第140話 : 再生の刻
大浴場の脱衣所にまで、肌を刺すような冷気が流れ出していた。
浴槽の中では、虹色の波紋を広げる水面が時折パキパキと音を立てて凍りつき、幻想的な光景を作り出している。
「……ふぅ。極楽だな。やはり我には、この凍てつく冷たさこそが最高の癒やしだ」
白銀の長い髪を水面に漂わせ、人型のドラゴンが静かに目を閉じた。
アドルの作った特殊な温泉の素は、冷水と反応することでその治癒効果を何倍にも引き上げる。
数時間前まで消え入りそうだった彼の魔力は、今や力強く、かつ冷徹な輝きを取り戻していた。
一方、寝室で丸一日眠り続けたアドルも、ようやく意識を浮上させた。
「……う、ん……。ここは……屋敷か」
「アドルさん! 気がついたのね!」
隣で看病していたミーシャが、弾かれたように顔を覗き込ませた。
アドルは重い身体を起こし、自分の肩に触れる。
樹脂で無理やり固めた傷跡は、ミーシャの魔法とカミラの懸命な処置によって、薄い赤みを残す程度にまで塞がっていた。
「……悪いな、心配かけた。ルルとドラゴンはどうなった?」
「ドラゴンさんは今、水風呂で回復中よ。アドルさんの作った薬のおかげで、もう大丈夫そう。ルルちゃんも付き添っているわ」
「そうか……。よかった」
アドルは安堵の溜息を吐き、ふらつく足取りながらも立ち上がった。
一度ギルドへ向かい、ガリクソンから二十層までの安全確保と、一階から十九階の掃討完了の報告を受け、必要な備品を補充して屋敷へと戻った。
◇
その夜、居間には全員が顔を揃えていた。
水風呂から上がり、完全に魔力を取り戻したドラゴンの姿もある。
白銀の髪をなびかせ、端正な顔立ちで椅子に座る彼の威圧感は、半分に制限されているとは思えないほどだ。
「……ところでアドルさん、あたし、ずっと気になってたことがあるの」
ルルが身を乗り出して、人型のドラゴンを見つめた。
「ドラゴンさんのこと、いつまでも『ドラゴンさん』って呼ぶのは、なんだか他人行儀なの。せっかく人型になれるんだし、ちゃんとしたお名前があったほうがいいと思うの!」
「ほう、我に名を付けると?」
ドラゴンが銀の瞳を細める。アドルも顎に手を当てて考え込んだ。
「確かにそうだな。これから一緒に戦う仲間だし、呼びやすい方がいい。……『シルヴァ』はどうだ? お前の銀の鱗や、その髪の色にぴったりだと思うんだが」
「シルヴァ……なの! カッコいいなの! ドラゴンさん、シルヴァでいいなの?」
ルルが目を輝かせて尋ねると、ドラゴンはしばしその響きを確かめるように沈黙し、ふっと口角を上げた。
「シルヴァ……悪くない。古の契約に縛られた呼び名よりも、この姿には相応しいかもしれん。……主よ、その名、ありがたく受け取っておこう」
「よし、決まりだな。これからよろしくな、シルヴァ」
アドルが笑いかけると、シルヴァは不敵に頷いた。その光景を見て、ミーシャも優しく微笑む。
「いい名前ね。……さあ、名前も決まったところで、次の作戦を立てましょう」
アドルが広げた地図には、二十一層から先の空白地帯が広がっている。
「……十層、二十層と、節目ごとに強力なボスと不可解なエリアルールがあった。この先、三十層にも同等か、それ以上の何かが待ち構えているはずだ」
アドルの言葉に、全員の表情が引き締まる。
二十層の毒沼のような物理的な罠ならアドルの錬金術で対処できるが、次は何が来るか全く予想がつかない。
「あたしもシルヴァも、もう二度と油断しないなの!」
「ええ。私も左手での二重螺旋をさらに安定させてみせるわ。……アドルさんの盾になれるように」
「ふん。我が槍を潜り抜けられる敵が、そう何体もいてたまるか。主よ、案ずるな。次は我がシルヴァとして、その歩みを阻むもの全てを凍てつかせてやろう」
シルヴァが槍の石突を床に鳴らす。
未知の領域となる二十一層。
そこから三十層までの道のりに何が潜んでいるのか、今はまだ知る由もない。
だが、彼らの瞳に迷いはなかった。
「……よし。準備を整えたら、二十層の石碑から突入だ。……行くぞ!」




