支配者と実戦
僕はゴルンダ――コンガ街の支配者と呼ばれる男に会うため、まだ回復しきっておらずフラつきながら歩く男に案内されていた。
「あとどれくらいで着く?」
僕が問いかけると、男は苦しそうに息を吐きながら答える。
「も、もうすぐだ……」
腹を押さえながら歩くその姿は、いかにも情けない。
あの程度の一撃でここまで動けなくなるとは、やはり大したことはない。
それから少し歩くと、一つの建物が見えてきた。
周囲のボロ家とは明らかに違う。
木材と石で作られた二階建ての建物。
完全に綺麗とは言えないが、このコンガ街では異様なほど整っていた。
何より目立つのは――壁に落書きが一切ないこと。
この街では、汚されていない建物の方が珍しい。
それが意味することは一つ。
誰も、この建物に手を出せない。
つまり、ここが支配者の縄張り。
「着いたぜ……ここがゴルンダさんの拠点だ」
男が震える声でそう言った。
やはり、僕の予想通りらしい。
「俺は約束通り、居場所を教えた……もう帰るぞ……」
そう言って男は踵を返そうとする。
だが、僕はその服の裾を軽く掴んだ。
ビクッと男の肩が跳ねる。
「な、なんだよ……」
僕はにっこり笑った。
「僕はゴルンダのところに案内しろって言ったんだ」
男の顔が青ざめる。
「君が案内したのは、居場所までだよね?」
「……っ」
「まだ、“本人の前”まで案内してない」
男の顔が恐怖で歪んだ。
今にも泣きそうな顔だ。
「わ、わかった! わかったよ! 連れていけばいいんだろ!」
男は半ば叫ぶように言い、震える手で扉を開けた。
ギィィ……。
嫌な音が響く。
僕は男の後ろについて建物の中へ入った。
中は薄暗かった。
明かりがほとんどない。
壁際に置かれた木箱。
転がる酒瓶。
床には乾いた黒い染み。
血か。
なるほど。
実にこの街らしい。
僕たちは奥へ進む。
静かだ。
不気味なくらい静か。
やがて、廊下の先に一つだけ明かりの漏れる部屋が見えた。
オレンジ色の灯り。
ゆらゆらと揺れている。
おそらく、あそこだ。
そう確信した瞬間だった。
――臭い。
強烈な悪臭が鼻を突いた。
腐った肉。
酒。
汗。
血。
あらゆる不快な臭いを煮詰めたような、最悪の臭気。
「……ひどいな」
思わず眉をしかめる。
部屋に近づくほど、その臭いは濃くなる。
そして、ついに部屋の中が見えた。
「よぉ、グリィ。なんの用だぁ?」
低い声。
腹に響くような重い声だった。
そこにいたのは――大男。
まるで熊だ。
横幅が広いなんてレベルじゃない。
座っているだけで圧迫感がある。
腕は丸太のように太く、首は岩のように太い。
顔には無数の傷跡。
片目には古い切り傷。
机には酒瓶が何本も転がっていた。
男は酒を浴びるように飲みながら、こちらを見ていた。
「ゴ、ゴルンダさん……お疲れ様です!」
男が慌てて頭を下げる。
僕は黙ってその大男を見る。
(へぇ……)
口元が少し上がった。
(こいつがゴルンダか)
今まで会った連中とは違う。
ただ太いわけじゃない。
全身が鍛え上げられている。
脂肪の下に、明らかな筋肉の塊がある。
そして何より――
強い。
少なくとも、さっきの雑魚とは比べ物にならない。
身体強化を使っていなくてもわかる。
こいつは、人を殺し慣れている。
僕の胸が高鳴った。
期待。
興奮。
好奇心。
身体が熱を帯びていく。
(いいね)
ようやく。
ようやく、まともそうな相手に会えた。
(少しは楽しませてくれるかな?)
僕が期待に胸を膨らませていると、ゴルンダの視線がゆっくりと僕に向いた。
鋭い。
獣に睨まれたような圧力。
「おい、グリィ」
低い声が部屋に響く。
「そこのガキはなんだ? ……攫ってきたのか?」
ゴルンダが太い指で僕を指す。
その瞬間、グリィの顔から血の気が引いた。
額に汗が滲む。
「ち、違います……!」
グリィは慌てて首を振る。
「こ、こいつが……ゴルンダさんのところに案内しろって言うんで……仕方なく連れてきたんす……」
その言葉を聞いたゴルンダは、一瞬ぽかんとした。
そして――
「……は?」
数秒の沈黙。
次の瞬間。
「ガハハハハハッ!!」
爆笑。
腹を抱えて笑い出した。
「おいおい、お前ら聞いたか!?」
ゴルンダが周囲の手下たちに叫ぶ。
「あのグリィが、面白ぇ冗談を言いやがったぞ!」
周囲の男たちも一斉に笑い始める。
「聞きましたよ、ゴルンダさん!」
「グリィの奴、笑いの才能あったんすね!」
「ガキがゴルンダさんに会いたいだぁ!? そんなわけねぇだろ!」
下品な笑い声が部屋に響く。
僕はふと横を見る。
グリィは怒りと屈辱で顔を真っ赤にしていた。
……なんというか、少し可哀想だ。
僕は小さくため息をついた。
「この人が言ってること、本当だよ」
笑い声が止まる。
一瞬で空気が冷えた。
全員の視線が僕に集まる。
僕は淡々と続けた。
「僕はゴルンダっていう男に興味があって、ここまで案内してもらったんだ」
沈黙。
ゴルンダの笑みが消えた。
目だけが、鋭く細くなる。
「……おいガキ」
声が低い。
さっきまでの笑い声とは別人のようだった。
「今、なんて言った?」
ゴルンダが椅子に座ったまま僕を見下ろす。
「俺に興味がある、だと?」
空気が重い。
部屋中の男たちが息を呑む。
「それがどういう意味か……わかって言ってんのか?」
僕は首を傾げた。
「意味?」
少し考えるふりをしてから、答える。
「知らないな」
僕は真っ直ぐゴルンダを見る。
「僕はただ、君と戦いたいだけだよ」
数秒の静寂。
そして――
「……ぷっ」
ゴルンダの肩が震える。
「……ガハハハハハッ!!」
再び大爆笑。
今度はさっきよりも大きい。
床が揺れるほどの笑い声。
「おいおいおい!!」
ゴルンダが立ち上がった。
巨大な体が完全に起き上がる。
……デカい。
座っていた時以上の圧迫感。
まるで壁だ。
「ガキが、この俺様と戦うだと!?」
ゴルンダの笑顔が消える。
そして、そのままグリィを見る。
「おい、グリィ」
低い声。
グリィの体が跳ねた。
「お前みてぇな小悪党が、こんなガキに舐めた態度を取らせるわけがねぇ」
ゴルンダの目が細くなる。
「負けたんだろ?」
グリィが震える。
「……このガキに」
「っ……!」
グリィの喉が鳴る。
逃げ場はない。
「は、はい……」
か細い声。
「負けました……それで、ここに案内しろと……」
その瞬間。
ゴルンダの額に青筋が浮かんだ。
「グリィ」
静かな声。
だが、それが一番怖い。
「ここの掟は知ってるよな?」
グリィの顔が青白くなる。
「は、はい……」
声が震える。
「この場所では……強い奴が正義……負けた奴は……死ぬ」
ゴルンダはゆっくり頷いた。
「よくわかってるじゃねぇか」
一歩前へ。
床がミシッと鳴る。
「だったら聞くぜ」
さらに一歩。
「お前、なんでまだ生きてんだ?」
絶望。
グリィの顔が死人のようになる。
足から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「ゴ、ゴルンダさん……ま、待っ――」
「俺の手で終わらせてやるよ」
ゴルンダが右腕を振り上げる。
丸太のような腕。
あれを食らえば頭ごと潰れる。
「死ね」
振り下ろされる。
その瞬間。
「君の相手は僕でしょ」
僕は身体強化を発動した。
僕は床を蹴った。
バンッ!!
石床が砕ける。
一瞬でゴルンダの懐へ潜り込む。
ゴルンダの目が見開かれた。
「――なっ」
遅い。
僕は腰を落とし、全身の力を掌へ集める。
そして。
ゴルンダの顎へ向かって、掌底を叩き込んだ瞬間――
ゴッッッ!!
鈍く重い衝撃音が部屋中に響いた。
「ぐぼォッ!!」
ゴルンダの巨体が大きく仰け反る。
顎が跳ね上がり、口から血混じりの唾液が飛び散った。
だが、僕はそこで止まらない。
「まだだ」
僕はすぐさま地面を踏み込み、右足に全身の力と身体強化の魔力を集中させる。
筋肉が膨れ上がる感覚。
魔力が脚部を駆け巡る。
そして――
ゴルンダの腹部へ、渾身の蹴りを叩き込んだ。
ドゴォォン!!
爆発したような轟音。
ゴルンダの巨体が宙に浮く。
「がぁッ!?」
二メートルを超える大男が、まるで木の葉のように吹き飛んだ。
そのまま背後の壁へ激突。
バキバキバキッ!!
石壁が砕ける。
壁に大穴が空き、瓦礫が崩れ落ちる。
土煙が舞い上がった。
静寂。
一瞬、部屋の全員が固まった。
誰も理解できなかったのだ。
七歳の子供が。
ゴルンダを。
正面から吹き飛ばした。
あり得ない。
常識が否定された瞬間だった。
「ゴ、ゴルンダさん!?」
「おいガキ!! 何しやがった!!」
周囲の手下たちがようやく騒ぎ始める。
怒号。
困惑。
恐怖。
僕はそんな声を無視して、土煙の向こうを見つめた。
そして静かに言う。
「……流石に、こんなので終わらないよね?」
期待を込めた声だった。
もしこれで終わりなら、正直がっかりだ。
コンガ街の支配者。
その程度では困る。
数秒後。
ガラッ――
瓦礫が動く音。
崩れた壁の奥から、一つの影が立ち上がった。
土煙を掻き分け、ゴルンダが姿を現す。
口元から血が垂れている。
顎は赤黒く腫れ、腹部にも確かなダメージが見える。
……効いている。
だが。
倒れていない。
むしろ。
その目は、さっきまでとは完全に別物だった。
激怒、殺意、憎悪。
それら全てが煮えたぎっている目をしている。
ゴルンダがゆっくり口を開いた。
「……殺す」
低い声。
空気が震える。
「ぐちゃぐちゃに潰して」
一歩、前へ。
床が軋む。
「手足をもいで」
また一歩。
殺気が濃くなる。
「ペットみてぇに飼って」
さらに一歩。
手下たちが後ずさる。
「最後に殺してやる」
その声には、純粋な殺意しかなかった。
……いい。
実にいい。
僕は自然と口角が上がる。
胸が高鳴る。
鼓動が速くなる。
身体が熱い。
これだ。
僕が求めていたのは。
世界を壊す目的とは別の、命を賭けた本物の殺し合い。
前世では絶対に味わえなかった感覚。
最高だ。
「いいね」
僕は笑う。
抑えきれない。
楽しくて仕方ない。
「そっちの方が、やりがいがある」
ゴルンダの額に青筋が浮かぶ。
次の瞬間――
ドンッ!!
床が砕けた。
ゴルンダが消える。
いや、違う。
速い。
巨体に似合わない速度。
身体強化だ。
一瞬で僕の目の前にいた。
巨大な拳が振り下ろされる。
空気が唸る。
「死ねぇぇぇぇッ!!」
僕の頬が吊り上がった。
――ようやく、本当の実戦が始まった。




