第一話 来年、店を閉める
【登場人物】
◾️内海 ヨシエ(うつみ・よしえ)
78歳。内幸町の占い師。
本作の主人公。毒舌で歯に衣着せぬ物言いをするが、困っている人間を見ると放っておけない。
易経に通じ、タブレットを使って西洋占星術も扱う。長年の経験から、人の言葉の裏にある本音を見抜くのが得意。
丹後半島の出身。五人きょうだいの二番目。
蕎麦処 権堂の常連で、店主の忠雄とは長年の付き合いがある。店を閉めると聞き、後継者問題に首を突っ込むことになる。
◾️ 権藤 忠雄
73歳。蕎麦処 権堂の店主。
神谷町で長年蕎麦屋を営んできた職人。若い頃は「ちょっといい男」と言われた。
妻を二年前に亡くし、現在は店を守りながら暮らしている。
三人の娘がいるが、誰も店を継ぐことを決めていなかった。次女の夫である衛が継ぐ意思を示しているものの、修業や経営の負担を考えると、簡単には決断できない。
自分が店を続けられる年齢にも限界がある。家族に苦労をかけず、長年通ってくれた常連客にも納得してもらえる形を模索している。
◾️ 権藤 真理子
48歳。忠雄の長女。
二年前に離婚。中学三年生の息子を育てるシングルマザー。
自分の仕事と子育てがあり、実家の蕎麦屋を継ぐことは簡単ではない。
◾️矢田 美奈子
43歳。忠雄の次女。
矢田衛の妻。父親の店をどうするべきか、夫の希望と父親の負担の間で難しい立場に置かれる。
◾️矢田 衛
40歳。美奈子の夫。
洋食屋で働く料理人。
義父の蕎麦屋を継ぎたいと考えている。しかし、洋食の調理経験があっても、蕎麦打ちや茹で、出汁の技術を一から身につけなければならない。
店を継ぐ意欲はあるが、忠雄が長期間にわたって修業を支えられるのかという問題がある。
◾️ 矢田 愛
13歳。美奈子と衛の長女。中学一年生。
◾️矢田 剛
7歳。美奈子と衛の長男。小学二年生。
◾️矢田 透
7歳。美奈子と衛の次男。剛の双子の弟。
小学二年生。
◾️権藤 奈緒子
38歳。忠雄の三女。
来年、結婚する予定。
自分自身の人生の節目を控えており、父親の店を継ぐという選択は現実的に難しい。
◾️ 片丘 由芽子
69歳。蕎麦処 権堂のパート従業員。
忠雄の亡き妻の知人。妻が亡くなった二年前から、店で働くようになった。
自身の夫も一年前に亡くしている。
店の事情を身近で見ており、忠雄の苦労や常連客の思いを知る人物。
【 物語のテーマ】
「暖簾を残すことと、人生を残すことは同じなのか。」
店を継ぐことだけが、店を愛する方法ではない。
ヨシエは、店主、娘たち、娘婿、そして常連客の本音を見極めながら、一軒の蕎麦屋の未来を考えていく。
毒舌占い師、ヨシエ算段は、果たしてどこへ行き着くのか。
第一話 来年、店を閉める
午後六時。
内幸町の小さな占いの店で、内海ヨシエはタブレットの画面を確認していた。
今日最後の客のホロスコープを閉じ、鑑定に使った資料を片づける。
「まったく、星の配置が悪いからって、何でも星のせいにするんじゃないよ」
誰もいない店内で、ヨシエはひとりごちた。
七十八歳。
口は悪いが、易経にも西洋占星術にも通じている。相談に来る客は、恋愛、結婚、仕事、金銭問題とさまざまだ。占いの結果が気に入らなければ不機嫌になる客もいるが、そんなことを気にしていたら、この商売はやっていられない。
ヨシエはタブレットをバッグにしまい、店の明かりを消した。
さて、今夜は何を食べようか。
答えは決まっていた。
神谷町の蕎麦処 権堂。
長年通っている店である。
店主の権藤忠雄は七十三歳。ヨシエより五歳年下だ。
昔から、ちょっといい男だった。
もちろん、本人にそんなことを言った覚えはない。言ったところで、調子に乗られるだけだ。
忠雄の妻が亡くなったのは二年前。その後、妻の知り合いだった片丘由芽子が、店の手伝いに入った。由芽子も六十九歳。夫を亡くしたのは一年前だという。
人間、年を取ればいろいろある。
ヨシエだって、ないわけではない。
ただし、自分の昔話を聞きたがる人間には、きっちり料金を請求することにしている。
他人の人生を占うのは商売だが、自分の人生まで無料で話してやる義理はない。
「さて、飲むかね」
ヨシエはそう言って、神谷町へ向かった。
*
「いらっしゃい!」
暖簾をくぐると、店の奥から忠雄の声がした。
「なんだい、ヨシエさんか」
「なんだいとは何だよ。毎度ありがとうございます、だろ」
「ふん。口だけは達者だねえ」
ヨシエはいつもの席に腰を下ろした。
「蕎麦焼酎。あと、板わさとだし巻き卵を頼むよ」
「はいよ」
忠雄が厨房へ戻る。
店内には、夕食をとる客が数人いた。長年通う常連もいる。蕎麦の香りと、だしの匂い。湯気の向こうから聞こえる客の話し声。
ヨシエにとって、ここは気を張らずにいられる場所のひとつだった。
やがて、蕎麦焼酎が運ばれてきた。
ヨシエはグラスを傾け、ひと口飲む。
「ふう。やっぱり、これだね」
板わさをつまみ、もうひと口。
そのときだった。
「ヨシエさん」
厨房から出てきた忠雄が、少し改まった顔で声をかけた。
「何だい?」
「ちょっと、話があるんだ」
「勘定の話なら、先に言っとくけどね。ツケはないよ」
「そういう話じゃねえよ」
忠雄は困ったように笑った。
いつもの調子ではない。
ヨシエはグラスを置いた。
「何だい。ずいぶん深刻な顔をしてるじゃないか」
忠雄はしばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「実はな……来年、店を閉めることにしたんだ」
ヨシエの手が止まった。
「……何だって?」
「来年で、ここを閉めようと思ってる」
「ちょっと待ちな。あんた、今、何て言ったんだい?」
「だから、店を閉めるんだよ」
「聞こえてるよ。耳が遠い年寄り扱いするんじゃない」
ヨシエは忠雄をにらんだ。
「理由は何だい?」
忠雄は頭をかいた。
「まあ、いろいろあってな」
「いろいろ?」
「ああ」
「便利な言葉だねえ。説明するのが面倒なときは、みんなそれで済ませるんだ」
忠雄は苦笑した。
「年も年だしな。女房もいなくなっちまったし、いつまでも店を続けるわけにもいかねえだろ」
ヨシエは黙って、忠雄の顔を見た。
長年、見慣れた顔だった。
若い頃から知っている。妻がいた頃のことも、娘たちが小さかった頃のことも知っている。
その娘たちが、今では三人とも大人になった。
長女の真理子、次女の美奈子、三女の奈緒子。
ヨシエが占いをタダでしてやったこともある。小さかった頃には、ミルクを飲ませてやったことだってある。
それなのに、いつの間にか、みんな大人になってしまった。
「……娘たちは知ってるのかい?」
「ああ。まあ、まだ詳しく話してるわけじゃねえけどな」
「何だって?」
ヨシエの眉がぴくりと動いた。
「来年、店を閉めるっていう大事な話を、娘たちにきちんと話してもいないのかい?」
「いや、これから話すつもりだよ」
「これから、ねえ」
ヨシエは蕎麦焼酎を飲み干した。
「まったく。あんたも昔っから、肝心なことを後回しにする男だったねえ」
「昔っからって、いつの話だよ」
「うるさいね。あたしの記憶力を甘く見るんじゃないよ」
忠雄は、また苦笑した。
ヨシエは空になったグラスを持ち上げた。
「おかわり」
「はいよ」
忠雄がグラスを受け取る。
ヨシエは、厨房へ戻る背中を見つめた。
店を閉める。
口にするのは簡単だ。
だが、ここには長年通ってきた客がいる。店を支えてきた人間がいる。そして、忠雄自身が積み重ねてきた年月がある。
それを、来年で終わりにするという。
「……まったく、面倒なことになったねえ」
ヨシエは小さくつぶやいた。
もちろん、店を閉めるかどうかは忠雄の人生だ。自分が口を出す筋合いではない。
そう思った。
思ったのだが。
「お待たせ」
新しいグラスを置いた忠雄に、ヨシエは言った。
「ねえ、忠雄さん」
「何だ?」
「あんた、本当に店を閉めたいのかい?」
忠雄の手が止まった。
返事は、すぐにはなかった。
ヨシエは蕎麦焼酎をひと口飲んだ。
「……そうかい」
それ以上、追及はしなかった。
けれど、ヨシエの頭の中では、すでに算段が始まっていた。
人の運勢を占うのは慣れている。
だが、店の運命となると、話は別だ。
さて。
この蕎麦屋、どうしたものかねえ。




