犬島 巴
下駄箱を抜け、一年生の教室がある4階まで向かう。
自分のクラスへ入り、荷物だけ置いて早々にⅮ組の扉から中を覗く。
当然俺の後ろには敦が付いて来ている。……いや当然なのか?
「居なくね?氷室」
「早かったかな……まだ始業まで20分あるし」
全40人のクラスの中でⅮ組に居るのは半数以下の15人程だった。
氷室の姿は見えない。
俺と敦は互いに顔を見合わせる。
「どうする俊平?ここで来るまで張ってる?」
「不審者かよ……授業が終わるのを待とう」
このまま待ち伏せをしていても氷室がいつ来るかは分からない。
ならば始業以降の時間を狙った方が確実だろう。
さすがにずっと除き続けると言うのも気乗りしないしな。
そう決めた俺たちは一旦B組の教室へと戻るのだった。
「本格的な授業開始は来週からだけど教科書もう来てるから。全員持ってって名前書いといてね」
白い配膳台の上にそれぞれ置かれた教科書の束を見てクラスの全体から悲鳴が上がる。
気持ちが分からなくもない俺は苦笑いをこぼす。
確かに春休み直後に現実に引き戻されるあの感覚はきついよなぁ……
大抵の人間は苦しまされるだろう。
俺の隣の席の彼女も例外ではなかった。
「あーやだ。助けて高島くん。無理無理無理無理ほんっと無理、勉強できないんだって私」
ツインテールの少女、犬島 巴はこっちをじっと見て助けを乞う。
さながら死んだ魚のような瞳だった。余程勉強が嫌いなんだろうか。
「まぁ、遅かれ早かれやる事だし。小学校時代を思い返せば案外いけるよ」
距離感がまだ分からない俺は当たりざわりのない返答を寄こしておく。
一応補足しておくと俺と犬島は小学校は別々である。
つまり昨日が初めましてだった訳だがその割にはやたらと距離を詰めてくる。
挨拶は良いとしていきなり出合い頭に連絡先の交換をしようとか言いだすのだ。
ベクトルこそ違うが距離の詰め方は氷室もそんな感じだったし……
これが今時の女子なのだろうか?
俺の中学時代にはさすがにそこまで積極的な人は居なかった。
久しく忘れていたジェネレーションギャップをひしひしと感じる。
犬島は俺の言葉が気に入らなかったのかむっと頬を膨らませた。
分かってる。今欲しいのは現状への励ましではないんだろう?
彼女は勉強の仕方を聞いてるんじゃない、勉強自体をしなくていい方法を探しているんだ。
出来る限り応援はしたいがそこまで無責任な事は言えない。
むしろ勉強なんて中学からが本番だ。俺も前世じゃ成績ちょい落ちたし。
「本当冷静っていうか、大人っぽいよねー高島くんは」
ぷいっと顔を逸らしてつまらなそうに犬島は言う。
聞きなれた褒め言葉(?)を投げかけられて俺は曖昧な表情を浮かべる。
まあそりゃ、大人っぽいも何も一度経験してますし……とは当然言えなかった。