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三章・星の川 星の帯(1)

 ホムラに乗ってしばらく経ったころ、狗鷲(いぬわし)の民が行商する馬車が見えてきた。

 草原のなかにぽつんと浮かび上がる白い幌の古めかしい車を、茶灰の毛色をした兎馬(ろば)が長い耳を揺らして引いている。

 その傍らに、大柄な人物が立っていた。頭巾付きの外套を目深に被っているため顔は見えないが、おそらく男性だ。スオウの指笛に気づくと、その人物は太い腕を大きく振った。


「来たな。赤鷹のがきんちょと織鶴のじゃじゃ馬」


 馬から降り立ったハフリたち一行を迎えた声は、低く大きい。気圧されスオウの背に隠れると、「怖い人やないよ」と耳打ちされた。

 じゃじゃ馬呼ばわりされたツムギが、何も言わずに布入りの袋を男に投げ渡す。


「相変わらずだな、お前は」


 男は気を悪くした様子もなく、尖った犬歯をのぞかせ笑った。

 そういえば、歌鳥の民の森を訪れる虎鶇(とらつぐみ)の民も、体格が良く犬歯が鋭かった。そんなことを思い出し、ハフリは目を瞬かせた。行商を生業とする民同士、何かつながりがあるのだろうか――


「そのお嬢ちゃんは?」


 頭巾の奥から視線を感じ、ハフリは肩を跳ねさせる。


「一言でいえば村の新入り。おっちゃん、頭巾とったって。怖がっとる」


 苦笑するスオウに、男――スルガは「そうだな。最近どうにも都合が悪くてよ。坊主にするか迷ってる」とぼそぼそ呟きつつ、手を頭巾にかけた。

 同時、一陣の風が吹き抜けた。

 ハフリは一瞬目を閉じる。まぶたを持ち上げると、瞳に飛び込んできたのは、色だった。

 空を覆う雲の色。いや、違う。やや光沢を持った色合い。銀色の、髪。

 ハフリはこの色の髪をもつひとを、知っている。


 おとうさん、と。


 思わず言葉がこぼれる。心臓の脈打つ音。耳鳴り。痺れにも似た感覚に立ち尽くす。

 けれど――ハフリを見下ろしていたのは、赤銅色の瞳だった。赤を交えた金、夕日に照らされたティエンの翼とよく似た色だ。よくよく見れば髪とて、父の髪色より淡く、白に近い。


 違う。


 身体から力が抜ける。よろめきそうになるのをこらえ、改めてスルガを直視する。

 歳の頃は三十後半だろうか。覇気を感じさせる佇まいは、いつも困ったように笑っていた父とは、似ても似つかない。


――にも関わらず。


 自分は一体、なんと呟いた?

 気まずい沈黙に、


「あの、その」


 ハフリが慌てて口を開くと、妙齢の女性がスルガとの間に割り込んだ。

 スルガと揃いの外套を羽織る女性。背中を流れる髪は青みがかった黒。前髪は編み込まれ、大きく出ている額が目立つ。浮かべた微笑はどこまでも穏やかだ。

 女性はスルガとハフリを見て、首をかしげた。


「隠し子ですか?」

「断じて違う!」

「ち、違います!」


 スルガとハフリが同時に叫ぶ。スルガは相当焦っているのか、手をわたわたと動かし忙しない。これは悪いことをしてしまったと、ハフリは慌てて頭をさげた。


「ごめんなさい、違うんです。髪の色が父に似ていて」

「あら、そうなの」


 群青の瞳をしばたたかせる女性に、ツムギがぶすりと呟いた。


「目が笑ってないよ、マト姉」




 ツムギの姉であるマトイは、数年前にスルガに嫁入りし村を出て、今は二人で各地を回っているらしい。

 椅子に腰掛けスオウの話を聞いていると、マトイに湯気の立つ椀を手渡された。椀を満たす薄い緑の液体から、少し渋めの、けれども落ち着くにおいがくゆる。そっと口を付けてみると、香ばしい味が口内に広がった。


「おいしい」

「よかった」


 マトイがふうわりほほえむ。容姿こそ似ているものの、マトイとツムギでは纏う空気が大きく違う。

 ツムギといえば、ハフリやスオウ、そしてマトイから離れた場所で、腕を組みウバタマに背を預けていた。スルガは持ち込まれた布の検分に勤しんでいる。


「ツムギさん、あんなところにいていいの?」


 声をひそめて尋ねると、スオウはぴらぴらと適当に手を振った。


「あれは放っておけばええ。毎度のことやから」


 それより、と続けて、


「さっきのバラバラになった本、出してみ。多分、マトイ姉ちゃんなら直せる」


 思いがけない言葉に、ハフリは抱えていた包みを開く。スオウに説明を受けたマトイは、紙の束を受け取ってしばらく触ったり眺めたりしたのちに、


「表紙は別のものになってしまうけれども」


 いいかしら? と尋ね、ハフリは迷わずうなずいた。

 こうして包んで持つよりもずっといい。また表紙をなでて、開き、めくって読むことができる。そう思うと、心が弾んだ。

 スオウが「日が暮れるまでにできる?」と問うと、「多分」とマトイはこたえた。

 スオウが立ち上がり、ツムギの方に向かって叫ぶ。


「オレさ、一カ所寄り道して物を届けにいかなあかんのよ。せやから、おっちゃんに品物もらって先に出る」


 ツムギが眉を吊り上げて「それは」と唸る。


「あたしに、その子を待って一緒に帰れってこと?」

「そーそー。よおわかっとるやん」


 能天気な口調にツムギはさらに眉間のしわを深め、憤然とスオウに歩み寄る。


「いやがらせ? あたしがここにいるのも、」


 ちらとハフリに目をやって、一瞬迷うそぶりを見せたものの、はっきりと、


「この子のことも嫌いだって知ってて、そういうの?」

「もちろん」


 スオウがにっこりと笑う。

 ハフリは、どちらの内側もつかむことができなくて、歯がゆい。ツムギが自分を「嫌い」だと言ったことよりも、その声音のなかにあった何かが気になってしまう。

 ハフリがなにもできずにいる間に、ツムギは大きく舌打ちをして、スオウに小さく声を漏らした。


「あんたって本当におせっかい」


 スオウは肩をすくめて「そりゃどーも」と受け流す。

 そして、急に真面目な顔になると、


「暗くなってきたし、あまり開けたところは通んなよ。山沿いの、森から若干離れたとこらへんを歩いてけ。周りに気ィ配ってな」


 ツムギは気を取り直したように鼻で笑った。


「ばかね。そんなのずっと前から言われ続けてる。わかってるわ」


 目をそらしながら「あんたこそ、気をつけなさいよ」と、付け足す。

 ふたりのやりとりに、甘やかではないけれど、優しく確固たるものを感じて。うらやましい、とハフリは思った。うらやましい、わたしもほしい、と。

 ちり、と胸中で何かが爆ぜたそのとき、とんとマトイに肩を叩かれる。


「紙を、順番に並べてもらってもいいかしら?」

「は、はい」


 紙の束を受け取る。古い紙の匂いを胸いっぱいに吸いこむと、仄暗い感情はどこかに霧散していった。




 あたりはゆっくりと薄闇につつまれ始め、焚火の炎が闇に反して明るさを増していく。

 幌馬車から少し離れたところに敷かれた布。その上に並べられているのは、針と糸と紐、小さな壷に紙や布。そして手許を照らすために灯した蜜蝋の蝋燭だ。その灯りに助けられつつ、ハフリは紙の隅に記された番号をたよりに、紙を順番に並べ直す。


「いち、にい、さん」


 小さく声を出しながら数えていく。そして「じゅう」にたどり着くと、息をついてその束をマトイの傍に置く。その繰り返し。今のところ、欠けている番号はない。残りの紙もあと少しだ。

 マトイは、集中しているのか口をあまり開かない。今も地面に敷いた布の上に座り、紙を一束手に取って考え込んでいた。

 ハフリの本は、全体の厚さと紙の状態から、元と同じ方法で綴じるのが難しいと聞かされ、話し合った末二冊に分けることになった。なんでも、東方で教わった方法で、本の形にするらしい。

 表紙は厚い紙に色紙を貼りつけて作られる。色紙として差し出された『ワシ』――マトイも名前の由来は知らないらしい――は、植物から作られた紙だという。繊維による凹凸に素朴なあたたかみが感じられ、一枚のなかに見られる微妙な濃淡が、目に楽しい。

 ハフリが選んだのは、深緑の色紙。自らの瞳と似たその色を、ハフリが今まで好いたことはなかった。けれども、マトイに色とりどりの紙を見せられた時にいっとう惹かれたのは、不思議なことにその色だったのだ。自分でも驚くハフリにマトイはふわりとほほえんで「良い色ね」と言ってくれた。

 そのときのこそばゆさを思い出しながら、最後の一枚を数え終えた。なくした紙は、ない。無意識にこわばっていた身体が、ゆっくりと弛緩する。

 心のなかでスオウとツムギに「ありがとう」とつぶやき、紙の束を胸に抱く。


「その感じだと、すべてあったのかな?」


 よかったね、とマトイが口元をゆるめる。ハフリはそれにうなずいた。

 最後の一束をマトイに渡し、「ええと」と口ごもる。


「わたし、何をしていればいいですか?」


 そうねえ、としばしマトイは考え込んで、


「もし良ければ、馬車に乗せてある籠のなかでも見てみて? 私が作ったものを入れてあるの。気に入ったものがあれば持っていってちょうだい」




 火を灯した蜜蝋の蝋燭を片手に、馬車の幌をめくり上げる。

 荷台には様々なものが積まれている。多くは木製の箱に詰め込まれ中身はうかがえないが、いくつか、布をかけられただけの籠が置かれていた。

 安定した場所に蜜蝋の蝋燭が乗った皿を置く。籠の上の布を取り除いて――ハフリは息を飲んだ。

 帯に襟巻き。靴下に赤子用の服。手に取らなくてもわかるほどに、ひとつひとつが丁寧に作られている。刺繍も細かく、縫い目も揃い、非の打ち所がない。

 主張しすぎない色の糸や布で作られた小物たちは、誰にでも似合い、誰にとっても好ましいもののように思われた。もちろん、ハフリにとっても。


 好奇心に駆られて、もうひとつの籠をのぞきこむ。


 そこには白い毛糸で作られた、手のひら大の編み物がたくさんおさまっていた。その形は花のようでもあり、いつか本で見た『ユキ』というものにも似ている。一目一目が複雑かつ繊細で、うつくしい。何に使うのかは判然としなかったが、それでも欲しいと思わせる魅力があった。

 ひとつを手に取ってそっとなでると、まるで本当の花びらのようなやわらかさで。知らずに、笑みがこぼれる。

 これらすべてが、ひとの手によって生み出されたもの。先日目にした山烏の民の刺繍のなかにも、マトイのつくったものがあったのかもしれない。織鶴の民は手先が器用だと聞いたが、聞くのと見るのとでは大違いだ。ほうっと感嘆の息がもれる。ずっと眺めていたくなる。

 しかし、たいらかな心の傍を、時折ぴりぴりちりちりとした、胸を逆なでるような感覚がかすめていく。それに刺激されたのか、心がざわりと波立つ。

 その感覚の正体をつかみたくなって、ハフリは自分のなかに潜ろうと、まぶたを落とした。


 きれい。すごい。


 最初に感じたのは、尊敬と憧れで。

 その向こうにあるのは、自分にないものを羨ましいと思う気持ち。そして、それを欲するけれど届かない、焦燥と落胆。

 潜れば潜るほど、心は暗く陰っていく。


 どうして、どうして、どうして。

 どうしてわたしの手には入らないの?


 こぼれ、押し寄せてくるのは、泥水のように濁った感情。心が黒く染まっていく。


 そして行きついた先にあったのは。


――妬ましい。


 それは、キリの歌に対して抱いていたものと同じ。時に相手を壊してしまいたいと思うほどに凶暴で、どろどろとした醜い想いだった。

 その感情に触れた瞬間、ハフリは反射的に目を開き、身体をこわばらせた。

 風が一筋ぴゅうっと吹いて、蜜蝋の蝋燭の灯りが消える。暗くなった視界のなか、白い編み物だけが淡く浮かび上がる。

 ひかりを、放つ。


 ――壊してしまえ。見ていても辛いだけでしょう?


 暗闇のなかに潜む何かが――否、ハフリ自身のささやきが聞こえた気がした。

 無意識に手のなかにある編み物を握り潰しそうになり、堪える。代わりに、くちびるを強く噛み締めた。


(わたしは、どこにいてもないものばかり欲しがって。こんな気持ちになって)


 こうやって、何度も何度でも。きれいなものを見るたびに、自分の奥底にある汚いものを掘り返されるのだ。そして、自分に何もないことを突きつけられる。

 こんなにも、手のなかにある編み物はうつくしいのに。

 そう、うつくしくて、きらきらしていて、まぶしくて、まぶしくて。目を灼かれてしまいそうだった。

 途方にくれたハフリは、籠のなかにしまわれた編み物たちから目を逸らす。そのまま、逃げるように視線をさまよわせた。

 するとふと、あるものが目に留まった。

 それは、隅に置かれた小さい籠のなかに丁寧に畳んでしまわれていた、一枚の膝掛け。蜜蝋の炎も消えてしまった今、色もよくわからない。けれども、手はその膝掛けに伸びていた。

 手に取ると、ごわごわとした毛玉の手触りを感じた。あまり新しいものではなさそうだ。編み目はそろっていて、決して下手なわけではない。

 けれども直感的に、これはマトイの作ったものではない、と判ずる。作品から発せられる空気が違うのだ。マトイの作ったものは慎ましやかな雰囲気を持っているが、この膝掛けには何かを訴えてくるような、覇気に似たものがある。

 一体、誰が作ったのだろうか。


「それ、ツムギがくれたのよ」


 横から差し出された蜜蝋の灯りが膝掛けを照らす。

 膝掛けには、鮮やかな色を何色も使った、花の模様が編み込まれていた。薄闇のなかで感じた通り、マトイの作ったものとは似ても似つかない。

 横に立つマトイが「ちょっと休憩」とつぶやいて、膝掛けを懐かしげに見つめる。


「結婚祝い、っていうのかしら。といっても、半分奪い取ったようなものなのだけれど」


 彼女の口から「奪う」という言葉が飛び出たことに驚いていると、マトイは苦笑まじりに言葉を紡いだ。


「村を出る日になって、私からも膝掛けをあげたの。そしたらあの子、自分が作ったものを『あげない』って言ってきかなくて。結局最後は母が張り手して取り上げたのよ」


 ハフリは膝掛けを見つめ、そっと握りしめた。

 そのときのツムギの気持ちがわかる気がした。恐らくハフリは、マトイや、あるいはキリが自分の姉妹だったら、耐えられない。

 マトイが、独り言のように続ける。


「その頃から、スオウくんに勧められて馬に入り込むようになったみたい。今じゃほとんど、何も作ってないって聞いてる」


 頑固な子なの。とつぶやいた声は、呆れているようで、さびしそうでもあって。

 マトイは、蜜蝋の灯りを持っていない方の手で、膝掛けに触れる。細く白い、きれいな指だった。

 人差し指、中指。編み物の上を指が滑る。ゆっくりと、いとおしむように。

 そして、一言。


「きれいでしょう、それ」


 はい、とハフリはてらいなくこたえた。

 さっきまでのどろどろした感情が、引いていく。それは、ツムギの膝掛けのおかげでマトイの織物に刺激された劣等感から逃れられたせいかもしれない。あるいは、ツムギに勝手に共感して、同情して、安心しているだけなのかもしれなかった。

 けれども。

 ゆらゆらと揺れる蜜蝋の灯りに照らされながら、この膝掛けが「好きだ」と思う。

 ハフリはツムギのことをよく知らない。耳に残っているのは高い声と棘のある言葉。目に残っているのは不機嫌そうな顔――そして、きちんと角のそろえられた紙の束。そして目の前にある膝掛け。

 それらは、まだばらばらだ。

 ばらばらで、当たり前だった。ハフリが、組み立てようとしていなかったからだ。まるで世界には『自分』と、『それ以外のすべて』しかないように思い込んで、ひとつひとつを見ないでいたのだから。

 進まなければと気持ちだけ必死になって、すべてを放り出していた。走って、焦って、結局同じ道をぐるぐる回っているだけだった。

 正直今も、どうしていいのかわからない。


「あの、」


 けれど、たくさんのことから逃げてきたことには、ようやく気づきはじめていた。

 だからまずは、わかるところから、


「この白い編み物、ひとつ頂いてもいいですか?」


 できるだけ向き合ってみようと、思った。

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