12
部屋番号を入力してインターホンを鳴らす。
『どちら様ですか?』
「大輝か?」
『ん? 康弘か? どうした』
「ちょっとな……」
言い淀んだところで察したのか、僕の言葉の続きを待たずに言う。
『とりあえず上がって来いよ』
ガチャリ、と音が途絶え、代わりに自動ドアが開いた。
ゆっくりとそれをくぐり、エレベーターで上がっていった――
エレベーターから降りると、腕組みをしてドアにもたれかかっている大輝の姿があった。
わざわざ外で待っていてくれたのか。
近付いていくと気付いたのか、腕組みを解いて心配そうな表情を向けた。
そのまま一度口を開いて、止めて、もう一度口を開いた。
「……とりあえず、入れよ」
「ありがとう」
大輝が開けたドアを一緒に抜ける。
おばさんには「宿題をやりに来た」と嘘をついた。
持ってきた鞄を見ておばさんは納得していた。
背中に冷や汗が浮かぶのを感じながら大輝の部屋に入った。
後から入ってきた大輝が部屋のドアを閉める。
「今度は、どうした?」
定位置の、パソコン前の椅子に腰かけながら大輝が眉をハの字にする。
答えようとした。
フラッシュバック。
同時に、胃が上ってきた。
何も言えずに口を押さえ、トイレへ駆け込んだ。
便器にしがみつき、腹の底が突き上げられるに任せた。
ビチャ、と水に液体が叩きつけられる音が、耳から僕の記憶を揺さぶる。
何度も吐いた。
口から吐き出されたものは黄色い胃液ばかりだったけれど、少しだけ気分は良くなった。
コンコン、と後ろのドアがノックされる。
続いて、大輝の「大丈夫か?」という声がドアを通り抜けてきた。
レバーを回して水を流し、手洗いのために出てくる水でうがいをした。
「大丈夫」
見られているわけではないのに笑顔を作りながら答えた。
トイレを出ると、さっきよりも心配そうな大輝がいた。
その顔がなんだか面白かった。
「……笑えるなら平気そうだ」
独り言のようにそう言うと、大輝は先に部屋へ戻っていく。
後ろ手にトイレのドアを閉めて部屋に戻った。
部屋に戻ってからも、しばらくは二人とも黙っていた。
僕は、かすかに震えていた。
いろいろなことが一度に起きて、気が立っているのかもしれない。
前のようにドアを背もたれにしながら、今度は自分の脚をぼんやりと見ていた。
「なぁ康弘」
この空気が堪らなくなった、という調子で大輝が声をかけてきた。
「何?」
大輝の方へ顔を向ける。
「……最近さ、その、色んな人と交流するようになったお陰か、評価が伸びてきたんだ」
何の? という言葉が喉まで上がってきて、下りていった。
小説の話か。
へぇ、とぞんざいに返す。
「ようやく平均百点ぐらいもらえるようになってきてさ」
大輝の額に冷や汗が見えるような喋りだった。
僕は長座している脚にもう一度視線を落とした。
それでも、大輝は続ける。
毎日一つ小説を上げるようにして――
小説の書き方が分かってきた気が――
コメントも結構書いてもらえて――
――だから、なんなんだ。
――何も分かっちゃいない。
――自慢はもういい!
僕は静かに立ち上がった。
大輝がようやく黙る。
――大輝も、奪うのか? もう僕には小説だけしかないのに?
「大輝」
「なんだ?」
大輝の声は、少しだけ震えていた。
「消してくれよ。小説。僕の居場所なんだ。小説は僕のものなんだ。なぁ。親友、だろ?」
僕の声は、もっと震えていた。
僕の方がダメな声だ。笑える。
クスクス笑いが漏れる。
大輝は引きつった表情で答えた。
「分かった」
大輝はパソコンに向き直ると、自分の作品管理ページへ行く。
そして、チェックボックスを全て選択すると、非公開を選んだ。
消せと言ったのに。
ポップアップの『はい』をクリックして僕に向き直る。
「これでいいか?」
耳を打った声は、どこか憐れむように聞こえた。
ああ、そうか。
大輝はやっぱり僕のことを親友だと思っていなかったんだ。
大輝も、僕から奪うんだ。
僕のこと全部知ってるから、何もかも奪って、優越感に浸りたいんだな。そうなんだろ?
学校の成績比べも、小説の自慢も、全部そうなんだよな?
他人に、僕と自分を比較させて、自分のすごさを引き立てるために僕を利用したんだよな?
大輝は怪訝そうな表情だ。
怪訝? いや、違う。違う。大輝の眼は本気で僕のことを心配してる。
どうして? どうして?
自然と、脚が後ろに一歩出た。
僕が悪いのか?
僕が大輝を――そうか。分かった。
全部分かった。
気持ちのいい笑いがこみ上げてきた。
惜しまずに笑おう。震えすら心地いい。
「……く、ふふ、ははは。あははははは!」
僕が勝手に大輝を疑っていたんだから、笑うしかない!
勝手に怖がって、善意を悪意と受け取ったのは、馬鹿な僕だ!
小説のことを詳しく話さなかったことも、大輝が小説を書くと言いだした時に感じたものも、全部全部怖がりな僕が悪かった!