終章 丘
願いの手続きが終わった翌週、最初の協議を開いた。
今度は、世界の仕組みをどうするかという話だった。
シオンは紙を一枚、持っていた。
誰に話すか。
何を知らせるか。
どこまで確かめてから、次へ進むか。
夜をかけて書いたものだった。
監督が読み、メイが読み、剣白が読んだ。
セラフィマの一族から渡された資料を、机へ並べた。
予定していた代表者会議へ進む前に、少なくとも危険を把握する必要があった。
「この人は信じられる」
シオンは一人の代表者の名を指した。
「信じられるとして、その人が相談したいと思った相手は?」
メイが聞いた。
責める口調ではなかった。
だから、簡単に反発できなかった。
「そこは、約束してもらう」
「その人も、誰かに相談しちゃいけないってことになりますよね」
シオンは黙った。
机の上の名が、一つずつ増える。
誰を外せばよいか分からず、誰を入れても安心できなかった。
次の協議では、供給を縮小する場合の数字を見た。
いきなり止めなくてもいい。
少しずつ減らし、その間に備えればいい。
そう考えた。
減らす項目を選んだ。
娯楽の灯り。広場の噴水。行事用の魔力。
それらを消しても、必要な量には届かなかった。
次の欄は、病院だった。
次は、凍える地方へ送る熱だった。
次は、種を育てる設備だった。
シオンは筆を置いた。
「今日は、ここまでにする」
自分で言い、自分でその声を嫌った。
ここまでにしても、水を待つ人は待つのだった。
*
別の資源で補えないかも調べた。
風を使う設備の見積もりが届いた。地下からではない水源の調査記録も取り寄せた。
使える場所はあった。
シオンは地図に印をつけた。
翌月には、その設備を作るための資材と、工事中に必要な電力を書き足した。
「ここから始めれば」
メイが言った。
「うん」
シオンは数字を確かめた。
「でも、その間の分は、減らせない」
二人は消さずに印を残した。
印が増えても、配分表から消せる欄は、なかなか増えなかった。
*
季節が変わった。
村の学校が開いた。
屋根は雨を通さず、窓は閉まり、机は人数分あった。
開校の日、子供たちは代表選手へ歌をうたった。
メイは居心地悪そうに立っていた。
剣白は両手を膝に置いて、最後まで聞いた。
シオンは拍手をした。
一人の子供が、いつか魔法少女になりたいと言った。
「どうしたら強くなれる?」
シオンはしゃがんだ。
「ちゃんと食べて」
「それ、お母さんも言う」
「ちゃんと寝て」
「それも」
「分からないことは、分からないって聞いて」
子供は少し考えた。
「それだけ?」
シオンは、すぐにはうなずけなかった。
その子の母親が、笑って頭を下げた。
「いつもありがとうございます」
シオンは立ち上がった。
喉の奥が詰まっていた。
*
真実を公開する文面も、一度は書いた。
魔法少女の身体は、特定の条件の下で、長期にわたり資源を生み出す。
書いたところで、メイが言った。
「これ、売り物の説明にも読めますね」
誰も笑わなかった。
未所属の武装集団についての報告を、監督が持ってきた。水路を襲ったもの。選手を勧誘し、拒まれると脅したもの。
彼らが、供給都市を奪う必要すらなくなる。
小さな少女を一人、捕まえればよいと考えたら。
シオンは文面を伏せた。
「知らないことが、守ってる人もいる」
メイが言った。
「でも、知らないまま使われる人もいる」
シオンが答えた。
同じ部屋で、同じ二つの言葉が、何度もぶつかった。
剣白は話を途中で切り上げなかった。
監督も、分からないものを分かったとは言わなかった。
誰かが疲れると、水を出した。
その水を、みんなで飲んだ。
*
協議を重ねる間に、セラフィマの一族から、彼女の幼い日のことも聞いた。
真実を知らされたあと、初めて闇が生まれたという。
三度、冬が過ぎた。
協議の紙は一冊には収まらなくなっていた。
中央都市から、制度の継続に関する確認書が届いた日、シオンは長い時間、署名欄を見ていた。
競技を続ける。
配分を続ける。
供給源の秘密を、いまは公表しない。
別の道が完成したからではない。
正しさを証明できたからでもない。
止めた先にいる人の数と、知らせた先で狙われる人の顔を考え、最後に残った選択だった。
メイが向かいに座っていた。
剣白は窓のそばにいた。
監督は、以前より少し長く椅子へ座るようになっていた。杖はやはり、歩くためには使わなかった。
「書くのか」
監督が聞いた。
シオンはうなずいた。
「うん」
「誰かに言われたから、ではないな」
「うん」
筆を取った。
まつお・シオン。
字の最後が、少し震えた。
セラフィマと同じ道だった。
この数年、彼女の答えに近づくたび、シオンはそれを認めるのが怖かった。
認めたら、リリの顔を忘れたことになる気がした。
自分が泣きながら訴えたことを、全部なかったことにする気がした。
けれど、どちらも消えなかった。
水を飲む子供も。
地下のリリも。
紙へ落ちるインクも。
「間違ってなかった、って言えばいいのかな」
シオンは呟いた。
誰に聞いたわけでもなかった。
剣白が窓から振り返った。
「言いたいことか」
シオンは首を振った。
言いたいことではなかった。
正しかったと認めに行きたいのではない。
もっと早く、疲れていることに気づきたかった。
答えを持たないまま、隣に座りたかった。
彼女の言葉を制度の言葉として聞く前に、友達の声として聞きたかった。
その機会は、もうなかった。
確認書を封じた。
シオンは机を片づけた。
*
丘へ行く道は、以前より歩きやすくなっていた。
雨で削れたところには石が入っている。
下の街から、子供の声が聞こえた。
村、と呼ぶには、屋根が増えていた。市場には常設の店ができ、夕暮れになると、広場の三本だけではない灯りがともった。
剣白が、道にかかった枝を持ち上げた。
メイが先にくぐり、シオンが続いた。
「監督、来られそう?」
シオンが聞いた。
「今日は膝が痛いって」
「杖、使えばいいのに」
「指導用だって怒られました」
シオンは小さく笑った。
メイも笑った。
風が草を撫でた。
少し登ったところで、メイが足を緩めた。
「でも、よかったの? リリさんのこと……」
シオンはすぐには答えなかった。
街のほうを見た。
給水所の屋根が、小さく見えた。
「仕方ないよ。もう資源化してるのを誰かに見られるわけにもいかないし、外に埋葬はできないから」
言葉を選んだのではなかった。
言えるようになるまで、待った。
「それに私だけ、あれもこれもなんて言えないよ。この世界の真実を、見ないふりしていくんだから」
メイはうなずいた。
それで楽になった顔ではなかった。
シオンも同じだった。
頂上には、よく陽が当たっていた。
小さな十字架のような、木の墓があった。
剣白が持ってきた花束を下ろした。
シオンは膝をつき、風で寄った枯れ葉を一枚、拾った。
遠くで、水を切り替える鐘が鳴った。
しばらく三人は黙っていた。
シオンが、隣の二人を見上げた。
「ありがとうね。私の願いを、みんなの願いとして受け入れてくれて」
剣白が静かにうなずいた。
メイが花の向きを直した。
シオンは墓へ向き直った。
「学校、できたよ」
口元が、少し緩んだ。
「窓も、ちゃんと閉まる。雨の日でも、机を動かさなくていいんだって」
草の揺れる音を、しばらく聞いた。
「……結局、同じ道にしちゃった」
膝の上で、指を重ねた。
「いっぱい話したよ。何回も。まだ納得できないこともある。リリのことも、忘れてない」
言いかけて、口を閉じた。
花束の包装を、そっと折り返した。
「だから、今日は正しかったって言いに来たんじゃないよ」
シオンは木の墓を見た。
「あなたの最後の姿、ずっと目に焼き付いてる」
風が、袖口へ入った。
「ぼろぼろになった腕で、それでも光を放って。真実を知ってから生まれた闇も、もう片方の腕に抱えて。それで私たちを守ろうとしながら、私たちの前に立ってた」
声が、少し途切れた。
「最初に光が砕けた」
膝の上の指が、重なり直した。
「ずっと一人で守ってきた、ぼろぼろの希望の光を……私が砕いた。そのあとに残った闇も、私が砕いた」
「それは違います」
メイが言った。
シオンは顔を上げた。
「私達です」
剣白も、静かにうなずいた。
シオンは二人を見た。
「……うん。そうだね」
指をほどいた。
墓へ向き直った。
「私たちは、あなたの光も、闇も、最後にはあなた自身も砕いてしまった。砕けていった順番まで、まるであなたが生きてきた順番みたいだった」
あの日には、そんなことを考えていなかった。
ただ、シンボルへ通そうとした。
試合を終わらせようとした。
「勝ちたかった。あの一球を選んだのは、そのためだった」
墓の根元に、小さな草が生えていた。
シオンはその葉へ指を添え、離した。
「あとになって、何度も思ったの。あの闇まで砕ければ、もういいんだよって。一人で抱え込まないでいいんだよって、そう言って寄り添えればよかった」
目を閉じた。
「でも、一緒にあなたまで砕いた」
メイは何も言わなかった。
剣白も、その場を動かなかった。
シオンは、二人のいる場所で息をついた。
「見ててね。これからの私たちを」
顔を上げた。
「すぐには変えられない。きっと、何度も間違える。それでも、ほかの答えを探すのは、やめないから」
隣を見た。
「私だけで決めたり、背負ったりしないで」
メイが、小さくうなずいた。
しばらく、誰も話さなかった。
下の街から、子供の声がした。
シオンの口元が緩んだ。
「そうだ。この人、子供に肩に乗せてって頼まれて、全員乗せたの。順番に」
剣白は何も言わなかった。
メイが横で笑った。
「断らないんだもん。日が暮れちゃった」
シオンも笑った。
「待ってる間に、一回乗った子がまた並ぶから」
「順番だった」
剣白が言った。
「そうだけど」
メイが笑いながら、花の向きを直した。
シオンは墓へ顔を戻した。
「ただ、こういう話をしたかった。もっと早く。何でもない話も、一緒に」
風が花を揺らした。
シオンは倒れかけた一本を支え、手を離した。
その向こうの木の墓標に、名前が刻まれていた。
セラフィマ
FIN




