電波の影に沈む影10「夜空を走るもの」
第10章「夜空を走るもの」
新潟市中央区、午後十時二十五分。
昭和大橋のたもと、夜の川面が街灯に照らされて揺れていた。川を挟んだ市役所の庁舎の屋上に、暗い影が一つ、低く飛び交っていた。
「TAD-3000、確認。高度三十メートル、速度は……二十キロ弱。進行方向、東南東」
「制御不能状態、確定です。地上局との通信が完全に切れています!」
市の危機管理課に設けられた臨時オペレーションルームで、地元の警察、自衛隊、そして長野総合通信局とトリアクトの澤井とエンジニアの一行が並ぶ。
戸隠弘明は名立、飯島とともに、仮設された無線モニタリングステーションに立っていた。
携帯型のDEURAS子機と指向性アンテナ、広帯域受信機にノートPC。彼らの前に映し出されているのは、目下のドローンから発信されている周波数帯のリアルタイム・スペクトラムである。
「ドローン本体の自律信号は通常の帯域だな……異常なのは……」
「ここです」飯島が別画面を開く。「UHF帯に微弱ながら、別の搬送波が割り込んでいます。これは明らかにGPS補正局と似たフォーマットを偽装しています」
「つまり、フェイク信号を受信して、ドローンが自分の位置を誤認してるわけか」
名立が口を開く。「これ、GPSジャミングじゃなくてスプーフィングですね。いわば、虚構の地球を見せて操ってる」
戸隠は腕を組み、静かに言った。
「黒部はただの妨害じゃない。制御を奪って、見せつけてるんだ。こっちがどれだけ頑張っても、最後には“彼の電波”が勝つ、と……」
そのとき、警察無線が緊急通報を告げる。
『ドローンが南万代小学校上空に接近中。周辺一帯、交通規制を開始——』
「まずい、あの先にはJTTcodomoの新潟制御センタや万代シテイがある。下手すりゃ、二次被害が出るぞ!」
「なんとか、信号を打ち消せないか? 通信のインターフェースを乗っ取る方法は——」
「それならあります!」と、澤井が前に出た。「まだTAD-3000の開発機には、旧世代プロトコルを受け付ける裏口が残されているはずです。本来は整備用ですけど……もし、それが生きていれば、シャットダウン信号を送れるかも!」
戸隠は即断した。「やれ。スクリプトは? 」
「現場のラップトップに入ってます。GPSスプーフィング信号の干渉を避けるには、短波帯の超低周波、または……」
「VHFの空きチャンネル。こっちで押さえてある」名立が周波数リストを渡す。
時間はない。ドローンは市街地上空を東へ向けて移動している。
その軌道上には住宅街、学校、大型商業地「万代シテイ」が並ぶ。
「信号送出、開始します——」
関口が実行キーを叩いた。
一瞬、モニタのスペクトラムに変化が現れた。歪み、乱れ、そして——
「ドローン、停止! 動きが止まりました!」
「高度を下げている……自動着陸シーケンスに移行しました!」
中継映像のライブ画面で、TAD-3000がゆっくりと回転しながら高度を下げ、信濃川右岸やすらぎ提の芝生に静かに着地したのを全員が確認した。
オペレーションルームが、深い沈黙に包まれる。
そして、静かに拍手が起きた。
だが、戸隠の顔は晴れなかった。
「黒部は……これは“試し”に過ぎない。次は、もっと深く、もっと巧妙に……」
その夜、黒部慎一の姿はどこにもなかった。すでに国外へ脱出した可能性がある、と空港関係者は供述している。
高森プロジェクトを巡る戦いは、まだ終わってはいなかった——




