#71 悪夢と記憶
────最近、夢を見る。
毎日毎日、同じ夢だった。原因は分かっている。その夢は、決して気持ちの良いものではなかった。
無機質な部屋と、微笑みを向ける顔の分からない女、赤黒い血の色、騒がしい声、けたたましく鳴り響く警報────そして、燃えるように熱い体。
それらが全て虚構ではなく自身の記憶であると、フォレンは理解していた。
フォレンは、ついこの前までこれらの記憶を知らぬ間に封印していた。心の奥深くに、固く蓋をして押し込めていたのだ。それを、我が身に宿る悪魔によって解かれた。それは自身の力を取り戻すことに繋がったが──────代わりに、フォレンは安寧を失っていた。
毎朝起きると息が上がっている。何度も同じ夢を見ているのに、夢の中の自分はその事態に慣れはしない。毎回毎回、同じことを繰り返す。怯えて逃げる。そして結果はいつも同じだ。
どうしたらこの悪夢から逃れられるのか。この夢以外を見た覚えがない。お陰でまともに眠れている気がしない。確実にフォレンは精神的に参っていた。
……そしてここ数日、夢の終わりに新たに声が聞こえるようになった。
『深い深い闇の力。お前のその力を、俺にくれよ』
聞き覚えのある声だった。その正体に心当たりがある。だが、訊けないでいる。怖いからだ。何が起こるか。
────神暦38326年6月18日────
「フォレン」
車椅子を押しながらイヴレストの通りを歩いていると、レイミアが話しかけて来た。
「……何だ?」
フォレンが答えると、レイミアは物憂げな顔をした。彼女は歩けなくなったが、それでも気丈に振る舞っていた。彼女がそんな顔をするのは珍しい。
「最近、何だか暗い顔をしてない?」
「……そうか?」
「うん。前より笑わなくなったよ」
言われてフォレンは、口元を押さえた。彼女の前では明るく振る舞っているつもりだったが……。
「もしかして、記憶のせい?」
レイミアはそう訊いてくる。思わず足が止まった。フォレンは言葉に詰まる。レイミアが上体を捻ってこちらを見て来る。
「……隠さないで。あなたが忘れてたことが、辛い記憶なのは知ってるよ」
「……お前には全部お見通しか」
フォレンはため息を吐く。心配させたくなかったが、正直に白状することにした。
「実は最近、あまり眠れてないんだ」
「やっぱりね。日中いつも眠たそうだし、口数も少ないし」
「ずっと……昔の夢を見る。毎日同じ夢だ。夢の中の俺は酷く怖がってて────夜、その思いをしたくなくて眠りたくなくなる」
でも、眠気には抗えない。いつの間にか寝落ちている。そして夢を見て、目が醒める。
「……そっか。フォレンが安心して眠れるように、添い寝してあげよっか」
「それは……ちょっと危ないかも」
ベッドは狭いし、脚が不自由なレイミアが落ちでもしたら大変だ。壁側にしたって……少し不安である。
「……ロレンから全部聞いたって言ってたけど、どこまで聞いたんだ」
「ん。フォレンとロレンがその、“ノア・フリューゲル”ってところにいて、仲間割れして、逃げて来て……それでフォレンが大怪我したって話。うちに着いた時には高熱出しちゃって……目覚めたら、何にも覚えてなかったね。……記憶を失くしてから、人が変わったようだって、ロレンは言ってたよ」
「…………」
レイミアが語ったこと。ロレンがかつて彼女に語ったこと。それが全てだとしたら、それはフォレンを苛む記憶の全てではない。
「あと……黒い翼のこと」
「!」
レイミアの言葉に、フォレンはハッとして顔を上げる。
「軍で、あいつと戦ってた時の。黒い靄みたいな翼……ロレンがあの時言ってたものだって、思ったの」
「……あれは……」
「ロレンもそれについてはよく分からないって言ってた。……あれは、何なの? フォレン、憑神してる?」
隠し事。いつの間にやら彼女に色々重ねている。全てを話してしまえば楽になるのだろうか。でも、とフォレンは思う。……知られたくない。過去の自分のことを。
「……憑神は、してる」
「そうなの」
レイミアはフォレンを責めたりしなかった。ただ、不満げな顔をフォレンに向けていた。言葉にこそしないが、「何で言ってくれなかったの」とその目が言っている。
「でも……」
────イーサイルと戦った時。あの時は一度クザファンの力を使った。イヴレストまで帰って来る時も。実体のある鴉のような翼だった。クザファンの力を使えば、髪色も変わるし、彼の特徴である片角も生える。────だが、コリエと戦った時は違った。
……分からない。あの力が何だったのか、自分でも分からないでいる。ただ、自らの内に湧き上がる黒い力をそのまま解放した。
『本当に分からねェのか?』
内から夢と同じ声がする。フォレンがムッとすると、声はクックと笑った。
あの日から二週間余り。フォレンの中でギシギシと、何かが軋みながら回り始めようとしていた。その正体を、掴みたいような、掴みたくないような。今はまだ軋んでいるだけのそれが回り始めた時、恐らく自分は─────終わる。
「フォレン?」
「!」
黙ってしまっていたフォレンを、レイミアが心配そうな顔で見上げている。フォレンは車椅子のハンドルを握り直して無理矢理笑った。
「……そろそろ帰ろう。日が暮れる」
レイミアは答えなかった。不安そうにフォレンを見ていたが、車椅子が動き始めて彼女は体の向きを戻した。
と、その時。不意に後方から声がした。
「やっと見ィつけたッスよー……」
「!」
振り向けば、忘れるはずもない。つい先日見た────レイミアをこの体にした張本人がそこにいた。
「コリエ・ドロウス……何でお前が……」
「死んだと思ったスか? いやいや残念、この通りピンピンしてるッス。そっちも元気そうスね。また厳つくなって」
と、コリエはフォレンの右目の眼帯を見て笑う。そして彼は車椅子のレイミアを見た。
「なあんだ。そっちも生きてたんスね。でも歩けなくなったかー、さすがに。こりゃチャンスッスね。動けない彼女庇いながら戦えないっしょ」
車椅子から手を離して、フォレンはコリエの方を向く。挑発だと分かっている。だが、許せない。怒りが湧き上がる。
「お前一人なら大したことねェよ。またボコボコにされに来たのか」
「やだなぁ、誰が一人で来たなんて言ったんスか」
コリエは笑ってそう言った。気配にハッとしてフォレンが振り向くと、レイミアの側から男女が二人現れた。男の方にはフォレンは見覚えがあった。……とは言え、子供時代の面影ではあるが。
「……クロフェア……か?」
「…………久し振りだな、フォレン」
昔と変わらず無口な彼はそれだけ答えた。クロフェア・ブライユ。昔から影のある少年だった。今もその雰囲気はあまり変わっていない。彼が現れたことで、フォレンは取り戻した自らの過去に一層現実味が帯びるのを感じた。……夢じゃない。自分を蝕むものは紛れもない現実だ。
クロフェアの隣には見知らぬ白髪の女がいる。クロフェアとは相対的な雰囲気だ。
「……お前の相棒か」
「そんなところだ」
なんとはなしにクロフェアはそう答えると、視線だけを女の方へ向けた。女は腕を組むと口を開いた。
「フュライト・レグルスよ。フォレン・レミエル、あなたのことはよく聞いてるわ」
「……ふぅん。あんなのに新しく賛同してる奴がそこそこいるんだな」
「まさに裏切り者って感じね」
フュライトはそう言って首を傾ける。さてどうするか、とフォレンはレイミアを気にしながらコリエの方へ視線を戻した。と、その袖をレイミアが引く。
「……何だよ」
「私なら大丈夫。動けなくても力は使える。防御くらいは出来るよ」
「でも……」
「フォレンの荷物にはならない。……あの人のことは捕まえられないから、フォレンはあいつをなんとかして」
と、レイミアはコリエの方を目で指した。
「…………」
「何スか、なんの相談スか?」
「!」
コリエが襲い掛かって来た。手には短剣。前に戦った時と同じそれを、フォレンは左手で受ける。
「……その手は効かねェって、学ばなかったか」
「毒は効かなくても、刺したら死ぬッスよね?」
キリ、と腕が音を立てた。
「あと……後ろの二人忘れちゃダメッスよ」
「……っ!」
背後に気配を感じた。クロフェアだとフォレンは直感で感じた。
一気に力を抜いて、横に転がってコリエとクロフェアの間から抜ける。フォレンの元いた場所を、クロフェアの拳が空を切る。その拳のすぐ側を、コリエの短剣が通過した。
「……危ない」
「ごめんごめんス」
つ、とクロフェアの顎に細剣が向けられる。気がつくとレイミアの手に彼女の剣が握られていた。ハッとしているクロフェアの足下からめきめきと蔦が生えて彼を縛り上げた。が、その体が闇になって消える。少し離れたところでクロフェアが実体化する。
「……闇の守護者……」
レイミアが忌々しげに呟く。クロフェアは警戒した目をレイミアへ向けている。戦闘体勢な彼女を見て、コリエは目を細める。
「んん……思ったより動ける感じスか……?」
「動けなくても出来ることはたくさんあるわよ。あなたまた体をズタズタにされたい?」
「ズタズタにはなってないスけど、確かに気分はよくないスね、あれ」
そんなことを言っているコリエに、フォレンは掛かって行く。繰り出された上段蹴りを屈んで避けて下がる彼に、フォレンは言う。
「よそ見とか余裕そうだな」
「そんなわけないじゃないスか!」
突き出された短剣を左手で弾き、代わりに右拳を鳩尾に向けて叩き込む。さらに下がって避けたコリエはフォレンの右腕に短剣を突き立てた。
「!」
「ほら先制!」
血が飛び散る。焼け付くような痛み。毒は効きこそしないが痛みは多少増幅されているようだった。痛みを振り払うように、フォレンから闇の力が溢れる。体の周りを黒い靄が覆った。それを見たコリエは笑う。
「おやおや……怖いッスね」
コリエの手にした短剣が、淡く白い光を帯びる。
『気をつけろ、大精霊の力を使ってくるぞ』
(分かってる)
クザファンの忠告に軽く答えながら地面を蹴る。コリエが飛ばして来た水を靄が打ち消す。フォレンの身を斬り裂こうと振られる短剣を左腕で防ぐ。キンキンと火花が散る。大きく横に振られた短剣をフォレンは屈んで避けると手を地面につきコリエの顎を蹴り上げる────が、バク転して躱したコリエは左手を素早く振り下ろした。
「“水牙”」
鋭く尖った水の塊がいくつも飛んで来る。一つ一つが淡く白い光を纏っていた。いくつかを弾き、いくつかを避けながらフォレンは前進する。左手を強く握り締め突き出す。コリエの短剣がそれを弾く。ガラ空きになった胸元に、ぬめりと気味悪く光る短剣が迫る。
「……ッ!」
右手で受けた。掌を刃が貫通し、酷く痛む。しかしフォレンは怯まずその短剣越しにコリエの手を掴んだ。コリエが聖なる力を込めるより速く、左の膝蹴りを繰り出す。それと同時に短剣が手から抜ける。ぼたぼたと垂れる血にも構わず、フォレンは倒れたコリエの頸を踏みつけようとした。だが、その時反射的にフォレンは左手を振る。その手に当たって何かが地面に落ちる。見れば投げナイフだ。それが飛んで来た方を見た。
「……投擲技術は健在か。いや、昔より腕を上げたな」
「……コリエを放せ」
クロフェアが静かにそう言う。フォレンは笑った。そして一つ息を吐くと僅かに足に力を込めた。足元のコリエが慌てた声を出す。
「わ! 待って待ってそれはさすがに死ぬッス!」
「なあ。俺はただ平穏に暮らしたいんだよ。お前らの邪魔をするつもりもないし、この暮らしを邪魔されたくもない。今ならまだ間に合う。俺の目の前から消えろ」
「……裏切り者は許さないと、ディエゴは言った。俺だって許さない。お前は……仲間を一人殺して逃げた」
クロフェアの言葉にフォレンは目を細めた。上を向いて、そして顔を右手で抑える。自らの血の臭いが鼻につく。
「そうだった。……そうだったな。……何で一人だけにしたんだろう。お前ら全員、殺してしまえば良かったのに」
「フォレン!」
レイミアが叫ぶ。フォレンは右手を振り下ろすと彼女の方を見た。
「……レイミア。分かってくれよ。俺たちのためだ」
「ダメ! 絶対ダメ! フォレンあなたは……!」
「俺の何を知ってる!!」
空気がビリリと震えた。足元のコリエも、レイミアも、クロフェアもフュライトもびくりとした。
「……フォレン……」
「……面倒だ。全部。まずはお前からだ。死ねよ」
「!」
コリエは息を呑んだ。その瞬間、光の筋がフォレンへと飛んで来た。フォレンの周りに溢れた闇が、それを捉えた。
「フュライト!」
クロフェアが叫ぶ。実態化した闇がフュライトの首を捉えていた。右手には短剣。フォレンに向かって振るが、届きはしない。
「ぐっ……!」
「どいつもこいつも……」
その時だった。突如フォレンの左胸に痛みが走った。闇が解ける。目を落とすとコリエの短剣が刺さっていた。柄の方に集まった水がどんどん膨らんで、やがてコリエの形になった。実体化し笑うその顔見た途端、フォレンはコリエを突き飛ばした──────つもりだった。コリエの体は少しも自分の目の前から離れなかった。代わりに、生温かい感触が、フォレンの右手にあった。
「コリエ!」
解放されたフュライトが悲鳴を上げる。コリエの顔が驚きと苦痛に歪んで、血を吐いた。フォレンは無意識のうちに右手を引いた。手が、真っ赤に染まっていた。自分がコリエの腹を貫いたのだと、理解したのはコリエが倒れてからだった。
血が紅く地面を染め上げて行く。周りの音が聞こえない。自らの鼓動が大きく耳に響いた。頭が痛い。フュライトに続いてクロフェアもコリエに駆け寄って来て、こちらを見てギョッとした顔をした。ゆるりと視線を移したその先で、レイミアも酷く怯えた顔をしていた。
何かが、何かが腹の奥から込み上げて来る。フラリとよろめいて、胸に手を当て、そして真紅の手を見る。自然と口角が上がる。
『そうだよ……それがお前なんだよ』
また、夢と同じ声がする。気が付けばフォレンは笑っていた。ひとしきり狂った声で笑ったあと、フォレンの意識は闇に落ちた。
『お前は悪魔の仔だ』
知らない、でも、確かな記憶の中の声が、フォレンの中に響いた。
#71 END
To be continued...
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