第0話「プロローグ」
ミア「クノート様、ついにはじまりましたよ」
クノート「はじまったな」
ミア「見つかってしまいますね」
クノート「そうだな」
ミア・クノート「うちのポンコツ娘が……」
子供の頃、想像したことはないだろうか。吸血鬼や雪女といった創作物に登場する人ならざる者が本当に存在していたら……と。
いるはずがない? 確かに今まではそう思われていた。そう思うように隠されていた。しかし、過去より人ならざる者は存在していた。そう公表されたのだ。
――政府の手によって。
『亜人』と総称された彼らは、それぞれの種族による特性に伴い支援されることが約束された。今や隣人となったのである。
無論、公表されたときは大きな混乱を招いた。しかし、さすがはサブカル大国日本。数か月も経てば危惧される面はあるものの良き隣人として受け入れられていた。
亜人の存在が公表されてからはや数年。すっかり人間の日常に馴染んだ彼らは各々、今の生活を満喫している。もとより人間に対して好意的な亜人もいれば、プライドが高く人間との馴れ合いを嫌う亜人もいる。各亜人によってスタンスは異なるが確かに人間と共存していた。亜人たちとて時代のうねりに逆らうことはできない。一部の例外を除いては。
鬱蒼と茂る森の中、隠すように築きあげられた壮観な西洋の城。見るもの全てに畏怖の感情を抱かせるほどのそれはとある亜人たちが数百年の間、住み続けてきた城だ。
そのとある亜人とは【吸血鬼】である。世界で最も知名度があると言っても過言ではない彼ら、特に真祖と呼ばれる存在は気高く優美で人と決して馴れ合うようなことはせず、孤高を貫いてきたとされている。
しかし、それはあくまで過去のイメージにしか過ぎないのだ。
真祖は吸血鬼の中でも特別な一族である。その真祖を束ねる長、クノート・アカキアは城の玉座で頭を抱えていた。最近できた己の愛娘のことである。永い時を生きる吸血鬼は100年足らずしか生きられない人とは違い、子を成すことに重きを置かない。特に真祖であれば己の血を分け与えることで他種族を眷属にすることもできる。そのため己の血を残すことについて、とても鈍感なのだ。
初めて生まれた娘に舞い上がったクノートは一心に愛を注いだ。吸血鬼とはいえ、親が子に愛情を与えるのは変わらない。クノートは娘、クオンがやりたいと言ったことは全て受け入れやらせた。生きる上で選択肢は多い方が良いと考えたからだ。
また、クノートは一部の怪異が『亜人』として公表されることも政府機関からの接触により知っていた。そのためクオンが人間に馴染めるようにと人の娯楽も与えるようにした。
その結果、クオンは真祖にはとても似つかわしくない漫画やアニメ、ゲームといったサブカルが大好きな引きこもり吸血鬼になってしまった。
どうやらクノートは人が生み出した娯楽の魅力を甘く見すぎていたようだ。
「……まさか、ここまでとはな」
クノートはため息をついた後、椅子にさらに深く座ると城の天井を見上げた。しばらくの間、茫然と天井を見上げていたクノートの元へ凛とした女性の声が響く。
「ですから申し上げたではありませんか。日本のアニメや漫画、ゲームといったサブカルチャーはとても面白いので加減を考えてくださいと」
玉座の片隅、陽の光が遮られ影となった場所からその女性はぬるりと現れた。肉食獣を思わせる鋭い水色の瞳を持ち、クラシカルなロングスカートのエプロンドレスに身を包んだ女性。頭からは灰色の犬のような耳が生えており、よく見れば臀部の辺りから同色の尻尾が生えている。
「ミアか……眷属としての力を乱用するな」
「影を経由するのはとても楽でして」
クノートは呆れたようにこぼすがミアと呼ばれた女性は特に気にもせずクノートの前へ歩を進めた。
「それでいかがなさいますか?」
「……このままという訳にもいくまい。クオンはいずれ真祖のトップに立たねばならぬ。我らの存在が明るみになったとはいえ共存は容易ではない」
「むしろサブカル大好きなオタク吸血鬼は一定の層からは喜ばれそうですけども」
「そういうものなのか?」
「まぁ、日本は特殊というか」
「ふむ……」
クノートは重々しい雰囲気で頷くと思考を巡らす。愛する我が子がより平和かつ幸せに生きるためにどうすれば良いのかと。
「クノート様、お嬢様の社会勉強は日本がよろしいかと」
「……やはりか」
「えぇ、日本でしたらお嬢様は喜んで旅立つと思います。オタクにとっては天国のような国ですから。それに日本は『亜人』に対しても非常に寛容で、トッキョ――国家特務治安局の略称――の日本支部も穏健派だと聞きます。それに日本には――」
「『剣鬼がいる』だろう?」
「左様でございます」
クノートとミアの口から出た『剣鬼』とは、日本に住むとされる【人と怪異の調停者】である。かつてはただの人間だったらしいが怪異と関わることで鬼へと堕ちた存在とされ、世界有数の戦力であると言われている。
そのため剣鬼の存在が抑止力となり、日本では怪異事件が非常に少ないのだ。
「……ミア、クオンの旅支度を頼む」
「かしこまりました」
ついにクノートは覚悟を決めたようでミアへと指示をだす。ミアは背筋を伸ばし一礼をするとふっと影に消えた。ミアの消えた影をぼーっと眺めながらクノートはふと何かを思い出したようにぼそりと呟いた。
「『可愛い子には旅をさせよ』なんて言葉があったな、日本には……」
クノートは椅子に深々と座り直した。
品のよい調度品で飾られた古城の廊下を一人の女性が息を弾ませながら歩く。照明の光を浴びてきらきらと輝く金色の髪に、燃えるような紅い瞳。幼さが残る顔立ちとは裏腹にどこか魔性の香りを放つ彼女はクオン・アカキア。この古城の主、クノート・アカキアの一人娘である。
クオンは満面の笑みを浮かべ、今にも踊りだしそうなほどに浮かれていた。彼女の世話係であるミア・アーディルバイトが旅支度を進めていたからである。
はじめての家族旅行に行くのだと勝手に思い込んだクオンはこれから行くであろう旅先に想いを馳せていた。
クオンは重厚な扉を開き玉座の間へと入る。
「パパ〜、来たよ!」
うきうきのクオンとは異なり、玉座に座ったクノートは渋い顔をしていた。ミアはいつものようにクノートの隣に控えており、大きめなトランクケースを1つ持っている。
「……あれ? パパの荷物は? ミアが持ってるのは私のだよね?」
「どうやら勘違いをしているようだな」
不思議そうに首を傾けたクオンに向かってクノートは苦虫を嚙み潰したような表情で口を開いた。
「クオン、お前には日本に向かってもら――」
「日本!? やったぁ!」
「……話は最後まで聞け」
喜ぶクオンにクノートは思わず額を押さえた。ミアは何も言わずに控えているが笑うのをこらえているのか微かに肩が震えている。
「日本にはクオン、お前一人で行ってもらう。ずっと城に引きこもっているからな。社会勉強だ」
「えっ? 一人? ミアが一緒とかでもなく?」
「私が同行いたしますとお嬢様は甘えて何もしないでしょう?」
「……パパ、正気? 可愛い一人娘を見知らぬ土地に放り出すなんて!」
「可愛い一人娘だからこそだ」
家族旅行ではないとわかった瞬間に座り込み、ぶーぶーと文句を言い始めるクオン。いくらオタクの聖地、日本とはいえ一人で行くのは嫌らしく徹底抗戦の構えをとっている。
「仕方あるまい。ミア、頼む」
「かしこまりました」
嫌がるクオンを見て、クノートがミアに指示を出す。指示を受けたミアは手に持ったトランクケースを大きく振りかぶるとクオン目掛けてぶん投げた。
「へっ? むぎゃっ!?」
想定していなかった事態にクオンは避けられるはずもなく、トランクケースと一緒に吹き飛ばされて、ごろごろと扉まで転がっていく。扉は影に覆われて黒く染まっており、そのまま影を経由して城の外へと放り出されたのであった。
「……ミア、やりすぎだ。誰がそこまでやれと言った」
「はて? 私は言われたとおりにしたまでですよ」
クノートはミアに対して苦言を呈するが、これといって効果はないようだ。クノートの額の皺が深くなる。
「旅支度をしてくれとは言った」
「はい。ですのでトランクケースにご用意いたしました」
「万が一ごねたときは、たたき出すようにとも確かに言った……だが、荷物をぶつけて荷物ごとたたき出せとは一言も言っていない!」
「はて? たたき出すとはこういうことでは?」
ミアはさも自分がしたことは当然の行いですとも言いたげにふてぶてしい態度を貫いている。
「加減というものがあるだろう。何事にも」
クノートは再び頭を抱えた。クノートも父親としてクオンに嫌われたいわけではないのだ。
「加減はしております。決してお嬢様に尻尾を抱き枕にされて涎まみれにされたことが腹立たしいとか、いつまで経っても耳をいじろうと仕事の邪魔をしてくることが煩わしいとか、そんな私情は入っておりませんが」
「……ばっちり入っているじゃないか。……貴様、揶揄っておるのか」
「まさか! かつて貴方様に誑かされた女の些細な仕返しでございます。甘んじて受け入れてくださいませ」
「……ぬぅ」
クノートは痛い所を突かれたようで、なんとも言えない声を漏らし黙り込んだ。
「……社会勉強なら、そうそうに帰ってきてもらっては困る。強引に追い出したことはクオンにとって良い薬になるかもしれぬな」
「わたくしもそう思います」
クノートが漏らした言葉に当然のように乗っかってくるミア。なんと分厚い面の皮だろうか。呆れたようにじとっと見つめるクノートの視線も冷ややかに受け流すミアなのであった。
一方、城からたたき出されたクオンはミアによって根回しされた吸血鬼たちに街まで案内され日本へと向かう。帰ってきたら必ずミアに一泡吹かせてやると心に強く誓って。
ミア「ここまで見てくださってありがとうございます」
クノート「よく見てくれた。今後もよろしく頼む」




