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第33話 二つの絶望

 音。世界を震わせる波。

 神の声はよく響き、どこまでも波及していくかのような。


「何しやがったって聞いてンだよ神がァ!」

「止めた……だけ。危ないし、ぶつかっ……たら、痛い。傷つ、く。……可哀想」


 神が話す度、その神体――またはそれを包む黒い箱――がプルプルと震える。

 あれは柔らかい素材なのだろうか。たどたどしく話す様子はフランに似ているけれど、彼女の緊張や不安からくるつまづきとは違って神のそれは、日頃会話をしていない者の疲れや衰え、あと僅かな億劫さを感じる。


 なんて、テロが始まっているというのに迂闊にも暢気のんきな考えがアルバの脳に浮かぶ。だが、迂闊なのは彼だけではない。周囲の人間全員が異様な状態に陥っている。


 皆、唯我とヴァニタスのやり取りに目を離せないでいた。

 非常に強く緊張し、あるいは弛緩し、瞬きすらはばかる程に動かず、ただ茫然と眺めていた。


(そうだ。同族同士、人間同士、争ったら駄目だ。話そう。神様と話そう……そうしよう、それだけが正しい)


 そう、ふと思う。心にポツンと、神の一言が一粒の雫となって響く。

 ぼっやりと浮上した考え。アルバは何故さっきまで神を守ろうとしたのか思い出せない。他の騎士達もだ。


 親の教育。先生の言葉。他人の意見。有名人の感想。社会の総意。世の常識。

 実際に正しいか正しくないか、ではなく思わず考えなしに信頼と信用によって同意してしまう何か。いわゆる『正しさ』であり、『正しい』ではない何か。


 それが神の言葉ならどうか。

 神。創造主。絶対的な存在。ヴァニタスの言葉は『セカイ』の力による界法ではないが、間違いなくこのガーデン世界を変えてしまえる言葉だ。世界中の全存在にとって、特に同じガーデン語を介する人間には猛毒だ。


「そっ、そんな……。皆さん! しっかりしてください!」


 自らを見失わないマリアの叫び。もう一人、唯我もまた、見えぬ何かに苦しみながらも、その不快感を怒りに変えて自身を保つ。助かったのは『代行者』の二人だけ。神と似て、自らの内に『セカイ』を宿す者だけだった。


 正しい選択よりも、賢い選択。

 生き残るため、人は誰かの進んだ道を歩く。

 何故ならそこには道が在る。既にある。安全かどうかは関係なく、誰かが既に通った道が目の前にあるから。世界創造の神を信じる。それだけのこと。


 対して正しさを貫かんとする者は、自らの内に信じる『セカイ』――正しさ――を絶対とし、力に変えて世界を歩まなくてはならない。才能と同じく、容姿と同じく、遺伝と同じく、理不尽と同じく、『セカイ』を宿す者。『代行者』の力とは、『セカイ』の力とは当然『暴力』にもなりうる。多くの賢者にとって聖者は愚者であり、勇者なのだ。


 まさに、今の状況がすべてを表している。

 憧れと称賛を集め、教会を導くマリア。と、原初の怒り、自らの快・不快を世界に示そうとする唯我。


「あぁ。また、駄目だった。失敗。やだ。疲れた……よ。やめ、たい……な。もぅ、十分、でしょ? ブーリカ……」


 神はただ存在しているだけに過ぎない。

 存在そのものが世界に大きく影響してしまうだけ。


 今もそうだ。今も、黒い箱は分かりやすく落ち込んでいる。

 数十分も待ったのに、結局唯我は何も話さなかった。声色だけでなく、箱の上半分がぐにょりと曲がり、落ち込んでいるように見受けられてしまう。事実かどうかは関係ない。周囲の騎士達は全員、赤子が親の顔色で善悪や危険を判断するように、神へ慰めの言葉をかけ始める。


「……そっか。ブーリカはまだ、ボクのために……もういいよ、面倒くさい」


 しかしヴァニタスは人々の言葉など意に介さず、どこか遠くの誰かに語るように言葉を紡ぎ……最後、吐き捨てるように諦めを口にすると深く深くため息を吐いた。


「ボクの干渉も無意味だから、好きに適当にやって。ちゃんと避難はするからさ」


 そう言って、ヴァニタスは自身の黒き箱型神体を浮遊させ、何事もなかったかのようにフラワ王城へ避難した。

 残されたのは自分を取り戻し困惑する騎士達と、無力さに怒り振るえる唯我。そして周囲のあらゆる視線を独占する神に絶句するマリア。


「クソが。……クソがクソがクソがクソがクソがぁああああああッ!」


 直後、口火を切ったのは唯我だった。

 感情に着火し、怒りが噴火する。その心の動きは『自我の界法師』にとって力の源であると同時に界法だ。大地を揺らすほどの莫大な力が彼の肉体から溢れ、周囲の人間を吹き飛ばす。


「まずはテメェからだババア!」


 怒りは当然、いや本来は神ヴァニタスに向けられたもの。

 しかし神は既に避難済み。如何に個として最強を謳う唯我であろうと国の界法の中心地である王城の防御は突破できない。


 故、仕方なく第二目標であるマリアに向けて拳を振るう。


「マリア!」

「アっ、アルバ!?」


 だが唯我が振るった拳はまたも防がれる。

 神の権能から解放されたアルバの手に、既に掴まれていた盾。それは唯我の憤怒の波動を無効化し、アルバに行動の自由を与えていた。


「邪魔すんじゃねぇえゴミ野郎!」


 結果、アルバもアガパンサス同様に吹き飛ばされる。

 むしろ怒りの度合いは副団長の時より激しく、アルバの方が遥かに強く飛ばされ、王城の壁面に叩きつけられた。


 それでも一撃、マリアを守った。

 アルバの意識は一瞬にして閉じ、もはや『守った』という認識が届くのは恐らく目覚めた時。対して守られたマリアと言えば、神に目を奪われていた隙が目の前に広がる結果なのかと後悔する。


「ハッ! 弱ぇくせに出しゃばりやがって。……で? ババア、遺言くらい聞いてやってもいいぜ?」

「……ワタクシ達は屈しません」

「は? ンな訳ねェだろ、ゴミが。まとめてぶっ殺してやるよ」


 勝ち誇ったような唯我の顔が、一瞬にして歪む。

 再度振るわれる拳。マリアの自衛手段は、既に試している。けれど強力な自己意識と理想の自我を根幹とする唯我に対し幻術や認識阻害の類は効かない。何故なら科の目は既に『自分』というベールで覆われているからだ。


 力の集約。怒りの発現。更新し続ける最大火力。

 拳という形に込められた『セカイ』の力。圧倒的な暴力。


 そこにマリアにとって最後の、そして最大の誤算があった。


(死が! 周りも巻き込んで……イヤ、イヤッ!)


 迫る拳から感じられる死の気配。

 それ以上に感じる、莫大な割に理由の無い殺意。


 無差別に、ただ傷つけたいという意思と意志。

 それらは本来のマリアの、つまりは盲目の彼女にとって目に見える拳よりもずっとずっと恐ろしい存在だった。


 大司教という立場。皆の手本。高齢の身。

 それらを自覚していたはずの彼女でも、目の前に迫る絶望と目を背けたくなるような死の現実に……


(――【目を閉じて!】)

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