第零話
これは、戦争が始まる前の記憶。俺は、王家の長男だった。文字通り、第一号というわけだ。
この俺には、名前がない。そもそも、この世界の王族は家の名前の後ろに、なんとか号いう感じで、数字をつけて呼ぶため、名前などいらないし、あっても困らないと、思っていた。
エリーゼ、君に出会うまでは。
エリーゼは、俺に対して、いつもこう言っていた。
「私が魔法少女なら、その冷徹なお父さんの顔面を、ステッキで叩きに行くけどね☆ どりゃー、おりゃーってね! ありゃ? どうしたの? その困った顔は」
君は、いつも物怖じしない。いや、恐ろしいほどに、物怖じしなさすぎる。そのおしとやかな格好と見た目で、いつも恐ろしいことを言ってのける。
ハハッ。エリーゼ、君はなんて奴なんだ。
だけど、それは不敬罪だろ。愛しのエリーゼ。
▼△▼△
戦争が起こる前、俺は王ではなかった。
そのため、本当に名前はなく、番号で呼ばれていた。
だから、エリーゼ、君のような素敵な名前が、羨ましかった。
いつしか、君のように、馬鹿になりたかった。おしとやかな顔で、いつも街なかの道で猫と一緒に寝そべったり、街路樹になりきるとか言って、街路樹と同化するために茶色の服と緑の帽子をつけてみたり……
いや、ただのヤバいやつだろ。これじゃ。
まあ、でも。実を言うと…
良かったことは、ある。
エリーゼが花畑の近くに植えてあった大きな樹の幹に掴まりながら、極東のセミのモノマネをしているのを見て、夏の到来を感じた時の話だ。
俺は、お日様の光が差す中で、花畑の中でてんとう虫と戯れていた君の青空のように透き通った瞳を見て、確信した。
ーー俺は、君が好きだ。
俺は、君を抱きしめる。抱きしめて離さない。
君の表情の一つ一つが愛おしい。
地中に埋まり、光合成しようとする君も。
落ち葉をムシャムシャと食べる君も。
その全てが愛おしい。
「俺は、君を一生かけて幸せにする」
俺は、そう君に約束した。
「はい! あなた!!」
エリーゼは、そう言って、純白の笑みを浮かべた。
しかし、俺は約束を守れなかった。
君とのこの日々を守るという約束を。
▼△▼△
俺は、普通の家庭を持ち、とびっきりの愛情を子供に注ぎ、世界にたった一つだけの名前を子供につけて、俺達の子供の成長を見守りたかった。
だから、俺はエリーゼとの婚約を許してもらうために、父さんの執務室に向かった。
……なのに。
「駄目だ。1号。お前は、王室から抜けて、平民の娘と婚約するなどあってはならん。特に今、極東の帝国との仲は最悪だ。だからこそ、お前はこの王家だけでなく、国を背負わなければならないのだ。お前が、戦争を止めるのだ。この国を平和にするのだ。良いな?」
俺とエリーゼの婚約は、父親の国王陛下に反対された。全くもって、まっとうな理由だった。俺には、役割がある。俺は国を存続させ、民を守り、戦争をとめるための歯車なんだ。必要な犠牲なんだ。今までは、そう言い聞かせていたし、この父親の要求も飲んでいただろう。
でも、もう無理だ。
もうエリーゼの腹の中には、俺達の子供がいるのだから。
だから、俺は嘘をついた。
「はい、父さん。父さんの命であれば!」
父親と王室の警戒を、薄めるためについた、真っ赤な嘘だ。
その時、目は笑っていたが、心は笑ってなどいなかった。笑えるはずがない。俺は今から、国を捨て、一人の女と夜逃げするのだから。
そして、俺は本当にこれで良いのかと思いながらも、その日のうちに夜逃げするために、秘密裏に荷支度の準備をしていた。
そんな時、あまりにも聞き慣れない音がした。
それは、鉛玉が破裂するよりも、爆発魔法が炸裂するよりも、大きな音。
俺は、その音とともに生じた爆風という名の風圧に、飛ばされる。
辺りに王宮の硝子の破片が、俺の脚の鮮血とともに飛び散る。
ーー何が起きた?
俺は、辺りを見渡す。
身体中を怪我しながら、逃げ惑う王宮の人々。
そして、俺の脚の傷は軽傷だ。
こんぐらいなら、魔法を使えない俺でも、立てる。
治癒魔法がなくても、歩ける。
そして、俺はなんとか足を引きずり、壊れかけの壁の手すりを頼りにしながら、ボロボロになった王宮の外に出る。
しかし、そこにあったのは焼け野原。さっきまで、花畑があったのに。たくさんの虹色の花が咲き誇っていたのに。今は、向日葵が一本、かろうじて咲いているだけだ。
花びらが焼け焦げている。人々が、苦しんでいる。燃えている。血すらも、肉すらも、骨すらも、黒く燃えている。
その殆どが、息をしていない。生気を、発していない。
ーーなんで、こんなことに……
俺は、足を引きずりながら、その爆風を免れた一本の向日葵の近くに行こうとする。
しかし、その時、俺の足元から、聞き覚えのある優しい声がした。
その声は、あまりにも絶え絶えで、この向日葵と同じように、今にも風に吹き飛ばされて消えてしまいそうだが、それでも凛としていた。
芯が通っていた。
俺とは違う、色鮮やかな花。そんな花を髪につけ、飾っていた俺の恋人。
君の、エリーゼのアクセサリーの花は、もう黒く焦げていた。枯れてしまっていた。
「君の名前は……ジョセフ………それが良いよ……」
彼女は、今にも、散ってしまいそうだ。
俺は、何度も、何度も、彼女の名前を呼ぶ。
それでも、彼女の身体が、だんだん冷たくなっていくのは、何故だろうか。
こんなにも、生きて欲しいと思っているのに。
こんなにも、愛おしいのに。
こんなにも、苦しいはずなのに。
「なん……で? エリーゼ…!! いつものように笑えよ!! ふざけろよ!! どうして…!! 君の瞳は……エメラルド色で…… どうして、こんなにも……美しいんだ」
どうして、君は、俺なんかのために、微笑んでくれるのだろうか。
彼女の肌の温度が失われていく、その中で。焦げた肉の匂いと、血の匂いが嗅覚にこびりつく中で。
それでも、君は瞳から露をこぼしながら、目を細めてくれるのだろうか。
「ねえ、ジョセフ……聞いて。この名前を、忘れないで。……そして、ごめんね。『今回』も、守れなくて。そして……お願い。私を、殺して。そして、この戦争を、止めて」
ーー『私』を殺して。
それは、君の全てを込めた最後の言の葉。
この時の俺は、その言葉の意味が、あまり良く分からなかった。いや、分かりたくなった。君を殺すなんて、絶対に嫌だからだ。
だが。その言の葉を俺に届けてから、その花は、咲くのをやめた。
自ら、散ることを選んだのだ。
彼女は、最期まで咲いていたあの向日葵が散るのと同時に、息を引き取った。
そして、それから、俺が国王となり、その一日後。
あの魔導爆弾が投下され、戦争は終わった。
そして、それから。
俺は、地下壕の薄汚い部屋にいた、ある預言者によって、知らせることになる。
エリーゼ。君の死の真相を。
△▼△▼
だが、血反吐の出るような、悪趣味な夢はそこで終わった。
俺は、ベビーカーの中で起き上がると、大きくあくびをしながら、幼い手で目を擦る。
ーーこれは、夢じゃない…よな?
この日本の家で目覚める度、何度もその問いが、頭によぎる。
そして、そういった時に限って、俺はベビーカーに乗りながら、家の中で今ハマっているらしいドジョウすくいをしている母親と、奇行を止めようとしている父親を見ていた。
ーーああ、またやってるよ。世界最強の魔法使い。またの名を、母さん。この人も、ただの変人だろ。
だが、どこかエリーゼの面影がある。そんな気がしていた。
母の口紅がついた積み木を強く握りしめた俺は、唇を噛み締めながら呟く。
「待ってろよ。エリーゼ。何度生まれ変わっても、君を殺すから」
今度こそ、己の選択を間違えない為に。




