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第6話:数多の牙と、一筋の火線

昨夜の「品質B」のスープがもたらした熱気は、驚くほど身体の芯に長く留まっていた。アドルは、自作した木製装備の紐をきつく締め直し、全身を走る「若さ」の躍動を確かめる。二十代前半へと巻き戻された肉体は、どれほど酷使しても翌朝には信じられないほどの軽快さを取り戻しているが、これから挑む「生存を賭けた実戦」への緊張までは、容易には拭い去ってくれなかった。

「ミーシャ、俺が森に入って獲物を誘い出してくる。君は予定通り、配置についていてくれ」

アドルが声をかけると、ミーシャは不安げに眉を寄せながらも、力強く頷いた。その瞳には、恐怖を押し殺し、パートナーを支えようとする強い意志が宿っている。彼女はアドルが昨日までに複製した「品質C」の投槍を束ね、洞窟の入り口から三十メートルほど離れた対岸の斜面へと向かった。そこなら広場を一望でき、かつ高低差を活かして安全に援護が可能だ。

「アドル、絶対に無理はしないで。危なくなったら、すぐに洞窟へ逃げ込んで」

「わかってる。……絶対に、生きて戻るさ」

短く交わした言葉には、以前のぎこちなさはもうない。アドルは一人、深く濃密な緑が支配する森の奥へと足を踏み入れた。ただ獲物を待つのではなく、自ら脅威を選別し、迎撃に適した場所へ引きずり出すための歩みだ。湿った土を踏みしめる音が、静寂に包まれた森に不気味なほど響く。

(鑑定……)

意識を研ぎ澄ませ、藪の向こう側を探る。ほどなくして、立ち枯れた大樹の影に、鋭い眼光を持つ灰色の獣――フォレストウルフが二匹、死肉を漁っているのを見つけた。アドルは落ちていた石を拾い上げ、一匹の背を狙って思い切り投げつけた。鋭い石が命中し、低い唸り声を上げながらウルフたちがこちらを向く。その瞳に宿る、剥き出しの飢えと殺意を確認した瞬間、アドルは即座に反転し、洞窟へ向かって走り出した。

背後から迫る獣の荒い息遣いと、落ち葉を蹴立てる凄まじい足音。アドルの二十代の脚は、それまでの人生では考えられなかった速度で大地を蹴るが、それでも獣の速度には及ばない。焦燥が背中を焼く。

洞窟の入り口が見えた。アドルは入り口を背にして踏み止まり、複製した「こんぼう」を構える。この場所こそが、昨夜二人で決めた絶対的な迎撃地点だ。

「……一匹目!」

斜面上方から空を切り、一本の投槍がウルフの首筋に正確に突き刺さった。ミーシャの放った一撃は、獲物の生命を刈り取るに十分な威力を持っていた。

激痛に悶え、一匹が崩れ落ちる。作戦通りに進む手応え。昂揚がアドルを包んだ――が、それは次の瞬間に、氷水を浴びせられたような戦慄へと変わった。

生き残ったもう一匹が空を仰ぎ、喉が張り裂けんばかりの遠吠えを上げたのだ。

「しまっ……!」

森の奥から、共鳴するように無数の遠吠えが返ってくる。一匹、また一匹。藪を割り、溢れ出してきたのは、三十を下らないフォレストウルフの軍勢だった。想定を遥かに超える、純然たる数の暴力。アドルはこの時初めて、異世界の野生が持つ本当の恐ろしさを目の当たりにした。

「ミーシャ、来るな! そこで投げ続けろ!」

叫び、必死に合図を送る。ミーシャが慌てて飛び出してくれば、二人とも一瞬で食い殺されるのは明白だ。アドルは洞窟の入り口の狭さを利用し、一度に相手をする数を三匹までに絞ろうとした。だが、飢えた獣たちは代わる代わるアドルの肉を食い破ろうと、荒れ狂う波のように襲いかかってきた。

バキリ、と木製の胸当てが砕ける音が響く。

「がっ……、この……っ!」

泥臭い素振りの成果を叩き込み、一匹を叩き伏せる。だがその隙に、別の個体の鋭い牙がアドルの二の腕を深く掠めた。熱い痛みが走り、視界が汗と血で滲む。

次々と斜面から投げ込まれる投槍。ミーシャも必死に腕を振っている。だが、次々と押し寄せる牙の嵐に、自作の「品質C」の防具は限界を迎えつつあった。呼吸が焼けるように熱く、膝が激しく笑う。

(……ここまでか。……いや、まだだ!)

地面には、獲物を逸れた投槍の残骸や、アドルがこれまでの検証で作り捨ててきた失敗作の木屑が大量に散乱している。アドルが膝をつきかけ、最後の一振りを繰出そうとした、その時だった。

「アドル、伏せて!!」

ミーシャの叫びが響くと同時に、空を裂いて飛んできたのは、赤々と燃え盛る一筋の光だった。投槍の先端に、ミーシャが放った初級魔法『プチファイア』が纏わされている。

その一本が地面に突き刺さった瞬間、広場の景色が一変した。地面に散らばっていた大量の投槍の残骸――アドルが「上振れ」を狙って何度も複製に失敗し、ミーシャがこれまでストレージから無尽蔵に投げ続けてきた不格好な木片に、火が猛烈な勢いで燃え移ったのだ。

「……炎の、壁……?」

乾燥した木材と、二人がこの数日で積み上げてきた「失敗」という名の物量が、ウルフとアドルの間に巨大な炎のカーテンを作り出した。獣たちは本能的な恐怖に駆られ、後退する。これほどの火の粉と熱量には、執拗な狩人たちも抗うことはできなかった。一匹、また一匹と、群れは不本意そうに森の闇へと消えていった。

静寂が戻った頃、アドルは血に汚れた地面に大の字になって倒れ込んだ。肺が破れそうなほど、冷たい空気を何度も吸い込む。

ステータスが更新されました

アドル:Lv1 → Lv5

ミーシャ:Lv1 → Lv5

脳内に響く無機質な通知音さえ、今は勝利の凱歌のように聞こえた。

「アドル!」

駆け寄ってきたミーシャの顔が、残り火に照らされて涙に濡れていた。「無茶しすぎよ……」と漏らす彼女も、腕は槍を投げ続けたことで激しく震えている。

「……ああ。でも、君の機転に救われた。……最高の隠し玉だったな、ミーシャ」

アドルは震える手で彼女の肩を借り、ゆっくりと立ち上がった。身体中の傷は酷く、自作の装備はボロボロだが、不思議と活力は満ちている。

Lv5。一般人から、この世界で「生きる者」へと。焼け焦げた木の匂いの中で、二人は深い絆を再確認し、絶望的な森で掴み取った二度目の勝利を噛み締めていた。

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