仕事ができる男
「お前、本気で仕事やってんのか?」
俺が低い声で言うと、部下は小さく縮こまった。
「営業は注文取ってきてなんぼだろうが。お前、今日で三ヶ月売上なしだぞ?」
「すみません」
「謝れって言ってんじゃねぇんだ。本気で仕事してんのかって聞いてんだよ!」
俺が机を拳で叩く。
ますます小さくなる部下を見て、俺は思いきり舌打ちをした。
こいつは中途採用で入ってきたのだが、最初から成績がよくなかった。こんな奴を平気で採用するあたり、うちの人事部の無能さがよく分かるというものだ。
「お前は赤字人間なんだ。いるだけ無駄なんだよ。そこんとこよく考えろ」
こいつにはとっくに見切りをつけている。営業としての能力が致命的に欠けていた。
では他の部署に行けば何とかなるかと言えば、それも無理だろう。この鈍臭さでは、どこにいってもお荷物になるに決まっている。
だから自主的に辞めるよう仕向けているのだが、これがなかなか辞表を出してこない。
「すみませんでした」
最後にもう一度謝って、部下は席に戻っていった。
その背中に聞こえるよう大きくため息をついて、俺が声を張り上げる。
「はい、次!」
そいつの隣の席から若い営業が立ち上がった。俺が目にかけている部下だ。
「よろしくお願いします!」
腰をきっちり折って、大きな声で挨拶してきた。さっきの部下とは大違いだ。
パソコンの画面を見ながら俺が言う。
「おぉ、今月もいいじゃないか」
「ありがとうございます!」
部下が笑顔を見せた。
「来月も頼むぞ。今月並みの売上があれば、俺の裁量でボーナスを弾んでやる」
「はい、頑張ります!」
大きく答えて部下が下がっていく。
席に座る時、そいつが隣に向かって何かを言った。
隣のダメ社員が、情けない顔をしてうつむいた。
その様子を見て、俺は満足げに微笑んだ。
俺がこの会社に入社したのは、今から八年前だ。
一流大学を卒業した俺は、就職先にあえて名の知られていない企業を選んだ。有名企業に入って優秀な奴らと競い合うのは非効率だと思ったからだ。
狙いを定めたのは、社長が一代で築いたようなワンマン企業。社長に取り入って、楽に出世をすることが目的だ。
組織というのは、上にいくほど給料が高くなり、裁量の自由度も上がっていく。
下っ端では駄目だ。中途半端な出世も意味がない。苦労と給料が見合わないからだ。
社長が作り上げたレールに乗っかって、先頭車両で太鼓持ちをしながら楽に仕事をする。あわよくば、そのレールと列車を丸ごといただいた上で、仕事を部下に任せて遊んで暮らす。
そういう人生を送るために、俺はずっと努力をしてきた。
新卒で入社した俺は、一年目から営業でトップの成績を出した。
それに周囲は驚いていたが、俺は驚かなかった。なぜなら、同僚たちは二流以下の大学か、大学すら出ていないボンクラばかりだったのだから。
とは言え、俺はそれを表に出すほど馬鹿ではない。
新人らしく、あくまで謙虚に。
俺が本性を現すのは社長に気に入られた後だ。
入社して一年が過ぎようとする頃、俺は社長と直接話す機会を手に入れた。成績優秀者の表彰のあとで、飲みに行こうと誘われたのだ。
社長の好きな言葉は”努力”。今年の年頭の挨拶でも、全社員に向かって”とにかく働け、努力しろ”と檄を飛ばしていた。
高卒で働き始め、三十才で小さな町工場を起こし、自力でここまで会社を大きくした。
だから、自分のやり方には絶対の自信を持っている。
ゆえに、人の話はまるで聞かない。自分は頑張っているのに、社員はいつもサボっていると本気で思っている。
そんな男に取り入るには、決して逆らわず、思いをくみ取りながら、意思に沿って動くことが一番だ。
飲みの席で、俺は社長の言葉にすべて頷いた。
褒め言葉には、すべて謙遜で返した。
場が暖まったところで、社内体制や新製品についての提案をした。
それを聞いた社長は、俺の肩をガシッと抱いた。
酒臭い息を吹き掛けながら、君には期待していると言った。
俺は、この飲み会で社長のお気に入りになることができたのだった。
それからも良い成績を出し続けた俺は、五年目で課長に抜擢された。同期はもちろん、何人もの先輩を抜き去っての昇進だ。
課長になっても俺は好成績を収め続けた。部下に仕事のやり方を一から十まで教え、その通りに動かしたからだ。
大口案件や将来性のある案件には必ず同行した。
プレゼン資料は俺が作り、プレゼンも俺がした。
その年、俺の部署は過去最高の売上を叩き出した。
飲み会で、社長が俺の肩を抱きながら”こいつは我が社のエースだ!”と叫んだ。
順風満帆、すべてが計算通りだった。
そんな俺を、幸運の女神は放っておかなかった。社長から、娘に会ってくれないかと言われたのだ。
娘は俺と同い年。大学を卒業後どこかの会社で働いていたらしいが、いつの間にかうちに入社して、社長の秘書になっていた。
派手な化粧と似合わないブランドの服。
高慢で鼻につく態度と頭の悪い言葉の数々。
社長が四十二の時にできた子とかで、それはもう甘やかされて育っている。娘が小さい時に奥さんが亡くなったこともあって、その溺愛ぶりは常軌を逸していた。
娘の容姿は、まあ悪くなかった。だがそれだけだ。普通ならこんな女に近付くことすらしなかっただろう。
それでも、俺は女と付き合うことにした。結婚して婿養子に入ることを前提にした交際だ。
笑顔の下に軽蔑を隠しながら、俺は女をおだてまくった。そのおかげで、一ヶ月もすると女は人前で俺に腕を絡めてくるようになった。
本当に馬鹿な女だ。鬱陶しいにもほどがある。
そう思いながらも俺は女を持ち上げ続けた。そして一年後にはプロポーズをし、その場でOKをもらった。
挙式は海外だった。そのまま高級リゾートを巡る新婚旅行となり、帰国後には一流ホテルで盛大な披露宴という流れだ。
このプランに、俺はまったく関わっていない。娘の相談相手は、俺ではなく社長だった。
仕事中だというのに親子ではしゃぎまくる姿を、蔑みながら俺は見ていた。
結婚の翌年、俺は営業部の部長になった。同時に取締役にも任命され、次期社長として歩み始める。
仕事は増えたが、それを上回る努力で俺は結果を出し続けた。社長に媚びる以外能のない役員たちを黙らせるには、絶対的な数字が必要だったからだ。
使えない社員は、ぎりぎりまで給料を減らした上で、自主退職を申し出るように仕向けた。
使える社員は、給料や賞与で釣って俺の手足にした。
クラウドサービスを導入し、情報共有と状況把握を二十四時間リアルタイムに出来るようにした。
その他考えられるすべての施策を講じたことで、売上と利益は右肩上がりに伸びていった。
そんな俺に、またも女神は微笑んだ。
「すみません、会社を辞めさせていただきます」
あの部下が、とうとう辞表を出してきたのだ。
「そうか、残念だな」
白い封筒を俺が受け取る。
「明日から休んでいいぞ。有給で処理しといてやる」
「……ありがとうございます」
「お疲れさん」
罵っても圧をかけても辞めない厄介な男。こいつの顔を見るたびにうんざりしていたのだ。
だが、それも今日で終わりだ。本当にスッキリした。
辞表を引き出しにしまった俺は、思い切り伸びをした。
そこに内線が掛かってくる。
「今いいかね?」
「はい、すぐに伺います」
社長からだった。
急いで社長室に行くと、そこにはあの女、いや、俺の妻がいた。
二人ともやけに真剣な顔をしている。
まさか、早く孫の顔を見せろとでも言うのか?
俺は、表面上は妻を大切にしていた。夜の営みも適度に行っているつもりだ。
だが、結婚して二年近く経っても妻は妊娠しなかった。
そのことに社長は何も言わなかったが、じつは心のうちで不満に思っていたのかもしれない。
これは面倒だな
一瞬だけ俺が顔をしかめる。
ところが、その心配は完全に杞憂だったのだ。
「少し早いとも思ったんだがね。きみに、わしの椅子を継いでもらいたいと思っているんだ」
この時の俺の気持ちをどう表現したらいいだろう。
俺の努力は、すべてこの日のためにあったのだ。
社長の隣に立っていた妻が、派手な化粧をクシャリと歪め、どぎつい匂いをまき散らしながら駆け寄ってくる。
「おめでとう!」
義務感だけで妻を抱き留め、心の中で女神に感謝を捧げながら、俺は恭しく頭を下げた。
「全力で務めさせていただきます」
社長になったものの、すぐに会社を自由に出来るわけではなかった。前社長が相談役として俺の指導を始めたからだ。
だが、これは想定済みだ。というより、俺もそれを望んでいた。社長として必要な知識、経験、人脈を効率よく吸収するには、直接教えてもらうのが一番だからだ。
俺はここでも頑張った。
歯を食いしばり、必死に努力をした。
そして一年後、前社長が言った。
「わしは引退する。あとは任せたよ」
その顔はやけに老け込んでいるように見えたが、俺にとってはどうでもよかった。
「今までご指導ありがとうございました。あとはお任せください」
俺の言葉を聞いた老人は、ホッとしたように椅子に背を預けると、だらしない笑みを浮かべた。
頭の固い古株社員と無能な役員どもを全て追い出し、フレッシュな状態で俺の会社は動き出した。
主要ポストには俺の目に叶った者だけを配置してある。すべてが俺の思いのままだ。
役員会も社内会議も、俺が指示を出すだけの場となった。おかげで業務効率が劇的に向上した。
経費削減も極限まで進めた。
取引先に最大限の圧力を掛け、我が社に有利な条件を引き出した。
節税の得意な税理士を雇って、徹底的に税金を減らした。
社員の雇用形態を見直すことで、社会保険料や福利厚生費を大幅に削減することに成功した。
これらの成果は明確に数字に表れた。
我が社は、前社長の業績を上回る最高の結果を出すことができたのだ。
儲かる仕組みは出来つつあった。
もう少し頑張れば、ただ椅子に座っているだけで会社が回っていく日が来るだろう。
そんなことを考えていた矢先、突然その出来事はやってきた。
前社長が死んだのだ。
死因は癌だった。ずっとそれを隠して働き続けてきたらしい。
泣き崩れる妻を励ましながら葬儀を終えて家に戻ると、俺はソファに体を預けた。妻と親戚連中の相手で、さすがの俺も疲れ切ってしまったのだ。
そこに、会社の顧問弁護士が訪ねてきた。何もこんな時にと思ったが、弁護士が持ってきたものを見て、俺は気を引き締める。
それは、遺言書。
寝室で寝ていた妻を呼んで一緒に確認したのだが、その内容に俺は目を丸くした。
そこには、全財産を俺に譲ると書いてあったのだ。一人娘の妻には一円も渡さず、すべてを俺に託すという。
妻に確認したら、それでいいと答えた。もしかすると生前に話を聞いていたのかもしれない。
俺は、頬が緩みそうになるのを堪えながら弁護士に言った。
「分かりました。それで手続きを進めてください」
その夜、俺は遺影を眺めながら考えた。
この男は、一体何のために生きてきたのだろう
努力と根性で会社を大きくした。
男手一つで娘を育てた。
その両方を、血のつながりのない赤の他人に託して死んでいった。
「ほんと、クソみたいな人生だな」
俺は、遺影に向かって中指を突き立てた。
翌日。
俺はしつこく鳴り続けるインターホンで目を覚ました。
時計を見ると、驚くことに午後二時を回っている。俺は休日でも起床は朝五時と決めていた。入社以来一度も破ったことのないルールだ。
今日は休みを取っているので問題ないのだが、起きられなかった事にショックを受けた。
気を取り直して体を起こすと、俺は枕元のスマホを手にする。
そして、俺は目を見開いた。
二十を越える着信と、五件の留守電と、緊急と書かれたメッセージと、優先度高のフラグのついたアプリの通知。
慌てて確認したそれらすべてが、目を疑うような内容だった。
公正取引委員会が抜き打ちで立ち入り検査に来た。
労働基準監督署からヒアリングがしたいと連絡が来た。
年金機構から指導を受けた。
営業マンが詐欺容疑で逮捕された。
顧客情報が漏洩していると匿名の指摘があった。
新商品のクレームが殺到している。
電話もメールもパンク状態で仕事にならない。
部下たちの悲鳴が聞こえてくるようだった。
昨日まで我が社は順風満帆だったはずなのに、一体何が起きたというのだろうか。
悪夢のような事態に頭が追い付かない。
何をどうしたらいいのか分からず、スマホを握ったまま俺は茫然とした。
その間もインターホンは鳴り止まない。
妻は出掛けているのだろうか。本当に役に立たない女だ。
クラクラする頭を抑えながらリビングに向かった俺は、呼吸を整えてから応答ボタンを押す。
カメラの前には、見たことのない男たちがいた。
苛立つ気持ちを抑えて俺が聞く。
「何の用ですか? 今ちょっと忙しいんですけど」
俺の低い声に、だが男たちが怯むことはなかった。
それどころか、こちら以上に苛立った声で手前の男が答える。
「ドアを開けていただきたい。お義父さんと奥さんの借金について話があります」
「借金?」
「そうです。ここにいる全員が、同じ用件で来ています」
これは何かの冗談なのか?
うまく状況が受け止められず、俺は気が抜けたように画面を眺めた。
手前の男を押しのけて、別の男が話し出す。
「あなたがお義父さんの財産をすべて相続したと聞きました。つまり、あなたが債務を引き継いだとみなしていいんですよね?」
激しい眩暈で、思わず俺が目を閉じる。
「返済期限が過ぎているものもあるんです。早急に話し合いがしたいのですが」
息がうまくできなくなって、壁に手をついて体を支える。
「奥さんからは、すべて夫に任せてあると言われています。あなたが何とかしてくれるんですよね?」
その瞬間、俺はみっともなく膝から崩れ落ちた。
「もしもし、聞いてますか? 応じない場合は、即日法的措置に……」
頭上の声を聞きながら、俺は笑っていた。
すべてが計算通り。
それがとんでもない勘違いだったと、この時俺は気付かされたのだった。
仕事ができる男 完




