第114話:英雄の背中
モルガンの店を脅かしていた領主の役人共を「力」で追い払った後、アドルはあえてその場に留まらなかった。
「重力アンカー」による威圧はあくまで、自分たちの居場所を侵させないための境界線に過ぎない。アドルの真の目的は、恐怖による支配ではなく、この街そのものを内側から「塗り替える」ことだった。
「アドルさん、次はどうするの? あの様子じゃ、またすぐに増援が来るわよ」
ミーシャが周囲を警戒しながら問いかける。
アドルは、かつて自分がポテトを揚げ、人々が笑いながら並んでいた通りを見つめた。
「力で押さえつければ、第二、第三のギルバートを生むだけだ。……まずは、この街の『痛み』を取り除こう」
アドルたちが最初に向かったのは、冒険者ギルドだった。
そこには、ギルバートによる法外な「装備税」や「登録維持費」に喘ぎ、ボロボロの武具を抱えて途方に暮れる冒険者たちが溢れていた。
「……この盾、もう限界だ。直す金もない。これじゃあ1層のゴブリン相手でも命を落とすぞ」
一人の若い冒険者が、ひび割れた盾を地面に置いて頭を抱えていた。アドルはその隣に歩み寄り、無言で盾を拾い上げた。
「おい、あんた何をする……!」
「――瞬きの錬金。構造修復・硬度強化」
アドルの指先が青白く発光したかと思うと、一瞬の間に盾のひび割れが消失し、以前よりも重厚な銀色の輝きを放ち始めた。
「なっ……なんだ、今の光は!? 新品、いや、それ以上になってるぞ!」
「次はそっちの剣だ。貸してくれ」
アドルは驚愕する冒険者たちの間を回り、次々と武具を手に取った。
「瞬きの錬金」は、今や素材の結合から研磨までをコンマ数秒で完了させる。
折れた剣が瞬時に鋭い刃を取り戻し、穴の空いた鎧が元の形を上書きされるように修復されていく。
「……金はいらない。その代わり、準備ができたら俺の店に顔を出してくれ」
アドルが去った後、ギルド内には「白銀の錬金術師が帰ってきた」という噂が、雷鳴のような勢いで広がっていった。
◇
アドルたちの歩みは止まらない。
街の広場で地上げに遭い、家を壊されかけた老人。
井戸が枯れ、泥水を啜っていた貧民街の親子。
アドルは行く先々で、その圧倒的な「生産の力」を惜しみなく振るった。
「瞬きの錬金……地脈接続・水流錬成」
枯れた井戸を覗き込み、アドルが指を鳴らす。
地下深くの岩盤を一瞬で組み替え、清浄な地下水を引き寄せる水路を再構築したのだ。
噴水のように湧き出す水に、街の人々が歓声を上げ、中にはアドルの足元に跪いて涙を流す者まで現れた。
「アドルさん……すごいわ。みんな、あなたのことを神様か何かのように見ている」
ミーシャの言葉に、アドルは少しだけ悲しげに首を振った。
「神様じゃないさ。……ただ、奪うことしか知らない領主よりは、俺たちの方が『マシ』だってことを分かってもらいたいだけだ」
◇
アドルが拠点として選んだのは、領主府近くの豪華な土地ではなく、かつてポテトを売っていた場所に近い、古びた空き家だった。
そこに派手な装飾はない。
ただ、アドルが「瞬き」の速度でリフォームを施した、清潔で温かみのある小さな店構えだ。
店名は『銀の天秤』。
「お待たせなの! 今日からここでお手伝いをするなの!」
エプロンを締めたルルが、元気よく看板を掲げた。
横では、カミラがかつてのアドルのように、手際よく大きな釜でスープを煮込んでいる。
「ご主人様、開店の準備は整いましたわ。……あら、もう並んでいる方がいらっしゃいますね」
店の前には、先ほど助けた冒険者や、家を直してもらった領主の民たちが、おどおどしながらも期待に満ちた目で並んでいた。
彼らはギルバートを恐れている。
だが、それ以上に、アドルの差し出す「明日への希望」に惹きつけられていた。
◇
店が開くと同時に、アドルは一つの奇妙な宣言をした。
「ここでは、金貨は二の次だ。……『壊れたもの』や『使えなくなった素材』を持ってきてくれ。それを材料に、俺がその場で君たちが今一番必要なものに変えてやる」
「……えっ? 壊れたものを、食料や道具に変えてくれるのか?」
「ああ。俺の錬金術は、この街のすべてを再利用する」
これがアドルの放った、最初の一手だった。
本来なら廃棄されるはずの屑鉄や枯れ木が、アドルの手によって一瞬で「最高品質のスコップ」や「保存の効く燃料」に変わる。
人々は驚愕し、そして熱狂した。
それは、領主が管理する「流通」という鎖を、根底から腐らせる毒のような慈愛だった。
◇
アドルの英雄化が進む中、領主府の影でギルバートは爪を噛んでいた。
「……ふざけおって。民衆の心を買収するつもりか」
「放っておけばいい。……彼らが崇めているその希望を、絶望に変えるのは容易いことだ」
闇の中から聞こえたのは、以前アドルを苦しめた「黒犬」の、さらに深い階層に潜む刺客の冷たい声だった。
その夜。
アドルは屋敷の屋上で、夜空に舞うピヨちゃんを見上げていた。
順調に見える掌握。
だが、アドルの右手、包帯の下にある「紋章」の跡が、不気味な熱を持って疼き始めていた。
「……アドルさん、どうかしたの?」
「……いや。何かが、来る気がする」
信頼の裏側に、新たな影が忍び寄ろうとしていた。




