生命を繋ぐ者、断つ者、守る者5『水郷の影に潜むもの』
第五章『水郷の影に潜むもの』
足尾銅山鉱毒事件の処理のために作られた渡良瀬遊水地を渡る風は湿気と青臭さを帯びて頬を撫でた。周囲を囲む堤防の陰に、草むらと雑木が不規則に広がる。遠くに鉄道の警笛が、乾いた音を響かせている。
ここに、東京総合通信局が“電波源の可能性が高い”と特定した一点があった。古い資材置き場。産業廃棄物処理会社の名義で仮設契約されたプレハブ敷地。周囲はほぼ無人。行政境界線を越えてアンテナが置かれていた。
5月17日早朝、東京総合通信局・監視第二課は、監視業務専門官・杉並を現場責任者として調査班を派遣した。
地元の警察とは事前に調整を済ませ、合法性と安全確保のため立会も依頼された。現地踏査は、午前9時27分開始。
案の定、現地に立つプレハブの屋根からは、無指向性のグランドプレーンアンテナが堂々と突き出ていた。
しかも、使用機材は業務用にしては不釣り合いな高出力機。148MHz帯・50W送信。明らかに非常通信や防災行政無線と隣接する帯域である。
「なんでここでこんなものを?」
東京局の技術官が、ため息混じりに呟いた。
建屋内部にあったのは、簡素な机と複数のハンディ無線機。それも20台以上。チャージャーに並んだままの機体には中国製の技適なしトランシーバーが複数確認された。
しかも、受信機の設定チャンネルはすべて148MHz帯の長野県ドクターヘリアップリンクになっていた。
行為者――40代男性で、群馬県館林市に本社を置く零細の産業廃棄物収集運搬業者の社長だった。彼は“悪意”のない笑顔で、事情聴取に応じた。
「いや、だってさ……携帯だと料金かかるし、圏外もあるし。無線ならタダで全員つながるし、便利でしょ?この無線機は20台で8万円で安いし…」
彼はこう続けた。
「**ここの道路、よく白バイが張っててさ。みんなに知らせるのにも無線が手っ取り早いんだよ。**現場の車の流れとか、トラブルも即座に伝えられるし……業務に必要ってことで、うちは何年もこれ使ってんだよ」
明確な認識違いと違法性の意識の希薄さ。東京局の担当官は、「典型的な『日常化した違法使用』」と後日報告した。
しかもこの無線は、医療機関の構内連絡用チャンネルと断続的に混信していたことも判明。
さらにフィルタの質が悪かったらしく、周辺周波数に不要電波を巻き散らかしており、東毛電気鉄道の業務無線でも、干渉があったという記録が出てきた。
この件は東京総合通信局に東毛電気鉄道から連絡が入っており、調査を進めていたが見つからなかったのだという。
東京総合通信局は当日中に、地元警察とともに機器の一部を押収・保存処分し、検察庁に書類送検した。
また、産業廃棄物収集運搬業許可を出していた群馬県は業務停止を含む是正勧告書を即時発出した。
後日、正式な司法手続が行われ、業者はその悪質性から法人として罰金200万円。また、社長及び従業員はそれぞれ30万円の罰金という判決がでた。
また、産業廃棄物収集運搬業許可を出していた群馬県からは、その許可が取り消され事実上同社はつぶれることになった。
東京局・監視第二課では、この件を含む**“近隣周波数帯における構造的妨害事例”**として内部事例に登録。報告書は、関係機関と長野総合通信局に共有された。
「やはり、うちのセンサ、ちゃんと“引っ張った”な」
信越総合通信局、監視課の名立が小さくつぶやいた。
報告書には、熊野神社のセンサによる初動方位測定支援が明記されていたが、それ以上の記述はなかった。現地対応も、証拠保全も、押収も、すべて東京局単独での行動である。
戸隠はその画面を見つめながら、灰皿に手を伸ばした。
「こっちに表彰状は回ってこねえが……地味に支えりゃそれでいいのさ」
彼の脳内には、笹原弘子の『亜麻色の夢のつぼ』が流れていた。
ひとつの違法局が姿を消したとしても、次はまたどこかで芽を出す。それを摘む手が、静かに構えられている――。




