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「おーい、まだかー」
「今行くー」
自転車に跨って立ち漕ぎでスタート。ゆっくりと進んでいた大輝に追いつく。
「で、用は何だよ?」
家へ着く前にそのぐらいは聞いておきたかった。
「ああ、そうだった。お前が使ってる小説の、サイト? そこを教えてほしいんだよ」
自転車を漕いでいるためかチラチラとこちらを見ながらそう言う。僕はあまりにも軽い要件にハンドルを軽く叩いた。
「んなことかよー。メールとかでも大丈夫じゃんか」
「メールは面倒なんだよ。な?」
またこちらをチラリと見てくる。今度は促がしのチラだ。ため息混じりに答えた。
「まったく。お前の家に行くのは別にいいものの、この方が面倒だっての」
「ありがとなー」
恩を感じているのかいないのか、大輝は軽い調子でそう言いながら僕の背中を緩く叩いた。
そうこうしている間に大輝の家へ到着し、僕らは駐輪場に自転車を停めてエレベーターに乗り込んだ。
あまり好きではないエレベーターの機械音を仕方なく聞きつつ昇っていく。
そう言えば、僕のアカウントも教えておくべきだろうか。でも、今更になってきて何だか恥ずかしい。とりあえず伏せる方向で行こう。
短い脳内会議が終わるのとほぼ同時に、エレベーターから間抜けな音が鳴った。左右に消えていく扉を潜って狭い箱から比べればまだマシな廊下に出ると、大輝が先を歩いて自分の家のドアを開けた。
「ただいまー」
後ろに続く。
「お邪魔しまーす」
奥からのおばさんの声を聞くのもそこそこに大輝の部屋へ入った。
パソコンをいじる大輝。僕が言った言葉を検索すると、上がってきたリンクを躊躇わずクリックする。
「ここか?」
「そう、このサイト」
登録が終わると大輝はちょっと興奮した様子でサイトの中を見て回っていた。僕はどこか落ち着かなくて、ベッドに寝転がってぼんやりとしているしかできなかった。
それもしばらくすると、大輝は僕の方を振り向いた。
「なぁ、康弘」
その声を受けてのそりと起き上がる。
「どうした?」
「お前のアカウント教えてくれよ」
いつものように、にかっと笑う大輝。
僕は首を横に振った。
「やだ」
「なんでだよ」
片眉だけ吊り上げ、背もたれに深くもたれかかる大輝。ただ恥ずかしいという理由で拒否するのは、それ自体が恥ずかしかった。
「いや、その、だな」
歯切れ悪く時間を稼いで言い訳の糸口を掴んだ。
「そう、競争みたいにしないためだ。ほら、このサイト、閲覧数とか評価とかが出るから、それを比べて勝ったとか負けたとか思わずやっちゃいそうだろ? そういうの、ヤじゃないか?」
たどたどしいのはどうにもならなかったが、とりあえずの理由は取り繕えただろう。
そう思っていると、大輝は不満げに腕を組んだ。
「オレはお前の小説読んでみたいんだけどなー」
それぐらいなら――と言おうとして、飲み込んだ。
「でもさ、読んだらどうしても自分と比べたくなるだろ? そんな気が無くても書いてたらそうなってくるから止めておこうぜ?」
促がしの視線を送ると、不承不承という様子ではあったが「分かった」と言ってくれた。
人心地ついた気分になっていると、パソコンに向き直った大輝は文書作成ソフトを起動した。
「お、もう書き始めるのか? いいネタあるのか?」
ベッドから立ち上がって大輝の方へ近付く。直前に言ったことと矛盾している行動だとは思ったが、まぁいいや、と心の中で呟いた。
大輝は軽く笑うと軽快にタイプし始めた。だがどうやら本文ではなくメモのようで、箇条書きをいろいろと書き連ねていく。
「一応な。お前が小説書いてるのを知ってからちょっとずつ考えてたんだ」
へぇ、と言った声はちゃんと口から出ていたのだろうか。大輝はそれを受けたのかどうなのか分からないが、勢いそのままに続けた。
「でもさ、本は読んでても書くことなんてないから分からなくてな。だからお前には書き方を教えてもらいたいって思ってたんだよ。サイトは口実」
その言葉を聞いて、僕は口の端をほころばせた。
「そうかそうか! そうなんだったら最初から言えよな!」
大輝に頼られた。それが、お前は親友だと言ってくれたように思えて嬉しかった。気分が負の感情と繋がる鎖から離れ、ふわりと浮かんだ。
「親友だと思ってるのが僕の方だけじゃなくてよかった」
僕の顔は酷く崩れていたに違いない。実際、「気持ち悪い顔するな」と腹にパンチを食らった。
ぐふぅ、と情けない声を出す僕に頭上から音が降る。
「まぁ殴っておいて何だがオレだってお前は親友だと思ってるさ」
聞き取りづらい声で言うから「え? 何って? もう一回言ってくれないと僕分かんないなぁ」と言ったらまた殴られてワンダウン取られた。何もしてないのにこれは流石に酷くないか。
「と言うより小学校からの仲なのに今更言うことでもないだろうが空気読め」
一息でそう言うと荒らげた息を整えながら椅子に座りなおした。耳が赤くなってるのはどうしてだろうね大輝君。
大輝のこういうところは子供っぽい。頭がいい割にまだまだだ。
「オーケー今の僕は寛大だ。僕の技術を伝授してやろうじゃないかははははは!」
「調子乗ってんじゃねえよ」
中段回し蹴りが脇腹にクリーンヒットしてツーダウン。椅子に座ったままなのにこの威力。
「ちょ、流石にこれはひど」
「ところで小説どうやって書けばいいのか教えてくれませんか康弘君」
無視か。
「前言撤回しようかどうか考えるから1時間寄こせ」
「スイマセンデシタ」
ペコリと頭を下げる。
「誠意が感じられないやり直し」
ふんぞり返ってビシッと指差してやると目が笑ってない笑顔を浮かべつつ大輝が立ち上がった。身長が僕より十数センチも高いせいで威圧感がすごい。
「蹴り飛ばすぞ人が下手に出たら調子乗りやがって」
「ごめんなさい喜んで教えさせていただきます」
勿論土下座した。
「分かればよろしい」
「あれなんで僕が謝ってるの?」
「んなもん知るか」
これは酷い小説講座の開講式だ。それに、その場のノリで暴力行為をスルーしたけどちょっと痛い。空手有段者というのは伊達じゃない。
「あ、スマン。流石にちょっとやりすぎたか?」
見た目も痛そうにしていたのか。片眉を下げる大輝。
「あ、いやいや大丈夫大丈夫」
僕は急いで手を横に振ると本当に大丈夫だと思わせたくて笑った。
「すげぇしかめっ面になってるけどホントに大丈夫か?」
「じゃあ慰謝料を」
右手の平を差し出す。
「TKO食らいたいのか。了解了解」
パシンパシンと左手に右拳を打ちつけながら立ち上がる大輝。
「どうかその拳をお納めして席にお戻りください」
平謝り。どうしてこうなった。
「さて、冗談はさておき本題にいこうぜ」
ギシ、と椅子に腰かける大輝。時間が経ったおかげか痛いのもマシになったし、まぁいいか。
「小説の書き方だよな」
うーん、と唸る。正直なところどれを言えばいいのか分からない。気を付けているところはいろいろあるが。
「思いついたことからでいいから頼む」
頬杖をついてこちらを見る大輝。それなら、あるかな。
「じゃあ――」
訥々と説明を始める。自分でもあまり要領を得た説明じゃなかったと思う。それでも、大輝はうんうんとしきりに頷きながら聞いてくれた。
僕は本当にいい友達を持った。馬鹿やってくれて、喧嘩してくれて、信頼してくれて。
「おい、どうした?」
「あ?」
「あ? じゃねえよなんで泣いてんだ?」
目元を拭うと確かに濡れていた。あーあ。これだからいまだに泣き虫って馬鹿にされるんだよな。
「いや、別に何でもねぇよ」
「何でもねぇことあるかよ! 手加減ミスったか? もう嫌だぞオレは!」
お前が蹴った程度で泣くほど痛がるかよ。ああ、くそ。
立ち上がろうとする大輝の肩を押さえる。目を合わせるのが気まずくて逸らした。
「お前が親友で良かったって思うとなんかこうなった」
凄い形相だった大輝が固まった。そして、笑い出した。だから言いたくなかったのにこいつときたら。
「お前の泣き虫な所はいつまでたっても治らないな!」
それだけ言い放つともう一度笑い始めた。僕は気持ちを切り替えるために一つ息を吐きゴシゴシと目をこする。
「さっさと笑い止めこんにゃろう!」
「あー、スマンスマン」
笑いすぎて泣いてやがる。
「でも、それでお前が泣くのは無理もないか」
「うるせぇ」
急に静かになったせいで耳の奥がキーンと鳴る。あの時のことを思い出しているのか、大輝はぼうっとした様子で手を見つめていた。急に湿っぽい雰囲気になって居心地が悪い。
「さて、もう教えることが無くなったんだがどうする?」
外はまだまだ明るい。まだ図書館に行ったりもできるし、このままネットで調べることもできる。
「お、ホントか。じゃあちょっと書いてみるか」
そう言うと、早速書き始めようとした。習うより慣れろだしな。
「あー、書き出しってどうすりゃいいんだ」
そして早速詰まった。
「書き出しは誰でも悩むところだからな。最初なんだから時間かけてゆっくりやればいいと思うぞ」
大輝の頭がいいのは知ってるが、こういう所は普通の奴と同じなのかと今更ながら気付いた。これは時間がかかるだろうな。
頭を抱える大輝を見て、鞄の中から本を取り出した。
書いている間ずっと見ているなんてやりたくもないし、何よりそんなことをされれば気が散る。静かに本でも読んでいるのが一番だろう。
文章をひねり出すために大輝は唸っているが、僕はすんなり読書に集中できた――
キリのいいところまで読んだので時計を見た。丁度そろそろ晩飯の時間だ。どんな理由があっても、さすがに晩御飯をごちそうになったり泊まったり、なんてできない。
腰かけていたベッドからゆっくり立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ帰るな」
「おう、今日はありがとな。また明日」
大輝はこっちを見てそう返すと、またすぐ画面へ視線を戻した。これは結構はまるかもしれないな。
「お邪魔しました」
「はいはい。また来てね」
ドアを開けると大輝のお母さんがいた。会釈して外に出る。エレベーターは静かだった。
駐輪場から外に出ると夕方の割には少し暗い気がした。空を見上げると、灰色の雲が一面を覆っている。
それを見たせいか、僕の心にももやもやとした何かが垂れ込みだした。
――僕も小説を書かなくちゃ。
もやもやの理由は分からないままだが、大輝の姿を見て刺激を受けたのだろう、自然と僕はそう思っていた。
遠くで稲光が走っていた。早く帰らないと降られるかもしれない。
そう思った瞬間、どこか近くに落ちたのか、激しい音が鼓膜を打った。
「ひっ」
心臓が何度も何度も肋骨を叩く。
目の端に涙が浮かぶ。
僕は体を少し縮めたまま空を見上げていた。
ある記憶が脳裏をよぎっていく。
威嚇するように大きな音を何度も何度も――
ポタ。
雨粒が顔に落ちてきて、僕は我に返った。
目の下辺りに冷たさを感じながら、慌てて自転車に跨った。