは応接室で待たせることにした。
早朝のピークを乗り越えた俺は「そういえば」と思い出したように客の元へ訪れる。
来客対応用に見栄を張った分厚く重い扉を開けると、煌びやかな装飾鎧を身にまとった美しい少女がソファから立ち上がり優雅に礼をした。
彼女は俺を見て頬を膨らませながら、カツカツと足音を立てて詰め寄ってくる。
「遅いわよ! このわたくし、Sランク冒険者のエレノア様を、いつまで待たせるつもりなの!?」
俺は(うげっ……来客って冒険者かよ)という気持ちを抑え込み、表情筋を無理やり動かして笑顔を創り彼女に向けた。
「これは、これはこれは。エレノア様、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ふんっ、あなた御父上から何も伺ってないのかしらぁ? わたくしは、Sランクの、冒険者ですのよ!?」
そう言ってエレノアは両手を腰に当て、平坦な胸を張って偉そうにする。
よく手入れされた、透き通るような金髪がふわりと揺れる様に一瞬だけ見惚れてしまいそうになるが、覚えがないのでキョトンとするしかない。そんな俺を見て、彼女は呆れたようにため息をついた。
「仕方がない小僧ですわね。いいですの? 冒険者が来たら支援金を渡すのが商人の常識ですわ。貴方の御父上は催促される前から十分な金額を謙譲する素晴らしい御仁でした。わかったらさあ早くお気持ちを差し出しなさい?」
良く言えば媚びることのない堂々とした立ち姿。
金をせびる側とはとても思えない態度に、俺は「ふっ」と小さく噴き出してしまった。
所作だけはそれなりに整っているが、その態度はまるで子供と変わらない。ふはは、馬鹿らしい。親父は何でこんなのを敬い金まで工面していたんだか。
失望する程度には何かを期待していたのかもしれないが、予想通り裏切ってくれたことには特に感慨もない。
俺は怒りで声を荒げることもなく、次の予定を考えながら彼女に向ける愛想笑いを止めた。
「話はそれだけか? 悪いが俺は忙しいんでね。用がないならこれにて失礼させてもらう」
「んまっ、待ちなさい!? あ、あなた、支援金は? 聞きませんでした? わたくしはSランク冒険者、ですのよ?」
「ああ、聞いてるよ。だが俺は親父とは違う。リターンもないのに投資をするほど馬鹿じゃない」
それだけ言って部屋を出ようと背を向けると、彼女は机に膝をぶつけながら慌てた様子で俺に近づいて来た。
「ま、まま、待ってくださいまし!? 何が不満ですの? わたくしに貢ぐこと以上に、何をお望みですの?」
「逆に聞くが、お前は俺に、何を提供できるんだ? 悪いが俺は、親父ほど勇者に憧れちゃいないんでね」
「そんな、そんなの聞いていませんわ! わたくし、そろそろツケを払わないといけませんの! お、お願いです。せめて金貨5枚でも構いませんの。ねえ、Sランク冒険者がお願いしているんですのよ?」
せめてというには大きすぎる金額に、呆れを通り越して俺は思わず苦笑する。
うちの商会では、幹部クラスの人材が半年働いてようやく金貨1枚程度の給金を出せる。一般人なら金貨なんて高額硬貨は生涯お目にかかることもない。金貨5枚というのがどれほどの大金なのか、この小娘は気にしたこともないのだろう。
もちろん商会の金を工面すれば、用意できない額ではない。だが今の俺に、そこまでしてこの冒険者のご機嫌を取る理由は見出すことができなかった。
無視してドアノブに手をかけ退出しようとしたところで「待って!」と呼び止められる。仕方なしに振り返ると彼女は悔しそうな表情をしながら、ようやく、ゆっくりと頭を下げた。
「お、お願いです! このまま滞納し続けると、奴隷に堕ちてしまうんです!!」
「悪いがそんなことは、俺の知ったことじゃない」
「素材! 魔界で採取した素材を譲りますっ!」
「要らないね。とてもじゃないが加工前の素材では金貨1枚の価値もないし、そもそも横流しは違法だろ?」
「依頼を受ける! 無料で冒険者の仕事を奉仕しますから!!」
「あのな、お前……仮に一度か二度、無給で仕事したとして、それでまた整備費が必要になるだろう? それを支払う当てはあるのか。それとも永遠にタダ働きを続けるつもりか? 馬鹿が……」
「それは……」
「そもそも、だな。お前がSランクなんて大層なものになれたのは親父が馬鹿みたいに金をつぎ込んだからこそで、お前自身なんてそこまで大したものじゃないからな? なんで親父がそこまでお前ら冒険者なんて穀潰しに入れ込んだのか俺は知らねえが、そんな酔狂に付き合うほど、俺は親父にも冒険者にも心酔しちゃいない。いや、親父のことは尊敬しているが……俺は親父ほど馬鹿じゃない。わかったか、わかったらもう帰れ……」
「お前、泣いてるのか?」
エレノアに言われて、初めて俺は頬に熱い液体が流れているのに気が付いた。
なんでこんなことになっているのか俺自身にもよくわからない。
目尻から零れたそれを袖で拭い、俺は彼女に背を向ける。
「帰れよ。いくら待っても、金は渡さない」
「金はもういい……だがわたくしがお前を泣かせてしまったのなら、謝らせてほしい」
「泣いてない、俺は泣いてない。謝罪はいらないからもう帰れ」
「どう見たって泣いてるじゃないか! わたくしはSランクの冒険者だ。冒険者には冒険者の矜持がある!」
「矜持? 矜持だと、俺からすべてを奪っておいて、今更矜持だと!? ハッ、笑わせる。どこまで行っても結局は冒険者だな! わかった、金はやる。この業突く張りな冒険者風情め。金などいくらでもくれてやるからもう二度と、俺にその意地汚い顔を見せるな!」
俺は懐から金貨の入った袋を取り出して、彼女の足元に投げつけた。ガシャンと硬貨の擦れ合う音がする。金貨が十枚は入っていたと思う。だがどうでもいい。むしろ使い道もなく持て余していた資材の廃棄にはちょうど良い。
部屋を出る俺に彼女は一瞬だけ手を伸ばしかけたが、戸を閉ざすとそれ以上追いかけてくることは無かった。
どうせ金を使い切ったらまた来るのだろうが、その時は中に通すこともさせはしない。冒険者の来客は門前払いするようにと、受付に伝えておくことにしよう。
◇
数か月が経った。
あれ以来あの女が商会を訪れることは無く、気づけばSランク冒険者エレノアの名を噂に聞くこともなくなっていた。
冒険者らしく魔界のどこかで命を落としたか、金を使い果たして奴隷にでも堕ちたか。いずれにせよろくな人生じゃないだろう。冒険者なんてのはそんなものだ。嗚呼馬鹿らしい。
エレノアに冒険者という夢を見せたのは俺の親父だ。そういう意味ではあいつも、俺と同じ被害者なのだろう。
そんな感慨に耽っていると、炎の熱で割れた窓の向こうから無数の悲鳴が聞こえてきた。
「だめだ、災害竜が来る! もう間に合わない、救出は諦めて逃げるんだ!!」
商会で雇っている傭兵長の声だ。
書斎で仕事をしていた俺は倒れてきた本棚に潰されて、完全に逃げ遅れていた。
黒い炎は大理石にさえ燃え移り、何もかもを灰に変えていく。熱っぽい煙が充満し、意識が遠のいていく……ああ、助からないな、これは。
これはきっと冒険者への支援を怠った俺に対する罰なのだろう。
もしもこの場に彼女がいたなら……「ははっ」馬鹿馬鹿しい。
バラバラと目の前に、本棚から冒険譚が零れ落ちていく。目を背けることも出来ない俺の視界に、勇者の善性を見せつけるかのように。
「くそっ、分かってるよそんなこと……」
俺は、冒険者のような自由な生き方に憧れていた。
だけど商人の生まれに過ぎない俺に、そんな選択肢が用意されることはなかった。
もしかしたら羨ましいと思っていたのかもしれないが……後悔してどうにかなる話ではない。
俺が死んだら……弟が生き延びていれば商会を継ぐことだろう。
俺とは違い、商才は今ひとつだが冒険者への憧れは人一倍な弟のことだ、俺が廃止した冒険者支援をすぐにでも再開することだろう。
ああだとしたら「来世はいっそ冒険者として生きたいものだ……」そんな呪詛を現世に遺し、俺の魂はこの世から離脱した。
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ということを、15歳の誕生儀を迎えた俺は唐突に思いだした。
「ルイン、どうしたの? ボーッとしてたけど、大丈夫?」
今世の幼馴染みであるヘレンが、教会のステンドグラスに目を奪われていた俺の顔を、正面から覗き込んでいる。
そうだ。15歳になった俺とヘレンは産まれて初めて村を出て、都会にある教会を訪れていた。
ここで俺達は成人になった証として、今まで封じられていた『スキル』を解放されることになっている。
「……ぉほん。若者達よ、よくぞここまで育った。教会を代表してお前達を祝福しよう」
硬く威圧的な声が響き、祭壇を背にした初老の男性神官が大きく手を広げた。
俺と同い年の少年少女は雑談する口を閉じ、彼へと真っ直ぐに心を向ける。
教会が沈黙に包まれるまで黙っていた神官は、満を持したように顔を上げ、柔らかい笑顔を浮かべた。
「それではこれよりスキルの開封を行う。神より与えられた無垢な種が15年を経てどのように育ったのか。はてさて楽しみだ。それでは一人ずつ、祭壇へ登るのだ……」
神官の言葉に従って、最前列に座っていた一人の少年が祭壇に登った。
バチッ……雷が走るような明滅とともに、少年からオーラが噴き出した。近くに控えていた鑑定士による観測が行われ、結果が神官に伝えられる。
「お主は鍛冶師の息子であったな。『炎属性』と『土属性』に強い適正を持っているようだ。これからも家業に励むと良いだろう」
そう伝えられた少年は、少しだけ不満そうな顔をしながら「ありがとうございます」と恭しく頭を下げた。
もしかしたら本当は鍛冶師以外の人生を望んでいたのかもしれないが、彼の内心など俺には知りようがない。
そうやって一人ずつ封が剥がされていく。
今世の俺は田舎の猟師の一人息子だ。
猟師は『風属性』に適正が出ることが多く、そうなれば俺も猟師を継ぐことになるだろう。
一足先に儀式を終えた細工師の娘であるヘレンは、高い『鉄属性』の適正を持っており、家業を継ぐように伝えられた。
俺の番が来る。
バチッ……パチッ!
俺が祭壇に登ると、大きな雷鳴に重なるように静電気が弾けるような音が聞こえた。
観測と鑑定が行われ、その結果を神官が聞く。彼は口を開く前に俺を見て苦い顔をして、溜息を吐いてから顔を上げた。
「お主は……ルインと言ったか。この、親不孝者め!! 猟師の息子でありながら『闇属性』などに染まるとは!」
神官の叫びを聞いて、教会内がざわざわとした声に包まれる。
詳しく聞くと、俺の属性は猟師として十分な『風属性』に加え、それを遙かに上回る『闇属性』があったらしい。
猟師とは野生の命を頂き、人の世に循環させる仕事であり、教会が邪悪と認定する『闇属性』の使い手に担えるような仕事ではない。
「ルインよ、お主には猟師を継ぐ事を禁止する!」
神官はそう言って近くの衛兵に合図を送る。
俺は祭壇から引きずり下ろされ、そのまま教会の外に放り捨てられた。




