カタリの日
報道管制の敷かれたメディアで、テロ予告があった。長崎空港を爆破するという犯行声明をいち早く見つけて知らせて来たのは意外にも美夜子だった。
「ねぇ、これまさか。」
鈴奈が液晶の画面を見つめて、うなるような声を上げた。
「福祉連合会の名前が出ているわ。」
美夜子が思わず立ち上がり、置いてあった紅茶のカップを倒しそうになる。それを由良が慌てて押さえた。
「こ、こんなの、鈴奈様、まさか!」
狼狽の余り声が高くなる親友を宥めるように見つめながら、液晶パネルから皿やカップを引き離した。
食堂でゆっくりお茶を飲んでいた鈴奈貴緒主従のところへ血相を変えて飛び込んできた美夜子は、一緒についてきた親友の由良になんの説明もしてくれないままだったので、何故そんなに彼女が興奮するのかがわからない。
「まさかよ。空港爆破なんてテロをやったことなんて今までないし、これからもするつもりはないわ。カタリね。」
声高になる美夜子とは対照的に、幼い外見の指導者は平静だった。
「カタリ!?」
「連合会がウチの組織の一端であることが知れてしまったのね。それでおびき寄せようってことかしら。」
「どうしたらいいんですか?」
傍らの貴緒が静かな声で聞いた。
「カタリなら爆破なんてただの嘘ってこと?」
由良が楽天的に聞き返す。
「いいえ。やりかねない。我々を表舞台に出して公開裁判しようって腹じゃないかしら。」
「公開裁判!?」
「爆破を黙って見逃せば、連合会の悪名を高めることが出来るわ。一つの空港と言う犠牲を払ってね。それが嫌なら、止めに来いと言う訳。姿を見せろ、という事よ。」
「そ、そんな。」
「連合は福祉目的の財団法人ですよ!?どうして爆破なんて・・・ありえないじゃないですか!?」
興奮を抑えられない美夜子が糾弾するように叫ぶ。
「施設を維持する資金源の一つに名を連ねているのよ。この財団は悪い連中だ、そいつらが出資する施設は悪いものだから潰すべきだ。そういう風に世論を誘導しようとしてるんじゃないかしら。」
「そんな。施設の全ての人が組織に入るわけじゃないのに。中には組織の存在すら知らないまま施設で暮らす人さえいるんですよ。無茶苦茶じゃないですか。」
「そもそも施設に入るような人間は生きている価値が無いと思われているのね。政府の忠実な犬になりきれないわけだし。」
「そんなの、許せないわ。社会的弱者まで抹殺しようって事?」
「そういう方向へ向かわせようってことね。」
「爆破をどうにかして止めるか、被害を最小限に収めるかして、連合の名を出来る限り汚さぬようにするしか無い。セイラ、安西兄弟を全員呼んで。」
「わかったよ。ここでいいんだね?」
厨房から優しげな声で返事をする青年が自分のカード端末に指を走らせた。
程なく流河と秀が食堂に駆け込んでくる。
「爆発物の専門家が必要だわ。秀。」
事の次第を簡単に説明すると、兄弟はすぐに納得した。
「出来る限りの事はしてみよう。爆破予告の時間までどのくらいある?」
「15時間後。長崎とは言え、空港は広いわ。探せる?」
「爆発物処理班として、人数を募りたい。人海戦術でなければとても間に合わないだろう。」
「九州で拾えるだけの人数を拾わせるわ。」
「最低でも30人は。」
「匠や坂巻を呼んでもいいわよ。すぐに動いて。」
「よし。俺は川越の倉庫へ言って機材を揃える。由良、搬入を手伝ってくれ。」
「はい。分かりました。」
「流河は人数をあのえて。長崎へ直接来て貰って。あたしも行くわ。美夜子さんも、いらっしゃい。」
「は、はいっ。行きます!」
マドンナ自ら出てもいいという許可を受けて、思わず美夜子は浮き立つように返事をした。前回は留守番を命じられ、居心地の悪い思いをしたからだ。
「セイラ。留守を頼むわよ。」
「わかった。無茶はしないでね。メディアの情報は逐一最新のものを報告する。」
「刀麻はどうする?呼ぶか?」
流河が端末をいじりながら尋ねる。
「手術が済んだら来てくれるでしょう。急患が入って手術中って言われたの。」
川越市街から三キロ程離れた場所に、中世の蔵が立ち並ぶ町並みを残す区画があった。その一角に、秀は静かに単車を停めて降りる。目の前には大きな建物が見えた。
始めて来た場所のはずなのに、何故か由良には見覚えがある気がした。これもデジャブー、という奴だろうか。中学生だった頃、社会科見学で川越市の街を訪れた時に見た大きな酒蔵。当時よりも更に大きいように思える。
「ここ来たことがあるような。…気のせいかな。あの時、美夜子と一緒に名物の紫芋アイス食べたんだよなぁ。」
「紫芋アイス?」
思い出に浸って呟いてしまった言葉を聞かれ、由良は恥ずかしそうに顔を赤らめた。また食べ物の話か、と呆れられに決まっている。
しかし秀はいぶかしげに顔を傾げた後、単車から運搬用ケースをはずしながら別のことを尋ねた。
「ここを知っているのか?お前。」
「厳密にここなのかどうかはわからないけど、ここに似た場所に来たことがある。」
「ここは倉庫だ。組織で使う備品や車両、武器庫などがここにある。」
「そ、そうなんだ。流河さんや秀さんが持ってくる車とかはここから出してたんだね。」
「修理もここで行う。俺はよくここへ仕事で寄る。」
彼の表向きの職業は整備士なのだと教えられたことを思い出した。だからここへ来ることが多いと言う事か。
「運ぶの手伝います。」
「頼む。入り口は裏側だ。」
二つ分のケースを受け取って両手に持った。彼の後ろを追いかけて歩くと、大きな酒蔵の裏口が開いた。
外見は昔の酒蔵のようにレトロなのに、内側はごく普通のガレージだった。隠れ家のガレージを大きくしたような広い空間に、三台の車両が置かれ整備中のステッカーが貼られていた。高い天井まで届きそうな大きなスチールの棚がいくつも壁側に並び、工具の置かれた簡易デスクがそこら中に配置されている。
入り口から右手に入ると自動ドアがあり、秀がパネルに触れると開いた。由良に合図するように首をそちらに振って奥へと入っていく。こちらはまた別の倉庫になっているらしい。今の時間帯は無人だった。
明かりが点くとそこが小さな給湯室で、粗末な椅子とテーブルが申し訳程度に配置されていた。秀は更にその奥へ進んでいく。ようやく彼が足を止めた場所には、壁一面が棚になっている狭い部屋だった。
「ここまで持って来てくれ。」
「はーい。」
学校の図書室を思わせるような狭い間隔で置かれた棚に挟まるように、ケースを押し込んだ。そのケースに、秀が次々と必要な機材を収めていく。探知機と思われる機械や、液晶パネルらしきものがたくさんあった。
彼が作業している間、由良は見るともなしに辺りの棚を見渡した。棚には細かく分類を示す記号がふってあり、それぞれにケースが押し込んである。大きさはまちまちだった。
「凄いなこんなにいっぱい備品が揃ってるって事?実はお金持ちなのかな、鈴奈さんて。」
「鈴奈が金持ちというより、組織の予算が潤沢だということだろう。セイラの手腕だな。」
美夜子がセイラは数字に強いと褒めていたことを思い出す。
「どうやってその、活動資金を得ているのかな。なんていうか、困ってるようには見えないし。」
「構成員が資金を提供しているのも勿論だが、鈴奈自身が持っている特許なども多少はあるだろう。少なからぬ後援者というのもいるらしい。詳しくは俺も知らん。」
持ち出すケース内の数と種類を、棚に付属した管理用のコンピュータに入力しながら由良の質問に答えた。
「凄い人なんだね、マドンナって。」
感心して思わず呟く。見た目は可憐な少女としか思えないのに、彼女は大した指導者だった。
作業を終えた秀がふと給湯室の方へ目を向ける。何かを思いついたのか、運搬用のケースをそのまま置いて、由良に短く命じた。
「そこに座れ。」
給湯室の簡易椅子を指して言う秀は、小さなキッチンへ歩いていった。
何故だろうという疑問を飲み込み、言われるままに由良は黙って腰を下ろす。椅子が軽くきしんだ。安定が悪い。ひっくり返りはしないかと心配になりながらも、おとなしく座っていた。
戻ってきた秀が由良の目の前に差し出した、明るい紫色の包みに入ったものはひんやりと冷たい。
「なんですか?」
「さっきお前が懐かしがっていたものと同じならいいがな。」
受け取って、包装紙を開くとカップ入りのアイスクリームだった。
「紫芋アイス?秀さん、知ってたの?」
びっくりして声が高くなってしまう。由良が思い出していたのは中学の頃の事だし、彼が知っているはずがない。
「この川越の施設の連中がこいつを作る工場へ何人も働きに出ている。お前が知っていたので逆に驚いた。」
目を丸くしてカップにプリントされた文字を真剣に読む。確かに、川越工場、と記されていた。
「頂いていいの?」
「いくつも貯蔵庫に入っている。遠慮することはない。」
カップに付属された小さなスプーンをはずして、中身を掬った。少し明るい薄紫色を口に運ぶ。独特の風味が口に広がった。冷たくて美味だった。アイスを口にして自分は喉が渇いていたのだと気がついた。
秀は黙って立ったまま由良の様子を見つめている。凝視されながら食べることに居心地悪さを感じて、
「秀さんも食べます?」
声をかける。言ってから後悔した。この青年は甘いものはほとんど口にしないのではなかったか。
「いや、それより喉が渇いたな。何か飲むか?」
何かを思いついたように、秀が呟く。アイスを食べ終えた由良が合掌してご馳走様をする。
「何か、あるんですか。」
再び彼が小さなキッチンへ歩いていった。貯蔵庫を開いて何かを取り出したようだった。
「冷たいものしかないが、これでいいか?」
透明なボトルに入っているのは、気泡のが浮かぶ透明な液体だった。
「スパークリングウォーター。味のないものだが。」
「炭酸、好きですよ。」
「そうか。それならよかった。」
そういえば暫く炭酸飲料など飲んでいなかった。セイラが出してくれる飲み物にそういう選択肢は全くない。
秀がそのボトルを、あろうことか無造作に由良に投げ渡した。勿論由良は両手で受け取った。
「蓋の開け方がわからない。」
ボトルをしげしげ見つめながら、由良が困ったように呟く。テーブルの傍まで戻ってきた秀が同じボトルを手にしていたので、彼が開けるのを待つ。白くて細い指が、先端の突起を軽くつまんで引っ張ると簡単に開いた。
「簡単だろう?」
そう呟いて、ボトルに口をつけた秀の唇がかすかに笑っている。滅多に表情の動かない青年の口元が何故緩んでいるのかを不審に思いつつ、
「なるほど、ここを引くのか。」
見よう見真似で同じようにボトルを開けた。
「わっ!あっあーっ」
途端、由良は顔面に炭酸水を思い切り浴びていた。
勢いの余り、安定の悪い椅子ごと後ろにひっくり返って悲鳴を上げる。秀が吹きだしたのはその大仰な倒れ方があまりにも滑稽だったからだろう。笑いを収めきれない口元を隠しながら、ボトルをテーブルに置いて、慌てて駆け寄った。
「大丈夫か。」
「いたー…頭打った。ひどいじゃないですか、秀さん。炭酸を投げて渡すなんて。」
顔やら首やら髪の毛やらが濡れてしまい、情けない表情で由良が恨みがましく言った。
秀がそう言われてまた笑う。片手で口を押さえているが笑い声は洩れていた。腹が立たないわけではないが、秀の笑い声を聞くのは珍しくて嬉しくて、
「気づかずに口を開けた私もかなりまぬけだけどね。」
彼を非難する言葉にそう付け足して責めるのはやめた。
笑いを抑えながら、床におちた由良の分のボトルを拾ってすぐにテーブルに置く。幸い、由良は顔面や髪は濡れそぼっていたが服には殆ど被害が及んでいなかった。
「…まさか本当に開けるとは思わなかったんだ。炭酸好きだと言っていたから当然気づくだろうと。」
切れ長の瞳の端に、笑い過ぎたせいなのか笑いを堪え過ぎたせいなのか涙らしい液体が浮かんでいる。
「えい。」
小さな声で掛け声をかけた瞬間、由良の手が素早くテーブルへ伸びてボトルを取った。そのまま、秀の顔を目掛けてかるく振る。炭酸水が跳ね飛ぶ。
「うっわっ…!」
目の前の少女のように、青年の顔面も濡れそぼった。驚きの余り、言葉を失う。皮膚の上で炭酸の泡立つ音が、随分と遠くに思えた。
「水も滴るいい男ですよ、秀さん。」
意表をついた攻撃なら、由良にも十分勝ち目はある。予想できなかったのだろう、由良が自分に仕返しをするなんて。
冷たい炭酸水が顎から床に滴り落ちた。由良が、小さく笑う。してやったり、と嬉しそうだった。
その明るい笑顔が、秀にも伝染したのか、再び秀が笑った。由良と同じように、悪戯に成功した少年のように楽しそうに笑う。
「秀さんもこんな子供みたいな悪戯するんだ。あはは、意外だけど、なんだか親しみがあっていいや。笑ってる秀さんは、本当にいいね。普段からは想像もつかないくらい明るくて。」
両手を床について仰向けのまま笑っていた由良は、秀がキッチンから投げてくれたタオルで顔を拭きながら、そう言った。
目の前の少女に言われた言葉に、初めて気が付いたかのように秀が笑いを収める。
そうだ、何故だろう。どうしてこんな子供じみた真似を自分はしたのだろう。ただ思いつくままに、何も考えず軽い気持ちでしてしまった。
由良が相手だから、出来たのだろう。彼女ならば、きっと怒りもせず呆れもせず、こんな下らないことに笑ってつきあってくれる、そう確信していたからだ。これが鈴奈だったら絶対に有り得なかった。馬鹿にしたように冷笑されるだけだと、わかっていたから。
「こんなに笑ったのは、初めてかもしれない。」
秀は自分も顔を拭きながら、床の上に座り込んだままの由良の隣に腰を下ろす。あの無表情で冷静な青年は今、どこにもいなかった。穏やかに少し微笑んだ隣りの青年は、いつもの冷たい秀ではなかった。
普段の冷静な師匠も悪くないけれど、やっぱり笑っている方がいいと思う。それは自然な事だと思うのだ。秀は、親友の美夜子が思っているような、冷酷で意地の悪い人間ではない。こんな風に笑い合える普通の青年なのだ。どう説明したら、美夜子にわかってもらえるだろう。彼女の、彼に対する誤解を解けたらいいのに。
アイスを食べさせてくれたり、飲み物をくれたり、こんなふうにふざけたり、辛い時は慰めてくれたりする。そこに彼の利も義務も無いのに。秀の純粋な好意からなる親切は、わかりにくいけれど、とても嬉しいものだし、それは誰にでも理解出来るはずなのだ。
唐突に、アラーム音が秀の腕から聞こえた。
「こういうのは・・・楽しい、な。だが、ゆっくりとしている暇はない。機材を持って長崎まで飛ばなくては。」
自重するようにそう言うと、秀は立ち上がる。
「そうでした。大変、のんびり出来ないんだよね。ごめんね、私が余計なこと言ったから。」
時間が無いと言うのに、彼は、自分を喜ばせるためだけにここへ座らせたのだと知って、由良は純粋に嬉しかった。
「単車にケースを搭載する。飛ばすからな、覚悟しろ。」
両手で運搬用ケースを運び始めた秀は、無表情ではなかった。少し緊張したその表情はなんとなく楽しそうに興奮して、黒い瞳が輝いている。
由良も両手にケースを持って、彼の後を追いかけた。スピードはともかく、操縦が荒くならないことを切に祈りながら。
ここまで読んでくださってありがとうございます。




