8ポスト目 【総務部よりお願い】コピー機の紙詰まりはチョップでは解決できません。
季節は夏。窓の外の蝉や虫の声をBGMに、ハルトはオフィスのコピー機を使用していた。刷りたてホカホカの用紙をチェックしていたのだが…
ピーピーピーピー
「…?え、止まった?」
印刷予定枚数が途中のまま、機械は止まってしまった。
「紙、詰まっちゃったかな…」
ハルトが紙の入ったトレイを開けようと手を伸ばした瞬間…
「触らないで!!」
ペタペタと室内履き用のサンダルを鳴らし、廊下から勢いよく駆け寄る男性が叫んだ。
「あーー、もう今日はコピー機に触らなくて済むと思ったのに…」
「あの…すいません…?」
初老の男性がコピー機の前で片膝をつき、サッとネクタイを胸ポケットに入れ、困惑するハルトを見上げる。
「何したんですか?」
「その、コピー機が止まったみたいで…」
「その前です」
「…印刷してました」
「そのほかは?」
「…?」
さらに困惑を深めるハルトに「叩いてませんよね?」と追い討ちをかけた。
「え!機械なんだから叩きませんよ…!」
「そうですか。ならよかったです」
液晶に表示されているエラーコードを確認し、手早く作業を行うとコピー機は残りを印刷しはじめた。
「そういえばハルト君は日本在住歴長いもんね。機械を叩かないという常識を持ち合わせているんだね」
「そうですね。…あの、すいません…どの部署の方でしたっけ…?」
「ああ、そっか。俺の事わかんないよね。総務部の部長をしてます、小野雅人です。よろしく」
小野雅人は半分白髪の髪をきっちりと7:3に分け、少しタバコの香りを漂わせていた。身長はハルトより少し低い160後半といったところだろうか。ほんの少し猫背なのでわかりにくい。ポケットに入れていたボルドーの斜めストライプのネクタイの先を元に戻した。
「ハルト・ヴァッハロイザです。よろしくお願いします」
「そういば、総務部からのお願いがよく掲示されてますね…」
このコピー機の前にも大きな文字で印刷され、ご丁寧にラミネートまでされた注意書きが貼られている。
【総務部よりお願い】コピー機の紙詰まりはチョップでは解決できません。「日本の映画では、テレビをチョップという魔術で直していた!」とご意見をいただきましたが、それはフィクションです。現実との区別をしてください。総務部
「そう…でも貼ってても、守れない大きな子供ばっかりで…」
悲壮感漂う小野総務部長の手には、ラミネートされたものが何枚か握られていた。
「それもまた注意喚起ですか…?」
「ああ、もう最悪だよ。女子トイレは別の人にお願いしてるんだけど…」
「俺も手伝いますよ!」
「本当?助かるよ…ほんとうに…」
まず1階の職員用トイレに移動した。しかし、個室の前で2人の男性職員がなにやら話し込んでいるようだった。
「すごい…!どんな術式なんだ…!!」
「人の気配を察知すると動作する…これは何かに応用できそうだよな…」
「ちょっと、またあなた達ですか。ここは遊び場じゃないんですよ」
「小野さん!だって、これすごいじゃないですか!」
「どうやったら気配を察知して蓋を開け閉めできるんですか?!」
どうやらこの2人は自動開閉する便座の蓋に夢中になっているらしい。しかも、何かの魔法やそれに似た類のものだと研究しているようだった。怒られてもなお、トイレの前を行ったり来たりして歓声を上げていた。
「…仕事終わったんですか?」
「「戻りまーす」」
2人は大人しくオフィスに戻って行った。
普通のトイレの注意書きなら「節水」や「綺麗に使いましょう」などだろうが、やはりここは異世界国家の大使館。総務部からのお知らせが普通ではないのだ。
【総務部よりお願い】便座の自動開閉システムや、自動水洗で遊ばないでください。これは魔法ではなく、科学の進歩の結晶です。詳細が知りたい方は、遊ばずにご自身で検索してください。総務部
「どのへんに貼れば、みんなちゃんと読んでくれるのか…」
「いや、たぶんどこに貼っても見ない人は見ないかと…」
とりあえず各個室のドアに貼ることになった。
「2人とも、お疲れ様です。小野部長、また掲示物ですか?」
いつもの巡回中だったのか、フェリックスがこの階の作業を終えた2人に声をかけた。
「お疲れ様です…!」
「アーレント公使、お疲れ様です。さっきも遊んでるのが2人も…」
「…たしかに、楽しくてつい時間を忘れる職員の気持ちもわからなくはないですが…」
フェリックスの動きに反応して蓋が上がった。その瞬間、公使の顔が少年のようにワクワクしたものを見せた。そしてそのまま少し下がり、蓋が閉まるのを見届けた。
「…公使?」
小野総務部長は、フェリックスは立場で言うと上だが年齢では年下なので、嗜めるように少し睨みながら言った。公使は咳払いをしてから「それでは私も仕事に戻りますね」といつものスマイルを見せ、その場から離れていった。
「あとはこの階だけですね」
「ハルト君のおかげで捗ったよ。ありがとう」
「いえいえ。また何か、人手が欲しい時は声をかけてください…!」
「ハルト君は本当に良い子だね。…みんなこうなら、俺の仕事も楽になるのに…」
そうして最上階の廊下を歩いていると、少し先でなにやら不審な動きをする女性職員がいた。
「ほら〜ご飯だよー。お食べ〜」
「次私ですよ!先輩!」
「いや、まだ私のターンだから!」
何やらふたりは廊下を掃除しているお掃除ロボットに、ちぎった紙を与えているようだった。
「わ!食べた!かわいい〜!!」
「先輩〜!次は私です〜!」
「ふたりとも…!!!何をやってるんですか…!」
「げ…部長…」
「どうして総務部のあなたたちが率先して遊んでるんですか…!」
「え、総務部だったんですか…」
ハルトが困惑していると、2人とも飼い主にイタズラがバレ、こっぴどく叱られている犬のようだった。そうして飼い主のお説教が始まったので、ハルトはその場からすっと離れ、残りの掲示を貼っていた。何やら総務部長の声が聞こえるが、内容は言わずもがなだ。掲示を終えるとちょうどお説教も終わっていた。
「はあ…もういいです。仕事に戻って…」
「「はい…」」
見えない尻尾を完全におろし切った2人はトボトボとデスクに戻って行った。
「これでまたお知らせが増えたよ…さっそく作らないと…」
「…なんか大変ですね」
「…?あれ、コピー機のエラー音がする」
歩き出していた小野部長は突然そう言った。
「え…俺には聞こえないですけど…」
「いや、これは3階だ…叩かれる前に行かないと…!」
そうして60代である総務部長はサンダルをペタペタと音を鳴らしながら、走って現場へ向かったのだった。ハルトは彼の業務内容には同情を禁じ得ないが、総務部にだけは配属されたくないと心底思った日だった。




