第二話
俺が3歳になった、ある春の日のことだ。
リビングのソファからふと窓の外を見ると、庭の家庭菜園の土の中に、母の首から上だけが生えていた。
「……」
俺は持っていた幼児用マグカップを静かにテーブルに置いた。
頭にジョウロを乗せ、目を閉じて恍惚とした表情を浮かべる母・桜子。間違いなく、世界最強の空間歪曲魔法の使い手である彼女が、庭に垂直に埋まっている。
そこへ、スーパーの袋を提げた父・ノイマンが帰ってきた。
「ただいまー。ジョセフ、お母さんは……って、桜子ォオオオ!? なんで庭に埋まってるの!?」
「あら、おかえりなさいダーリン。しーっ、静かに。今ね、光合成の真っ最中なの」
「人間は光合成できないから!!」
「昨日ね、テレビで『美味しいニンジンは土の気持ちを知っている』って農家のおじいさんが言ってたのよ。だから空間転移魔法で、自分の体を土の中に……」
「世界最強の魔法の無駄遣い!! 近所の人に見られたら『あそこの奥さん、ついに野菜になった』って通報されるから!」
「えー? でも見てダーリン。さっきからモンシロチョウが私の鼻の頭に止まって……あっ、ふぁ、ふぁっくしょん!!」
ズドォォォォン!!!
くしゃみと共に無意識に暴走した規格外の魔力が、庭の土をクレーターのように吹き飛ばした。土煙が晴れると、泥まみれになって白目を剥く父と、何事もなかったかのようにちょこんと座る母の姿があった。
「あーあ、せっかく根を張りかけてたのに。今日の夕飯、光合成エネルギーで作ろうと思ったのに」
「……普通に、買ってきた豚肉を、焼いてください……」
呆然とする父と、ケラケラと笑う母。
窓越しにその光景を見て、俺の口から「あははっ」と、3歳児らしい純粋な笑い声が漏れた。
前世で背負った、あのすべてを焼き尽くした炎。そして、失った君の記憶。
過酷な運命を抱え、罪悪感に押し潰されそうになっていた俺の魂は、このトチ狂った、けれど誰よりもあたたかい両親の存在に深く救われていた。
――だからこそ。
その日の夜。俺は、真剣な顔で両親に向き直った。
あの悲劇を引き起こす『魔導論理機構』の中枢に辿り着き、すべてを破壊するためには、正規のルートで圧倒的な権力を手に入れる必要がある。
「お父さん、お母さん」
俺が口を開くと、二人が少し緊張した面持ちになった。
「俺、魔法学校に行きたい。一番難しいところの、特別早期入学枠で」
「ジョセフ……お前が天才なのは分かっている。でも、まだ3歳だ。そんなに急いで大人にならなくても……」
父の不器用な心配がいじらしく、胸が痛む。本当の理由は言えない。だから俺は、この世界で一番平和で、彼らを安心させられる「嘘」を吐くことにした。
満面の、無邪気な笑顔を作って。
「だってね、俺……お母さんみたいに、強くてかっこいい魔法使いになりたいんだ!」
ピタッ、と。
リビングの時が止まり――次の瞬間、母の目からナイアガラの滝のような涙が噴き出した。
「うわああああん!! ダーリン聞いた!? クールなジョセフが、私に憧れてるって!! ああもう、お母さん嬉しすぎて、今すぐ富士山をピンク色に染めてきちゃう!!」
「やめろ桜子! 国家反逆罪になるから!! でも……そうか。ジョセフ、そこまで言うなら、お父さんは全力で応援するよ」
泣き叫びながら抱きついてくる母の豊かな胸に顔を埋めながら、俺はそっと瞳を伏せた。
ごめん、お父さん、お母さん。俺はあなたたちの純粋な愛を利用する、卑劣な息子だ。
でも、必ず守ってみせる。迫り来る破滅から、この愛すべき狂った日常を。




