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ーー青空の下。とある学校の屋上にその少女はいた。
向かい風に煽られ、長い黒髪を宙に踊らせる。
その胸には身の丈程の長さの刀を抱き締め、フェンスに背を預け、それを見ていた。
少女は神代悠子。世界最強の剣士である。
彼女の手には複数の書類がある。
悠子はその書類に目を通し、内容を確かめる。
それは今しがた彼女の元まで届けられたものだ。
内容は悠子が諸用(学校)の為、参加することが出来なかった会議の内容が事細かに纏められた報告書のようなものである。
その一枚目には協会の今後の方針等が。
二枚目、三枚目、四枚目ーー。それ以降も似たり寄ったりの内容が記載している。
相変わらずつまらない会議ね、と悠子は思う
(やっぱり行かなくって正解だったわ)
いつもと同じような内容の報告書に、悠子は辟易しながらも最後まで書類に目を通す。
ようやく最後の一枚だ。。
他のものと同じように悠子は軽くそれを読み、「ふふっ」と思わず笑ってしまう。
(なによこれ)
そこには、普段の会議では絶対に有り得ないような珍妙奇天烈なことが書いてあった。
(…訂正ね。も今回ばかりは参加した方が良かったかもしれない)
それはお伽噺や神話上にのみ存在する名前。
ーーカガク者。
世界の真理を解き明かし、それを具現化する者。空想上の架空の存在。その名が、まるで散りばめられたビーズのように最後の書面の至るところに記されていた。
この報告書は暗号化する程の重要機密の書類である。
そんな大切な書面に、空想上のモノの名が出る。
それを例えるなら上場企業の重要な企画会議の最中に、真剣な目で「魔法を使えばいいのでは?」と提案するようなものだろう。
まさに異常だ。
そんな異常なことを大真面目に議題に掲げていた会議だったのだろう。
そんな面白い会議には。是非とも参加してみたかった。
内心で悠子は、その内容を小馬鹿にしながらも最後の句点までしっかり目を通す。
その馬鹿げた書面。
それを短くまとめると、こうなる。
『カガク者を名乗る敵対者がいるので気を付けろ』
その本気の内容が余計に悠子の笑いを誘う。
(カガク者、ねえ。馬鹿馬鹿しいわ)
そこに具体性はなく、組織の詳細も分からないような内容をそのまま額面通りに信じられるわけがないだろう。
むしろ、余程頭がお花畑でもない限りは、まず信じない。
悠子は、その書面で読み取れたのは「敵がいる」という漠然たる認識だけ。
そして、そのカガク者を名乗る者は単体ではなく、組織だということも読み取れた。
仮にも派遣協会は世界最高峰の組織だ。そんな組織の情報網に引っ掛かることなく、協会上位の剣士を何人も殺す等、まず単体では不可能だ。
何らかの組織のバックアップの元に、協会上位の剣士を殺して回っていると考えるのが妥当である。
そこで悠子は最後の行文まで目を進めた。
そこにはカガク者を名乗る組織の担当者の名が記されていた。それは悠子も良く見知った人物である。
(どうやらこの組織を調べてるのは師匠のようね)
悠子は一通り読み終えると、懐から発火石を取り出した。
それは魔力が通ると自然発火する鉱物である。
悠子はそれに魔力を込める。
すると、その石は灼熱を迸らせた。
それはまるで小さな太陽のようだ。
本来は床に置き、使うものである。
しかも、灼熱を吹く発火石に触れる時は専用の手袋を付ける必要がある。
さらに言えばそれを扱うのには、専門の資格までいる。
それはそれほどまでに危険な鉱物だった。
にも関わらず悠子は、それを素手のまま握っている。
専門の手袋は付けずに掴んだまま、それに魔力を流していた。
そんなことをすれば、手が悲惨な末路を辿ることは一目瞭然だろう。
流石に太陽ほどの熱はないものの、人体ならば容易に消し飛ばす程の熱量はある。
それを素手で悠子は握っている。
手が溶炉せずに残ってることが不自然なくらいだ。
だけど、悠子は相変わらず何事もないように平然とそれを握っていた。
それも手には一切の火傷はなく、綺麗な柔肌のまま炎上する発火石を握っている。
それはありえないことだ。
悠子は右手の発火石に左手の書類を合わせる。
すると、発火石に触れた箇所から書類は燃え始めて、徐々に火の手が書類を蝕んでいく。
それは情報漏洩を防ぐための後処理である。
文章が暗号化されてるとはいえ機密事項がたっぷりの重要書類だ。
普通に廃棄するわけにはいかず、焼却処分が義務付けられているのである。
悠子は発火石に魔力を送るのを止め、
火に包まれた書類を目の前に放る。
ふぁさっと炎上する書類の束は、まるで羽を広げた不死鳥のように風に舞い、吹くように消え去った。
「わあ、綺麗だね」
ぱちぱちと屋上に柔らかい拍手が響き、感嘆の声が上がる。
それは耳心地の良い、甘く可愛らしい声である。
悠子はひとつ溜め息をついて、その声の元に視線を投げる。
「外で話しかけるのはおやめなさいと、いつも言ってるでしょう」
そこには魔法科の純白の制服に、ふわふわと白銀の髪を風に揺らす華奢な少女が立っていた。その少女は、悠子の唯一の友達ーーエル・クレシアである。
エルはぷくっと子供のように頬を膨らまし、不満げに言う。
「むうっ、いいでしょ、どうせ誰も見てないよ」
対する悠子は冷静に、その事実だけを述べる。
「…誰かに見られる可能性が、少しでもあるのは問題なの、分かってるの? 誰かに見られたらお互いもうここにはいられないのよ」
悠子の言葉に「うっ」とエルは言葉に詰まる
「あなたはそれでもいいの?」
「ううっ、それは嫌だけど、でももっと悠ちゃんとお話したい」
「話ならあの場所があるじゃない」
「他人事だと思って、あの世界を作るのは結構大変なんだよ。 一日に二回もあの世界を作るのは流石に辛いもん」
ぶーぶーと不満を口にするエルに悠子は半ば諦めたように両手を上げる。
「はぁ、仕方ないわね」
悠子は肩を竦める。
「少しだけよ」
悠子は気配探知の網を広げ、学校にいる一人一人の動きの全てを確かめる。
どうやら屋上に近寄る者も近寄る危険性を孕んだ者も、今のところはいない。
それが分かると悠子はスカートが汚れないようにと地面にハンカチを敷き、その上に腰を下ろす。
「エル」
悠子は自分の隣をぽんぽんと叩き、
「おいで」
そこに座るようにと促した。
「うん!」
それを見たエルは目を輝かせ、大きく頷く。
そして、主人を見付けた忠犬のように悠子の元まで駆け寄り、そのまま抱きついた。
「エル、私は隣に座ってと言ったのだけど?」
エルは悠子の胸に顔を埋め、もごもごと呟いた
「やあらかーい、わたひここがいいなあ」
「却下」
悠子はエルを強引に引き離し、その隣に座らせる。
「むぅっ、けちー」
「ケチで結構よ」




