ニッチ
「ねむ……」
朝の光を浴びながら、スマホのアラームが鳴ると同時に勢いよく上体を起こす。
時計は午前八時を指しており、急いで制服を着込み、朝食を食べたらすぐに家を出る。
下りなのでやや人の少ない電車に乗って高校へと向かえば、時刻は午前八時四十四分。
朝のホームルームが始まる一分前の着席には、我ながら惚れ惚れしてしまう。
「相変わらず遅すぎだよ玲二、今日も遅刻ギリギリじゃん」
そう言いながらこちらに呆れの視線を向けてくるのは、短く切り揃えた短髪とわずかに焼けた肌が印象的なクラスメイト、幼なじみの丹結羽だ。
所属しているのは俺と同じ帰宅部だ。
「でも遅刻はしてないから」
何をするにも十五分前行動が基本なものすごく真面目なやつで、俺は基本的に叱られてばかりいる。
いかにライン際ギリギリを攻めるかに重きを置いている俺とは、まったく考え方が全然違うタイプの女の子だ。
既に一限のテキストとノートを開いており、復習を始めていた。
それはさすがに気が早すぎると思う。
こいつとは幼稚園の頃から小中高と同じだが、さすがにこの年にもなれば一緒に登校したりすることはない。
家が隣で毎朝どっちかの家でご飯を食うなんていうのは、漫画やアニメの見過ぎだ。
現実の幼なじみなんて、まあこんなもんである。
「無駄がない登校と言ってくれ、下手に二十分前に来て駄弁ったりするよりずっといいだろ」
「朝の方が頭動くんだから、勉強とかした方がいいと思うけど」
美羽が呆れた様子で俺のことを見てくるが、俺は臆さずに堂々と胸を張った。
俺は基本的に朝は一分一秒でも長く寝ていたい。三大欲求でもぶっちぎりで睡眠欲が優勝している。
寝るための努力を惜しまないので、起きてからのモーニングルーティーンも完全に決めており、朝の動きは常に最適化させている。
おかげでしっかりと一日八時間睡眠をキープし、牛丼とかめちゃくちゃ食べるわりにお肌もそこそこ綺麗だ。
何より朝からすっきり快適な目覚めを維持できているため、桃木先生の古文の授業以外では居眠りすることもない。
あれはダメだ、そういう電波が出てるから何時間寝てようが寝てしまう。
「勉強より睡眠の方が大事だろ、頭大丈夫か?」
「これで成績悪くないんだから、やっぱり玲二はおかしいよね」
こいつは始業一時間前とかには登校して学校の自習室を使っている真面目っ子だ。
無論結羽には勝てないが、俺の成績はわりと進学校寄りなこの高校でも真ん中程度なのでそこまで悪い方でもない。
自分で言うのもなんだが、俺は比較的なんでも要領よくやれる方だ。
その道のプロとかには勝てないけど、器用さである程度全範囲をカバーできちゃうタイプ。
一夜漬けは睡眠の大敵なので、授業もきちんと起きて聞いている。
「というかエヴァさん……来ないね」
「ああ、海外に来たりするとなれない変化で体調崩したりするって聞くし……いや、来たわ」
お世話係を命じられたけどこれなら今日はお世話しなくて済むかもと思っていると、ガラガラと引き戸が引かれた。
「おはようレイジ、今日もいい天気ね!」
「やあエヴァ、遅刻だぞ」
「大丈夫、先生が来るまでに来ちゃえば遅刻じゃないわ」
「なるほど……その手があったか……」
俺は額面的な正しさに囚われすぎていたのかもしれない。
物事の本質をおろそかにしてしまっていた。
灰皿が剣山みたいになっているでおなじみの宮川先生は基本的にあらゆるものにルーズなので、ホームルームが始まるのは大体四十七分前後。
偏差を考えて四十六分着にすれば二分間多く寝れ……いやダメだ、電車一本後にしたら遅刻するし。
睡眠時間を増やそうという俺の試みは無事失敗に終わった。
南無。
「はぁ、まさかこんなタイミングでライバルが現れるなんて……」
隣で結羽が何かブツブツと呟いている。
基本的に真面目が服を着て歩いているこいつからすれば、ギリギリ遅刻にならないラインを模索する悪童が一人増えて気が気でないのだろう。
「よーし、ホームルーム始めるぞー。休んでるやつが居たら手ぇあげるように。いないな、よし全員出席」
いや、休んでるやつは手はあげられないだろ。
相変わらず宮川先生は適当すぎる。
そんなんだから見た目はいいのに彼氏もいないんだぞ。
「先生、神林君が休みです!」
「なに、でかした丹。お前には一回遅刻をなかったことにする権利をプレゼントしよう」
「教師が怠惰を推奨しないで下さい!」
きゃんっと犬みたいに吼えた結羽を見て、宮川先生がフッと笑う。
そして胸ポケットの煙草の箱に触れ、そのタイミングでここが禁煙であることに気付き、昭和に生まれたかったと呟きながら形而上の煙草をふかした。
「丹、お前も社会に出ればわかるようになるさ。案外サボっていても給料は落ちないし、なんならサボり方が上手い奴が出世する。大人はな、手を抜けるところは抜きつつ仕事をする。車輪のスポークみたいなものなのさ」
「あ、その辺りは日本も変わらないのね」
「いや、あれは先生が特殊すぎるだけだと思う……ドイツ人ってキビキビ働いてる、みたいなイメージあるけど」
むしろドイツって日本人より真面目で堅物みたいなイメージがあるけどな。
これはすごい偏見かもしれないけど、時計とか車みたいな精密部品を一部の隙もなくきっちりと生産し続けてて、生産性をとにかく気にしてて怠惰な奴を叱ってる……みたいな。
うん、俺のドイツのイメージは完全にヘタリ○で固定されてるわ。
「うーん……たしかにうちのお父さんとかはそういう感じだけど、全部が全部そういうわけじゃないかな。お金もらった分の仕事はしてやるから、それ以上言ってくるな、みたいなニュアンスって言ったらわかるかしら?」
「なるほど、欧米チックなのか。当たり前だけどドイツって欧米だもんな」
アメリカとかだとコンビニの店員は普通にスマホを弄ってるって聞くし、海外とかで働けたら楽そうだよなとは思う。
まあ多分、あっちはあっちで大変なところもいっぱいあるんだろうけど。
「ほい、それじゃあ先生は一服してくるわー」
ホームルームが終わると、宮川先生はそのままベランダで煙草を吸うことが許されている職員室へと戻っていった。
あの人は重度のヤニカスなので、休み時間の度に職員室へ戻っていくのだ。
もはや一種の帰巣本能みたいなものだろう。
宮川先生を見る度、ああいう大人にはならないぞと思える。
あんなに見事な反面教師を勤める教師を、俺は他に知らない。
「一時間目の授業は……英語ね」
「正直エヴァからすればめちゃくちゃ簡単だと思うぞ」
「そうなの?」
「ねぇねぇ、エヴァさんって英語とかも話せたりするの?」
反対側から身を乗り出してくる結羽の質問に、エヴァは自信ありげに答える。
俺が普通に話をしているからか、わりと人見知りなところもある結羽もエヴァにはぐいぐいいけるようだ。
「そこそこかしら。私が住んでたところはわりと都市部だったから、使えないと話が通じないことも多くて。ほら、移民の中には結構ドイツ語話せない人もいるから」
「へぇ、インターナショナルだねぇ……」
聞いたことのない相づちを打つ結羽の言葉を聞きながら、エヴァが俺の机の上の教科書をパラパラとめくって眺める。
多分彼女のそこそこっていうのも、普通に受験英語をやってるだけの俺らとはレベルが違うんだろうな。
「でも私は日本語の方が好きよ。正直、日本には漫画を読みに来たみたいなところもあるからね」
「そういえば昨日も言ってたよな。漫画ってドイツにはあるの?」
「普通に書店に並んでるわよ。ゴブリンスレイ○ーとか」
「……なぜにゴブリン○レイヤー?」
日本である程度売れてる漫画は、翻訳されてドイツの書店に並ぶらしい。
ただあっちで読めるのはアニメ化したりするレベルの作品だけらしく、彼女としてはドイツでは買えないようなちょっとニッチな漫画が読みたいのだとか。
渋い趣味してますねぇ。
「はーい、それじゃあ授業始めるよ~」
英語の授業が始まると無駄口を止め、俺はエヴァとそっと席をくっつけて教科書を見えるように開いてあげる。
「Danke.(ありがと)」
「Bitte.(どういたしまして)」
留学生の世話係として任命されてしまったので、俺はこれからほぼ全ての授業を彼女に教科書見せるマンとして過ごさなければならない。
教科書を買えばと聞いてみたところ、
「あと三ヶ月くらいしか使わないんでしょ? それならわざわざ買うのもったいなくない?」
と庶民派な正論を返されてしまい、ぐうの音も出なかった。
今は十一月も半ばなので、たしかに彼女が言う通りだ。
「ちょっとそっちのページ見えない、もうちょっとこっち寄せて」
「わかったわかった、そんなに顔近づけなくても寄せるから」
前も思ったが、ヨーロッパ圏の人だからか、エヴァは少し距離感がバグっている。
こうして机を並べている時も、ちょいちょい方が触れ合ったりフローラルな良い香りがしたりする。
三ヶ月くらいは、役得と思って過ごさせてもらおうかな。
……あ、ちなみにエヴァはめちゃくちゃ英語ができた。
普通に英語の吉野先生より発音が良かったので、もう彼女が英語教師でいいんじゃないかな?(錯乱)
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